『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

感染列島GW

2021-04-29 07:42:00 | 大震災/コロナ禍
いよいよ
ゴールデンウイークである。

昨年同様、心弾まぬ
連休ではある。

それでも、
フクシマには
大自然があるから、
海に山に湖に・・・と、
三密を避けて
出かけることができるのは
ありがたい。






買い物&散歩に出かけたら、
いつもの空き地に
アヤメが一輪
凛として咲いていたので、
手折って玄関室礼に活けてみた。






昨日は
長男フミの誕生日だったが、
亡父が彼の節句祝いに買ってくれた
五月兜を出して、
フミの長男であるリク坊が
来月9日が誕生日なので
それを寿いで
コロナ禍を邪鬼に見立て
それを退治する鐘馗様の軸を掛けた。

これは、
佐々木家代々の家宝で、
自分が生まれた頃から
生家に飾られていたものである。

次男でありながら、
父亡き後には
実家の母と同居したので、
図らずも
本家の当主となってしまった。

ダンゴ三兄弟のうち
誰かひとりでも帰福して
この跡を継いでくれたら、
と思わないでもないが、
彼らの人生だから
支援以外は、
一切干渉しないことにしている。





同じ空地には
野生のアスパラも生えており、
雑草の間に育っているので、
その生命力は強く、
ポキリと手折ると
断面からは水分が
したたり落ちる。

フレンチでは
「アスペルジュ・ソバージュ」
(野生アスパラ)
として珍重されるものである。






採りたての新鮮なものを
軽く塩ゆでして、
備前小皿に盛り、
備前の徳利とぐい呑みで
やってみた。

侘びた酒器に
生命感あふれる
エメラルドグリーンが映えて、
「純米大吟醸生酒」が
殊の外いい味わいに感じられた。






夕餉には
手屑刺身(切り落とし)を
買ってきて、
酢〆にしたり、
漬(づ)けにしたりして
手毬鮨をこしらえてみた。

「臨醐山」という
高級黒酢で酢飯にしたので、
香りがふくよかで
江戸前仕事を施したネタに
よく合っていた。

創ってる途中で
カミさんが仕事から
帰ってきたので、
面白がって自分でも
ラップで茶巾絞りにして
こしらえていた。






大都市圏を始め、
全土でコロナ禍が
「第四波」に入り、
その8割が変異型に置き換わり、
さらに、二重変異型も出始めた。

60代の死者は
7.3%とはいえ、
その致死率は決して
低いものではない。

昨日は、市内でも
変異株の
急拡大「警戒」情報が
出された。

そして、感染者数も
じわりと
二桁になっていた。









13億人を蔵する
インドでは、
二重変異型の急拡大で
1日あたり
36万人超えの感染者と
3000人超えの死者がででいる。

医療は完全に崩壊に陥り、
病床も酸素も薬も不足し、
野垂れ死にした人々が
街中のあちこちで火葬されている。

その様を
映像で視ると、
まさに、この世の地獄である。

これが、
今の「油断」と「慣れ」で
気の緩んだ日本の
すぐそにある現実だと、
どれほどの人が
危機感を抱いているだろうか。

いまだに、
緊急宣言下の四都市では、
新年度の飲み会やら
路上飲みが絶えないという。

街への人出も
目に見えて減ってはいない。

それが、歯止めの効かない
等比級数的な感染増加の
数値として、連日、
可視化されてもなのである。

この心理は、
単なる「馴化(Habituation)」という
ストレス刺激への
反応鈍麻(馴れ)だけではなく、
「認知的不協和(cognitive dissonance)」
という"自分だけは大丈夫"感も
働いているようだ。

さらには、
「学習性無力感(Learned helplessness)」
という、長期ストレスの回避困難な環境で
積極的にその状況から逃れようとする
努力すら行わなくなるという心理も
重複して生じているように見える。

