毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
「復興支援リサイタル」の
実行委員にもなって頂いている
M先生の接骨院にポスターとチラシを
お願いしてきた。
そして、
大きくなったパイナップルを
はじめて見せてもらって
感激した。
通院していた頃は、
アロエの葉っぱか
とばかり思っていたが、
実はパイナップルだった。
2011年の震災前に
食した実の頭を植えて
根付いたというから
驚きである。
拳ニケほどの大きさだが、
それは見事にパイナップルである。
背景に満開のサクラがあり、
青々としたパインが
デーンと活かっているのは、
摩訶不思議なインスタ映えする
光景である。
ハイビスカスの鉢も
育てておられるので、
その花と並べたら
「ハイサーイ!
メンソーレ!」
と南国沖縄になるのでは(笑)。
いっそ、
パインとハイビスカスを増やして
『メンソーレ接骨院』としたら
話題性があって
ローカルテレビが
やってくるのでは(笑)。
今でも、
十分に地元紙に
採りあげられても
おかしくないくらいの
話題性がある。
「震災を生き延びたパイナップル。
今、沖縄の風が吹く接骨院」
という見出しが
思い浮かぶ。
毎春恒例の
城山“ひとり観桜会”に
出かけてみた。
至る処、満開、満開で
見事な花の山と化していた。
文句のつけようがない
サクラの脇役のように
傾斜地にはひっそりと
フグリとツクシが群れをなしていた。
満開の桜に
すっかりお株を奪われて
ちょっぴり気の毒に思ったが、
「あんたらも立派な春の役者やで」
と心で語りかけて
バイプレーヤーに見入った。
城山では
新しいフキノトウ群生地を見つけ、
ちょっと急傾斜地だったが、
十分に用心しながら
野生児の頃に戻って
「ワイルドだぜ」
と言いながら斜面を下りた。
あいにくと
食用に適した
開花前の蕾はなかったが、
観賞用に三株ほど採取してきた。
近所の小倉寺観音に
出かけてみた。
ここは、
ベンチがあるので
第三野外練習場になっている。
桜が満開だった。
枝垂れ桜の桃色が
吉野桜の薄桃色に
勝っていた。
練習で何度も訪れているのに、
ポツンと斜めっている
石仏に初めて気づいた。
周囲一面が
花々に囲まれているので、
かえってその侘びた石像の
たたずまいが
味わい深く感じられた。
南面の傾斜地には
フキノトウが咲き、
目を凝らして見ると
開花前の新芽も
いくつか発見できた。
少し登って
竹林に入ってみたら、
『グリーン・デスティニー』の
決闘シーンを思い起こした。
青々とした竹林の中に
真っ赤な椿が咲いていて、
その対比効果が
「和の美」の極致を思わせた。
故郷にいて、
京都を感じさす
風景でもあった。
暇をもてあまし気味の
春休みである。
やること、
やらねばならぬ事は
多々あるのだが、
「忙」も「忘」も
「心を亡くす」ので、
「多忙は多忘に通ず」
とのセルフ・コンセプトを
座右の銘にしている。
「老師は泰然自若と在る可(べし)」
を貫こうと
「ワンデイ・ワンシング」
と決め込み、
時々刻々の「深生き」を味わっている。
毎春、恒例の
びっき沼探訪に出かけた。
家から車で20分ほどの処に
この世の春を
天上界のように見せてくれる
夢のような空間がある。
原発事故以前は、
都会人が将来移住したい県の
堂々の第1位だったのは、
こういう自然が
住まいの近郊にあるからである。
そして、四季がはっきりしており、
山の幸、海の幸に恵まれ、
温泉、スキー場、海水浴場も
数多くあるレジャーに事欠かない
「ハッピー・アイランド(福の島)」
だったからである。
水芭蕉は八部の開花で、
ちょうど見ごろだった。
春休みの平日ともあり、
この大自然の見事な景色を
他に誰もいない
ひとりで満喫できた。
沼をひと回り歩いたが、
これほど楽しい散歩もない。
さまざまな方角から
絵のようなパノラマ風景を
愛でることができるのだから。
聴こえてくるのは
沼にそそぐ
細い渓流からの
せせらぎの音。
そして、
時折、思い出したように鳴く
鳥たちの声。
あとは
静寂のなかに響く
わが歩みの音のみ。
なんだか、ふと
喧騒な現世界から
極楽浄土に辿り着いたばかり
のような気分にもなった。
カタクリは
まだ群生地には
芽を出していなかったが、
南向き斜面の一部には
数輪姿を見ることができた。
この季節、
いちばん好きな花。
うつむき、
ひたむきに咲く姿の
なんと愛しいことか。
高貴な紫もいい。
鋭利に尖った
天を指す花端。
その小さな姿に
美が集約している。
フキノトウも
あちこちに群れをなしていた。
その早緑は
春の息吹であり、
命の力そのものである。
我と蕗
命と命
今を生き
瓢水
平成30年度が
始まった。
来年度は途中で
元号が変わりそうなので、
実質、最後の
「平成の御世」である。
二階の寝室の枕元から
寝ながらにして
隣家の桜の花見ができる。
年に一度の
贅沢な時間かもしれない。
まだ八部咲きだが、
ここ数日の間で、
満開、桜吹雪、新緑の葉桜と
楽しめそうだ。
土曜日には、
朝の連ドラ2本が
そろって最終回となった。
