リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ひどい高所恐怖症だった時期があった

2023年09月07日 | 日々の風の吹くまま
9月5日(火曜日)。☀。なぜか2人揃って目を覚まさずにぐっすりと7時半まで眠って、寝ぼけ頭でぐずぐずして、起きたのは8時半。世の中は今日から一応は平常通り。と言っても、内陸南部で山火事による避難命令や勧告が出ている地域では学校も閉鎖されたままで、家を焼けてしまった家族も多いので、新学年が始まるのは来週か、あるいはその先。雨で今燃えている現場の消火作業が捗った一方で、落雷によってまた新しく何十ヵ所も火事が起きて、森林火災のシーズンはまだまだ続きそう。

すっかり模様替えしたリビングは、朝の日差しでとにかく明るいので、また2人して感動の極み。南東の窓際の本棚の上にでぇ~んと座って眺望を遮っていた大きなテレビがなくなって、窓が床から40センチくらいの敷居まで開けたせいで、広々として見えるんだろうな。さらに、ソファを北東の窓際に置いたことで、外にある下の階のバルコニーの屋根が内側からは見えなくなって、ソファの背の向こうに見えるのはクィーンズパーク地区の緑と空だけになったこともあると思う。窓際に立つと足元の下まで見えて、手を広げたら大空に羽ばたけるんじゃないかと言う気がして来る。こういうのを解放感と言うのかな。でも、窓ガラスが汚れていて、景色がかすんで見えるなあ。大きなテレビが邪魔っけなのを言い訳にして、何年も窓拭きをしていなかったんだ。あぁ~あ。汚れているのに気が付いてしまったら気になるもので、脚立を持ち出して来て、天井から敷居まで雑巾と窓クリーナーで、シュッシュ、ごしごし。ついでにソファの後ろの窓も上から下までごしごし。ついでのついでにダイニングのパティオドアもごしごし。「物のついで」って、始まったらキリがないなあ。



リビングとダイニングのガラスの壁が全部きれいになって、明るさ抜群。でも、高所恐怖症のままでいたら、窓際に立って無限に広がって見える景色を楽しむなんてできなかっただろうな。あれはもう20年以上前のことだけど、出直しハネムーンで行ったマルタで、高台のホテルのバルコニーに出て行ったらいきなり凍り付いて動けなくなって、それから4年ぐらいひどい高所恐怖症に悩まされた時期があった。今になって思うに、精神的にボロボロになったどん底から抜け出しつつあったときなので、心理的なトラウマや不安を高所恐怖症という形で濃縮したのかもしれない。ワタシなりにそう考えるのは、ニューヨークのエンパイアステートビルの展望台からマンハッタンの高層ビル群の一角にある「空隙」を見た瞬間に恐怖感が消えて、凍っていた身体がすっと解けたからで、その「空隙」こそ9・11テロで崩壊したワールドトレードセンターがあったところ。あのときテレビの中継を音なしで流していて、ふと画面を見上げた瞬間に建物が崩れ落ちたもので、とっさに叫びながらうずくまったのを覚えている。

たぶんマンハッタンの端に見えた「空隙」と崩壊する建物の映像が重なって、ワタシの中で何らかの心理的な変化が起きたんだろうと思うけど、あれはほんとに不思議な体験だった。ひとつだけ未だによくわからないのは、ガラスに囲まれた空間にいたときはそれほど恐怖感がなくて、屋上のような外に出たときだけ、そんなに高くなくても身体が凍ってしまっていたこと。動かない足を壁伝い、手すり伝いに引きずってやっとの思いで屋内に戻ったものだけど、それなのに旅行先では懲りずに古城の城壁などに出て行ったのも未だに謎のまま。あのニューヨークでの奇跡のような体験からもすでに20年近い年月が経ったわけだけど、今のワタシはすっかり元の通りに高いところが大好き(だからと言って人間が人間に見えないような高さには住みたくないけど)。バカと煙は何とかと言うけど、高いところから見る眺望の、あの解放感が何ともたまらないの。もしかしたら前世のワタシは鳥だったのかもね・・・。