『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

孫を送る‼️

2024-12-02 09:54:06 | 

 

きのうは、

島本駅で降りて、午前中を

独身時代の3年間を過ごした

水無瀬界隈を散歩して過ごした。

 

桜井の駅跡の広場では、

夏の夕刻に、

よくギターを携えて

ベンチで練習していたものである。

 

すると、自転車に乗った中学生たちが、

遠巻きから珍しそうに眺めては

変人と思ったか、クスクスと

笑いあっていた。

 

『島本町文化資料館』には

初めて入ったが、

棋戦でよく耳にする

駒の書体の「水無瀬」の発祥の地

であることを初めて知った。

縄文土器から

江戸期のものまでの

様々な埋蔵品や遺筆にも

見応えのあるものが少なくなかった。

 

 

40年も過ぎると、

当時、住んでた文化住宅も

パン屋も、蕎麦屋も、本屋も

なくなって、様変わりしていた。

 

それでも、二十代の思い出の

縁(よすが)となるアイテムは

ここそこに残っていて、

若い頃の自分と再会したかのような

ノスタルジーに浸ることができた。

 

町の中には

教え子だったJKの

選挙ポスターを見つけ

彼女の住む町だったことも

思い出した。

 

 

かつて常連だった

陶器店の『とらやま』にも立寄り

2年ぶりでご主人と

昭和末期頃の水無瀬談義を

させて頂いた。

 

亡くなった奥様の話にもなり、

その折に、奥様から伺った

寸越窯の神山清子さんも

昨年に亡くなったというので、

お二方の追悼に、初期の作品の小皿を

一枚買わせて頂いた。

 

家にある

いくつもの作品と同じ作風の

登り窯での緋色がよく出た

逸品である。

 

この『ひとり旅』で

唯一の買い物である。

 

午後からは

『金光大阪同窓会40周年の集い』

に来賓として参列させて頂いた。

30年ぶりという

教え子もおり、

その変貌ぶりは驚くばかりだったが、

それでも名前も顔も

ちゃんと覚えているものである。

 

 

学校を去る前に、

校内散策が許され

11年間、生物室へと歩いた廊下に佇み、

若かりし青年教師時代の自分の姿を

ドッペルゲンガーのように 

客観視したような気がした。

 

 

会がお開きになると、

リク坊一家が隣のファミマまで

迎えに来てくれていて、

ジイジを見つけたリク坊が

両手を広げて駆け寄ってきた。

 

二十代の自分には

40年後に、そんな素敵なシーンが

待っていようとは

夢にも思っていなかった。

 

 

今月、完成するという

新築の家を見に立ち寄り、

リク坊んちで一泊させてもらった。

 

夕食後には

一足早い(6日)サプライズの

バースデー・ケーキが用意されていて、

リク坊は

♪ハピバースデー

 ディア ジージー♪

の歌まで唄ってくれた。

 

スマートウォッチの

プレゼントまでもらい、

カミさんにメールしたら、

「思い遣りが行き届いてるねぇ‼️」

と、感心しきりだった。

 

リク坊は、ジイジの来訪を

待ちわびていてくれたようで、

ああも言おう、こうもしようと

いつものように、幼児の

全人的エネルギーをぶつけてきた。

 

神経衰弱から、ウノ、スゴロク、

キュボロ、絵本読み聞かせ…と、

遊びっぱなしだった。

 

今朝は、保育園まで

パパとジイジと両手をつないで行き、

園内で会う友だちのお母さんたちに

「きょうはジイジと来たんだよ~‼️」

と、得意満面で自慢していた。🤣

 

 

今は、新幹線で

これをしたためながら、

老いらくの『ひとり旅』の終焉を

しみじみと味わっている。

 

安堵する我が家への道中も

これまた愉し…である。

 

明日から、また、

学校臨床である。

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