『わろてんか』は
今一つの出来だったので、
ブームになるようなことはなかった。
今回は、途中から登場した
「つばき」役の水上京香(22)が
注目を引いた。
まだ、キャリアの浅い女優だが、
ググッてみたら
すでに「水着写真集」やらが
出回っていて、
これからブレイクするかもしれない。
連ドラ常連の「徳永えり」は、
『あまちゃん』での
若い頃の「夏ばあちゃん」役だったことを
今頃知った。
そして、
『梅ちゃん先生』では
友人の弥生役だった。
一年間の
長丁場だった『オクニョ』も
昨晩が最終回だった。
大団円に相応しい
名シーンが数多くあった。
オクニョが
王女として正式に
宮廷内にお輿に乗って
王族の正装で迎えられる場面。
母親を亡くして
失意にある王様を
唯ひとりの身内である
義母妹として慰め
抱擁しあうシーン。
最終回でようやく
極悪非道なオニョン夫婦が
服毒自害するが、
まさか大好きなチョヒまで
刺客にやられて死ぬとは
思ってもいなかった。
美女剣士が
王女の手の中で
「王女さまぁ~」
と苦痛に喘ぎ
白目をむいて死ぬ様は、
(あ゛~!! そんな顔すんのやめてぇ~)
と叫びたくなった。
最後までカッコよく
凛々しくあってほしかった。
やっぱり、
イ・ビョンフン監督の時代劇は
ツボを心得ていて
面白かった。
『宮廷女官チャングムの誓い』(2003年)
『トンイ』(2010年)
『馬医』(2012年)
『オクニョ 運命の女』(2016年)
いずれも傑作で
楽しめた。
春休み中に、
まだ未視聴の
『ホジュン 宮廷医官への道』(1999年)
『商道』(2001年)
『薯童謡』(2005年)
『イ・サン』(2007年・MBC)
などもレンタルで借りて
見てみようかと思った。
今日から新年度である。
四月一日だから
エイプリール・フールか。
「四月馬鹿」とも言うが、
どうも語呂がなぁ・・・(笑)。
キム・ジョンウンが
核放棄を宣言して
南北統一を果たした、
というなら、
ノーベル平和賞対象になるだろうか。
なにせ、
叔父も義母兄も
粛清している。
オリンピックの応援団を見て、
かの国の世間ズレしている様は、
かつてのオウム信者が
サティアンなる施設に篭って
世間から隔絶された環境にあって
世間ズレしていたのに酷似している。
教団が解体されて
施設内で育てられていた
信者の子どもたちが
児相保護になった時、
他児との間で順番を待つとか
相手の気持ちを慮るという
社会的ルールや倫理観が
欠落していたという。
人間にとっての
適切な教育や社会刺激の
必要性というのを
野生児研究と合わせて
考えさせられた。
昨日も街出のついでに
駅で予約切符を受け取ってきた。
6年間の白河通勤時代に、
400回以上も新幹線改札口を
利用していたので、
久しぶりに赴くと
その頃が偲ばれて
懐かしい気持ちになる。
一度だけ、
退勤してきたら
改札口にカミさんと
子どもたち三人が待っていて、
そのまま夕食に出かけた事があるが、
あの時のサプライズと
「あ、おとーさんだー!!」
と見つけて駆け寄ってきた
子どもたちの姿が
今でもいい思い出である。
東口の駅前通りが
レンガ色の舗装に変わっていて
明るくモダンな感じになった。
中合二番館は閉鎖のままで
なんだか幽霊ビルっぽいのは
感心しないが。
毎日、好天に恵まれ
散歩するのも心地よい。
青空に飛行機雲が
きれいなシュプールを描いていた。
最大ズームで
手振れしないように
シャッターを切ったら
案外いい具合に写っていた。
*
今朝、ちょっぴり体重が
リバウンドしていて怪訝に思ったが、
新年度のスタートをいい区切りとして、
節制、節約モードを
もう一段シフトアップしてこかと
胸に期するものがあった。
落語の『唐茄子屋』に
「米の飯とお天道様はついて回るから」
という
道楽が過ぎて勘当された若旦那の
名セリフがある。
その実、
お天道様はついて廻るが
「米の飯」はついて廻らず
フラフラになって死にそうになる。
とんだお笑い話だが、
なぜだか、ふと思い出した。
そっか。
米の飯と水があれば、
生きていけるんだ、
と他愛もない考えが思い浮かんだ。
でも、
宮沢賢治は菜食・小食を貫き、
禁欲を通して早死にしたが、
死に際に
「自然に逆らうものではなかった」
と後悔したという。
やはり、
肉や魚も必須アミノ酸摂取には必要で、
米の飯と漬物だけで暮らしていた
前近代の農民たちが
50代の平均寿命だったというは
賢治と同様に
栄養不良に拠るものだったのだろう。
現代は飽食・美食の時代で
栄養の点では寿命が延びたものの
生活習慣病が跋扈するようになった。
自分の眼底出血も
肥満、脂質異常症、
高コレステロール症に拠るものだった。
患いながら
長生きするのも
なんだかなぁ・・・なので、
やはり健康体をキープするのには
節制、努力が必要だということを
今回、痛感した。
人生の第4楽章に入り、
親父が71歳で亡くなったので、
それに倣えば
「ラスト・デケイド(最後の10年)」
ということになる。
日いちにちを大切に
深く味わって、
雨の日も晴れの日も
楽しく、ありがたく、
生きていきたい。