こういうのが
極限状況化すると、
日本人は「一億総玉砕」みたいな
気違いじみた集団ヒステリーに
陥った戦時中の過誤がある。

インドでは、
身内を助けたくて
酸素ボンベを盗んだり、
見内を失って
刃物を振るって
医師に八つ当たりした
「追い詰められた人々」を見た。

GW以後、
第四波に歯止めが利かなくば、
いよいよもって、
「ロックダウン(都市封鎖)」が
現実味を帯びてくる。

そして、現行法には、
戒厳令はないので、
「特措法」を更に厳格化して、
大幅に私権を制限したものに
踏み込まねばならなくなる。

3.11レベルの
原発爆発級の大混乱が、
「感染爆発」で
日本全土を襲う可能性すら
現時点ではあるのである。

そしたら、またしても、
東北人が3.11の渦中に
経験したような
遺体を処理しきれずに、
至る処に仮埋葬するような
事態になる。

今のインドが
まさにその状態で、
街々の至る処で
野焼きのように
遺体を火葬している様を
映像で視るのである。

明日は
『感染列島日本』が
そうならないと
誰が太鼓判を押してくれるだろうか。


「Golden Week ?」
「No !!
Black Week !!」

! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ


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震災10年目

2021-03-11 07:36:00 | 大震災/コロナ禍
夢のような
リク坊との三日間も
あっという間に過ぎ去って、
今は、なんだか…
"孫ロス"のようで
ずいぶんと落ち込んでいる。

毛穴が開くほど
喜びすぎて、
全身の細胞が活性化して
"オン"状態になったので、
セロトニンやらが
いっぺんに放出されて…
今はポスト・フェステム・シンドローム
(祭りのあとの寂しさ)
に陥っている。





でも、会えてよかった。

ほんとに、よかった。

 孫あり
  遠方より来たる
   われ嬉しからずや

・・・である(笑)。

そして、
リク坊を見つめる誰もが、
幸せな気分になり、
自ずと笑みがこぼれた。

まだ何もできない
赤子だが、
その「存在感」の大きさには
驚かされた。

まさに、
「Doing」以上の
「Being」の偉大さである。





三日目の朝は
その別れが辛かった。

じっと見つめる
リク坊の
澄んだ瞳を見たら、
思わずウルッときた。

亡き父が、
孫たちを引き上げる段になると、
車窓まで寄って来て、
必ずや
「また、来いよぉ…」
と哀願するように
声かけをしていたのを
まざまざと思い出した。

同じ市内の
近所に住んでたから
毎週末に来ていたにもかかわらず、
父は毎度、毎度、
「また、来いよぉ…」
と言っていた。

幼い子どもたちの耳にも
その優しいかけ声が
残っていたのか、
父への弔辞では
小1だったフミが
「おじいちゃん。
いつも、また来いよぉ…
と言ってくれてありがとう…」
と読んでいた。

ほんに、
リク坊との
しばしのお別れで
抱き上げて相対した時も、
「また、来いよぉ…」
としか、
言葉が出なかった。

乳児のフミが
初来福して、
京都に帰るという朝、
父は出勤を遅らせて
新幹線のホームまで
見送りに来てくれ、
その小さな手に
ジジからの「初めて」のお小遣い
(聖徳太子)を握らせてくれた。

なので、自分も、
その家庭文化を伝承して、
リク坊に「諭吉さん」を手渡したら、
ちっちゃな手のひらで
つかんでくれた。

「お母さんに
美味しいものや、
ご本を買ってもらいなよ…」
というジジに
リク坊はキョトンとしていた(笑)。

抱いてると
いつまでも未練が残り、
別れ難かったので、
彼を下ろしてバイバイした。

その視線を背に感じながら、
いつものように
出勤しようとしたが、
なんだか、切なくって、
胸がキューンとなって、
車をしばらく走らせると
涙がポロポロ流れた。

( ;∀;)

ちょうど、
通退勤の車内で
中村先生の仏教学のレクチャーで
「愛別離苦」という
四苦八苦の一つを
耳にしたばかりだった。

愛するものと
別れ離れる哀しみ…。

クルマが進めば進むほど、
リク坊から離れていくのが
恨めしかった。

よくぞ、
事故に遭わなかったものだ、
と後で安堵するほど、
学校につくまでの16㎞、
30分あまりの通勤路の記憶が
はっきりしなかった。

さながら
ASD(急性ストレス障害)による
解離症状のような
呆然感で運転してたのだろう。

***

滅多にない
哀しい別れを経験して、
「外孫」「内孫」なる
対語を思い起こした。

自分は、
祖父にとっては「内孫」で、
彼はかねがね
「いっとまご(一等孫)」と
冗談半分で
近所の爺連に自慢していた。

それは、
「外孫」より
一等可愛いという
意味だったのだろう。

だったら、
彼は幸せだったろう。

死ぬまで、
孫と同居できていたのだから。

亡父は、
京都から帰福した時、
アキがリク坊くらいだったので、
「もう、これから、ずっと、
おじいちゃんと一緒だよぉ…」
と頬ずりしていた。

同居はしてなかったので、
自転車で20分ほどの距離を
ものともせずに、
日曜の朝になると
我が家にやって来ては
まだよちよちだったアキを
拉致していった(笑)。

「また、アキちゃん、
さらわれちゃったねぇ…」
と、カミさんも
その溺愛ぶりに苦笑していた。

その意味では、
父も幸福だったに違いない(笑)。

週末には、
必ずや実家に
孫を連れて行っていたから。

コロナ禍で
東京に生まれたリク坊とは、
運命のいたずらで
10ケ月も初対面が叶わなかった。

でも、その間の
初孫への思慕の高まりは、
初対面が実現された時に
いっきにスパークした。

なので、今は、
あたかも、
「受精を終えたサケ」
のようなヘロヘロ状態である(笑)。

それでも、
リク坊ちゃんは
楽しい想い出、
印象的な笑顔を沢山
置き土産として
残して行ってくれた。

フミがわざわざ
置いていった
プレゼントの
ジャンボ・レゴも
「また、来るよ」の
約束手形のように見えた。

思えば、
あんな可愛い孫を
未だ緊急宣言発令中の都内から
意を決して連れてきてくれたのは、
素敵な結婚式への招待来の
ビッグな「親孝行」であった。





カミさんが
仕事から帰ってくると、
第一声が
「リク坊ちゃんが帰ったら、
嵐の後の静けさだねぇ…」
と、意気消沈する
トーチャンを見ながら
慰めてくれた。

ナッちゃんが
就職上京する2週間後まで
在宅しているので、
久しぶりの三人食卓で、
カミさんがぽそりと
「孫の離乳食つくってやる
おじいちゃんなんて
いないよぉ…」
と、慰めとも賞賛とも
とれる言葉をかけてくれた。

毎日、
自分のベントや夕食、
"ぼっちフレンチ"を
当たり前のように作っているので、
別に意にも介してなかったが、
そう言われれば、
波平爺さんがタラちゃんの
赤ちゃんの時に、
せっせと台所に立って
離乳食作る場面は
想像し難いかも…(笑)。

ジャガイモをつぶし、
人参をピューレにし、
卵を炒ってちょいと甘味をつけ、
豆腐を賽の目に切る。

それが、
愛孫の口に入るかと思うと
家族や自分のために作るよりも
一段と心がこもるものである。

しかも、
いつもの"ぼっちフレンチ"の癖で、
ブログアップ用に
撮影までしてるから、
≪フレンチ・シェフならこう創る≫
みたいなコンセプチュアルな
離乳食になったかもしれない(笑)。

でも、いいやい。

リク坊が、
「ンマーッ!!
チュッパ、チュッパ」
と、パークパク
平らげてくれたので
シェフは幸せでありんした(笑)。





きのうは
リク坊「ロス」で
呆然としてたので、
朝10時開始の恒例の
ソーちゃんの順位戦を
すっかり失念していた。

やっぱ、名誉孫も
本物孫には
かなわないんだなぁ…(笑)。

お昼ごろ、
学校で気が付いて
スマホのアベマ中継を
ミュートにして
付けっぱにしながら
仕事をしていたが、
途中で電池がなくなった(笑)。

いつもなら、
ACコードを持参して
電源確保しながら観戦しているが、
なにせ、昨日ばっかりは
「いつも」と違ってたので…(笑)。

急性「対象喪失症候群」に
罹りながらも、
ご新規さんを入れて
五人もフルタイムで
カウンセリングしたものだから、
帰宅時には、体調が崩れ、
夜の自宅カウンセリングを
キャンセルさせてもらった。

7時頃、ベッドに入って
足元の大画面で
将棋観戦をしながら
安静療養しようと
横になった途端に
爆睡してしまい(笑)、
覚醒した11時半頃に
ちょうど、終局していた。

┐(´Д`|||)┌ ネオチシタ…

もう、その先の
解説やらも、さっぱし
見れるような状態でなく、
すぐに、二度寝に入って、
今朝の6時まで過眠した。

今日は、
なんとか、立ち直って、
これから出勤である。






10年目の3.11の日である。

厳粛な気持ちで
2時46分には
黙祷を捧げたい。





こないだの
震度6の余震では、
古楽器工房はまだ手付かずで、
電動工具類がひっくり返った
まんまである。

故障の有無もわからない。




壊れたPCモニターや
オーヴンレンジなぞ諸々は、
先週、クリーンセンターに
持ち込み「災害処分」という
レッドカードをもらって
片付けてきた。



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余震未だ止まず

2021-02-27 08:18:00 | 大震災/コロナ禍
きのうは
Y中に出勤して
驚いた。

玄関前の
アスファルトが
数メートルに渡って
亀裂が走っていた。




二階の渡り廊下では
壁にヒビが入り、
外が見えると
生徒が教えてくれた。

最新の校舎のはずなのに、
そう脆いとは・・・と、
意外にも思えたが、
高台を整地したような処に
建てられているので、
あるいは、振動が増幅されての
ことかもしれない。





カウンセリング室のチェロも
物の見事に
ネックが外れていた。

元々、音楽室にあった
バラバラのチェロを
自分で修復し組み立てたので、
この部分も接着したのだが、
その強度が足りなかったようだ。

表面板にも
縦にしっかりヒビが入っていたので、
そこも来週には
膠(にかわ)で補修せねばである。

こういう時、
リューティエ
(古楽器製作家)だと
さほど慌てずには済む。




まだまだ
体育館は寒くって、
きのうは5.7℃しかなかったが、
それでも、給食後に、
20分間だけ「速弾き」の
トレーニングをやった。

できるだけ、
全身を動かして
打鍵するように心がけ、
ピアノを使った
運動のようでもあった。

それでも、
さすがに、
カラダが冷える一歩手前で、
鼻水が出かかっていた。





教え子の投稿で、
「反出生主義」というのが
あるのを知って、
きのうはいろいろと
調べてみた。

「Antinatalism」と言い、
生まれてきた事や
人間を生み出す事に対し
否定的な意見を持つ
哲学的な立場として、
ショーペンハウアーなぞが
挙がっていた。

太宰の有名なセリフに
「生まれてきて、すみません」
というのがあって、
トンデモナイ表現だなぁ・・・と、
驚いたことがあり、
「厭世主義」「ニヒリズム」
というものを知ったが、
「反出生主義」は
また、それとも微妙に
ニュアンスが異なる。

極論では、
人間なぞいない方が
地球環境と他生物には
優しいはずだ、
という処までいくが、
それには一理あるとも思える。

子どもの同意を得れないのに、
「生病老死」の四苦八苦の世に
勝手に生み出すのは
理不尽で罪なことである、
と言われれば、
そうかもしれないとは思う。

芥川の『河童』には、
母親のおなかにいる胎児と
父親が対話するシーンがあり、
中の子が
家系に遺伝的に良からぬものがあるから、
産まれたくない・・・と、言って
堕胎を促す。





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余震の爪痕

2021-02-23 04:19:00 | 大震災/コロナ禍
K中に赴くべく
通勤路の114号線を行くと
川側のガードレール下が
崩落していて補強工事をしていた。

この箇所は
片側の法面(のりめん)は
人工的に補強されていて
落石が防止されているが、
それでも、隘路(あいろ)とあって
あまり通行して気持ちのいい
路線ではない。




こないだの
震度6の大余震で、
山木屋へ至る山道も
途中でずいぶん崩落があったらしく
あちこちで工事用の
片側通行用の信号機が
設置されているという。







K中に赴いたら、
カウンセリング室のあちこちが
乱れていて、書類棚なぞ
10㎝ほど飛び出していた。





ルネッサンス期の宗教曲を
朝に晩に
ブログを書きながら、
読書しながら、
耳にしている。

こういうコロナ禍の
息苦しいようなご時世には、
声楽アンサンブルによる
教会音楽は耳にも心にも
心地よく慰めてくれる。






大学時代に
さらっていて
長らく放置していた
ショパンの『雨だれ』を
再びやってみた。

その間には、
タルレガによるギター編曲版で
発表会やコンサート、
リサイタルでも
レパートリーとしていたので、
原曲のアナリーゼでは
ドイツ在住の教え子ピアニストの
"オハギ"に演奏法を聞いたりと
かなり深く読譜していた。

技術的にも平易なので、
ピアノでもすんなり弾けたが、
中間部の鬱屈したような
暗い短調部には想い出がある。

大学時代に
大好きだった祖父を亡くし、
その哀しみを堪えるのに、
当時、浜田町にあった
大学の木造のピアノ・ボックスまで
大雨の日に出向いて、
延々と重苦しいフレーズを
繰り返し弾いていた。

そのことを、
同箇所に至って
久しぶりに
鮮明に思い出した。





先日、散歩用のズックで
山歩きしたら、
雪原でめり込んでしまい
ジュクジュクと中まで
湿ってしまった。

ザラメのような雪が
くるぶしまで埋まるほど
まだ「びっき沼」周辺には
残っていた。

その下には
芽吹き始めた
フキノトウが雪解けを
待っている。





びっき沼で
初採集したフキノトを
若杉の新芽も添えて
ギヤマンのアイスペールに
活けてみた。

何気に「アイスペール」という
語を使っていたので、
「pail」の綴りと
意味を調べてみた。

pail・・・noun(名詞)
「a container, usually with
a curved handle attached to
opposite sides of the top edge」
と英英辞典にはある。

例文としては、
「She carried a pail of water」
なぞという。

欧米では、一般に
「ice bucket」が
通称になっているそうな。



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ぼちぼちやろか

2021-02-16 06:06:00 | 大震災/コロナ禍
オフ日のきのうは、
とりあえず、
枕元で本棚にしていた
ラックを壁にL字留め金で
固定した。

ついでに、
積読用の書籍類を
いったん書棚に収納して
最低限の数冊のみを
置くことにした。

圧死するほどの
量ではなかったとはいえ、
また下敷きになるのは
気持ちがいいものではない。

すっ飛んで
床に落ちた
レンジ類は幸いにして
故障はしていなかったが、
次もそうだとは限らないので、
やはりL字留め金で
一端を固定した。




書室のテレビも
落下したので、
固定したが、
残念ながら唯一これだけが
故障してしまい、
画面が乱れて
正常に映らなくなった。

きっと、
マザーボードの一部が
やられたのだろう。

それでも、
音だけは出るので、
書のお稽古には
ニュースを聞いたり、
CD再生用なので
用は足りそうだ。





無人の子供部屋は
まだ手付かずのままである。

いっぺんに片付けすると
「疲れを起こす」危惧があるので、
復興は「ぼちぼち」に限る。

被災者の知恵である。

向かい側の
古楽器工房内は
さらにしっちゃかめっちゃかで、
特に、重い電動工具類が
みなずっこけており、
一々持ち上げるのに
ギックリ腰の注意が要るようである。

大型ブラウン管テレビも
ひっくり返ったまんまである。

これも、
いずれ・・・
片付けようとは思うが、
ぼちぼちやろか・・・にしとく。

そういや、
二台あるピアノの間に
1㎝ほどの隙間が生じていた。

片側から押しても
ウンともスンとも言わない代物を
動かすほどのエネルギーが
巨大地震にはあるのだと
恐ろしい気がした。








寝室の足元にある
AV機器が
縦積みにしてあるにも関わらず
大きくズレただけで、
どれも落下せずに
事なきを得た。

毎日、常用している
DVDレコーダーが
イカレタ日には
不便してしまう処だった。

タイマーの上にある
「コロリン坊や」は、
震度4以上でコロリンするが、
しっかり、コロリンしていた。

これも、落下しなかったから
不思議な大揺れであった。





10年ほど使用した
マッサージ機が
とうとうオダブツになったので、
粗大ゴミとして玄関脇の
自転車小屋に移動させた。

そしたら、
その置き場が
ガランとした空間になり
カミさんが
「せいせいして、
気持ちいいね。
もう、ここに置かないで
二階の寝室に置いたら・・・」
としつこく言う。

しかし、
100㎏近いマシンを
狭い階段を二人であっても
搬入するのは
ほぼ不可能である。






夕飯の買い物に出かけたら、
鶏レバーのパックに
白肝が一つ入ってたので、
ラッキー! と思い買ってきた。

これはフォアグラみたいに
人工的に作った脂肪肝ではなく
自然にできた物である。

でも、考えてみたら、
自分も脂肪肝で
食餌療法をしてるくらいだから、
健康なレバーとは
言い難いものではある。

でも、
喰ってはウマイ(笑)。

小麦粉を振って
ムニエル状に火入れしてみた。

すこーしレア気味にしたので、
中はトロトロで
レバー臭みもなく、
ややフォアグラっぽかった。







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