
* 29 *
インターネットの中にあるのは、全部過去の遺物です。
養老 孟司
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「赤ちゃんポスト」に捨て置かれ、「愛聖園」で拾い育てられたカナリにとって、園こそがマイホームであり、文字通りの実家でもあった。
今の師匠宅にやって来るまで、そこが彼女にとっては世界のすべてであった。
無論、学校にも将棋道場にも行きはしたが、自分がほんとうに憩え安らげる場は、母代わりの園長先生や姉代わりのシスターたちのいる聖なる園なのであった。
ホールは礼拝堂も兼ねていて、檀上の奥には、マリア様に抱かれたイエス様の聖母子像が安置されていた。
その聖なるおふた方は、カナリにとって、まさにスピリチュアルな母と父でもあった。
「うん。いいね・・・」
師匠でもある父が、快く引き受けて下さった。
カナリは、かねてより恩返しの一環として、園において「将棋祭り」のようなイヴェントを催したいと考えていた。
自分と同じ境涯の子どもたちに、将棋の楽しさを教えてあげたいという彼女の願いを父は聞き届けて下さり、ヴォランティアで赴いてくださった。
カナリの棋士としての活躍は、園全体の喜びでもあり、「カナリおねえちゃん」を慕っていたチビッ子の少年少女たちにとって、彼女は、まさしくヒロインであり、誇るべきスターであった。
そしてまた、その彼女が地上最強棋士の永世八冠に養女として引き取られ、父娘でタイトル戦を競っている、というドラマのような現実は、子どもたちにとって夢みたいなシンデレラ・ストーリーであった。
カナリとソータが園に到着すると、子どもたちの熱狂ぶりは尋常ならざるものがあった。
興奮しすぎて鼻血を出す子、飛び跳ねすぎて足をくじく子、抱き合って互いのアタマをかじり合う男の子(笑)・・・。
それはもう、悲鳴のような歓声とともに狂喜乱舞のよろこびようだった。
園長はじめシスターたちも、テレビでしかお目にかかれない国民的スターの生ソータ師匠をお迎えすると、そのオーラに打たれてメロメロ状態でアガリっぱなしだった(笑)。
カナリは、父にして師匠のカリスマ性をあらためて感じさせられた思いがした。
サトちゃん、リュウくんのお父さんでもある師匠は、子ども好きなので、子どもたちの笑顔や歓声に囲まれて、ほんとに幸せそうであった。
カナリの活躍と彼女の多額の寄付により、園にも人数分に見合う将棋セットが揃えられていた。
そして、どの子も、遊びのなかでルールを覚えて、さながら、将棋道場のように、日常的にあっちでもこっちでも「しょうぎあそび」の風景が見られた。
一般の将棋ファンにとっては垂涎の的になりそうな、カナリとソータの「公開対局」や、ふたりによる子どもたち全員との一対一の多面指しなど、それは将棋好きの子にとっては夢のような時間だった。
当人との直対局なぞ、全国のカナリ・ファン、ソータ・ファンでも、生涯に一度体験できるかどうか、というレアなイヴェントである。
愛聖園では、爾来、この「しょうぎまつり」は、年に一度の恒例行事となった。
将来、この中から、棋界に旋風を巻き起こすような才気有る棋士がでないとも限らない。
それは、カナリとソータの夢でもあった。
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