ここが安良村があった場所です。 記録に登場するのは1734年。 ピーク時には482人。 しかしそのピーク時の1771年に、全国放送のニュースなどでも報じられ石垣の人なら誰でも知っている明和の大津波によってほぼ壊滅状態になります。
地面に並んでいる四角い石は家屋の礎や、雨端(あまはじ)の柱が建っていた土台石(礎と言うにはチョッと感覚が違う気がするのであえて別扱いとしました)です。 かなり大きな建物だった事がわかります。 雨端とは、東や南に突き出したひさしと言うか屋根の下の部分を言います。 外と屋内の中間部分で、家の中に太陽光が入って来ないようにするのは勿論ですが、沖縄の古民家には玄関が存在しないのでこの空間で応対するそうです。
他にもこの構造によって蒸し暑さや台風などにも対応。 腰掛けてゆんたくするにも良さそうな空間ですね。 沖縄独特と言う感じで書きましたが、似たような構造(役目)は内地の建物でも昔から多くあります。 現代なら縁側だってそうだし、屋根付きウッドデッキなんかもそうでしょうね。
隣の細長い石は屋根から落ちた雨水が跳ねないようにする為の物かな? 内側にあれば一段高くなった部分の枠の部分だと思うんですが、この石は外側に並んでるんです。 それともオイラの思い違いで内外が逆なのかな? 後で分ったらまた書き足しておきます。
ここが敷地の内側から見た屏風(ひんぷん)です。 向こう側が入り口だったのが分りますね。 この石垣も前はこんなにハッキリ出てなかったんですよ。
Mさんが説明しているのがオーノフリャー(豚便所)です。 以前から多分そうだろうと推測されていたんですが、6月の再発掘作業でそれがハッキリしました。 その証拠は下に敷いてある 岩板です。 ただのトイレだったら下は石ころとか土だそうですが、平べったい岩板が敷いてあると言う事は、そこに豚がいた、という事だそうです。 ちなみに画面左の2枚の岩板の真ん中に穴が開いてるのがトイレの便座で、その上にまたがって踏ん張って、穴から上手く落とす訳です。 なかなか技がいりそうですね。 オイラはここで何人かに、その踏ん張るポーズをさせられて写真に撮られました(笑)。
立派なガジュマルが皆さんを歓迎してくれてます。 今回はこの後も凄い巨木が迎えてくれます。
人が住むのに一番大切なのは飲み水ですね。 そう、これがその為のインヌカー(西の井戸)です。 いまは土砂や葉っぱが溜まって水がありませんが、昔はちゃんとあったはずです。 海の側で塩が混じらないのか?と思うでしょうか、井戸の深さ(満潮時ラインを考えて)や地下水が通ってるライン、そして淡水と海水では比重が違うので上手く上側をすくえば問題無い訳です。 だから全部淡水を取ってしまうと海水が上がってくるので、その時は他所から汲んで来た淡水を上から足してあげるとまた淡水だけを飲む事が出来る訳です。 たしかそんな仕組みだったはず。
ちなみに海中でも真水が湧き出す所は沢山存在します。 そんな場所には珍しい光景が見られますよ。 調べてみて下さい。
そしてもう一つ、アンヌカー(東の井戸)です。 こちらは底の方に水が残っていました。 以前満々に水が満たされた画像を載せた事があったような気がしまうす。 興味がある方はググッて見て下さい。
次回は移動して山側に行きます。