『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

卒アル

2019-08-16 06:29:00 | 映画
これまでの生涯で
いちばん輝いていた時は
間違いなく中学時代である。

初恋こそ
小一に遡るが、
性に目覚めて異性を意識しだした
思春期の真っ只中は
まさに甘酸っぱいような
胸キュンになるような
純粋な日々だった。

還暦を過ぎて
老いた今だからこそ、
卒業アルバムをめくり、
楽しく想い出に浸れる時間が
持てるのかもしれない。

一頁目の
「母校」全景図からして
いろいろと想い出が蘇り、
ああもあった、
こうもあった・・・と、
記憶がひとりでにそのシーンを
回想させてくれた。

2歳から10歳まで
重症の小児喘息児で、
数十度も入退院をした経歴があるので、
幼い頃から
苦しい息の中で
いつ死んでもいいように
出来るだけ日常のディテールを
よく観て、記憶に留めておこう、
という性癖が身に付いたのだろうと思う。

なので、
記憶力はいい方で、
脳内の長期記憶バンクには、
3歳以降の細々とした断片が
そうとうな情報量としてある。

それらにアクセスするには、
古い写真が必要で、
一枚からでも樹状的拡がりで
〈場面、声、音、臭い〉などが
蘇ってくる。

心理学に携わっての
30年間には、
言語連想法や夢分析を
永らくやってきたので、
〈キーワード〉からも
アクセスが可能で、
その手法を駆使しては
数冊の自分用の『自分史』を
既に書き上げた。

「多忙」は
「多く心を亡ぼす」
ということなので、
人生を振り返る暇がないほど、
今日、現在を生きるのに必死なのは
〈豊かさ〉の対極にある。

“貧乏ヒマなし”
とも言うように、
過去を顧みて味わう余裕がないのは、
ほんとうの意味での
〈貧しさ〉なのかもしれない。

「昔のことを言い出したら、年寄りだ」
とも聞くが、
それは、今現在を良く生きていない者が
過去の栄光を他人に誇示するような
虚しい様を揶揄してのことだろう。

多重人格障害では、
過去を失ってしまうケースが多い。

うちの子らも、
「あん時、どーだった?」
と訊いたりすると
「覚えてない・・・」
と返答することが多く、
つい、(多重人格者かーッ!!)と
ガッカリすることがある。

親のノスタルジックな
感傷気分に一々面倒で
付き合ってらんない、
というのもあるかもしれないが、
もし、ほんとに覚えてないのなら、
彼らにとって「生の蓄積」って
何なんだろう・・・と、思ってしまう。

部活や恋愛での
華々しいエピソードのみが
人生の頁として残るのであれば、
それはツマランのではないか・・・と、
老婆心/老爺心ながら懸念する。



きのうは、
中学の卒アルの
母校図だけで
半時もあれこれ想い出して
楽しめた。

夏休みの、お盆の、
猛暑日の、冷房寝室での
「まったりパスタイム」としては、
これより金のかからない
ボンビー向きインナーレジャーもなかろう(笑)。

ϵ(◎θ◎)ノ☆ フォッ・フォッ・フォッ

もう数十年も前に、
「鉄コン筋クリート」
(鉄筋コンクリート…昭和の洒落)
の校舎になって久しいので、
この木造モルタルの
ボロ校舎で過ごした三年間は
涙ぐましくも懐かしい。

「鉄コン筋クリート」の
清明小だったので、
歩くたんびに床がキチキチ鳴る
“ウグイス張り”(笑)の廊下や、
田舎でしか見たことのない
“ぽっとん便所”は
衝撃的だった。

「1-7」での想い出も
数々あり、半日はそれに
浸ってられそうであった。

試しに、
『自分史』の初稿を繰ってみたら、
その部分には三段組で
10頁も当てられていた。

今の価値観、審美眼で
それをさらに膨らませて
評論を加えていったら
何倍にも増すかもしれない。

半隠居のロンバケには
《過去の自分との対話》は
面白い試みかもしれない。

『自分史』には
卒アルの写真を取り入れてなかったので、
これからスナップを貼り付けて、
新たな記憶をほじくりかえすのも
オモロイかもれしない。

【恋のトポス】と
命名したいような場所も
いくつもあって、
(ここで、Tさんと目が合って恋に落ちたんだぁ・・・)
とか、
(ここに、Kちゃんがいて、恋焦がれて眺めてたんだぁ・・・)
とか、
(ここから、Aさんのブルマ姿に悩殺されたんだぁ・・・)
と、その頃の〈胸キュン感〉が、
ほんのりと蘇ってくる(笑)。

