死ぬために生くるにあらず
死なぬために生きるといふか
生きるといふこと
死ぬまでは生きつづけゆく
賜びしいのち尊ぶ
生き方なさしめ給へ
碧水歌

今朝も雪が積もっていた。
水溜りには氷が張っている。
外は明らかに零度を下回ったのだ。
もうすぐ京都では桜が咲くというのに
この寒さは震災・原発災害者には決して
やさしいものではない。
東北の春は遅いのだ。
我が家の石油タンクの備蓄も
1/4となって底を尽きそうである。
エアコンは大気の放射能汚染で
使用できない。
原発から60キロ離れていても
昨日は最大値23μSv/hを観測した。
通常値の500倍の異常値である。
レントゲン1回が50というから
現時点で、長いこと
外にいることすらできないのである。

なんだか、『宇宙戦艦やまと』を
思い出してしまった。
放射能汚染された地球を救うために
古代進たちはイスカンダルまで
放射能除去装置「コスモクリーナー」を
求めに行くのである。
未だ断水ではあるものの
通水したとて、すでに
放射能汚染が始まっている。
井戸水とてそれは免れまい。

カミさんは昨日、乏しいガソリンを求め
学校を休んでまで4時間もスタンドで
並んでいたという。
「あなたには、そういうことできないでしょう」
と言うから
「絶対できない」
と即答した。
何も考えずボケーッと並ぶことができるのは
自分とアキの才能だという。
なるほど、非常時には貴重な才能だ。
幸い停電は免れ、プロパンガスも使える。
水は近所の井戸水を分けてもらったり
給水車に並んでもらう。
トイレ用下水には
近所の小川から汲んでくる。
しかし今、膝を痛めているので
両手にバケツは無理なので
楽器製作用の道具を利用して
キャスターをつけて台車を作った。
これにバケツを載せて
ガラガラとアスファルト道を引っ張ってくる。
みんな被災者だから
誰も好奇の目で見る人なぞはいない。
むしろ、いい物作ったなぁ…と
感心されるくらいである。

我が家の台所事情もお寒く
食料が欠乏しつつある。
これで、外の放射能濃度がさらに上がったら、
屋内退避状態になり、やがて
配給が来ない限り餓死してしまう。
現に今、津波被害に遭った南相馬市が
低濃度地域なのにもかかわらず
原発に近いが故、汚染されていると誤解され
どこからも食料・物資が供給されていないと
市長が報道で訴えている。
まさに、県や国は、市民に
座して死ね、と言っているのと同じである。
差別・偏見でもあって、人権も糞もない。
夕べは、カップ麺とサンマの缶詰と
茹でたブロッコリーと貴重な卵焼きだった。
地震来、鮮魚と精肉を口にしていない。
野菜だけは何とかあるので助かっている。
カミさんは今朝
カップ麺1ケを携えて出勤した。
哀れな昼弁である。
米も近所の農家から
なんとか分けてもらったが
いつ窮乏するか予測がつかないので
できるだけ大事に少量ずつ食べていく計画だ。
今日は、奄美島暮らしの『ビッグダディ』に倣って
小麦粉を幾袋か買ってこようと思う。
「貧窮したら小麦粉」というのは
『ビッグダディ』で得た知恵である。
地震来、少し痩せ始めてきた。
「ふたつ悪いこと さてないものよ」
である。
この機会に、成人病が治るとありがたい。
でも、やはり便秘している。
もう1週間も風呂に入れていないので
さすがに気持ち悪くなってきた。
免疫力が落ちてきているかもしれないので
「日和見感染」を起こすといけないから
夕べは楽器製作用エタノールで全身を清拭した。

