リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

言葉は世につれ世は言葉につれ

2014年10月04日 | 日々の風の吹くまま
寒くなって来たので保温性の高いフランネルのシーツに変えたら、2人とも目が覚めるまで
熟睡。もっと寒くなったら純毛の毛布で春まで冬眠しょうか。まあ、近頃はほんとに熊みたい
に冬眠したくなる世の中だけど、それが叶わないのが人間の宿命。内なる自分に書きなさ
いと言われて、漠然とながらもぼちぼち書き始めたんだけど、随筆や小説をさらさらっと書
けてしまう人はすごいなあと思うばかり。自分探しのつもりで創作に夢中になっていたとき
に「書くってどんな感じ?」と聞かれて、自分の生身を削って紡ぐような作業だと答えたこと
があるけど、まさに羽根を引き抜くおつうの気分で、身が細らないうちに冬眠穴にもぐりたい
ような・・・。

のんびり小町横町を散歩していたら、「懐かしい昭和の死語」という「駄」トピック。そっかぁ、
平成も26年。元年生まれの子供もとっくにゆとり教育を経て社会人になっている年齢で、も
う遠くなった昭和は懐かしい「昔」なんだ。ワタシが生まれた昭和23年なんか「死語の世界」
なのかな。興味をそそられて覗いたら、子供の頃にあたりまえだった言葉がぞろぞろ。さじ
(スプーン)、帳面(ノート)、写真機(カメラ)、敷布(シーツ)、白墨(チョーク)などは言葉を変
えたに過ぎないけど、リヤカー、オート三輪、配給日、ガリ版に謄写版、タイピスト、キーパン
チャー、集団就職などは初めから平成人の語彙にはないだろうな。

高校を卒業して英文タイピストに就職した昭和42年。ゼロックスの前の時代で、「リコピーし
て」と言われて作った青焼きコピーは濡れていた。ジャズ喫茶、名曲喫茶、歌声喫茶には足
を踏み入れる機会がないまま日本を永久に離れたのが昭和50年。(カナダでの初就職で
テレックスを覚えたけど、それも死語かな。)その後の昭和の時代に作り出されて、すでに
死語になった(とされる)言葉の何と多いことか。でも、ほとんどがテレビなどが生み出した
短命な「流行語」のようだから、「言葉は世につれ世は言葉につれ」で、ワタシが知らない間
に生まれて死んでいたと言うことか。

ときには人間は本来の「言葉」を失いつつあるんじゃないかと思ったりもするけど、そうなっ
てもわかり合いたいという欲求がある限りは別の手を考えつくだろうな。それよりも、ワタシ
の日本語がまだ通じるうちに書き始めたものを書き終えないと、死語だらけで現代語訳が
必要になってしまうかも・・・。