Y中のサマコンで
デュエットをやった
JCのYちゃんが、
コンサートのあとで
カウンセリング室までやってきて
恥ずかしそうに
プラ板でこさえた『おしり探偵』を
プレゼントしてくれた。
こういうのを
カウンセラーのボーナスと
思っている。
棚ボタの給付金10万円より
心が籠っていて
有り難い。
まさに、
【富者の万灯より貧者の一灯】
を神は喜ばれるである。
ふたりで、いつも、
「おしり探偵」を描いてたら、
だんだん、カウンセラーの顔が
「おしり探偵」に見えてきたらしい(笑)。
生徒たちよりも一足先に
夏休みに突入し、
もう三日目にして、
(今日は、何曜日だっけ?)
という
ロンバケ痴呆の症状が現れた(笑)。
きのうは、
一日中、土曜なのか日曜なのか
ビデオ録画の番組を見るまで
判然としなかった(笑)。
コロナ禍の第二波が
首都圏を中心に
到来しているような世相だが、
幸いにして、当地には
今の処、その余波は届いていない。
でも、戸外では、
今もって、夏マスクを強いられる
ウィズ・コロナ・ライフである。
なので、
こんな時こそ、
馬鹿やって
憂さを晴らさねばである(笑)。
“アンコイスト(餡子好事家)”たらんと
あちこちで、
いろんな製品を買い集めては
試食に余年のない
日々を送っている。
これを
【暇人】
または
【好き者】
といふ(笑)。
フグスマ弁では
【こっつぁがなし】
と唾棄、嘲笑される。
これなぞ、
京都生まれの
長男・次男、
平成生まれの三男の
ボキャブラリーには
ないかと思う。
昭和に流布した方言である。
そういや、
市内に、
「コッツァ・ガーネ」
という伊語もどきの
飲食店ができた(笑)。
「こっつぁがね」
というのは
「グタラナイ」
という意味である。
ズラリと並べて
テイスティングしてみると、
「餡子に個性あり」
と当たり前のことを
再認識した。
ここでも
メーカー品は、
増粘剤やら人工甘味料なぞを
添加してトンデモ餡子もあった。
バカ~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ
秀逸だったのは、
業務用の1㎏餡子で、
北海道産小豆と甜菜糖のみで
仕上げられたもので、
いい意味で野暮っちく、
もったりして、香りと後味に
“郷愁感”すら漂った。
そう…。
その昔、
うちで婆ちゃんが、
アカの大鍋で炊いた
“あんこ”の味がした。
「病膏肓に入る」で、
この後、きっと、
丹波だ、道産だ…と、
小豆やら大納言に凝っては、
“餡子炊き”に
ハマってくんだろうな…と、
“こっつぁがなし”の行きつく処が
目に見えるようである(笑)。
午前でも午後でも夕方でも、
眠けりゃ、眠り、
風呂に入りたきゃ、入り、
食べたきゃ、食べる、
という勝手気儘モードでいると、
真夜中に突然、目が覚めたりする(笑)。
ゆんべも
二時頃に目が覚めたので、
仕方なくBSをつけてみたら、
デュ・プレの
『エルガーのコンチェルト』
という記録映画をやっていた。
かつて、
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』
という映画を観て、
それが、原作者の姉による
妹の才能と成功への嫉妬による
誹謗中傷するような
ひどい内容だったので、
それを真に受けて、
忌避していた時期があった。
姉は自分の夫と
不倫関係になったことを暴露し、
妹は天才には違いないが
不道徳な人間だと詰っていた。
この映画には
夫のバレンボイムはじめ、
ロストロポーヴィチや
パールマン、ズーカーマンらが
こぞって抗議・批判している。
後年、多発性硬化症で
演奏家を断念して
精神的に打ちひしがれた時に、
姉の旦那が誘惑したという説もある。
42歳で夭逝したジャクリーヌの
天才性は記録映画の
『エルガーのコンチェルト』で
存分に見て取れた。
そして、
その確かな人間性も
音楽に現れていた。
敬愛するバルビローリも
彼女の紛うことなき才能を
逸早く見出していた。
このモノクロ・フィルムで
バルビローリの生声を
初めて聴いて感激した。
デュエットをやった
JCのYちゃんが、
コンサートのあとで
カウンセリング室までやってきて
恥ずかしそうに
プラ板でこさえた『おしり探偵』を
プレゼントしてくれた。
こういうのを
カウンセラーのボーナスと
思っている。
棚ボタの給付金10万円より
心が籠っていて
有り難い。
まさに、
【富者の万灯より貧者の一灯】
を神は喜ばれるである。
ふたりで、いつも、
「おしり探偵」を描いてたら、
だんだん、カウンセラーの顔が
「おしり探偵」に見えてきたらしい(笑)。
生徒たちよりも一足先に
夏休みに突入し、
もう三日目にして、
(今日は、何曜日だっけ?)