ε= (•̀ .̫ •̀; )

54歳で『愛と死』を書いた
武者小路実篤を
キモチワリーなんて
馬鹿にできひんねぇ・・・(笑)。

(´(ェ)`)



カミさんと
たまたま居間のテレビで視てた
『大失敗選手権』という
クダラナイお笑い番組で、
ローカル・プロレス選手が
あみだしたという
“一直線”なるオリジナル技に
ふたりして腹ぁかかえて大笑いした。

ただ棒状になって
後ろ向きで相手に体当たりするだけの
しょーもない技で、
その弱点が「よけられること」(笑)。

結果、空しくマットや
場外に背面から自滅落下して、
2年間も下半身麻痺になり
引退を考えたという(笑)。

幸い、麻痺も癒え、
現役復帰したが、
“一直線”は
涙を呑んで封印したという(笑)。

奥さんは
父をリスペクトして
プロレス好きの息子たちに
“一直線”だけは教えんといて!
と哀願してるという(笑)。

ほんまに
笑える「大失敗」だった。



BSで初めて
吹き替え版の
『遠すぎた橋』を視た。

レンタル物は
字幕だったので、
なんだか新鮮な感じがした。

ただ、
ショーン・コネリーが
『007』でおなじみの
若山弦蔵じゃなかったのは
ちょいと残念だった。

1977年物なので、
ショーン・コネリーも
レッドフォードも
若々しく精悍であった。

悲惨な結果に終わった
マーケット・ガーデン作戦を描いた秀作で、
WWⅡ物では、マイ・ベスト5に入る。

1 眼下の敵
2 空軍大戦略
3 地上最大の作戦
4 ナバロンの要塞
5 遠すぎた橋



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菓子太り

2019-08-15 05:31:00 | 食物・飲物
お盆で
来られるお客様が
次から次と
菓子折りを持参されるので、
それらを毎朝、
4~5ケずつ朝食代わりに
頂いている。

なので、
今朝の計量では
しっかり太っていた・・・(笑)。

(´δ`;) ハリャ・・・

HbA1c=5.9という
糖尿病の境界値であり、
去年は眼底出血したので、
(減量しないと、死ぬぞーッ!!)
と、もうひとりの自分が
耳元で警告を発しているのだが・・・。

なにせ、
昭和30年代の
世間中が貧しい頃の生まれなので、
頂いた物は全てありがたく頂戴するし、
早く食べないと悪くなる、
というモッタイナイ精神
(というよりか意地汚さ?)で、
懸命に消費している。

お菓子喰い過ぎて死んだら、
何て言うんだろう・・・と、
愚にもつかないことも考えている。

菓死・・・?
オカ死・・・?(笑)

早い話が
“喰い過ぎ”という
最もみっともない死に様である(笑)。



元来、
酒飲みじゃなく甘党なので、
饅頭、ケーキ類でも
何個でも食べれるのだが、
それらは1ケまでと決めている。

ところが、
こういうバラ菓子が
山と積まれると
ついつい自主規制が緩み、
早く片付けねば・・・という
喰い意地が先行する。

そういや、
4月のリサイタルの時も
山のような差し入れ菓子を片付けるのに
1週間以上かかって、
挙句の果てに2kgも
太ったっけ・・・(笑)。

喉元過ぎれば
何とやら、だなぁ・・・(笑)。

ヘヘ・・ (。・´з`・) ゞ

お盆が終わったら、
ちったぁヒモジイ暮らしをせねば、
である。

枕元には
「空腹は最高の健康法」
という張り紙が
虚しく貼ってある(笑)。



映画にもなった
『鎌倉ものがたり』の新刊が
アマゾンから送られてきたので
一気読みした。

もう35巻目にもなると、
いささかマンネリ感、
陳腐感がないでもないが、
ハートウォーミングな
ファンタジーなので、
枯渇気味の日常に
オアシス的な潤いのひと時には
なってくれた。

