『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

後礼

2016-10-21 08:38:00 | 趣味
先週の横浜での
「百回茶事」に
正客としての
お招きに対する礼状を
出そうと思っていたら、
先に、庵主から礼状が届いてしまった。

茶事に招かれた場合は、
正式には前礼として
前日に訪問し礼を述べ、
後礼として、また
茶事後に訪問して礼をするのを
正式としているが、
忙しい現代では、
しだいにそれは簡略化されている
ようである。

でも、礼状は怠るべからず
礼式ではある。



「百回茶事」の〆に相応しく、
古風にも巻紙に毛筆で
季節の歌から始まり、
実直な礼文が認められていた。




楷書体で打ち出した
「茶会記」は細々と
懐石の献立から
香の銘に至るまで
記されている。

かつては、
自分も茶事を催すたびに、
こういう会記を作っていたが、
彼がそれをきちんと
引き継いでくれて
百回も続けたということに
感服するばかりである。

さっそく、
返礼を認め
投函した。

年末に学会で
青森に来るというので、
また、再会の機会があるやもしれぬ。

その時は、
前回同様に、
多可橋の懐石と茶で
持て成そうと思う。




未だ長旅の疲れが残っているのか、
寒気のせいで布団が冷えているせいか、
どうも、熟睡感がなく
夢ばかり見ている。

ユンギャンで
夢分析の専門家なので、
時折は、夢を記録して、
現状の問題点への打開案を
無意識からのメッセージに探ろうと
自らも分析している。

京都で教育分析を受けていた
4年間には、毎日、夢日記を付けて
分析家の先生と一緒に
それを心理分析の素材としていた。

この教育分析を全く受けていない
心理カウンセラーが沢山いるが、
自分の無意識や心理構造に
メスを入れずして、
どうして人の心が解るだろうかと
危なかしく感じている。

医師の基礎学習に解剖学があるのは、
実際に人間の体と向き合ってみて、
それを腑分けし、切り刻んでいくことで、
はじめて教科書では得られない
3D的な構造を知覚・体得できるのである。

然すれば、
目の前に老若男女、
または外人異人の類が座れども、
その体の構造が手に取るように
解るというものである。

これと同様のことが、
心理臨床家に於ける、
自己分析の必要性なのである。

人には人種差、文化差、生育歴差に
依存しない基礎的な気質、心性がある。

それを自分の心を
いわば解剖体の心臓と同じく見て、
メスを入れて、どこがどうなっているのか
痛みを伴いながらも
自己了解しながら腑分けし
切り刻んでいくのである。

この表層意識の陰、奥には、
こんな欲動や自己保存欲が
潜んでいるとか、
誰かを殺して亡き者にしたい、
という謀殺願望があるとか・・・
「シャドウ」と言われる部位にも
無影灯で照らし出しメスを入れるのである。

そうすると、
脳溢血で倒れ歩行障害が出て
リハビリさせられている病老母なぞ、
世間的にはお気の毒な「お年寄り」で、
ご身内は、さぞかし大変でしょうね、
と世間的な同情をしてくれるのだが、
カミさんやオバさんらには
「ほんまに、あん時、
死んどいてくれたら・・・と思ったわ」
とか、
「我がままで、介護していて
イライラして、首締めたろか、って思ったわ」
と笑いもって話せるのである。

そういうシャドウや「心の鬼」を
言語化できない真面目な家族が
熱心に介護しているうちに過労で
精神的な視野狭窄に陥って
身内に手をかけるということが
頻出している。




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研修会・講演会・演奏会

2016-10-20 05:23:00 | 仕事
毎日の臨床の傍ら、
アラ還になっても
未だに勉強を欠かせない。

新しい研究発表の
ジャーナル(学会誌)やら
ニュースレターから発展した
読物誌も隔月くらいに届くので
それらに目を通し、尚且つ、
数年後に始まる国家試験の準備も
しなくてはならない。



クライエントの方で
60才を過ぎてからでも
介護福祉士を取っている方も
おられるので、
見習って頑張らなくては
と思うのだが、
認知症の進んできた
「要介護4」の病老母も抱えており、
てぇーへんだったら、ありゃしない(笑)。

チュドーン! (/_;)/  




臨床の合間に、
昨日は、K高で先生方の
教育相談研修会の講師をした。

これはサイコ・セラピスト(心理療法家)の
三本柱の「臨床・教育・研究」の
「教育」活動に当る。

35年間も、
教師とカウンセラーという
二つの立場で、
教育現場におらしてもろたのやから、
そこで体得・蓄積した
教育相談や生徒理解の
ノウハウやスキルは
やはり後進に伝える義務がある。

