通勤途上、
路上の分離帯に、
ススキとアワダチソウが
並び咲き、晩秋にかかる
季節の移ろいを感じさせた。
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書斎のPCの前には
尊崇する師・碧水先生の
春先の「すすき」の直筆歌がある。
全19巻の歌集『土』の
一冊の見開きにだけ、
著者の直筆の歌が
毛筆で認められたのを見つけ、
驚喜したものである。
かつて、
四万四千もの歌から
二百種ほど精選し、
世と人のお役に立つようにと、
『たましいの処方箋』という
一冊を編んで
ご家族様のご承諾を得て、
出版させて頂いたことがある。
その折、
きっと、そのことを
先生が喜んで下さって、
一冊の中に、褒美として
直筆歌を忍ばせて下さったのでは・・・と、
勝手に想像して悦に入っていた。
碧水先生は、
ご自分の書道のお師匠様から、
自分が書いた手本がどっちか判らない、
と言われるほどの能書家でもあり、
尚更、その直筆は有り難く
価値があると思っている。
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昨日は、
コーディネーターの先生がお休みで、
珍しく、一人も予約生徒がいなく、
丸々時間が空いていたので、
ノートに、今、思考実験中の
アイディアを何頁か書いて、
理論が立ち上がってこないか
思案していた。
これまで到達してきた、
「人間中心原理」的な事象の見方と
「宇宙中心原理」的な事象の見方から
敷衍して、今は、
宇宙の一切は「唯在るのみ」なのか
「そこに意味はあるのか」という
「唯在論」と「悉意論」「脱価値論」という
魂理学造語を拵えて、思考している。
また、宇宙が一ケの素粒子から
ビッグバン、インフレーションによって
現在の膨大多様な元素や物質、
エネルギーを持つに至った事と、
一ケの単細胞生物一種から
37兆ケもの多細胞生物である人間や
多様な種にまで進化した事、
あるいは、一ケの受精卵から37兆ケまでの
個体に至る発生過程で
多様な形態・機能の組織・器官へと
分化した事のこれらのアナロジーは、
フラクタル現象なのか・・・。
右手と左手は
どちらも「手」で共通するが
極性の違いと機能の違いを持つ。
でも、どちらも自分である。
手と足は形態も機能も異なるが
どちらも自分のものである。
一ケの素粒子から出来た
この宇宙に在る我われは、
「一にして全であり」
「全にして一」も同様なのである。
「あなた」と「わたし」の違いは
「手」と「足」ほどの
違いもないのかもしれない。
それは、
「自意識」というのは、
宇宙に一つであって、
「あなた」も「わたし」もない、
ということに繋がるのか。
何となく、
解りかけてきたが、
まだ、神との関係性や
マルチユニバースや
多次元宇宙については
思考半ばである。
(-_-) ワカラン…
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公認心理師国資の
出題基準案という学会の検討書に
目を通したら16の大項目にわたり、
数百の小項目を含む
けっこうな広範囲であった。
無論プロだし、
学生にも講義してきた立場だから
殆んどは既知内容だが、
若干、専門外の
行政や法規、地域援助などについては
アラ還の手習いをしなくてはならない。
今更・・・とも、
思わないこともないが、
この仕事に就いた時には、
「一生勉強の道だよ」
という師の戒めと
その覚悟をしたのだから、
やるっきゃない、だろう。
でも、どうせなら、
「人生、深生き」だから、
楽しく、嬉しく、面白く、
また、有り難く、
世と人のお役に立つ為に、
やらせて頂こうかのう。
ϵ(◎⊼◎)϶
路上の分離帯に、
ススキとアワダチソウが
並び咲き、晩秋にかかる
季節の移ろいを感じさせた。
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書斎のPCの前には
尊崇する師・碧水先生の
春先の「すすき」の直筆歌がある。
全19巻の歌集『土』の
一冊の見開きにだけ、
著者の直筆の歌が
毛筆で認められたのを見つけ、
驚喜したものである。
かつて、
四万四千もの歌から
二百種ほど精選し、
世と人のお役に立つようにと、
『たましいの処方箋』という
一冊を編んで
ご家族様のご承諾を得て、
出版させて頂いたことがある。
その折、
きっと、そのことを
先生が喜んで下さって、
一冊の中に、褒美として
直筆歌を忍ばせて下さったのでは・・・と、
勝手に想像して悦に入っていた。
碧水先生は、
ご自分の書道のお師匠様から、
自分が書いた手本がどっちか判らない、
と言われるほどの能書家でもあり、
尚更、その直筆は有り難く
価値があると思っている。
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昨日は、
コーディネーターの先生がお休みで、
珍しく、一人も予約生徒がいなく、
丸々時間が空いていたので、
ノートに、今、思考実験中の
アイディアを何頁か書いて、
理論が立ち上がってこないか
思案していた。
これまで到達してきた、
「人間中心原理」的な事象の見方と
「宇宙中心原理」的な事象の見方から
敷衍して、今は、
宇宙の一切は「唯在るのみ」なのか
「そこに意味はあるのか」という
「唯在論」と「悉意論」「脱価値論」という
魂理学造語を拵えて、思考している。
また、宇宙が一ケの素粒子から
ビッグバン、インフレーションによって
現在の膨大多様な元素や物質、
エネルギーを持つに至った事と、
一ケの単細胞生物一種から
37兆ケもの多細胞生物である人間や
多様な種にまで進化した事、
あるいは、一ケの受精卵から37兆ケまでの
個体に至る発生過程で
多様な形態・機能の組織・器官へと
分化した事のこれらのアナロジーは、
フラクタル現象なのか・・・。
右手と左手は
どちらも「手」で共通するが
極性の違いと機能の違いを持つ。
でも、どちらも自分である。
手と足は形態も機能も異なるが
どちらも自分のものである。
一ケの素粒子から出来た
この宇宙に在る我われは、
「一にして全であり」
「全にして一」も同様なのである。
「あなた」と「わたし」の違いは
「手」と「足」ほどの
違いもないのかもしれない。
それは、
「自意識」というのは、
宇宙に一つであって、
「あなた」も「わたし」もない、
ということに繋がるのか。
何となく、
解りかけてきたが、
まだ、神との関係性や
マルチユニバースや
多次元宇宙については
思考半ばである。
(-_-) ワカラン…
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公認心理師国資の
出題基準案という学会の検討書に
目を通したら16の大項目にわたり、
数百の小項目を含む
けっこうな広範囲であった。
無論プロだし、
学生にも講義してきた立場だから
殆んどは既知内容だが、
若干、専門外の
行政や法規、地域援助などについては
アラ還の手習いをしなくてはならない。
今更・・・とも、
思わないこともないが、
この仕事に就いた時には、
「一生勉強の道だよ」
という師の戒めと
その覚悟をしたのだから、
やるっきゃない、だろう。
でも、どうせなら、
「人生、深生き」だから、
楽しく、嬉しく、面白く、
また、有り難く、
世と人のお役に立つ為に、
やらせて頂こうかのう。
ϵ(◎⊼◎)϶