リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

☆不寛容の時代

2013年10月29日 | 日々の風の吹くまま
10月28日。日本の社会を席巻しているらしい「土下座ブーム」について取り上げたNHK番組があったそうなので探したら、中国経由でアップロードされたらしいビデオがあった。バッファに躓いては中断するので、最初の数分だけ見たけど、土下座シーンよりも、ドラマの主人公の男が「やられたら、やり返す。倍返しだ!」と言い放つ憎々しげな顔の方が印象的だった。不正に立ち向かう男ということだから、悪役ではなくてヒーローなんだろうな。(たぶん番組宣伝のシーンだから)ある程度誇張されているとしても、人間性を感じさせない冷酷な目つきのクローズアップには思わず背筋が寒くなった。いくら正義の味方のヒーローであっても友達にもボーイフレンドにも結婚相手にもご免だなあ。怖いモラハラをして来そうだもん。

他にましなビデオがないので、放送内容のコピーをFBで見つけて、読んでみたけど、「時事芸人」とか言う人の「公開処刑だから、みんなあんなに集まって・・・」という件にまたぞくっ。でも、不快な表現だけど、言い得て妙かもしれない。「日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっている」という状況なんだそうだけど、要するに、本来はする方が自発的に心底からのお詫びを表すものだったものが、メディア報道にたびたび登場しているうちに、相手に全面的な屈服や服従を強要する、いわば懲罰的なものに変移したらしい。心のゆとりを失って「vindictiveness」、つまり人を痛めつけてやりたいという悪意に満ちた報復願望」というニュアンスの強い処罰感情が社会風土の深くでふつふつと発酵しているということかな。

不寛容(intolerance)は別に日本人の専売特許じゃないけど、閉鎖的なムラ社会の特徴ではある。(番組のゲストによると)景気の停滞や大きな天災、人災が続いて、不安と恐怖が強くなったからこそ、みんなでまとまりたい、ひとつになる過程で異物や異端を探して、排斥したいという気持が強くなって来ているそうな。「集団からはみ出た人に対しては容赦なく攻撃を加え、排斥したくなる」と言うのも、ワタシの経験から言えば今に始まったことじゃないけど、「はみ出る人がいなければ作ってしまう」社会は怖い。要するに、出る杭を徹底的に叩いて積もった鬱憤を晴らし、勝ったと感じることで「不安と恐怖」を宥めようということだろうな。ワタシが冗談に日本人は一億総不安神経症だと評したのはいつだったかな。そういうのが「主流」になりつつあるとしたら、みんなが生き難くなるだけだろうに。

二十一世紀は「復讐の世紀」になるのかと思ったけど、「不寛容の世紀」と言った方がいいくらい、今は「不寛容」が世界の風潮になっている感じがする。まあ、これも今に始まったことじゃなくて、歴史を見れば、人間というのは本質的に不寛容な動物なんじゃないかと思えてくる。不寛容のお手本みたいなのが(ワタシが自由な信仰を持っているせいじゃないけど)組織宗教だと思う。「異教」の排除には暴力も殺戮も辞さない根っからの不寛容な宗教もあるけど、「寛容」を説く宗教でも、それは「建前」で、ひと皮剥けば「本音」の不寛容が見えたりする。同じように、熱心に異質な宗教や文化への「寛容」を説く社会活動家や人権活動家の中にも、自らの理念や哲学に心酔するあまりか、同調しない者、追随しない者に対して驚くほど不寛容で攻撃的になる人たちがいる。

不寛容な人間は相手を自分に合うように変えて支配しようとする。自分を変えることはまずない。というよりも心にゆとりがなくて、変えようにも変えられないのかもしれない。不寛容な人にとって、自分が変わるということは、自分に恐怖や不安を感じさせる「異なるもの」の存在を認めて、受け入れる(寛容になる)ことなんだろうな。これが個人のレベルだったら、寛容性を身につけるかどうかは個人の問題だけど、集団のレベルで自集団の不寛容性を変えることなく、他の集団に寛容を押し付けようとすると、やがて押し付けられた方の堪忍袋の緒が切れる。押し付けられた側が、なぜ不寛容な集団に対して一方的に寛容であることを求められるのか、それは相手集団に対する服従ではないのかと感じ始めたら、集団の振り子は不寛容に振れる。土下座をさせられた人が立ち上がるときに降伏や服従を強要した相手に何倍返しを考えないとは限らない。今、世界のあちこちでそういう現象が起こっているような気がする。