自宅での教育分析でも、
これまで現場の先生方に、
ずいぶんと「心理臨床の知」を
伝えてきたつもりである。

三本柱の「研究」は、
研究機関でなく在野にある身なので、
報告義務がないだけ楽であるが、
それでも、怠慢に陥らぬよう、
毎年、二冊のブックレット(冊子)を
書くというノルマを自己に課して、
どうにかここ十年は
やり遂げている。

これからも、
病老母の介護と
『復興支援リサイタル』の練習と、
依頼コンサートと講演をこなしつつ、
興味あるいくつかのテーマを追求して
一書に纏め上げていくつもりである。

こんなんで、
受験勉強なんて
できるんやろか・・・?

~~~(ノ゜⊿゜)ノ アァ…  




部活や人間関係の悩みで
カウンセリングに来ていた
2年生のJCが
学年で2番だというので、
福高への進学を奨めた。

明るく可愛い子で、
話をすると聡明なのがよく解り、
進学先があやふやだったので、
福高に絞るように説いた。

これまで、
教員・カウンセラーになってから、
いずれも偏差値50以下の
高校ばかり巡ってきたので、
久しぶりに中学生に
65以上の子が来ると、
あ~、そういう世界があったんやなぁ・・・と、
忘れていた。

***

福高の同窓会資料を見たら、
今年三月の卒業生(現役)の
国公立合格者数が160人台になり、
過去2年の140人台、120人台より
幾分、回復基調にあるようだ。

それでも、かつての
180人台には及ばないのは
どうしたことだろう。

募集定員は、
年度毎に変動は
ないはずなのだが。

男女共学化して、
かつては福女に行っていた女子も
福高に来るようになって、
レベルが上がったと聴いたのだが、
ならば180人台に復活しても
良さそうなものだが。

高校入試の偏差値は、
相変わらず「68」のトップだが、
それでも、仙台二高の「71」には
3ポイントも負けており、
大学合格者の実数でも
水をあけられている。

***

昨年、新設された校舎から
女子生徒の飛び降りがあった
と報道され、
その後、亡くなったと聞いたが、
痛ましい事件だった故にか、
学校関係者どうしでも
緘口令が敷かれているのか、
情報が断片的にしか入ってこない。

このような由々しき大事件に対して、
きちんとケース・スタディがなされて、
病理の根源が明確化され、
教職員で共通理解、再発防止の
自助努力がなされているのか、
知人たちを見ていると、
いささか懸念を抱かざるを得ない。

「法令を遵守し、良好な職場環境をつくり
教職員一人一人が当事者意識を持って
不祥事根絶に取り組みます」
というスローガンは結構なのだが、
もっと、生徒たち向けて
「目かけ。声かけ。心かけ」の
真剣な「三かけ」をしてもらいたい、
と、アラ還卒業生は
願わずにはいられない。





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京散策

2016-10-19 08:18:00 | 風景
今日は、午後からK高で
先生方の教育相談研修会があり、
朝から泥縄のレジュメを作っている。

K高の校長は
福高の1,2年の同級生で、
気安くはあるのだが、
逆に、昔を知っているだけに
偉そうなことは言えんなぁ・・・とも、
やりにくさを感じてもいる。

まあ、それでも、
いつもの自分らしく
専門家としての考えで
リードすればいいか、
とも思っている。




先日の京都散策では、
烏丸丸太町で地下鉄を降りて、
御所内にある神泉苑の
厳島神社内をひとりで
散策しつつ教え子たちとの
待ち合わせの岡崎に向かった。






教え子の
オカリン・ツーラという
二人と京都散策を何度か
している。

ツーラはわざわざ、
この日のために、
嫁ぎ先の山口から
来てくれた。

二人とも
一度は前の前の家である
吉倉にも泊まりに来てくれ、
裏磐梯やらにも
連れて行ったことがある。

今回は、
泉涌寺塔頭の
雲龍院という未訪の寺に
出かけてみた。

座敷には
左から、椿、灯篭、紅葉、松が
眺められるポジションがあった。




こういう砂の箒目も
いかにも京都らしい
風情である。


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表彰さる

2016-10-18 07:46:00 | 仕事
先日の北工の
創立40周年記念式で、
SCとして勤続20年の
功労賞を頂いた。

学校の歴史の
半分にあたり、
自分より古い人間は
誰一人いない。

この間、校長は
9人ほど代わった。



来賓には
地元選出の国会議員も招かれ、
福女・福大院出身の
金子恵美さんが、
目が合うとニッコリ
微笑んで下さったが、
面識はないので、向こうが
知っているのか…と、
訝しく思った。

カミさんと仲良しの
同僚の先生の親友であるというので、
何処かで、噂が
伝わっているのかもしれない。



アラ還にして
頂いた感謝状は、
