リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

縦書きと横書きと英語で書かれた日本人のストーリーと

2022年02月17日 | 日々の風の吹くまま
2月16日(水曜日)。🌤⛅🌕。今日も気分よくお目覚め。自分でも何だかヘンに張り切ってるなあとは感じるけど、目の前が明るくなって来たせいだと思う。知らず知らずのうちにちょっぴり鬱っぽくなっていたようなところもあるから、その反動かもしれないな。ま、元気がいいのはいいことだ。

朝一番でヒラから「明日のワークショップで使うので、先週送った脚本を読んでおいてね」と言うメール。バンクーバーに住む日系の俳優で劇作家のテツロウ・シゲマツが書いて2年ちょっと前に地元で初演した『Kuroko』で、英語で書かれたものだけど、セッティングは現代の日本社会で、日本の家族のストーリー。作者にはまだ会ったことはないけど、ドラマターグのハイディは時々おしゃべりする友だちだし、演出のアミエルには劇作について指導してもらったことがある。青木ヶ原とか引きこもりとかVRとかオンラインゲームとかレンタル家族とか、ワタシには異文化として感じられる場面がたくさん出て来るけど、根底にあるのは人間関係、家族の関係、人と人の心のつながりという普遍的なテーマで、そのレベルで読めばなかなか奥の深い作品なのが十分に理解できる。人種とか文化、言語、宗教、政治といったものを通り越して、人類という動物種である「人間」と言う観点まで突き詰めて行ったら、みんなさして違ってないじゃないのと思うもの。

ヒラから送られて来たファイルは出版したものをPDFにスキャンしたもので、実際の脚本の部分だけでも相当なページ数。途中に舞台の写真のページが入っていて、それを除外してもまだ相当な数なので、写真のページで区切って、8回に分けて印刷したら、厚さが1センチ強。まあ、登場人物のせりふを並べたのが脚本だから、どのページも空白が多いし、本として出版したものはどうしても元のページが小さいから、印刷した文字の量が少なくてあたりまえか。でも、ワタシは芝居の本は歩き回りながら読むのが一番なので、大きなクリップでまとめた紙の束を片手に持ってちょっと歩いてみたら、うは、重たぁ~い。セリフを覚えて演じる役者じゃないんだから、普通の本のように読めば良さそうに見えるけど、ワタシには立って読む方が場面全体が掴みやすい。小説などは横方向の文学だから寝転がって読んでもわかるけど、芝居は元々人が舞台で体を使って表現するものだから縦方向という認識だから。読みながら歩き回ればなおよし、声に出して読めばまさに没入という、ヘンな思考回路があるらしい。

まあ、縦書きの日本語はわかりにくいのに横書きならすらすらと読んでわかるのと似たよう感覚なのかもしれない。伝統的に縦書きの日本語はワタシの母語のはずなのに、どうしてそうなのか不思議な話だけど、50年近くも目が横書きの文字を追って来たせいで、脳内の思考経路が変わってしまったのかもしれないな。考えてみたら、日常の視界に入って来るほとんどのものを目を横方向に動かして見ている気がする。だからこそ、見上げる(見下げる)と言う行為が何か精神的に特別な意味合いを持っているように感じられるのかな。何だか思考が脱線し過ぎてややこしくなって来ちゃった。さて、まじめに台本を読んでおかなくちゃ。