万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

報道すべき米紙の慰安婦20万人説への疑問記事

2015年03月10日 16時06分24秒 | 国際政治
<日韓「歴史戦争」>日本人はもっと積極的に各国に主張を訴えよ〔1〕/ケント・ギルバート(弁護士、タレント)(Voice) - goo ニュース
 日本国のマスコミに対する批判点として、しばしば指摘されるのが”報道しない自由”の問題です。”報道しない自由”とは、政府に対して報道の自由を主張する一方で、自らの報道姿勢に反する情報は、たとえ事実であったとしても、国民に知らせずに握りつぶしてしまう行為を意味しています。つまり、民間の報道機関が自ら情報の検閲を実施し、”報道統制”を行うのですから、政府による情報統制と変わりはありません。

 最近、”報道しない自由”の問題を痛切に感じたのは、慰安婦問題に関するニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストの論調の変化です。ケント・ギルバート氏が自身のブログの記事で紹介したことで日本国内でも知られるようになったのですが、両紙は、今年に入って慰安婦20万人強制連行説に疑問を呈する記事を掲載したそうです。従来であれば、日本国のマスコミは、海外メディアが慰安婦問題を取り上げようものなら、些細な記事でも飛びつくようにして自社の紙面で報道、あるいは、転載しておりました。ところが、海外メディアの論調が日本批判ではなく、逆に、日本国の主張に理解を示すものであることを知った途端に、掌を返すように報道を止めてしまったのです。仮に、ケント・ギルバート氏がブログで紹介しなければ、日本国民の多くは、慰安婦問題について海外メディアの論調に変化があったことを知らぬままでいたことでしょう。氏には感謝申し上げる次第ですが、日本国のマスコミによる”報道しない自由”という名の報道統制は、国民に正しい情報を提供すべき報道人として職業倫理にも反しております。

 米国では最もリベラルとされる両紙が、常識と理性に照らして慰安婦20万人説に疑問を呈したことは、アメリカのマスメディアでは、軌道修正をも厭わない健全な批判精神が息づいていることを示しております。日本国のマスコミも、イデオロギーの虜になることなく、また、”報道しない自由”を濫用することなく、国民に対して誠実に情報を提供する報道人の使命を取り戻していただきたいと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする