『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

追悼演奏

2022-03-20 09:01:00 | 大震災/コロナ禍
今日の11時から
光男叔父さんの葬儀で、
追悼のリュート演奏をする。

これまで、
祖父母、父をはじめ、
叔父、従兄、恩師、
親友、知人の葬儀で
何度、追悼演奏をさせて頂いたか・・・。

これまでは、
すべてギターだったが、
今回、初めて
リュートでやることにした。

なんだか、
この日のために、
6週間も『リュート・マラソン』を
続けてきたかのようである。

リサイタルやコンサートは
何十回とやってきたが、
親愛なる御遺体に向かって
哀悼の曲を捧げるのも、
"大いなる本番"なのである。





きのうは、
4本あるうち、
使用する楽器をメンテした。

古楽器は
自分でメンテできないと、
保持できないものである。

弦を張り替える時には、
ナットの弦溝に
「10B」の鉛筆でマーキングして
滑りをよくする。

そして、
木製ペグを一本ずつ
「コンポジション」という
クレヨンのような素材で
滑りをよくする。

弦を張り替えるには、
デジタルノギスで
ゲージ(太さ)を計り、
それに見合った
フロロカーボンの釣り糸を張る。

この時の作業では、
老眼鏡をして、
ペグ孔を弦を通し
ペグボックス内の弦をキレイに
調えるという作業は、
ピンセットとトゥースピッカーを
用いてやるのだが、まるで、
ライトの下で外科手術をしているような
有様である。

ギターと違って、
リュートは複弦なので、
10コースともなると
単弦の1番弦を含めて
19本もの交換になると
大仕事になる。

低音弦では、
一部、ギターの弦で
代用できるものもある。

張り替えた後の調弦が
また一苦労で、
チェンパロの前に座って
鍵盤で合わせるが、
数時間ですぐに狂うので、
その作業を3、4回は行う。

このような扱いにくさが
災いして、この楽器は
単弦6本のギターに
その座を奪われて
滅びたのである。

でも、きちんと手をかけて
楽器の最大限のパフォーマンス力を
弾きだせた時には、
得も言われぬ、独特の
ゆかしい音色を聴かせてくれるので、
古楽器はやめられない。





大地震の爪痕が
まだまだ家中にあって、
一日、一ケ所くらいずつ、
気がむいた時だけ、
楽し気を装って
やることにしている。

知人は一日で片付けた
と威張ってたが、
哀しみを伴う作業を
まる一日もやったら
鬱になってしまいそうである。

だから、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、
気の向いた時だけ、
片付を楽しんでいる。






狐狸庵先生の全集を
収めてる棚からは、
半分ほど飛び出して
際どく止まっていた。

今回は
南北方向の横揺れで
そっち側の本が
散らばった。








真っ二つに割れた神具を
ゼリー状の瞬間接着剤で
修復した。

去年の二月の
震度5でも
一つ壊れたが、
それも修復で済ませた。






コロナ、戦争、地震だけでも
ストレスフルなのに、
そこに親愛なる叔父さんが
急逝して、そのショックも
心身に乗っかっている。

なので、
カラダが硬直してるので、
進んで散歩に出ては、
ツタヤ・ブラウジングをして、
中古CD80%オフセールのワゴンに
首をつっこんで、
毎日、10枚単位で買ってくる。

