熊本熊的日常

日常生活についての雑記

虎の威を借る

2009年05月09日 | Weblog
社会保険事務所から委託を受けたと言って、もしもしホットラインというところから国民年金保険料の支払い催促の電話がかかってきた。時間は午後8時頃、夕食の最中だった。

本ブログの4月27日付「さそり座の女」に書いた通り、未納分16ヶ月分のうちの1ヶ月分を同日に納付した。電話の主は、保険事務所からのデータが4月24日付のものなので、行き違いがあればご容赦頂きたい、などと言っていた。電話の語り口こそ慇懃だが、相手の突っ込みを入れさせないようにしようとする間の詰め方とか、声の調子とかが高慢で、不愉快なものだった。

自分の所属先である「もしもしホットライン」という単語が強調されていて、いかにも自分は委託されて電話をしているだけだといわんばかりである。要するに、つべこべ言わずにさっさと払えということらしい。社会保険事務所ともしもしホットラインとの関係、国民年金保険料の未納付状況などについて長い長い説明の後、ようやく私が話す番になった。こちらが語るべきことは月払い分の1ヶ月分を4月末に払ったこと。これからも月単位で支払う予定であることだけだ。

すると、再度、手元のデータが4月24日付であることの説明を聞かされた挙句、次回の支払い予定を尋ねられた。次回は5月末に1ヶ月分支払う予定であることを告げると、今度は今回の電話の主旨と「5月末に1ヶ月分お支払い頂くことをお約束頂きました」という確認が続く。別に約束などした覚えはないが、そんなことを言って電話を長引かせても益がないことなので、「はい、よろしくお願いします」と言って電話から解放された。

世に給料日が25日である会社は多いのではないだろうか。世の中の慣習を無視して、あるいは逆に狙いすますようにして、24日付けのデータを使い、翌月9日に督促の電話をかけるというのは、合理的な行動なのだろうか? 月末のデータを使えば督促の電話件数は、もう少し減らすことができる、というようなことを考える人は社会保険事務所にはおられないということだろうか。

ところで、社会保険事務所は保険料回収事務の委託費用として、年間いくらほどをもしもしホットラインに支払っているのだろうか? その金額は我々が支払う保険料のうちのどれほどを占めているのだろう? 「泣く子と地頭には勝てぬ」という。日々の生活の身近なところに泣く子や地頭が多く、また、その泣く子や地頭の威を借りた輩が多くて、なんとも煩わしいことである。

身も蓋も

2009年05月08日 | Weblog
この5ヶ月ほどの間にCDを2枚購入した。特に音楽が好きということもなく、CDを聴くオーディオ装置もパソコンしかない。そんなわけで、よほど気が向かない限りは音楽を聴くこともない。それでも、たまに聴いてみると心地よく、きちんとしたオーディオ装置があったほうがよいのではないかと思うこともある。

音楽は、もちろん、音楽そのものも大事なのだが、CDケースのデザインも大いに気になる。CDが登場してサイズが小さくなってみると、ジャケットの絵柄は今ひとつ存在感が軽くなってしまったように思われる。レコードの時代の、あの大きさでこそ、ジャケットの絵柄がサマになるように思うのである。特に、ジャズのアルバムは、中身の音楽の好みに関係なく、手にしてみたい小粋なジャケットが多い。

レコードからCDになって変わったのは、曲目の構成だ。レコードにはA面とB面があり、それぞれの面において芝居や小説のような展開があり、さらに両面を通じた世界の広がりのようなものがあった。それがCDになると最初から最後まで通しで聴くことになるし、作る側もそのような前提で曲目の配置を行うので、なんとなくアルバム全体の印象が平板になるような気がするのである。

さらに細かい話になるが、レコードを扱う時には、傷をつけないように注意を払って扱うとか、静電気除去スプレーをかけて埃を拭うといった、取り扱う際の緊張感があり、それが針を落とす瞬間に最高潮に達したものである。その緊張感を経て耳にする音にはそれだけで感動を覚えた、と言っても、あながち誇張にはならないと思う。

