『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

薄(すすき)

2016-10-26 07:56:00 | 風景
通勤途上、
路上の分離帯に、
ススキとアワダチソウが
並び咲き、晩秋にかかる
季節の移ろいを感じさせた。



書斎のPCの前には
尊崇する師・碧水先生の
春先の「すすき」の直筆歌がある。

全19巻の歌集『土』の
一冊の見開きにだけ、
著者の直筆の歌が
毛筆で認められたのを見つけ、
驚喜したものである。

かつて、
四万四千もの歌から
二百種ほど精選し、
世と人のお役に立つようにと、
『たましいの処方箋』という
一冊を編んで
ご家族様のご承諾を得て、
出版させて頂いたことがある。

その折、
きっと、そのことを
先生が喜んで下さって、
一冊の中に、褒美として
直筆歌を忍ばせて下さったのでは・・・と、
勝手に想像して悦に入っていた。

碧水先生は、
ご自分の書道のお師匠様から、
自分が書いた手本がどっちか判らない、
と言われるほどの能書家でもあり、
尚更、その直筆は有り難く
価値があると思っている。




昨日は、
コーディネーターの先生がお休みで、
珍しく、一人も予約生徒がいなく、
丸々時間が空いていたので、
ノートに、今、思考実験中の
アイディアを何頁か書いて、
理論が立ち上がってこないか
思案していた。

これまで到達してきた、
「人間中心原理」的な事象の見方と
「宇宙中心原理」的な事象の見方から
敷衍して、今は、
宇宙の一切は「唯在るのみ」なのか
「そこに意味はあるのか」という
「唯在論」と「悉意論」「脱価値論」という
魂理学造語を拵えて、思考している。

また、宇宙が一ケの素粒子から
ビッグバン、インフレーションによって
現在の膨大多様な元素や物質、
エネルギーを持つに至った事と、
一ケの単細胞生物一種から
37兆ケもの多細胞生物である人間や
多様な種にまで進化した事、
あるいは、一ケの受精卵から37兆ケまでの
個体に至る発生過程で
多様な形態・機能の組織・器官へと
分化した事のこれらのアナロジーは、
フラクタル現象なのか・・・。

右手と左手は
どちらも「手」で共通するが
極性の違いと機能の違いを持つ。
でも、どちらも自分である。

手と足は形態も機能も異なるが
どちらも自分のものである。

一ケの素粒子から出来た
この宇宙に在る我われは、
「一にして全であり」
「全にして一」も同様なのである。

「あなた」と「わたし」の違いは
「手」と「足」ほどの
違いもないのかもしれない。

それは、
「自意識」というのは、
宇宙に一つであって、
「あなた」も「わたし」もない、
ということに繋がるのか。

何となく、
解りかけてきたが、
まだ、神との関係性や
マルチユニバースや
多次元宇宙については
思考半ばである。

(-_-) ワカラン…




公認心理師国資の
出題基準案という学会の検討書に
目を通したら16の大項目にわたり、
数百の小項目を含む
けっこうな広範囲であった。

無論プロだし、
学生にも講義してきた立場だから
殆んどは既知内容だが、
若干、専門外の
行政や法規、地域援助などについては
アラ還の手習いをしなくてはならない。

今更・・・とも、
思わないこともないが、
この仕事に就いた時には、
「一生勉強の道だよ」
という師の戒めと
その覚悟をしたのだから、
やるっきゃない、だろう。

でも、どうせなら、
「人生、深生き」だから、
楽しく、嬉しく、面白く、
また、有り難く、
世と人のお役に立つ為に、
やらせて頂こうかのう。
 
ϵ(◎⊼◎)϶
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頂き物

2016-10-25 06:57:00 | 頂きもの
先日、
元勤務校から招聘され、
先生方の宗教研修会で
講演させて頂いた折、
書道科のI先生から
貴重な直筆の色紙を
土産に頂戴した。



I先生は、
「岳泉」という号をお持ちで、
書道部を何度も全国大会優勝に導き、
その最初の優勝のときは、
生物室にお招きして
祝宴茶会をさせて頂いた。

その話も先日、出て、
「3.11を生きる」という
被災者としての経験談を
お話させて頂いたので、
復興支援の一助として
色紙を下されたのかもしれない。

在職中には、
茶会で用いるための
「一期一会」の軸も
書いて頂いたことがあり、
それは、今でも、
玄関の室礼(しつらい)として
掛けることがある。

I先生が初めて担任をした折の
CというJKに好かれ、
後に彼女は発病して
母親と一年あまり
カウンセリングをしたことがある。




夜の懇親会では、
S先生に嵐山の信楽作家・後藤安久の
登窯花入を頂戴した。

これは、S先生と一緒に
嵐山の後藤さんのお店に
行ったときに、それぞれ
買い付けたものだが、
S先生の物が自分のものよりも
格段に素晴らしく、つい、
「先生が死んだら、
それ片身分けに下さいね」
と冗談に言っていたほどだった。