昨日は、緊急決断で
ナッちゃんとアキを
京都の知人宅へ避難させた。
学徒疎開である。
市内は全校休校で春休みに突入する。
ほんとに、春休みだけで
無事、原発が納まって戻ってこれると
いいのだが。
カミさんは公務員だから、さすがに
職場を離れられないし、
自分は5校の心理カウンセラーとして、
被害者の心のケアのために
待機してないといけない。
「一所懸命」という言葉があるとおり
つくづく、プロというのは
一所で仕事に命を懸けなきゃならないもの
と実感している。
それでも、もし、総理から
緊急非難命令が出されたら
自分たちも京都に行くより仕方がない。
最悪のケース、放射能汚染で
福島全土に住めないようになって
家も故郷も捨てて
家族一同、難民になってしまうかもしれない。
最悪の時でも、78歳の母親は
腰痛があるから避難はしない。
自分はこの家で死んでもいい、と言っている。
それも、本人のリヴィング・ウィルなので
いざというときは、仕方ないと腹を括っている。
せめて、子どもたちを速やかに退避させて
親の義務を果たしたことで
少しだけホッとしている。
ナッちゃんは、修学旅行の京都から帰ってきて
二日だけ家にいて、また京都へUターンした(笑)。
本人は、さぞかし
「ドンダケーッ!! 」
であろう。
11年も関西に在住していたので
こんな時、多くの方々から
ご支援のお声がけをいただいているのが
骨身にしみるほどありがたい。
そして、今、そのお言葉に
甘えさせていただいている。
ただ、息子たちには
ご厚意に甘えるのはいいが
甘ったれるな、と言って聞かせた。
疎開した子どもたちには
淡々とした日常を…
それも、よそ様の家に
ご厄介になっていることを肝に銘じて
ダラダラと過ごさず
何事も感謝と奉仕の心をもって生活しろ、
と渇を入れている。
《アキへのメール私信》
京都は寒むないかー。
今度から京都弁で書くし。
ちょっとは慣れるように
自分でも使うてみいや。
ナッちゃんと二人
ちゃんと行儀ようせなあかんで。
よそ様のうちにお世話になってるんやから
うちみたいに遅くまで寝てたらあかん。
ちゃんと早起きして、家のどこでもええから
そうじするとか、窓ふきとかせいや。
そういう奉仕がお礼の心やさかい。
ほんで、ご飯かて、ちゃんと、きちんと
感謝の心をこめて
「いただきます」「ごちそうさまでした」
「美味しかったです」
言わなあかんで。
春休み中だけで戻れるとええけど、
下手したら、ずっといなあかんかもしれへんから。
なんでもいいから
メールよこしや。

新幹線が那須から走っていたので
ギリギリのガソリンで
二人を渋滞のなか3時間かけて
隣県まで送っていった。
その途中、近所も郡山市内でも
崩壊現場をいくつか目にした。
やっぱり、これは夢じゃなかったんだ
と空恐ろしい現実を
再度、突きつけられた思いがした。
***********
ずっと安否不明だった
津波被害地区在住の生徒Yちゃんが
無事だったことが確認されたと
昨日、連絡がきた。
まさに、「不幸中の幸い」とは
このことである。
今日も、空が青い。
世界中の空につながるわが町の
ま冬の今日の
青空仰ぐ
碧水歌
死なぬために生きるといふか
生きるといふこと
死ぬまでは生きつづけゆく
賜びしいのち尊ぶ
生き方なさしめ給へ
碧水歌

今朝も雪が積もっていた。
水溜りには氷が張っている。
外は明らかに零度を下回ったのだ。
もうすぐ京都では桜が咲くというのに
この寒さは震災・原発災害者には決して
やさしいものではない。
東北の春は遅いのだ。
我が家の石油タンクの備蓄も
1/4となって底を尽きそうである。
エアコンは大気の放射能汚染で
使用できない。
原発から60キロ離れていても
昨日は最大値23μSv/hを観測した。
通常値の500倍の異常値である。
レントゲン1回が50というから
現時点で、長いこと
外にいることすらできないのである。

なんだか、『宇宙戦艦やまと』を
思い出してしまった。
放射能汚染された地球を救うために
古代進たちはイスカンダルまで
放射能除去装置「コスモクリーナー」を
求めに行くのである。
未だ断水ではあるものの
通水したとて、すでに
放射能汚染が始まっている。
井戸水とてそれは免れまい。

カミさんは昨日、乏しいガソリンを求め
学校を休んでまで4時間もスタンドで
並んでいたという。
「あなたには、そういうことできないでしょう」
と言うから
「絶対できない」
と即答した。
何も考えずボケーッと並ぶことができるのは
自分とアキの才能だという。
なるほど、非常時には貴重な才能だ。
幸い停電は免れ、プロパンガスも使える。
水は近所の井戸水を分けてもらったり
給水車に並んでもらう。
トイレ用下水には
近所の小川から汲んでくる。
しかし今、膝を痛めているので
両手にバケツは無理なので
楽器製作用の道具を利用して
キャスターをつけて台車を作った。
これにバケツを載せて
ガラガラとアスファルト道を引っ張ってくる。
みんな被災者だから
誰も好奇の目で見る人なぞはいない。
むしろ、いい物作ったなぁ…と
感心されるくらいである。