ワタシとしては「自分も生き、他人も生かせ(Live and let live)」ではどうしてダメなんだろうと思うんだけど、支配欲も人間の本質なのかもしれない。でも、自ら努力をして認められることで上に立つ自力本願の快感と、他人を貶めることで相対的に上に立つ他力本願の快感とでは、天と地の差があると思う。前者が達成感なら、後者はただの優越感じゃないかな。自分の足元でひれ伏している人を見下ろして得る快感はどっちなんだろう。ワタシは土下座したことも、させられたことも、させたこともないからわからない。まあ、ますます生きにくくなりそうで、これからをそういう世界で自分の人格を守りながら生きて行かなければならない世代でなくて良かったと思うのは、イジワルかな。

まあ、若い世代にはそういう世界を作ったお前たちの世代が悪いと言われるかもしれないけど、歴史はいつも「今日と明日」だから、昨日を見ていてばかりでは何も解決しない。親の世代よりも恵まれた生活水準や教育水準、驚異的な利便性を享受して育った若い世代なんだから、親世代よりもずっと寛容な世界を作って行けるんじゃないかな。もっとも、私たちの世代も若いときはそう考えていたもんだけど、人間が意図することはどうも逆の結果に振れることが多いような・・・。


次々と問題が起きる人、起きない人

2013年10月29日 | 日々の風の吹くまま
今日もカレシは朝から大むくれ。ゆうべ(いつものように)まだ大丈夫と思っていたトラックの
バッテリが上がっていて、またジャンプスタートかと苛立っていたところへ、電話会社から滞
納を払わなければネットの接続を切るという通知。きのう一件落着したはずなのに何なん
だ!と激怒。(郵便で来た通知の日付は1週間前だけど・・・。)オフィスでガンガンどなって
いるのがキッチンまで聞こえて来るけど、ワタシはどこ吹く風で雑誌を読みながら待つ。(カ
レシのアカウントなんだし・・・。)

しばらくして、「クレジットカードがヘンだ。2度目で通った。間違いなく情報を読み上げたの
に」。(もしかして読み間違い・・・?)「電話会社?VISA?どっちの問題なんだ?」ワタシ、知
りませぇん。(アナタだという可能性もあるし・・・。)やっと朝食。ニュースを見ると、議会は今
日もまた上院の経費不正請求問題で大荒れ。「海坊主の顔はもう見飽きた!」 同感。(不
正が発覚して何ヵ月にもなるのに、上院議員の身分を無給で停止されそうになってからの
釈明資料の、それもちょびちょびと小出しの後出しがすごい。なぜ最初に言わなかったのか
不可解だけど、ま、海坊主には何か企みがありそう。)

朝食後、トラックをジャンプスタートしているときに隣のパットが現れたらしく、アイドリングさ
せながらご隠居さん同士の長話。パットが遠出するついでにトラックを走らせて充電して来
てくれるというので、「トラックがなくなってても慌てるな」と、カレシ。はい、はい。(うちは「ア
ナタ、あたふた。ワタシ、ゆうぜん」なんだけど・・・。)トラックもネットも問題が解決して機嫌
を直したカレシは、どこかで60歳以上はガンガン運動しなくても、日常的に体を動かしてい
るだけで十分に健康維持できるという研究発表があったとかで、雨が来る前にと庭仕事。そ
れはいいことだと思っていたら、しばらくして「背中の筋肉が攣った。イテテ」。ええっと、電気
カイロ、あるけど(使えと言うと使わないから、言わない)・・・。

世の中にはやたらに次々と問題に遭遇する人がいる。でも、実際は日常の問題なんて誰に
でも同じように次々と起こっていて、そのたびに怒ったり、騒いだり、パニックになったりする
人は目立つから「運」が悪いように見え、粛々と問題に対処している人は毎日が平穏なよう
に見えるというあたりが違うだけなんじゃないかなあ。