***

ハルキ物の
『1Q84』(1.800頁)と
その関連書を読了したので、
久しぶりに、
河合先生との対談本に
目を通してみた。

見返しの部分に
過去二回の日付が記してあったので、
そこへ三読目の日付を記した。

過去二回に、
すでにビッシリと赤線やら
蛍光ペンが引かれ、
余白にノート代わりの書き込みが
ミッチリしてあるので、
2000年代のケースや問題も
そのまんま記されていた。

けっこうな情報量のある本なので、
読み返すたびに
新しい気づきが得れるのである。

奇しくも、
7月19日は河合先生の
十二回忌である。

その謦咳に接した師であるので、
対談本のなかで、
久しぶりに、
先生の生きた言葉に
触れたような気がした。

***

アマゾンから
2017年のハルキ本が届いたので、
またまた1.000頁もある長編だが、
今、読み始めている。

オウム事件後に書かれた
『1Q84』はそれなりに面白かったが、
果たして、3.11後に書かれた本作は、
この作家にどのような精神的変化を
もたらしたのか、その辺りも
心理屋としては興味のある処である。



夏休みのひと仕事として、
PC脇にある
サブの本棚の整理をした。

いちおう
再読に値する本のみを並べ、
必要ないと断じたものは
学校図書館に寄贈することにした。

これまでも、
何校ものカウンセリング室に
不要となった書籍類を
何百冊か寄贈してきた。

かつて、
京都から引き上げてきた時に、
ものすごい数の書籍の詰まった
ダンボールを見て、
引越し手伝いに来てくれた亡父が、
安普請の借家では床が抜けるやも・・・
というので、わざわざ実家の庭に
四畳半ほどの特大物置小屋を
設置してくれたことがある。

あまりの広さに
保育園児だったフミが
「フミ、ここに住むかなぁ・・・」
と言った(笑)。

おかげで、
そこをミニ図書館代わりに
することができた。

漫画だけでも
ダンボール10箱以上あったが(笑)、
生物学、心理学、教育学、
宗教学、音楽学、楽譜、
美術書、小説類・・・と、
多ジャンルの書籍類だった。

ビテオ、カセット、CD、LP類も
ひと部屋を占領するくらいあった。

いずれも、
自分の素養を創りあげてきた
インプット素材だが、
それらに拠り、
アウトプット物である
著書類、講演音源、演奏音源も
この20年で増えてきた。

読んで、視聴して、
書いて、話して、弾いて、
録って残してきた・・・。

なんだか、
そんな人生だったんだなぁ・・・と、
手持ちの物たちから感じられた。


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子ら帰省す

2019-08-14 06:21:00 | 食物・飲物
今朝方4時頃、
突如として庭先から
ハザード・クラクションが連呼し
驚いて目が覚めて覗いてみたら、
フミのレクサスが
警笛音を鳴らしながら
車内灯を点滅させていた。

近所迷惑になるなぁ・・・と、
懸念しながらハラハラしてたら
30秒ほどで止んでくれた。

まさか誰かが盗もうと
揺らしたわけでもあるまいに、
何の誤動作なのか・・・
時たま、近所でも
この手の警笛音が鳴り響き
怪訝に思うこともあった。

大学時代には、
先輩のシーマを譲ってもらって、
今度はレクサスを中古で買って、
よほど高級大型車が
好きなのだろうか。



ナツのラパンが
名前のとおり
「仔ウサギ」みたいに
可愛く見えるのが
可笑しくもある。

バン・タイプのレクサスは
カミさんの大型車アウトランダーよりも
更に一回り大きいので驚いた。

それに比べたら
とーちゃんのムーヴも
ラパン同様
「ハツカねずみ」同然である(笑)。



前の家で、
カウンセリング室内に
ピアノがあったので、
クライエントの青年が
「ちょっと、弾いてもいいですか?」
と言って、
いきなりショパンの『革命』を
バラバラ弾きだしたので
魂消たことがあった。