それでも、
電卓をはじいたら、
一枚当たり、70円くらいなので、
これは買わない手はない。

しかも、
マニアが手放した
貴重な外盤CDである。

*

新刊書コーナーには
愛読している
中世の女性画家を描いた
『アルテ』が出てたので、
嬉々として買ってきた。







今回の捨て値セールでは
40枚ほど買ったので、
聴くのが追いつかない(笑)。

それでも、
ベッドサイドのデッキで
朝昼夕晩と
BGMのように聴いては、
ライナーノートを読み、
スマホで作品検索をして
音楽勉強の一環としている。








コロナ、戦争、地震、
叔父急逝・・・という、
ストレス・コーピング(対処)に
"孫クスリ"は良く効く(笑)。

どれだけ、
まいにち、動画や写真を
繰り返し見ては
「りくぼう!」
と、声をかけているか・・・。

【孫は目の中に入れても痛くない】
という箴言は
真実であった(笑)。



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春雪

2022-03-19 08:59:00 | 大震災/コロナ禍
目覚めたら、
昨晩からのミゾレが
シャーベット状なって
積もっていた。

まさに、
春の重たい雪である。








今日は、
夕方5時から
亡き叔父さんの通夜がある。









きのうは
T中に赴くと、
書籍類はバラバラに落ち、
プラスチックのフォトフレームは
落下して粉々になっていた。

デスクの足置きに
足を乗せた途端に
ガタンと落ちたので、
揺られてネジが緩んだのだろう。






今朝に至るまで、
まだ、微震、弱震が
続いているが、
今んところ
大余震に見舞われていないのは
幸いである。

我が家は
実家を増築した際、
庭だった方向に
建て増しをしたので、
近所でも珍しい
「L字」構造をしており、
物理的には東西南北の
どの方向からも横揺れには
強いと思われる。









朝刊の一面には、
「ロシア・コロナ・地震」
と、今の三大凶事が
揃い踏みで、
溜息がもれた。

ε= (•ω•`;)϶  









気が滅入る時には、
ユーモアが大切である。

朝刊のジョーク欄の
一言にはニンマリとしてしまった。

*

ソーちゃんの活躍で、
なんと、東京・大阪以外にも
名古屋に対局施設ができるという。

なんだか、
去年の夏に書いた
『名人を超える』という
将棋小説の結末が
同じだったので、
空想が現実化して驚いている。

詰将棋選手権も
東京・大阪以外で、
名古屋でも
開催されるようになったのも、
ひとえに五連覇チャンピオンの
ソーちゃんがいるからである。







地震見舞いに
大阪のミカちゃんが
リク坊の写真や動画を
沢山おくってくれて、
それで癒されている。



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震度6!!

2022-03-17 08:55:00 | 大震災/コロナ禍






















3.11来の
「震度6」だった。

激しい横揺れが、
1分以上続いたので、
カミさんと、揃って
揺れ酔いで気持ち悪くなって、
吐き気がした。

強い恐怖と不安を感じたので、
安定剤を飲んだ。

外の石油タンクに
漏れが生じたので、
今日、業者の点検が要る。

今も、小刻みに、
微動がずっと
続いている。

(・・;)

ゆんべは
就寝中だったが、
すっかり、眠気がとんでしまった。

コロナ、戦争だけでも、
気が滅入るのに、
また大地震である。

それも、3.11来の
震度「6」は、
あの日の恐怖が蘇った。

今も不安で、
体が身構えており、
緊張感が強い
高ストレス状態である。

今日、明日と
学校勤務である。

出勤したら、
セラピストとして、
子どもたちの
メンタルケアをせねばである。

大地よ!
お願いだから、
もう、揺れないでおくれ…‼️

😭
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3.11の卒業式

2022-03-12 07:43:00 | 大震災/コロナ禍
3.11の昨日。

2時46分には、
テレビ中継のサイレンに合わせ、
画面の中の
三陸の防潮堤に並ぶ
子どもたちと共に
黙祷を捧げた。

何を思い出す事もなかったが、
一瞬、ジワリと
涙が込み上げた。

それは、
亡くなった方々への
憐憫の情なのか、
生き残った自分たちへの
サバイバーズ・ギルトなのか・・・。

3.11、パンデミック、
ウクライナ侵攻・・・と、
世界は今も憂いに覆われている。

【それでも生きていく・・・】
という、
あの時の決意の言葉が
脳裏に浮かばない日はない。






3.11では
古楽器工房にある
何十㎏もの工具が
まるで張り子のように
ひっくり返り、
足の踏み場もなかった。

パソコンもテレビも
床に投げ出された。

ギターも粉々になった。

破壊の限りを尽くす
自然の驚異に
身震いした。

そして、
その時、同時に、
2万数千もの命も
沿岸で奪われた。

普段は穏やかな海、
癒しをくれる海、
その海が荒れ狂い
多くの人々を呑み込んだ。

かと言って・・・
東北の人々は
「海を恨む」ということは
なかったと思う。

海が悪いのではないのである。

地震も自然の営みなのである。

我われは大いなる天地の間に
住まわざるを得ない
儚い生き物なのである。








「不幸中の幸い」とも言えるのが、
あの渦中、人々は助け合い、
励まし合い、慰め合ったことだ。

自分もまた、
関西在住の
元同僚や教え子たちから
大いなる慰めや支援を受けた。

ギターの弟子でもあった
ガッちゃんのご主人は、
元自衛隊員だったという事もあり、
遠路遥々、兵庫県赤穂市から
20㎏近い支援物資を携え、
新幹線の止まった中、
バスを乗り継いで
フクシマまで来て下さった。

