自己満足日記

クラキンのささやかな道楽三昧  2009年3月14日開設

音楽のこと その3

2016年08月07日 07時15分50秒 | 音楽
一浪(当時は「ヒトナミ」なんて読まれ方も流行りました)を経て、大学に進学すると益々音楽に入れ込んでいきました。

この頃になると音楽の幅も大分広くなっていて、3Jやハードロック御三家、フリーだけではなく、当時台頭してきたプログレやグラムロック、ソロになったクラプトンやベック、アメリカのCSN&Yやザ・バンド等々、ロックやフォーク、R&B、ポップスなんかを幅広く聴くようになっていました。
あまり興味が無かった邦楽も積極的に聴きはじめ、オフコースや憂歌団や柳ジョージなんかもよく聴いていました。
節約のために、敬遠していた「ベスト盤」も平気で買うようになりました。


大学1年生の夏休みにはアルバイト(時給の良いコーラの配送助手・・・重労働)をして貯めたお金でエレキギターを買い、これで手当たり次第に気に入った曲やフレーズをコピーしてました。

大学で入っていたサークルが「美術研究会」というところで当然、絵を描く訳ですが(実は小学生の頃に近所のお寺に通って画家の先生に付いて絵を習っていたことがあり、絵を描くのも好きなんです。)、となりの部室が「ロック研究会」というサークルで、その手の連中が沢山集まっていました。
絵と音楽ですから、相性が良い訳で、両方の部室を行き来しているうちに自然発生的に「バンドのようなもの」が出来てきて、即興曲を作ってみたり、学園祭で演奏してみたりして楽しんでいました。

学生時代は遊んでばかりいた訳じゃなく、ちゃんとゼミにも入って(入室試験は首席だったそうです)勉強もして、簿記検定を受けたり、卒論書いたりもしましたよ。(笑)

音楽でプロになろう等という大それた夢を持っていた訳ではなかったので、本格的なバンド活動はしませんでしたが、大学を卒業する時に友人が自主制作LPを作るために「エレキギターが弾ける奴が必要」というので誘われて、LP製作に参加しました。
歌とアコギの3人組み(一人はドラムも兼務)が言いだしっぺで、これにベースとキーボード兼任1人と、私の2人を加えて5人編成で半年くらい掛かって作りました。
曲は全て言いだしっぺの3人組のオリジナルで、彼らが弾き語り風に演奏したのを聴いて曲を覚え、エレキギターパートを私が、べースとキーボードパートをもう一人がアレンジしました。
この時にはスライドギターにも挑戦しました。
録音は代々木八幡にあったスタジオで8chだったように思います。
4~5人で一発録りした後にキーボードやギターを重ねるようなやり方で作りました。
100枚プレスして、友人・知人にバラ撒いたり、一部は売ったりもして私の手元には最終的に2枚残りました。 
未だに手元にあります。

LPの出来映えは?? ・・・ ご想像にお任せします。(汗)

その時のベースマンは還暦過ぎた今でもバンド活動しているようです。
下の写真はLPの録音スタジオで撮った私で、LPの裏ジャケットに使われた写真です。
この頃は既に就職活動も始まっていたので、長かった髪(一番長かったころはオッパイのあたりまでありました)もバッサリ切った後で、7:3分けのリクルートスタイルになっています。



原子心母
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
コメント (8)
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