あまりに
見事な腕前に惚れ惚れしたが、
超ムズそうなので
楽譜を見る気にもなれないでいたが、
今なら少しは歯が立つかも・・・と、
読譜してみた。

そしたら、
案の定、出だしの
印象的な下降パッセージは
「4音+4音」の繰り返しで、
指換えなしで「4指」ずつで弾けるので
2つのパターンを覚えて
繋げていけばいい構造になっていた。

ピアノの連続パッセージには
そういう構造が多々あって、
『エリーゼ』の最後にも
そのようなAmのパッセージが出てくる。

ギターには、
そういうのは少なく、
32音弾くのに
全部運指が違うというのもある。

もっとも、
その場合でも、
「4+4+4・・・」と
クラスター状に分解して
覚えていくのだが。

ピアノは、
バイエルやチェルニーといった
系統だったレッスンを受けたことがなく
まったくの独学なので、
『革命』のような
両手のパッセージを取り出しては
エチュード(練習曲)にしているが、
この曲そのものが、
ショパンの『12のエチュード』である。

『別れの歌』も
昔やったことがある。

プレリュード15番の
『雨だれ』は、
以前、ギターでリサイタルでやったので、
オリジナルのピアノでも
さらってみたいとは思っている。



初めて泊まりに来られた
フミのパートナーさんを歓迎して
ディナーをこしらえた。

夏休みで
一日中ヒマなので、
朝からぽつぽつ玉子を焼いたり、
インゲンを茹でたり、
寝かしてあるソースを漉したり・・・と、
休憩を挟みながら
一日“おもてなし”の準備を進めた。

フレンチでは
下ごしらえのことを
「ミザンプラス」と言うが、
一皿に描くべく素材を完成させておいて
お出しする直前にそれらを
プレートにドレッセする。

スペアリヴを赤ワインで
2時間ほどオーヴンで煮込んだ物を
メインとした。

トロトロとなる前の
ホロホロの状態で火入れを止め、
カットしても崩れない程度に留めた。

これには、
スーパーの焼き芋を裏漉しして
バターと生クリームを加えた
スイート・ポテトを合わせてみた。

都度サーヴィスの手間を省いて、
ポワソン(魚料理)は
「マナガツオのポワレ」を
ミニ・プレートにして沿えた。

アキのお友だち三人組に始まって
ナツ、フミ・・・と、
三日連続の
フレンチ振る舞いである。

“息子孝行”の
とーちゃんだなぁ・・・(笑)。

゚゚(´□`。)°゚




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お墓参り

2019-08-13 06:13:00 | 生活

きのうは
朝6時から
避暑と混雑回避で
墓参に出かけた。

ふだんは
信仰心のなさげな
《パートタイム宗教》の
カミさんだが、
墓参りだけはご執心で(笑)、
彼岸とお盆には決まって
連れ出される。

自分は、
毎朝晩に、ご神前、ご霊前で
ご祈念を欠かさず、
四六時中「神/霊/死/魂」について
考えているオタッキーな
《フルタイム宗教》なので、
別段、墓参りなんぞ
どーでもいいと思っている。

なので、
夫婦で相補的で、
バランスが取れてるのかもしれない。

「お花」も
二つで三千円もしたもので
「エーッ!!」
と驚かずにいられなかった。

ボンビーで
ケチクソな自分なら、
「【貧者の一灯】だいッ!」
と嘯いて、
庭の花々か、野の花々を摘んで
供えるに決まっている(笑)。

カミさんは、
きっと、幼い頃の
息子たち三人を、それこそ
目の中に入れても痛くないほどに
“孫可愛いがり”してくれた
亡父への思慕と感謝の気持ちが
あるのかもれしない。