人は自覚している以上に様々な感覚を動員して物事を認識しているものだ。音楽ソフト市場が低迷を続けて久しいが、音楽媒体がレコードからCD、さらには無形であるネット配信へと変化することで、音楽自体の存在感も軽くなってしまったことも、その一因ではないかと思っている。

今年になってから購入した2枚のCDは以下の通りである。
“IN THE COURT OF THE CRIMSON KING AN OBSERVATION BY KING CRIMSON”
“Vladimir Horowitz FAVORITE BEETHOVEN SONATAS Moonlight, Appassionata, Pathetique”
どちらも大変気に入って聴いている。

俺ら東京さ行ぐだ

2009年05月07日 | Weblog

横須賀線で車両故障が発生しダイヤが終日乱れた。と、書くと極めて日常的な出来事のように思われるし、JR東日本のプレスリリースの内容も事務的なものである。しかし、朝6時50分に発生したブレーキ故障で3時間半にわたり横須賀線全線の運転が停止され、並走する京浜東北線まで一時不通になった上に代替輸送に当たった私鉄や道路交通にも乱れが生じるという事態には考えさせられるものがある。今回の件で最も興味を感じたのは、乗客が2時間も車両のなかに閉じ込められたことである。

朝の通勤時間帯には少し早い時間だったと思われるので、混雑といってもそれほどでもなかっただろうが、客を2時間も車両のなかに留め置く関係者の神経には常人の理解を超えたものを感じる。マニュアル一辺倒で思考能力を失った人たちが何万人もの命を預かっているのかと思うと背筋に寒いものすら感じる。

一方で、2時間も車両のなかで耐える乗客にも怖いものを感じる。非常コックを開けばすぐに外に出られるものを、なぜ無策に耐えたのだろうか。確かに、無闇に線路に降りるのは危険だ。しかし、報道写真を見る限り、高架上であるとか見通しの悪い場所というわけでもなく、視認によって安全確認ができる場所のようである。現に、2時間も車両内に留め置かれた乗客は、結局鉄道職員によって線路上に誘導されている。

鉄道で投身自殺をすると遺族には損害賠償請求が来るらしいが、鉄道会社の責任で遅延が発生したきには遅延証明の紙切れと、せいぜい代替輸送用の切符くらいしかもらえない。2時間以上遅れた場合には特急料金の払い戻しは受けることができるが乗車券の払い戻しは受けることができない。これも妙なことだと感じるのは私だけなのだろうか。

以前、このブログのなかでロンドンの公共交通機関のお粗末さを何度か話題にしたが、あれは東京の近未来の姿なのかもしれない。高齢化が進展し、国民の民度が衰え、今利用している社会システムを維持できなくなる時代がやがて訪れるのだろう。

鉄道は あるけれど
まともに動くの 見たこたねぇ
おら こんな村 いやだぁ
おら こんな村 いやだぁ

そんな時代が意外とすぐそこに来ているのかもしれない。


365歩のマーチ

2009年05月05日 | Weblog
中一日を置いて今日もプールへ行って来た。今日もしんどかったが、一昨日と比べるとかなり楽に泳ぐことができた。

今日は3往復150mを泳いで1往復歩くというのを1単位にして7セット。最終セットは4往復200mにして、合計1,100m泳いで来た。前回とは違って、余力を残してプールからあがることができた。勿論、疲労は十分に感じているのだが、一昨日とは違って、普通に歩いて住処へ戻ることができた。

以前から感じていることなのだが、何事かを学習するときは畳の目をひとつひとつ数えていくような微妙な進歩の積み重ねであるのに対して、老化とか病気や怪我で能力を失うときは崩壊するように不能に陥るような気がする。自分自身が崩壊するような不能を経験したことは幸いにして未だ無いのだが、周囲の人々を見ていてそのようなことを感じるのである。尤も、私の場合は崩壊するほど高く積み上げられた能力が何一つ無いので、心配には及ばないのだが。

