5月12日(土曜日)。晴れ。暑くなって来た感じで、窓を開けると夏みたい。今日はワタシが
カナダに降り立って満43年。あの日、両親に見送られて、妹と一緒に千歳空港を飛び立っ
て羽田へ。羽田では妹に見送られて、カナダ太平洋航空のオレンジ色のDC10でカナダへ
飛び立ったワタシは27歳。成田空港はまだ建設中で、CPのバンクーバー行きは週3便し
かなかった時代だった。スーツケースを3つ持ってバンクーバー国際空港に降り立ったのも
月曜日。
1日だけ休みを取ったカレシが迎えに来ていて、その瞬間からワタシの新しい人生が始まっ
た・・・と言えばドラマチックだけど、あの日はどんな天気だったのかな。カレシに聞いてみた
ら「晴れてたと思うよ」。ウェストエンドの高層アパート15階のカレシの部屋(日本で言うワン
ルーム)に荷物を置いて、最初の一緒のおでかけが2人の食器を買いに行くこと。その日の
ご飯、何だったのかな。今になっては2人とも「はて」。とにかく、「2人の人生」が43年前の
今日始まったわけで、ある計算サイトによると、あれから15,706日。
今も大事に持っているこの写真は、あの日千歳空港で搭乗口に向かって歩いて行くワタシ
の後姿を見送っていた父の後姿。幼い頃にねだってはおんぶしてもらった父の背中の温か
い感触を70歳になった今でも覚えているような気がするのは、お父さん子の甘ったれだっ
たからかな。この写真を見るたびに、「あの日のお父さんは何を思っていたの?」と父の背
中に聞いてみたい気がして来る。国際電話は(交換手経由で)高く、郵便は片道1週間かか
り、ネットもメールもスカイプもなくて、次に会えるのは何年先になるかわからないという「今
は昔」の時代、今は亡き父は1人で異国の人の腕に飛び込んで行く無鉄砲な娘をどんな気
持で見送っていたのか・・・。
赤ん坊の頃はこんな顔をしていたワタシ。生まれつき縮れ毛だったそうで、父がいくら蒸しタ
オルを当てて伸ばしても、乾くとすぐに「庄内柿のへた」みたいになるので困ったと、母がよ
く言っていたけど、よく見ると縮れているかな。縄文人風とでも言うのかな。未来がどんなも
のかなんぞ知る由もなくて、ひたすら無心だった生後7、8ヵ月のワタシ。カナダでの43年
はのびのび生きて来れた総じて幸せな人生だったな。あと7年したら50年、つまり半世紀。
それまでに長いこと温めて来た「ワタシの夢」を実現させたいなあ。
カナダに降り立って満43年。あの日、両親に見送られて、妹と一緒に千歳空港を飛び立っ
て羽田へ。羽田では妹に見送られて、カナダ太平洋航空のオレンジ色のDC10でカナダへ
飛び立ったワタシは27歳。成田空港はまだ建設中で、CPのバンクーバー行きは週3便し
かなかった時代だった。スーツケースを3つ持ってバンクーバー国際空港に降り立ったのも
月曜日。
1日だけ休みを取ったカレシが迎えに来ていて、その瞬間からワタシの新しい人生が始まっ
た・・・と言えばドラマチックだけど、あの日はどんな天気だったのかな。カレシに聞いてみた
ら「晴れてたと思うよ」。ウェストエンドの高層アパート15階のカレシの部屋(日本で言うワン
ルーム)に荷物を置いて、最初の一緒のおでかけが2人の食器を買いに行くこと。その日の
ご飯、何だったのかな。今になっては2人とも「はて」。とにかく、「2人の人生」が43年前の
今日始まったわけで、ある計算サイトによると、あれから15,706日。
今も大事に持っているこの写真は、あの日千歳空港で搭乗口に向かって歩いて行くワタシ
の後姿を見送っていた父の後姿。幼い頃にねだってはおんぶしてもらった父の背中の温か
い感触を70歳になった今でも覚えているような気がするのは、お父さん子の甘ったれだっ
たからかな。この写真を見るたびに、「あの日のお父さんは何を思っていたの?」と父の背
中に聞いてみたい気がして来る。国際電話は(交換手経由で)高く、郵便は片道1週間かか
り、ネットもメールもスカイプもなくて、次に会えるのは何年先になるかわからないという「今
は昔」の時代、今は亡き父は1人で異国の人の腕に飛び込んで行く無鉄砲な娘をどんな気
持で見送っていたのか・・・。
赤ん坊の頃はこんな顔をしていたワタシ。生まれつき縮れ毛だったそうで、父がいくら蒸しタ
オルを当てて伸ばしても、乾くとすぐに「庄内柿のへた」みたいになるので困ったと、母がよ
く言っていたけど、よく見ると縮れているかな。縄文人風とでも言うのかな。未来がどんなも
のかなんぞ知る由もなくて、ひたすら無心だった生後7、8ヵ月のワタシ。カナダでの43年
はのびのび生きて来れた総じて幸せな人生だったな。あと7年したら50年、つまり半世紀。
それまでに長いこと温めて来た「ワタシの夢」を実現させたいなあ。