墓は信夫山の中腹にあるので、
最近設置された手すりを頼っても
急勾配で怖いような感じである。

老母も
脳溢血で倒れる前の
80歳くらいまでは、
カミさんに手を引かれて
墓参に出かけていた。

叔父、叔母たちも
今や、皆80を越しており、
本家でもある我が家の
墓を参るのは
容易ではなくなってきた
と思われる。

お山には
ムクゲとススキが
共に咲き、
晩夏と初秋とが
遭い見るように感じられた。

帰参時には
上り路が渋滞しだしたので、
迂回して旧・緑ケ丘女子高側に
下りた。

新卒後、
生物の新任教師として、
念願の女子高に
赴任した頃を思い起こした。

苦労もあったが、
20代の青年教師時代の
甘酸っぱいような
“女の園”での思い出も
貴重な人生の財産である。

別棟にあった
合宿所/調理室で
食物科の実習ランチ後に、
この坂を同僚と駄弁を弄しながら
職員室に向かったものである。



きのうは、
アキと入れ替わりに、
ナツとフミが
そろって帰省してきた。

息子ラバーの
カミさんは
いつになく上機嫌である。

とーちゃんに出来るのは、
家庭料理かフレンチくらいなので、
昨晩も「ラグー・ド・ブッフ」
(牛の煮込み)を作った。

連日、振る舞い料理として
アスピック(ゼリー寄せ)やら、
パナシェ(盛り合わせ)を作ってるが、
自作して“ぼっち飯”してるよりかは
食べ手の反応があるのは、
創り手/パフォーマーとしての
やり甲斐が感じられていい。

なんだか、
同じプレートを
連日使い回してると
そのことに飽きてきて、
新しい「額縁」としての
斬新な物が欲しくなってきて、
ヤフオクやアマゾンで
物色しはじめた。

この欲求は、
「正情正欲」なのか、
「我唯知足」に反することなのか・・・
思案する自分もある。



読書の楽しみの一つとして、
読後に他者のレヴューや解説と
自分の思いとを
比較してみることがある。

最近では、
アマゾンの書評が
手っ取り早い。

2009年のベストセラーともなった
大著『1Q84』のレヴューともなると
千のオーダーにもなって、
全部を読み切れるものでもなく、
こういう場合は主として
「最悪」評価に目を通して
批判のポイントに着目することにしている。

中には愚にもつかない
低次元の感情的、恣意的な
ツイッター的な垂れ流しも多く、
そんなものは読むに値しない。

その点、
市販された評論には
建設的な批判が少なくない。

アマゾンのレヴューで
参考になるのは、
星分布である。

その場合、必ずしも
正規分布がよいわけではなく、
データ数が多い場合、
星の多い方に偏よってるのが
「良書」である確率が高いのは当然だが、
全体に万遍なく分布してるのは
「問題作」と看做すこともできると
考えている。

『1Q84』のレヴューは、
星5つ・・・36%
星4つ・・・25%
星3つ・・・18%
星2つ・・・13%
星1つ・・・8%
なので、
それぞれを
最定数の8で割って
簡易グラフ化すると、
****+
***+
**+
*+

となる。

標本数は
1000以上なので
信憑性のある偏り
とは言える。

単に「よく売れた」という
指標だけでなく
概ね良好なコスパであったことが
伺われる。

この結果に異議はなく、
ま、そんな処だろうな・・・
と思わないでもなかった。

プロ評論家の
「世界的文学とは判じ難いが、
概ねエンタメとしては佳作である」
にも同意できる。

分析心理屋としては、
世間の悪辣な罵詈雑言に
興味がないでもない・・・(笑)。

曰く・・・
(要点を編集/一部改竄有り)