これと、コスキンの
五年連続出場のものだけ、
って・・・(笑)、
私の人生って何?・・・と、
考えてしまった。

   ┐(´ー`)┌  

記念品の袋も
一緒に頂いたが、
水戸黄門の越後屋のように
饅頭の下に小判は
敷き詰められてはおらず(笑)、
生徒たちが共同で製作した
クリスタルの書鎮であった。

これも、
我が勤めの
一里塚のようなものに
見えた。



40周年記念誌には、
世界一になった2014年の
ロボ・プログラム大会や
2015年に高校生として初めて
総理大臣賞を受賞した記念フォトが
載っていた。

何しろ、県下一の規模の
工業高校なので、
甲子園出場をはじめ
数々の全国大会出場歴があり、
その卒業生たちの活躍も
華々しい。

式典の帰りに、
「佐々木先生」
と呼び止められ、
かつてご父兄として
カウンセリグを受けておられた先生が
いま校長先生になられて
式典に来賓として招かれ、
「その節は大変お世話になりました。
 夫婦とも、ほんとうに助かりました。
 この度は、おめでとうございました」
とお祝いを述べて頂いた。

碧水先生のお歌を
ふたたび噛みしめるように
味わってみた。

  みつとめの奉仕淡々と
   出来るだけ淡々と
    われにつづけ得しめ給へ





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古殿コンサート

2016-10-17 07:55:00 | ギター
きのうは
初めて古殿を訪れ
コンサートに招かれてきた。

家から90kmもあり
棚倉よりもやや遠い処だった。

それでも
最高の秋晴れで、
会場のクラフトハウスの
前庭は鮮やかな樹林に囲まれて
何の邪魔もないパーソナル・スカイが
青々と頭上に拡がり
別天地のような風景であった。




我が家にも古楽器工房があるので、
木材とウッドクラフトの工具に囲まれた
天井の高い、広い作業工房は
音響もよくギターにも奏者にも
心地よい音環境であった。

京都でのミニコンのソロと
ほぼ同様のプログラムだったので、
気安く楽しく演奏ができた。

工房を主催するご家族と
生徒さんたち十数名の聴衆であったが、
深く音楽を聴いて下さっているのが
肌を通して解ったので、
いつにない熱演であった。

中学校のAETをしている
アメリカ人のニール君も来てくれて、
彼のために英語でも楽曲紹介をしたが、
あとで、日本語ペラペラだと分かり、
なーんだ、と笑い合った。

彼にも、
素晴らしかったと喜んでもらえ、
その昔、白河中央中のAETで
若く美人だったカナダ人の
ジェイミーのために
ギターを聞かせたときに
「Amazing!」
と言われたのを思い出した。




工房を主催する先生から
是非、リュートを聞かせてほしい、
というご依頼だったので、
リュートのオリジナル曲でもある
17世紀の『グリーン・スリーヴス』を
演奏した。

これは、今年の『復興支援リサイタル』とは
別バージョンのミハエル・シェッファー版である。

みなさんリュートを見るのも
聴くのも初めてということで、
かそけき、ゆかしい音に
シンと聞き入っておられた。

木工クラフト教室だけあって、
演奏後にみなさんリュートを
手にとってその軽さ、華奢な作りに
驚かれていた。

***

アラビア発祥のこの楽器は、
今も、ウードという
似た楽器として残っているが、
元々「ウッド」と同じく「木」という
意味であり、それにラテン語系の
定冠詞である「ラ」が付いて、
「ラ・ウード」「ラゥト」
「リュート」になったと言われている。

ニール君には、
これは「The wood」という名の
楽器だと説明したら納得していた。

この8コース・ルネッサンス・リュートは
わずか700gの重量で、
みなさん手にとってみられて、
そのあまりの軽さにも驚かれていた。




最期は、京都の時と同じく、
フラメンコ・スタイルでの
『コーヒー・ルンバ』。

エンディングに
「オーレッ!」
と声を掛けてくださいね、
とお願いしていたが、
奏者の渾身の
「ヘーイッ!」
に気圧されて、
みなさん沈黙のままで、
その後、笑いになった。

***

午前11時から半までの
ミニコンだったので、
その後、広い前庭で
BBQ大会となり、
久しぶりに戸外で歓談を交えての
楽しい食事となった。

大学を卒業して
37年ぶりに同級生の
ハツミちゃんと再会し、
今、退職して
これも同級生のダンナの
マサミッチと古殿に住んで、
木工教室に通っているという。

長らく近況話やら
懐古話で盛り上がって
ほんとうに楽しい時間を
過ごさせて頂いた。

彼女は、大学時代から美人で、
文化センターでのコンサートにも
来てくれたことがあり、
来年5/28の『復興支援リサイタル』にも
「行くからね」と言ってくれた。


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