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人との距離が縮まるとイライラは増えます。
それは科学的に言えば、お互いに忌避物質を出している可能性があります。
人間が大勢集まると、実際に臭くなるのです。
お前らあっち行け、という信号が体から出ます。
人の鼻はさほど性能が良くないので意識では気が付かないだけです。
養老 孟司
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二十七才で「八大タイトル」をすべて制覇したカナリは、「八冠」のまま、翌年も、翌々年も・・・と、その王座をキープしていった。
そして、やがて五年の月日が流れ・・・
三十二才の誕生日に、念願の二代目『永世八冠』の称号を得るに至った。
その日、カナリはひとり、父であり、師匠の墓前に参り、大きな目標を完遂したことを報告した。
「お父さん。そして、師匠・・・。
おかげ様で、永世八冠に到達させていただきました。
これも、ひとえに、お父さん、師匠のおかげです。
ほんとに、ほんとに、ありがとうございました」
二代目八冠となった今、次の大いなる目標は、父の成し遂げた大記録であるタイトル100期を超えることである。
ふと、カナリは、若かりし頃、気になっていた「名人を超える」というフレーズを思い返した。
もしも、もしも自分に、その大記録を超えることが出来るのだとしたら、それこそ、「名人を超える」という事になるのだろうか・・・と、思った。
父と師匠を超える・・・。
それは、容易ならざる事であった。
二代目八冠の祝賀パーティーが盛大に『名古屋ヒルトン』で催された。
大勢の関係者やマスコミに囲まれて、カナリにとっても一世一代の晴れの日でもあった。
「カナ研」の仲間たちも大勢つめかけ、弟子入りした中村 加奈梨は、今や十八歳で奨励会の三段へと昇段し、この日も楽屋で師匠の身の回りを何かと世話していた。
「先生。そろそろ、お時間です・・・」
と弟子に促されると、カナリは鏡の前で、いまいちど身繕いした。
弟子は師匠のポーチを抱えると、
「なんだか、わたしが緊張してきました・・・」
と、言った。
「なーに。カナちゃんがご挨拶するわけじゃないでしょ・・・」
と師匠は、軽口で応えた。
「先生。挨拶のリハはされたんですか?」
「そんなことしないよ。わたし。
いつも、出たとこ勝負だもん」
ケロリと師匠が言うと、
「え~っ!
あの、女流棋士会でのご挨拶も、そうだったんですかー!
ご同慶の至り・・・なんて、わたし、一生使えませんよぉ・・・」
と弟子は驚きもし、半ば呆れもした。
会場ホールへの長い廊下を、そんな調子で、ふたりは軽口を言い合いながら心愉快に向かった。
【満つれば 欠くる】
という俚諺がある。
この「祝賀」の集いが、〈密集・密接・密閉〉という、好ましい「場」でなかったのが、災いした。
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