その恩義は一生忘れられない。

自分もまた
原発爆発と津波で
沿岸部から避難してきた人々で
溢れかえる市内の体育館や
公民館など18ケ所を
ASD(急性ストレス障害)ケアの
ヴォランティアの為に廻っていた。

なので、
その寸暇に
フクシマ駅前で
ご主人から支援物資を
手渡され、そこで、
自衛隊式「敬礼」の互礼をし
「先生は、早く、避難所に
いらして下さい」
と促され、話をする間もなかった。

上空にはヘリが飛び交い
その轟音が絶えず耳に入り、
道路は自衛隊の国防色の車両が
行き交って、まるで、
戒厳令が発令されたかのような
かつて見た事のない、
映画のシーンのようでさえあった。




そのガッちゃんからは、
爾来、毎年3.11の日には、
「こころの支援」を贈って
頂いている。

きのうも
自分が食べて美味しかったから、
と高級焼き菓子の詰め合わせが
届いた。

自分ともガッちゃんとも
仲の良かった
養護教諭のハネちゃんからも
毎年のように
桃を贈って頂いていた。

「定年までは送るからね・・・」
と、年に一度、
電話で談笑していた彼女も
この三月で定年である。

私を支援することが、
フクシマや被災者を
間接的に支援することになるから、
と言う二人の思いを受けて
『復興支援リサイタル』を
6年も続けることができた。

毎年のアンケートを見るに、
のべ1000人以上の人々の
心を癒すことができたのは、
自分を支援してくだすった方々の
おかげと感謝している。

同じく元同僚で
同じ理科のQちゃんからも
『復興支援リサイタル』には
過分なカンパをお送り頂いた。

そして、教え子で
プロ・ピアニストの
オハギとイマダケちゃんは
ドイツと京都から
ヴォランティアで
参加してくれた。



ブログを再開した
2月初めから、
動画投稿のできる
フェイスブックには
一日一曲
『リュート・マラソン』
と名打って、
拙い演奏をアップし続けている。

この出口の見えないコロナ禍は、
3.11の時の出口の見えない
放射能汚染の恐怖にも酷似しており、
あの頃は「原発うつ」と言ったが、
今は「コロナうつ」が多発して
自殺者も増えている。

そこにきて、
ロシアの戦争勃発である。

自分もたいがい
気が滅入るが、
教育臨床でも、その影響は
顕著に出ており、
不定愁訴や抑うつ感を訴える
子どもたちが漸増している。

去年の十代の自殺者が
5百数十名にもなったというのも
由々しきことである。

だからこそなのか、
『復興支援リサイタル』のような
コンサート活動ができない現在、
多くの人々がYouTube発信を
始めたように、自分もまた、
「音楽による慰め」を
自分に出来るささやかな事として、
心理臨床家/音楽家として
やらせて頂いているのかもしれない。









きのうは
原発事故の特別避難地区にある
山間部の中学校の卒業式に
参列してきた。

卒業生4名、
在校生5名の
僻地校である。

卒業生の二人は
1年生から3年間、
ひとりは2年間、
もひとりは1年間、
それぞれカウンセリングで
相対してきたので、
四人とも教え子同様に
大切な子どもたちである。

その両親や母親たちとも
カウンセリングをしてきたので、
きのうは、ほんとうに心から
「おめでとうございました。
 よかったですね」
というお祝いの言葉を
嬉しい気持ちで
保護者に申し上げることができた。













SCは
学校教育法の改正で、
「チーム学校」の一員として
明記されたので、
本来は、嘱託の会計年度職員の
身分ながら「職員」同様なのだが、
まだまだ
お客様扱いされる学校が多く、
きのうも式次第の「来賓」として
記銘されていた。

式場内は
職員、来賓、保護者とも
礼服の黒一式のなかにあって、
自分だけが、勇気が要ったが、
あえて「色物」的存在に徹し、
トリックスターとして
アズールとイエローの
「ウクライナ・コーデ」で臨んだ。