「沢山の布石が放り出されたまま
物語が終わったのでモヤモヤ感が残りました」

「論理的な整合性をムラカミ・ワールドに
求めるのはナンセンスなのかもしれないが、
それにしても、メチャクチャ過ぎる」

「作品の中に、
『物語として面白く読者を牽引することができれば、
謎のままであっても作者の怠慢ではない』
と確信犯的に語らせて開き直っている」

「相変わらずのナルっぽい文体、エロ・シーン、
クラシックやらのぺダンティックな引用・・・と、
辟易させられる」

「こんな作品の作家がノーベル賞候補だなんて信じ難い。
何故、こうもムラカミ・ワールドが世に受け入れられるのか、
そっちの方がミステリアスだと思う」

「醜い外見の悪人が、殊更に惨たらしく殺されるシーンを
詳述しているのは、なんだか、差別主義っぽいものを感じた」

「永年の村上ファンだが、この作品に限っては、
これまでに見られてきた深みが皆無で、
ラノベ作家に転向したのかと唖然とした」

「恋愛の心理や描写が下手なのに、
売らんかなで煽って書かせた編集者にも罪がある。
そんなことだから出版不況の負のスパイラルに陥るのだし、
作家を堕落させるのだ」

***

毎年のように
ノーベル賞候補と騒がれ、
「ハルキスト」なるコアなファンが
世界中に居るという
ムラカミ・ワールドを
この夏休みの課題として
もすこし探ってみようと
旧作品やエッセイ類を
古書店で買ってきた。

河合先生との対談本も
もいちど目を通してみようかと
思っている。

河合先生曰く
「ほんとのミステリーとは、
解決を提示するものではなく、
不可解なまま終焉するものではないか・・・」
というのは、
なんだか「怪談」の定義じみていて、
ナルホドとも思わされたことがある。

ともかく、
読んでオモロかった・・・では、
分析心理学のプロではないので、
ユンギャンのコンテクストに沿って
論理的整合性を探り
言語化・アウトプットしていく
トレーニング素材としたい
とは思っている。

(ーωー).oO ウーン…







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ワンデイ合宿?

2019-08-12 06:03:00 | 食物・飲物
おとついの深夜に
アキが大学時代の
テニス部仲間三人を連れて
帰ってきた。

十六沼公園で
存分にテニスをやってきたらしく、
みなテニスウェア姿で
よく日に焼けていた。

夜には
カミさんが対応したらしいが、
ふと思いついて、
豪華な朝食を振舞ってやろうと
朝からブログ書きを中断して
ダイニング・キッチンに立った。

夏休みに入って、
毎日、「おうちフレンチ」を創って
カミさんにも振舞ったりしてたので、
四人前作るのも
造作もないことである。

前日にたまたま
仕込んでいた
「牛のテリーヌ(ゼリー寄せ)」を
四等分しメインとした。

付け合せには、
既製品のポテサラに
クリームチーズを合わせて
濃厚味にし、既製品のチキンサラダに
レモンオリーヴ・オイルをかけて
風味付けをした。

それを、
セルクル(丸型)に入れて
型抜きすると
フレンチっぽく見える(笑)。

ズッキーニは
グリルパンで網目に焼いて、
これには高価な
マカデミアナッツ・オイルで
フレーバーを加えた。

裏庭からは
バジルの若葉を
摘まんできて添え、
仕上げにピンク・ペッパーを
アクセントと風味付けに。

いつもは、
自分用の一人前か
カミさんとの二人前なので
クイズィーヌ(料理)を創作してる気分だが、
これが、四人前を盛り付けるとなると、、
(なんだか、ベント屋になったような気分だなぁ・・・)
と可笑しくなった(笑)。



アフタヌーン・ティー用の三段プレートには
サンドイッチ、ピザ、チーズパンに
裏庭の黒スグリ、バジル、ミニ胡瓜を添えた。

夏野菜のソテーを
シルバー・オーバルに盛り、
グラスには冷え冷えのガスパッチョ。

デセールには
バナナに赤砂糖を乗せて
バーナーで焦がし、
オレンジ・エッセンスと
キャラメル・パウダーを振った
「バナーヌ・ブリュレ」を
作ってやった。

テニスウェア姿で起きてきた一同は
目を丸くして
「すんげぇーッ!!
 こんなん喰ったことない…」
と素直に驚いてくれて、
スマホをとりに寝床に戻って、
インスタ用に撮っていた(笑)。

味も佳かったらしく、
「美味しいッ!」
「すんげぇー!」
「バナナ、うんめー!」
「フクシマ、めっちゃイイー!」
と満足してくれて
ご馳走のし甲斐があった。

カミさんは、
目玉焼きとトーストでいいかと
考えていたようだ(笑)。

でも、
これに味をしめて、
毎年、一日合宿に来られたら
どーしよー・・・
サーヴィスし過ぎたかしらん・・・
と思わないでもなかったが、
さすがに、全員社会人で
三人ともそれぞれ菓子折りを
土産に持参してくれて
礼儀正しかった。