そしたら、
それをこないだ、
下さったので、驚きもし、
「死んでからでいいのに・・・」
と、また冗談になった。

これもまた、
3.11被災者の自分への
心の復興支援として
下さったのかもしれない。

先生方のお心遣いを
ありがたく思わせて頂きながら、
中秋の玄関室礼に
飾らせて頂いた。




久しぶりに、
古着狩場に
ハンティングに出かけたら、
イメージしていたラセット(小豆色)の
スーツが5コインであったので、
嬉々として試着してみて、
パンツはキツキツだったが、
上着がジャスト・フィットだったので
迷うことなく購入した。

久しぶりの
スーハン(スーツ・ハンティング)で、
望みの色があって
舞い上がったせいか、
碌々検品もせずに
レジしてしまった。

帰ってから、
一箇所に2ミリほどの
虫食いを見つけて、
シマッタァ~!! o(;>△<)o  
と、己れの未熟さに
舌打ちしてしまった。

いつものなら、
狩場で丹念に検品して
必ずや検知して
レジにてディスカウント交渉し、
たいがいは半額以下になるものである。

今回は、
それを忘れた為に
マンマのお持ち帰りとなった。

迂闊であった。
古着ハンターとして
忸怩たる思いである。

もう、三つのクローゼットは
スーツ、ジャケット類で
衣服が息も出来ぬほどに
きちきち状態だが、
まだ、入手したい色や
スタイルが若干ある。

このラセット、
袖を通した形跡が全くなく、
商品タグがついたままで、
パンツの裾上げもなされていない
新古ものだった。

おそらく、
何処かの在庫整理で
虫食いが出来たので
古着店に処分したのかもしれない。

一応、色合わせで
虫食いは修復してみたが、
共布も内ポケットにあったので、
それを解して凹みに移植して
さらに精緻な修復を試みてみようと思う。

パンツは、昨日、
二時間半の映画
『レイルウェイ』を
見ながら、ウェスト拡張手術と
裾上げをスーピード・テープで仕上げた。

以前は、5時間ほどかかった
作業だが、3着目ともなると
段々と手練れてきて、
半分の時間で出来るようになった。

プロの修復店のオバチャンも
これなら遜色ないね、と
以前に褒めてくれたので、
直しに出すと
5.000円分の仕事を
DIYで出来たことになる。

これも、製本と同じで、
古楽器製作や修復に比べたら
楽なものである。

 ボンビーをすれど
  わが手に技術あり
   靴の直しもかけつぎもす

(*^ー゜)b グッジョブ! cat4

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120年記念大祭

2016-10-24 10:25:00 | 風景
金光教福島教会
布教120年記念祭で
朝の8時半から午後4時半まで
ご用奉仕させて頂いた。

亡き尊父の駄句を捩れば、

 一日を
  神に捧げる
   いい男

親代々三代の
金光教信徒で、
兄もカミさんも
子どもたちも無信仰なので、
自分だけが信仰を受け継いだ。

老母は未だ入院中で、
認知症中等度、要介護4と認定され、
信仰実践からは離れているようだ。



今年、仲間のJ君が
急逝したので、
彼の仕事だった「玄関係」を
福高の後輩で弁護士のH君と二人で
「祭事係」と掛け持ちで
やることになった。

この日は式年大祭だったので、
全国から80名ほどの参拝者があり、
玄関で「お履物」を預かり、
プレートをお渡しするという
「玄関番」の役目は、
膝を付き、腰をかがめ靴を
一々取り上げて下駄箱に揃えていく。

アラ還親爺には
腰が痛くなる作業でもあった。

「ご用マニュアル」には、
「玄関は顔でもあるので、笑顔で応対すること」
とあるから、お一人おひとりに
「こんにちは」
「おめでとうございます」
「ご苦労様でございます」
「ようお参りでございます」
と、それぞれに丁寧に笑顔で挨拶し、
「お履きものを○番でお預かり致します」
と、まるで老舗の番頭のような気分になり、
途中から“ごっこモード”のスイッチが入って、
これは楽しんだろう、と思って
やらせて頂いた。



H君とは
「こんだけ、脱ぎたてムレムレの靴並ぶと
 さすがにプンとくるね~」
と楽屋落ちで笑っていた。

( *´艸`) ウプ・・・

次回は、消臭スプレー必要かも。

お帰りの折、
お一組だけ、間違いがあって、
一時、玄関番もパニクりかけたが、
どうにか治まって、無事、初めての勤めを
やり果せることが出来た。




前々から、
奉祝ギター演奏を
2曲依頼されていたので、
オハコの「さくら変奏曲」と
「見上げてごらん夜の星を」を
演奏させて頂いた。

ただ、祝宴の乾杯後であったので、
マイクを使用したものの、
既に宴も酣(たけなわ)となり、
さんざめきの中に埋もれ、
誰も注目も拍手もないような
いつもながらの
「宴会BGM」になってしまった。