だから、そうとう、
目立っていただろう。

でも、華やいだ明るい
袴を着られる先生もおられるので、
黒一色のダークで厳粛な中に
卓上の花のごと
早春の青空と黄色い花を
ファッションで表現した。

そして、もちろん、
"華やぎ"だけではなく、
子どもたちの未来に
恒久平和があるようにという
願いと祈りをも込めたつもりである。

さすがに、
そこまでの意図を
汲み取ってくだすった方は
おられなかったようだが、
さして顰蹙を買う空気感も
感じられはしなかった。

場のなかにあって、
いちばんの年長者だからか、
普段から先生方に
指導助言をしている立場だからか、
あるいは、
(あのオッサンは変わりもんだから・・・)
と呆れられてるからか・・・(笑)。



いちばん長く
3年間カウンセリングをやった
Aちゃんに尋ねると
「顔出し、OKっすよ」
とのことだった(笑)。

彼女とは、
サマーコンサートの、
リコーダー&ギターのデュオで
『星に願いを』を
しんみりと演奏して
拍手喝采を得た。








ふだんは
一食350円の給食だが、
この晴れの日だけは、
3.542円もの
豪華な仕出し弁当だった(笑)。

卒業生、在校生を
全員、見送った後、
先生方全員が
ランチルームに集い、
式の無事成功を祝し
会食となった。





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11年目の朝

2022-03-11 07:55:00 | 大震災/コロナ禍
めざめねば
 今日一日の生涯は
  われにあらずと
   かしこみ思ふ


他の悪を責めいひ
 自分をかへりみぬ
  一方的な表現あはれ


      碧水歌



3.11から
11年目の朝を迎えた。

いつものように
ゴミ出しにいくと、
薄雲のなかに
お天道様が真ん丸の形を
見せていた。

思わず、
手を合わせて
今朝の目覚めしことを感謝し、
今日一日の無事を願った。

11年前のあの日。

よもや
今日、命を落とすことになるとは
夢にも思っていなかった人が
2万数千人もおられたのである。

2時46分、
人類未曾有のM9の
超巨大地震、
そして、超巨大津波、
超規模原発爆発・・・と、
たて続けに「不幸」が
突然、襲い掛かってきた。

そう・・・。
それは、平和に暮らしていた
ウクライナの人々の上に
突然、襲い掛かってきた
凶暴なるロシア軍にも似ている。

フクシマ人は
人類未曾有の
「地震・津波・原発」
という三重苦の
複合災害に見舞われた。

ロシアが勃発させた戦争で、
核使用や原発破壊という
狂気の沙汰も懸念されている。

そして、
世界ではまだ
パンデミックの収束を見ていない。

ここにおいて、
世界経済は乱高下をし、
リーマンショック来の
大きな不況も懸念されている。

そうしたら、
まさに、
「戦争・疫病・恐慌」と
複合災害が我われの日常を
襲ってくることになる。

コロナ・ウイルスも
この先、新たな変異や
「第七波」が考えられる。

そういう「今、ここ」を
我われは生きているのである。





早春の恒例でもある
フキノト・ハンティングに
出かけてみたが、
今年はまだ雪に覆われていて
地面が露出していなかった(笑)。

びっき沼も
全面凍結状態であった。















玄関室礼に飾ってある
アルストロメリアが
昨年の暮れから
まだ枯れずにいる。

半分は散り落ちたが、
若い花々が
まだ凛として
咲き誇っている。

段々と愛情が湧いてきて、
水だけはこまめに
換えてあげている。

かつてのクライエントで
「書道十段」だった
マキちゃんに揮毫してもらった
『雨ニモ負ケズ』が
なんだかピッタリとくる
言葉に見えた。





週刊誌の中刷りに、
ついに、プーチン狂人説が
飛び出してきた。

最後は、
チャウシェスクのような
末路になるだろう・・・
というのも、
多くの人たちが
希望しているようでもある。

その片隅に、
英国公共放送のBBCが
受診料聴衆をやめた・・・
という記事があった。

ならば、
NHKもそうせよ、
である。









さる臨床心理学者が、
今の世界は完全に
「病的」であるとして、
その4つの根拠をあげていた。

なるほど、
その代表者がプーチンであり、
人類全体の「膿」が
目に見える形で顕現化したのかも、
と思わないでもなかった。
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