ささやかなことなのだが、やっとの思いで700m泳いだ後で、余力を残して1,100m泳ぐことができたというのは、妙に嬉しいものである。もはや新たに能力を開発できるような年齢ではなく、残存能力をいかに活性化させるかということに工夫を凝らさなければならないなかで、一昨日より昨日、昨日より今日という具合に少しずつ何事かを積み重ねることができるということに素朴な喜びを感じる。そして、あるかどうかもわからないはずの明日というものに漠然とした希望を抱くことができる。

一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。それでも全体としては一歩進んでいる。そういう経験をできるだけたくさん積むように心がけたいものである。

「レオン」(原題:Leon)

2009年05月04日 | Weblog
なぜこのDVDを買ったのか記憶が定かでない。初めてこの作品を観たのは映画館ではない。以前通っていた映像翻訳の学校で、課題として使った作品のなかのひとつだったと思う。通して観たのではなく、部分だけを教材として観たのだが、それが面白かったという記憶があったのと、たぶん「限定盤」というような広告がアマゾンに出ていたのであろう。それでうっかり買ってしまった。

所謂「娯楽作品」だが興味深い場面がいくつもあって、目が離せなかった。切り口はいくらでもあるだろうが、今日は生きる意欲が命を奪うということについて考えた。主人公レオンは並外れた腕を持つ殺し屋である。その生活は厳しい自己管理によって支えられているのだが、マチルダと関わることで、その生活が微妙に変化する。そしてその完璧とも言える仕事ぶりにも影がさしてくるのである。

人間の身体も精神も自然の一部である。それを精密機械のように寸分の狂いも無く扱おうとすれば、自然とは言い難い自己鍛錬が求められるのは当然のことだろう。酒は口にせず、寝るときもベッドではなく椅子に腰掛けたまま。常に周囲への警戒を怠らず、気晴らしといえば鉢植えの手入れくらいのものだ。尤も、軍隊のような専門組織に属したことはないらしく、自己管理の方法は経験に根ざした自己流であるようだ。理論ではなく暗黙知に拠っているとも言える。

興味深いのは、そうした冷徹さが生きることの放棄によって維持されているということだ。鉢植えの草のように、根を張ることなく今だけを生きている。生きることを放棄することで強靭な生を獲得している。

それが、マチルダと出会うことで変化していくのである。はじめはレオンにとっては、自己の規律を乱す厄介な存在でしかなかったが、自分を心底頼りにしている者の存在が、彼の心に久しく不在であった何物かを呼び覚ます。それが無機的とも言える彼の精神に細波を起こし、完璧であった仕事に微妙な狂いが出始める。それでも彼は、それまでの生き方を転換して、根を下ろした生を求め始めるのである。

その結果として、マチルダの敵である巨悪と対峙することになり、強靭な彼の生は、マチルダの望みを叶えるのと引き換えに瓦解する。個人にとって、身体はひとつであり、時間は有限であり、能力には限界がある。何かを求めれば、それと引き換えに何かを差し出さなければならない。その取捨選択の基準がその人の価値観というものだ。価値観の振れのない生き方の美しさのようなものを感じられる。

ところで、この作品を観るとミルクが飲みたくなるのは何故だろう?

老いの影

2009年05月03日 | Weblog
久しぶりに泳いだ。以前は週末毎に近所の区民プールで泳いでいた。日によって多少のばらつきはあったが、平均すると1回に1,500mほど泳いでいた。今日は2007年8月26日以来の水泳でこの間に運動らしい運動は何もしていなかったこと、昨年4月以来の大腿部の痛みが引いていないこと、加齢が進行していること、などから500mほどゆっくりと泳ぐつもりで近所の区民プールに出かけてみた。