我が家の台所事情もお寒く
食料が欠乏しつつある。
これで、外の放射能濃度がさらに上がったら、
屋内退避状態になり、やがて
配給が来ない限り餓死してしまう。
現に今、津波被害に遭った南相馬市が
低濃度地域なのにもかかわらず
原発に近いが故、汚染されていると誤解され
どこからも食料・物資が供給されていないと
市長が報道で訴えている。
まさに、県や国は、市民に
座して死ね、と言っているのと同じである。
差別・偏見でもあって、人権も糞もない。
夕べは、カップ麺とサンマの缶詰と
茹でたブロッコリーと貴重な卵焼きだった。
地震来、鮮魚と精肉を口にしていない。
野菜だけは何とかあるので助かっている。
カミさんは今朝
カップ麺1ケを携えて出勤した。
哀れな昼弁である。
米も近所の農家から
なんとか分けてもらったが
いつ窮乏するか予測がつかないので
できるだけ大事に少量ずつ食べていく計画だ。
今日は、奄美島暮らしの『ビッグダディ』に倣って
小麦粉を幾袋か買ってこようと思う。
「貧窮したら小麦粉」というのは
『ビッグダディ』で得た知恵である。
地震来、少し痩せ始めてきた。
「ふたつ悪いこと さてないものよ」
である。
この機会に、成人病が治るとありがたい。
でも、やはり便秘している。
もう1週間も風呂に入れていないので
さすがに気持ち悪くなってきた。
免疫力が落ちてきているかもしれないので
「日和見感染」を起こすといけないから
夕べは楽器製作用エタノールで全身を清拭した。

昨日は、緊急決断で
ナッちゃんとアキを
京都の知人宅へ避難させた。
学徒疎開である。
市内は全校休校で春休みに突入する。
ほんとに、春休みだけで
無事、原発が納まって戻ってこれると
いいのだが。
カミさんは公務員だから、さすがに
職場を離れられないし、
自分は5校の心理カウンセラーとして、
被害者の心のケアのために
待機してないといけない。
「一所懸命」という言葉があるとおり
つくづく、プロというのは
一所で仕事に命を懸けなきゃならないもの
と実感している。
それでも、もし、総理から
緊急非難命令が出されたら
自分たちも京都に行くより仕方がない。
最悪のケース、放射能汚染で
福島全土に住めないようになって
家も故郷も捨てて
家族一同、難民になってしまうかもしれない。
最悪の時でも、78歳の母親は
腰痛があるから避難はしない。
自分はこの家で死んでもいい、と言っている。
それも、本人のリヴィング・ウィルなので
いざというときは、仕方ないと腹を括っている。
せめて、子どもたちを速やかに退避させて
親の義務を果たしたことで
少しだけホッとしている。
ナッちゃんは、修学旅行の京都から帰ってきて
二日だけ家にいて、また京都へUターンした(笑)。
本人は、さぞかし
「ドンダケーッ!! 」
であろう。
11年も関西に在住していたので
こんな時、多くの方々から
ご支援のお声がけをいただいているのが
骨身にしみるほどありがたい。
そして、今、そのお言葉に
甘えさせていただいている。
ただ、息子たちには
ご厚意に甘えるのはいいが
甘ったれるな、と言って聞かせた。
疎開した子どもたちには
淡々とした日常を…
それも、よそ様の家に
ご厄介になっていることを肝に銘じて
ダラダラと過ごさず
何事も感謝と奉仕の心をもって生活しろ、
と渇を入れている。
《アキへのメール私信》
京都は寒むないかー。
今度から京都弁で書くし。
ちょっとは慣れるように
自分でも使うてみいや。
ナッちゃんと二人
ちゃんと行儀ようせなあかんで。
よそ様のうちにお世話になってるんやから
うちみたいに遅くまで寝てたらあかん。
ちゃんと早起きして、家のどこでもええから
そうじするとか、窓ふきとかせいや。
そういう奉仕がお礼の心やさかい。
ほんで、ご飯かて、ちゃんと、きちんと
感謝の心をこめて
「いただきます」「ごちそうさまでした」
「美味しかったです」
言わなあかんで。
春休み中だけで戻れるとええけど、
下手したら、ずっといなあかんかもしれへんから。
なんでもいいから
メールよこしや。

新幹線が那須から走っていたので
ギリギリのガソリンで
二人を渋滞のなか3時間かけて
隣県まで送っていった。
その途中、近所も郡山市内でも
崩壊現場をいくつか目にした。
やっぱり、これは夢じゃなかったんだ
と空恐ろしい現実を
再度、突きつけられた思いがした。
***********
ずっと安否不明だった
津波被害地区在住の生徒Yちゃんが
無事だったことが確認されたと
昨日、連絡がきた。
まさに、「不幸中の幸い」とは
このことである。
今日も、空が青い。
世界中の空につながるわが町の
ま冬の今日の
青空仰ぐ
碧水歌
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