ま、年に一回くらいなら
いっか・・・である。



きのうは
「ソータ祭り」だった。

午前中のNHK杯(録画)では
坂口六段に快勝したが、
午後からのライヴ「JT杯」では
三浦九段に惜敗した。

聞けば、
三浦九段は
師匠の盟友らしく
ソータも幼い頃に
ずいぶん学んだらしい。

なので、
甥っ子みたいで
可愛いという。

しかし、
A級在位18年、
タイトルも取った棋士なので
さすがに強かった。

JT杯は、
タイトル・ホルダーと
賞金ランキング12位以内の棋士だけが
参加できるという、
トップ棋士どうしの早指し戦である。

前季、ソータは
朝日杯と新人王戦で優勝し、
その他の棋戦でも勝ち進んで、
総額一千万を超えている。

他のジャンルでも
プロといえども
高一の子が
稼げる額ではない。

NHK杯では、
解説の井上九段が
ソータの指し手に
「これは、プロの手ですねぇ・・・」
とか
「ほう。そう指すもんなんですか・・・。
 巧いことになってるなぁ・・・」
「これは凄い手だねぇ。
 これで決まりましたね・・・」
と感心することしきりだった。

師匠格の九段のベテランを
唸らせるプロ中のプロなのである。

きのうのソータ・ファッションは、
NHK杯では、
珍しいクレリック・シャツに
ピンドット・タイで、
JT杯では、
初めての着物姿だった。

どちらも
凛々しい少年棋士姿であった。

今月は、
あと三局あるので、
その日を指折り数えて
楽しみにしている。




きのうは
久しぶりに薄曇りで
日が差さなかったので、
アイスベルトを首に巻き
リュックを背負って散歩に出た。

近所の庭先から
ノウゼンカズラが
今年も鮮やかな色を見せていた。

ウィキに拠れば、
漢字では「凌霄花」と書き、
学名は「Campsis grandiflora」
(カンプシス・グランディフローラ」、
英語では「トランペット・フラワー」と
呼ばれるそうだ。

同じ庭には
へクソカズラも咲いていたが、
毎度のことながら、
「屁糞」という汚名をつけた
命名者はあまりにも酷い。
(オオイヌノフグリもそうだが…)

学名の「Paederia scandens」
(パエデリア・スカンデンス)
の方がまだマシだが、
「好かんでんす・・・」
というのは
ジョージ秋山の
『浮浪雲』のセリフみたいだ(笑)。

***

扇風機の近くに
従姉妹のミキティからもらった
室内風鈴を置いてみて
自然の風と同じく
1/fにランダムに鳴るような
距離と場所を選定してみた。

ステレオから鳴る
BGMのリュート音楽に交じって、
時折、チリンと鳴るのは
なかなか佳い風情である。

***

朝フレンチの付け合せ用にと
裏庭から「赤ちゃん胡瓜」を
幾本か採集したが、
手付かずで残ったので、
そのまま味わった。

料亭のお造りのツマなどにも
時折見かける未生り物だが、
やっぱり作物はしっかり
成長させてから収穫したいものではある。

でも、残酷な人間は、
「仔豚」だの「仔羊」「仔牛」を
柔らかくクセがないと言っては
好んで食するものである。

***

毎日出勤しているカミさんに言われて、
はじめて連休と知り、
ブックオフ/ツタヤともに
20%オフセール日なので
古書の「ハルキ物」(村上春樹)を
幾冊か仕入れてきた。

全3巻1.800頁もの
長編『1Q84』を
やっと読了したので、
これから、その関連書の
『1Q84をどう読むか』という
35人もの識者の解説書を読んでみる。

読後の素直な感想としては、
いろいろと伏線もどきを出しておきながら
何も絵解き、謎解きをせずに
読者に丸投げされてるなぁ・・・
という感じだった。

その辺りに不満が感じられていないのか、
これから、アマゾンのレヴューでも
眺めてみようとは思う。





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