予想はしていたが、25mプールを往復しただけで、早くも呼吸が乱れた。とりあえず、2往復100mを泳いで1往復は歩くという組み合わせで5セットを目標にした。泳ぐほどに呼吸のほうは落ちついてきたのだが、脚腰が辛くなってきた。5セット目には足がつりそうになった。そこで一旦水からあがり、プールサイドのベンチに腰掛けて脚のマッサージ。落ちついたところで、水に入って1往復歩き、そこから泳いで4往復。そして1往復歩いて水から上がって住処へ戻った。呼吸のほうは慣れてきたが、やはり脚がついてこない。

微々たる運動量なのにすっかり消耗してしまい、プールから住処までのわずかな距離が途方も無く長く感じられた。住処に戻って食べた塩キャラメルミルクゼリーがいつになく美味しく感じられた。

改めて身体を意識しながら運動してみると、昨年4月以来の大腿部の痛みがかなり軽減されていることが確認された。当初は両脚の大腿部が同じくらい痛かったのだが、現在はカイロプラクテックの効果や自然治癒の影響もあり、左側下肢大腿部の痛みは殆ど感じなくなった。右側も痛みの部位が限定されるようになった。以前に四十肩を患った時も治癒に時間がかかったが、今回もまだしばらくは違和感を抱えながら生活することを余儀なくされるのだろう。それでも、気のせいかもしれないが、多少なりとも自分にとって良い方向への変化が感じられるのは嬉しいことである。

或る休日

2009年05月02日 | Weblog
普段は私が週末に実家を訪ねているのだが、今日は両親が私の住処を訪ねてきた。近隣の商店街に賑わいに驚きながらも、そこに並ぶ商品に対しては「買うものがない」などと厳しい評価を下していた。

商店街をぶらぶらと歩いた後、私の住処で茶飲み話に興じる。他愛もない話題で、話したそばから忘れてしまうようなことである。夕食は外食にすることになったが、適当な場所が思い浮かばない。地元の店は、探せば良いところもあるのだが、多くが一見客相手で、いまひとつというところが多い。実家への移動途上に位置する繁華街といえば池袋くらいしかなく、ここも、少なくとも駅周辺にはこれといった場所がない。あれこれうるさいことを言っていても始まらないので、メトロポリタンプラザのつな八で天ぷらを食べることになった。

天ぷらというのは単に食材を揚げるものではなく、油の質と温度、油に浸けておく時間によって、同じ食材でも味が違ったものになる。だから、店主のこだわりの強い店では、予約客しか受けず、しかも時間までも指定されてしまう、というようなことが珍しくない。

もちろん、百貨店や商業複合施設内の店なので、そのような細かなことはなく、午後6時過ぎの店内は、まだ空いていた。「まだ」というのは、7時を回る頃から客が次々と入ってきたからである。その店が繁盛しようがしまいが、自分には関わり合いの無いことなのだが、自分の生活の場において、活気が失われていくのは寂しいことに感じられる。以前に「ミニマリズムの生活」というようなことを書いたが、個人的には殆どモノを買うということがない。それでも食料品は必要なので、結果としてエンゲル係数が高くなる。それはつまり貧困であるということだ。そんな暮らしをしていても、世の中の活気とか景気が気になるのだから妙なものだ。

この後、両親と一緒に実家まで行き、自分宛の郵便物を回収して住処へ戻った。

もうはまだ まだはもう

2009年05月01日 | Weblog
もう5月なのか、まだ5月なのか、人によって場合によって感じ方は様々だろうが、5月になった。個人的には、どうでもよいことは着々と進捗しているのだが、肝心なことはさっぱりはかどらない。

自分が抱えていることのなかに、5月1日から翌年の4月30日までの1年間を単位にしていることがある。これが全く機能しておらず、自分のなかでの目下最大の懸案だ。これを年内に機能させることを当面の目標にしようと思う。

人生も、それほど残り時間が豊富なわけではない。そろそろ「一生懸命」という形容をつけて語ることのできる取り組みが、自分の生活のなかにあってもよいのではないかとふと考えた。