きのうは、
島本駅で降りて、午前中を
独身時代の3年間を過ごした
水無瀬界隈を散歩して過ごした。
桜井の駅跡の広場では、
夏の夕刻に、
よくギターを携えて
ベンチで練習していたものである。
すると、自転車に乗った中学生たちが、
遠巻きから珍しそうに眺めては
変人と思ったか、クスクスと
笑いあっていた。
『島本町文化資料館』には
初めて入ったが、
棋戦でよく耳にする
駒の書体の「水無瀬」の発祥の地
であることを初めて知った。
縄文土器から
江戸期のものまでの
様々な埋蔵品や遺筆にも
見応えのあるものが少なくなかった。
…
40年も過ぎると、
当時、住んでた文化住宅も
パン屋も、蕎麦屋も、本屋も
なくなって、様変わりしていた。
それでも、二十代の思い出の
縁(よすが)となるアイテムは
ここそこに残っていて、
若い頃の自分と再会したかのような
ノスタルジーに浸ることができた。
町の中には
教え子だったJKの
選挙ポスターを見つけ
彼女の住む町だったことも
思い出した。
…
かつて常連だった
陶器店の『とらやま』にも立寄り
2年ぶりでご主人と
昭和末期頃の水無瀬談義を
させて頂いた。
亡くなった奥様の話にもなり、
その折に、奥様から伺った
寸越窯の神山清子さんも
昨年に亡くなったというので、
お二方の追悼に、初期の作品の小皿を
一枚買わせて頂いた。
家にある
いくつもの作品と同じ作風の
登り窯での緋色がよく出た
逸品である。
この『ひとり旅』で
唯一の買い物である。
…
午後からは
『金光大阪同窓会40周年の集い』
に来賓として参列させて頂いた。
30年ぶりという
教え子もおり、
その変貌ぶりは驚くばかりだったが、
それでも名前も顔も
ちゃんと覚えているものである。
…
学校を去る前に、
校内散策が許され
11年間、生物室へと歩いた廊下に佇み、
若かりし青年教師時代の自分の姿を
ドッペルゲンガーのように
客観視したような気がした。
…
会がお開きになると、
リク坊一家が隣のファミマまで
迎えに来てくれていて、
ジイジを見つけたリク坊が
両手を広げて駆け寄ってきた。
二十代の自分には
40年後に、そんな素敵なシーンが
待っていようとは
夢にも思っていなかった。
…
今月、完成するという
新築の家を見に立ち寄り、
リク坊んちで一泊させてもらった。
夕食後には
一足早い(6日)サプライズの
バースデー・ケーキが用意されていて、
リク坊は
♪ハピバースデー
ディア ジージー♪
の歌まで唄ってくれた。
スマートウォッチの
プレゼントまでもらい、
カミさんにメールしたら、
「思い遣りが行き届いてるねぇ‼️」
と、感心しきりだった。
リク坊は、ジイジの来訪を
待ちわびていてくれたようで、
ああも言おう、こうもしようと
いつものように、幼児の
全人的エネルギーをぶつけてきた。
神経衰弱から、ウノ、スゴロク、
キュボロ、絵本読み聞かせ…と、
遊びっぱなしだった。
今朝は、保育園まで
パパとジイジと両手をつないで行き、
園内で会う友だちのお母さんたちに
「きょうはジイジと来たんだよ~‼️」
と、得意満面で自慢していた。🤣
- …
今は、新幹線で
これをしたためながら、
老いらくの『ひとり旅』の終焉を
しみじみと味わっている。
安堵する我が家への道中も
これまた愉し…である。
明日から、また、
学校臨床である。
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