これは演奏者にとっては
哀しいものであるが、
逆に、コンサートで
真剣に聴いて頂ける喜びを味わえる
対極の修行体験ともいえる。

それでも、神事の奉祝であり、
祝宴に花を添える楽の調べでもあるので、
事前に1時間も真剣にリハをやり、
本気モードの演奏をして
かなりいい出来だった。

神様に捧げる演奏でもあるから
人は聴いていなくとも、
神様は聴いておられるから、
絶対に気は抜けないし、
必ずや、またそれが新たなお蔭に
つながるものと永年経験済みだから、
これからその「ご褒美」を
楽しみにしている。

11月には、
天童教会の布教60周年記念大祭があり、
初めて、大好きなM先生に
奉祝演奏にお呼び頂いた。

M先生は、さすがに、
乾杯前の静寂な時に、
演奏スケジュールを調整して下さって、
「私は演奏者に対して
失礼な遇し方は出来ません」
と仰って下さり、
とても有り難かった。

zzz ヒ~、アリガテェ・・・kirakira2cat4


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ブチ胸キュン? ってか・・・(´ε `/// )ゞ

2016-10-23 06:02:00 | 風景
撮り貯めてあった
録画を順繰りに視ているが、
原田知世の『運命・・・』
(書くのもハズイ、タイトル)
を続けて3作視て、
時折、見せる48歳とは思えぬ
可憐な表情に驚いた。



恋人役の斎藤工は35歳なので、
役柄では45歳のカスミとは
10歳差だから、現実にないことはない
恋愛関係だが・・・。

原田が少女返りして
ハシャぐシーンなどを視ていると、
アラ還親爺としては、
ちょっと引いてまう処ではある。

ほんでも、
世のアラフィフ女性たちには、
夢のような
シンデレラ・ストーリーなのかもしれない。

もっとも、それは
元祖・美少女で儚げな
原田知世だからであって、
バカボン似のオカリナや
横幅のあるユイピーらがヒロインでは、
斎藤工がお姫様抱っこしたときに
ギックリ腰になるか、
笑いもって放り投げるような
ギャグシーンになるだろう。




来年のリサイタルの
ロビー頒布会用に、
100枚CD-Rを購入してきて、
一日がかりで
「ベストアルバム」の50枚を
印刷・コピーした。

今年もワンコインで
50枚ほど売れてくれたので、
来年の資金稼ぎの為にも、
せっせとパソコンと2台の
プリンターを稼動させて
家内工業的に自らのアルバムを
製造ラインで量産している。




K中で、
『おそ松さん』が
大好きというJCがいて、
原作の『おそ松くん』も
読んでみたい・・・と、
言うので、我が家の家宝である
全集から、最も感動的な一話である
「イヤミはひとり風の中」を
カウンセリング中に読ませてあげた。

ほんとうは貸してもよかったのだが、
漫画の持込は校則違反になるので、
その禁を破ることは出来なかった。

真剣に読んでいた彼女は
「あぶなくウルウルきかけました」
と言って、やっぱり
原作の赤塚不二夫の作品は
凄いなぁ・・・と、感心していた。

この本は、
初版でなく復刻本だが、
それでも稀少本で、
発売時は360円だったが、
ヤフオクやアマゾンなどでは
全集で万単位のプレミアがついている。
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マメにメンテ

2016-10-22 07:07:00 | 風景
久しぶりの
平日オフ日だったので、
5.000km毎に交換している
エンジン・オイルのメンテを
してきた。

20年来世話になっている
整備工場なので
スタンドの半額ほどで
10分くらいでやってくれるので
ありがたい。

数年前に、
オイル交換を忘れて、
高速走行中にターボエンジンが
バーストしてエンジン交換になった
痛い思いをしたので、
こまめに5.000km毎に
交換するようになった。



夏休みに
子ども部屋の大掃除で
いくつもの電池切れ時計が出てきて、
全部を電池交換したら
動いたので、時々、外出用の
ドレスウォッチにしている。

ターコイスのあしらわれたこれも
ネイビー・スーツとストライプ・シャツに
マッチしてカジュアル感を
醸し出してくれている。




先日の古殿コンサートの帰路、
石川にある「乙字が滝」という名所に
はじめて寄ってみた。

朱色の橋の上の車中からでは
滝の前面が見えず、
全景を得るには
河原まで降りなくては
ならなかった。




日が短くなって、
棚倉、鏡石、郡山への
勤務日の帰途、
「あだたら道の駅」に
さしかかる頃には、
イルミネーションが点灯されている。

この灯りは
秋から冬にかけて、
家まであと10km、20分位という
ひとつのランドマークに
なってくれている。



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