三泊四日の
『京大阪ひとり旅』は
有難くも、道中無事に、
愉しく、健やかに
過ごさせて頂いた。
通常勤務の翌日に出発し、
帰宅してすぐに
通常勤務なので、
まさに、“週末トリップ”であった。
中国の故事で
「粟がひと煮立ちする間の夢」
の物語である
「邯鄲(かんたん)の夢」や
「黄粱(こうりょう)の夢」
という逸話を思い出した。
禅語には
「夢幻泡影(むげんほうよう)」
という言葉がある。
人生や存在の儚さや
一瞬の出来事を表す。
夢:夢のように儚い。
幻:蜃気楼のように実体がない。
泡:水面の泡のようにすぐ消える。
影:影のように形がない。
また、茶掛けにもある
「一期一会」も同様で、
「今この瞬間を大切に」
という含意がある。
「メメントモリ・カルペディエム」
(死を忘れな 今を生きよ)
は古代ローマの箴言である。
***
最新型ハイスペックスマホに換え
操作性・メモリ容量ともども
爆上がりしたので、
PC並みにサクサクと
作業ができるようになった。
多くのヴィジュアル記録から
旅で切り取った映像を眺めては
その時の感激を反芻している。
*
瑠璃光院では
紅葉のみならず、
苔と白砂による枯山水も
見所があった。
仏様にも
道中の無事安全の
祈願をさせて頂いた。
顔彩を用いた大和絵は、
いにしえの都に
今いるんだ・・・という
風情・風趣を味わう縁(よすが)に
なってくれた。
*
こたびは
三度目くらいの
嵐山泊となったので、
夜景と朝景のどちらも
楽しむことができた。
インバウンドでごった返す
昼間とちがって、
人もまばらな情景は
その空気感も違っており、
より自然と自分の距離感が
近いような感じがした。
*
苔寺の外周には
竹林があり、
その中に柚子が黄色く
稔っており、
その風情もまた佳しだった。
訪問客の多くは
目を惹く紅葉にばかり
魅かれていたが、
「竹に柚子」なんてのも
日本人ならではの感性に
訴える取り合わせである。
もっとも、
タケノコ・ハンターなので
竹には偏愛があり、
柚子はポン酢に用いるから
かもしれないが・・・(笑)。🤣
*
苔寺の庭園内には
侘び寂びの茶室が
閑静な景色に溶け込んでいた。
生憎と室内は見れなかったが、
その仄暗いだろう喫茶空間を
想像するのも茶人にとっては
楽しみの一つであった。
画像検索すれば、
きっと、公開されているものが
見つかるかもしれない。
庭園の出口は
茶庭(露地)における
「延段(のべだん)」を
彷彿させた。
それは、庭に敷き詰められる
自然石を並べて作られた
石畳や通路のことだが、
通常、茶室への通路や、
露地全体の動線を整えるために
設けられる重要な要素である。
そういえば・・・
あの広大な園庭が
かの小体な茶室の為の
露地(茶庭)と考えると、
それは壮大な気宇が感じられる。
こうやって、
旅の後味を味わうのも
いい余暇のパスタイムになるなぁ・・・。
*
30年前まで
11年間在職した
「金光第一高」の初任時に
担任をした「1-8」教室は
当然ながら、まだあり、
後方の連絡用黒板を見たら、
当時25歳の自分が
黒板に「曜日」「日直」などを
記入するためのビニールテープで
仕切りを貼った痕が、うっすらと
残っていた。
「綾小路きみまろ」じゃないが、
思わず、「あれから・・・40年」
というフレーズが浮かんでしまった(笑)。
まさに、
人生なんて
【一炊の夢】の如しである。
*
・・・この笑顔だもの・・・(笑)。
愛孫のリク坊とも
一晩のショートステイの間に
存分に触れ合い、遊んだ。
フミのルーティンの
園への送りにも付き合えたし、
「パパ・りくぼう・ジイジ」
という珍しく貴重な
スリーショットも
背後からミカちゃんが
撮ってくれていた。
自分のスマホにも
ラインを入れてもらい
これで、佐々木家全員
8人+1匹の
グループが完成した。
「幸せ」家族を
絵に描いたような
ファミリー・イベントも
これからも多く体験したいものである。
「だんな。凝ってますねぇ・・・」に、大喜び(笑)。
***
さぁ、これから、
学校に出勤である。
カウンセリング室に入って
白衣に着替えれば、
臨床家(クリニカル・セラピスト)
の意識に自ずと
モード・チェンジするだろう(笑)。
永き世を
夢を夢とぞ識る君や
醒めて
迷える人を助けむ
明恵上人
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