『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

【郷に入らば郷を味わえ】(笑)

2024-10-04 06:45:28 | 懐石

腺窩性扁桃炎も
抗生物質が効いてくれて
治まりつつあるようで有難い。

きのうの朝方は
それでもカラダがしんどくて
鎮痛剤を呑んでの出勤だったが、
フルタイムを勤務しても
退勤時には疲弊も体調悪化も
しなかったので、
これはトンネルを抜けたか・・・と、
嬉しく思った。

きのうは
ご新規さんがキャンセルになったものの
5人のJCのうち3人もが
希死念慮があり、二人は
要医療ケア一歩手前の
プチ・デプ(ちょい鬱)で
推奨している生活改善療法
(日光浴・補液・軽運動・温浴)を
継続して実践してくれないので、
この気候変動が激しい外的環境も
ストレスになっており、
セラピストの方が心穏やかではない。

さるドクターも仰っていたが、
医者やクスリが治すのではなく、
患者さんの「治そう」
「生活を改めよう」という
治療意欲がなくては
手助けしたくとも稔らない、
というのに、尤もだな・・・と
痛感している。

そしたら、
自分の組織検査結果「良性」の
「お礼」のメールを差し上げた
Tちゃん先生から返信を頂いて、
我が事への注意も喚起されていて
アタタタ・・・。゚(;´д`) ゚。
と思わされた。

「何事もなく安心すると、
この病気を通して
神様に教えて頂き、
見直した食生活も、
段々と以前の通りでも大丈夫のように
思えてくるかもしれません。

『大酒大食するは絶食のもとぞ』
というみ教えの通り、
何事も過ぎれば、良いものも
体に毒になってしまい、
内蔵も疲れてしまうと思います。

どうか、喉元過ぎれば…
となりませんよう、
身体に負担のかからない食生活を
維持していただきますように、
よくお願いさせて頂いております」

きょうは、オフ日なので、
これから、『ひとり快気祝い』の
第二弾に、オープンしたばかりの
フレンチのデジュネ(ランチ)に
予約してある・・・。

(^▽^)>テヘヘ…♪

(美食はしますが・・・
大酒・大食はしませんので・・・)
神様、許してつかぁーさい・・・ (´人`)

きのうも
11月末の上洛での
教え子たちとの会食会や
自分の「ひとり懐石」の
予約を京都の店にしたばっかである・・・。

 (´д`|||)

ま、ふだんは
夕餉の残り物・余り物の
粗食の手作りベントを
有難く頂いているわけだし・・・。

たまの職人仕事を味わうのは
人生の「ハレとケ」のメリハリ、
「気晴らし」「気養い」としても
大事な「3R」(リフレッシュ・
リラクゼーション・レクリエーション)
という事にしている(笑)。

*

ポリープ切除の三日前に
ギター練習でこしらえた
指先の血豆がカサブタになり、
今朝方、きれいに落ちていたので、
これをメルクマールとして
術後の緩下剤『モビコール』の服用を
今日で止めにした。

思えば、血便が出て
切除を終えるまで、
丸々2ケ月半ほど
毎朝、服用していたので、
楽々ゆるゆるのお通じがあったが、
いきなり、それをやめて
大丈夫かしら・・・という、
一抹の不安もあるが・・・。

術後二週間が過ぎて、
まったく血便が観られないので、
切除部の「人工潰瘍」も
キレイに元通りの上皮細胞に
復元してくれたもの
と信じている。

*

今朝方、カミさんの車が
出発した跡の庭に
二階の廊下から
オレンジの点が見えたので、
何か知らん・・・と、
怪訝に思って、よくよく観たら、
早成りで熟した柿がポトリと
落ちたものだった。

昨日、嵐山のペンションに
宿の予約を入れたばかりなので、
(そうだ・・・。
 落柿舎(らくししゃ)にでも
 行ってみっか・・・)
と、ふと脳裏に浮かんだ。

在京中は、観光シーズンを避けて、
夕刻の頃に、フミを抱っこして
家族三人で人気のない嵯峨野を
よく散策して歩いた。

その原風景が彼に残っているのか
後年、リク坊をつれて
ちょいちょい嵐山に行ってるようだ(笑)。

*

公けには
コロナ明けだそうで、
インバウンドも回復し、
京都のホテル・宿は軒並み
11月末のシーズンオフにも関わらず
変動相場で3~5万という価格帯で、
高けぇなぁ・・・と、感じた。

こういう時は
ペンションが安上がりなので、
検索してみたら、
渡月橋の近くの一軒が
朝食付きで10100円という
廉価だったので、さっそく予約した。

電話口の御主人の対応も
物腰柔らかで、
「お待ち申しております・・・」
という好対応だったので
これはアタリだなと感じた。



対して、
夕餉の懐石に選んだ
近所の「熊彦」は
40年ぶりに訪れるが、
電話対応が、待たされるわ、
温かみのない口調だわ・・・で、
『船場吉兆』みたいに
この老舗も慣れっこに堕したか・・・
と、懸念された。

京都には、
観光客ズレしている店が少なくなく、
前の客のキャンセル料理を出されたり、
蟻が徳利に入ってたり、
ギューギューに詰め込まれたり・・・
という不快な思いをした店も多々あった。

なので、
老舗「たん熊」の嵐山店も
大丈夫かいな・・・と、
電話対応で不安がらせるようだった。

40年前は、
金光第一高の理科会で
京都習いの「ごはん食べ」の
幹事を仰せつかってたので、
フレンチやら懐石やら、
散策を兼ねて、定期考査中の
息抜きの愉しみとして出かけていた。

理科会は
物・化・生・地の先生方が
7名ほどおられたので、
毎回、賑やかに
散策と昼餐を楽しんだ記憶がある。

京都お生まれの先生からは
東北出身の自分がいつも
「散策会」を企画してたので、
「せんせ。よう、いろんなとこ、
知ってはりますなぁ・・・」
と、感心もされた(笑)。

マンション管理組合の
理事も務めたことがあるが、
京都人は金閣も清水も
行ったことがない
という人が普通だった(笑)。

そんなものなのかなぁ・・・
と思ったものである。

なにせ、自分とカミさんは
東北人なので、
在京中は外国暮らしをしてるような
高揚感があり、毎週末は
「中年・修学旅行生」のように
ありとあらゆる処を
視尽くして廻ったし、
食べ尽くして廻った(笑)。

閑話休題。



40年前の『熊彦』と
玄関の様子は同じだが、
内部は改装されたようである。

当時は、わりとキチャナイ
(古びた?・・・笑)
玄関口の椅子席での
安価な松花堂弁当だったが、
「玉〆炮烙焼き」という
茶碗蒸しの大仰版(笑)が
名物として出てきた。

今回は、一人旅なので、
弁当よりは豪華な、
それでも最安価な
懐石のコースにした。



果たして、
月一で通っている
地元の三ツ星懐石と
どっちに軍配があがるか・・・
サービスも込めて
判定してみたい。

*

『錦水亭』にも
在京中に、存命だった父が
母親と孫の顔を見に来た折、
昼餐に出向いたことがある。

平成元年生まれのフミが
1歳頃だから、
そうすると35年前くらいになる。

長岡京市は
筍の名産地で、
『錦水亭』も筍料理が売りだが、
シーズン外は通常の懐石もある。

やはり、日本料理は
関西が本場で、
なかでも「京料理」は
千利休が居た地でもあり、
茶懐石・会席ともに発展した
歴史的な地なので、
【郷に入らば郷を味わえ】(笑)
である。













 




 


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