という
ロンバケ痴呆の症状が現れた(笑)。
きのうは、
一日中、土曜なのか日曜なのか
ビデオ録画の番組を見るまで
判然としなかった(笑)。
コロナ禍の第二波が
首都圏を中心に
到来しているような世相だが、
幸いにして、当地には
今の処、その余波は届いていない。
でも、戸外では、
今もって、夏マスクを強いられる
ウィズ・コロナ・ライフである。
なので、
こんな時こそ、
馬鹿やって
憂さを晴らさねばである(笑)。
“アンコイスト(餡子好事家)”たらんと
あちこちで、
いろんな製品を買い集めては
試食に余年のない
日々を送っている。
これを
【暇人】
または
【好き者】
といふ(笑)。
フグスマ弁では
【こっつぁがなし】
と唾棄、嘲笑される。
これなぞ、
京都生まれの
長男・次男、
平成生まれの三男の
ボキャブラリーには
ないかと思う。
昭和に流布した方言である。
そういや、
市内に、
「コッツァ・ガーネ」
という伊語もどきの
飲食店ができた(笑)。
「こっつぁがね」
というのは
「グタラナイ」
という意味である。
ズラリと並べて
テイスティングしてみると、
「餡子に個性あり」
と当たり前のことを
再認識した。
ここでも
メーカー品は、
増粘剤やら人工甘味料なぞを
添加してトンデモ餡子もあった。
バカ~ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ
秀逸だったのは、
業務用の1㎏餡子で、
北海道産小豆と甜菜糖のみで
仕上げられたもので、
いい意味で野暮っちく、
もったりして、香りと後味に
“郷愁感”すら漂った。
そう…。
その昔、
うちで婆ちゃんが、
アカの大鍋で炊いた
“あんこ”の味がした。
「病膏肓に入る」で、
この後、きっと、
丹波だ、道産だ…と、
小豆やら大納言に凝っては、
“餡子炊き”に
ハマってくんだろうな…と、
“こっつぁがなし”の行きつく処が
目に見えるようである(笑)。
午前でも午後でも夕方でも、
眠けりゃ、眠り、
風呂に入りたきゃ、入り、
食べたきゃ、食べる、
という勝手気儘モードでいると、
真夜中に突然、目が覚めたりする(笑)。
ゆんべも
二時頃に目が覚めたので、
仕方なくBSをつけてみたら、
デュ・プレの
『エルガーのコンチェルト』
という記録映画をやっていた。
かつて、
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』
という映画を観て、
それが、原作者の姉による
妹の才能と成功への嫉妬による
誹謗中傷するような
ひどい内容だったので、
それを真に受けて、
忌避していた時期があった。
姉は自分の夫と
不倫関係になったことを暴露し、
妹は天才には違いないが
不道徳な人間だと詰っていた。
この映画には
夫のバレンボイムはじめ、
ロストロポーヴィチや
パールマン、ズーカーマンらが
こぞって抗議・批判している。
後年、多発性硬化症で
演奏家を断念して
精神的に打ちひしがれた時に、
姉の旦那が誘惑したという説もある。
42歳で夭逝したジャクリーヌの
天才性は記録映画の
『エルガーのコンチェルト』で
存分に見て取れた。
そして、
その確かな人間性も
音楽に現れていた。
敬愛するバルビローリも
彼女の紛うことなき才能を
逸早く見出していた。
このモノクロ・フィルムで
バルビローリの生声を
初めて聴いて感激した。
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