これまでの生涯で
いちばん輝いていた時は
間違いなく中学時代である。
初恋こそ
小一に遡るが、
性に目覚めて異性を意識しだした
思春期の真っ只中は
まさに甘酸っぱいような
胸キュンになるような
純粋な日々だった。
還暦を過ぎて
老いた今だからこそ、
卒業アルバムをめくり、
楽しく想い出に浸れる時間が
持てるのかもしれない。
一頁目の
「母校」全景図からして
いろいろと想い出が蘇り、
ああもあった、
こうもあった・・・と、
記憶がひとりでにそのシーンを
回想させてくれた。
2歳から10歳まで
重症の小児喘息児で、
数十度も入退院をした経歴があるので、
幼い頃から
苦しい息の中で
いつ死んでもいいように
出来るだけ日常のディテールを
よく観て、記憶に留めておこう、
という性癖が身に付いたのだろうと思う。
なので、
記憶力はいい方で、
脳内の長期記憶バンクには、
3歳以降の細々とした断片が
そうとうな情報量としてある。
それらにアクセスするには、
古い写真が必要で、
一枚からでも樹状的拡がりで
〈場面、声、音、臭い〉などが
蘇ってくる。
心理学に携わっての
30年間には、
言語連想法や夢分析を
永らくやってきたので、
〈キーワード〉からも
アクセスが可能で、
その手法を駆使しては
数冊の自分用の『自分史』を
既に書き上げた。
「多忙」は
「多く心を亡ぼす」
ということなので、
人生を振り返る暇がないほど、
今日、現在を生きるのに必死なのは
〈豊かさ〉の対極にある。
“貧乏ヒマなし”
とも言うように、
過去を顧みて味わう余裕がないのは、
ほんとうの意味での
〈貧しさ〉なのかもしれない。
「昔のことを言い出したら、年寄りだ」
とも聞くが、
それは、今現在を良く生きていない者が
過去の栄光を他人に誇示するような
虚しい様を揶揄してのことだろう。
多重人格障害では、
過去を失ってしまうケースが多い。
うちの子らも、
「あん時、どーだった?」
と訊いたりすると
「覚えてない・・・」
と返答することが多く、
つい、(多重人格者かーッ!!)と
ガッカリすることがある。
親のノスタルジックな
感傷気分に一々面倒で
付き合ってらんない、
というのもあるかもしれないが、
もし、ほんとに覚えてないのなら、
彼らにとって「生の蓄積」って
何なんだろう・・・と、思ってしまう。
部活や恋愛での
華々しいエピソードのみが
人生の頁として残るのであれば、
それはツマランのではないか・・・と、
老婆心/老爺心ながら懸念する。
きのうは、
中学の卒アルの
母校図だけで
半時もあれこれ想い出して
楽しめた。
夏休みの、お盆の、
猛暑日の、冷房寝室での
「まったりパスタイム」としては、
これより金のかからない
ボンビー向きインナーレジャーもなかろう(笑)。
ϵ(◎θ◎)ノ☆ フォッ・フォッ・フォッ
もう数十年も前に、
「鉄コン筋クリート」
(鉄筋コンクリート…昭和の洒落)
の校舎になって久しいので、
この木造モルタルの
ボロ校舎で過ごした三年間は
涙ぐましくも懐かしい。
「鉄コン筋クリート」の
清明小だったので、
歩くたんびに床がキチキチ鳴る
“ウグイス張り”(笑)の廊下や、
田舎でしか見たことのない
“ぽっとん便所”は
衝撃的だった。
「1-7」での想い出も
数々あり、半日はそれに
浸ってられそうであった。
試しに、
『自分史』の初稿を繰ってみたら、
その部分には三段組で
10頁も当てられていた。
今の価値観、審美眼で
それをさらに膨らませて
評論を加えていったら
何倍にも増すかもしれない。
半隠居のロンバケには
《過去の自分との対話》は
面白い試みかもしれない。
『自分史』には
卒アルの写真を取り入れてなかったので、
これからスナップを貼り付けて、
新たな記憶をほじくりかえすのも
オモロイかもれしない。
【恋のトポス】と
命名したいような場所も
いくつもあって、
(ここで、Tさんと目が合って恋に落ちたんだぁ・・・)
とか、
(ここに、Kちゃんがいて、恋焦がれて眺めてたんだぁ・・・)
とか、
(ここから、Aさんのブルマ姿に悩殺されたんだぁ・・・)
と、その頃の〈胸キュン感〉が、
ほんのりと蘇ってくる(笑)。
ε= (•̀ .̫ •̀; )
54歳で『愛と死』を書いた
武者小路実篤を
キモチワリーなんて
馬鹿にできひんねぇ・・・(笑)。
(´(ェ)`)
カミさんと
たまたま居間のテレビで視てた
『大失敗選手権』という
クダラナイお笑い番組で、
ローカル・プロレス選手が
あみだしたという
“一直線”なるオリジナル技に
ふたりして腹ぁかかえて大笑いした。
ただ棒状になって
後ろ向きで相手に体当たりするだけの
しょーもない技で、
その弱点が「よけられること」(笑)。
結果、空しくマットや
場外に背面から自滅落下して、
2年間も下半身麻痺になり
引退を考えたという(笑)。
幸い、麻痺も癒え、
現役復帰したが、
“一直線”は
涙を呑んで封印したという(笑)。
奥さんは
父をリスペクトして
プロレス好きの息子たちに
“一直線”だけは教えんといて!
と哀願してるという(笑)。
ほんまに
笑える「大失敗」だった。
BSで初めて
吹き替え版の
『遠すぎた橋』を視た。
レンタル物は
字幕だったので、
なんだか新鮮な感じがした。
ただ、
ショーン・コネリーが
『007』でおなじみの
若山弦蔵じゃなかったのは
ちょいと残念だった。
1977年物なので、
ショーン・コネリーも
レッドフォードも
若々しく精悍であった。
悲惨な結果に終わった
マーケット・ガーデン作戦を描いた秀作で、
WWⅡ物では、マイ・ベスト5に入る。
1 眼下の敵
2 空軍大戦略
3 地上最大の作戦
4 ナバロンの要塞
5 遠すぎた橋
いちばん輝いていた時は
間違いなく中学時代である。
初恋こそ
小一に遡るが、
性に目覚めて異性を意識しだした
思春期の真っ只中は
まさに甘酸っぱいような
胸キュンになるような
純粋な日々だった。
還暦を過ぎて
老いた今だからこそ、
卒業アルバムをめくり、
楽しく想い出に浸れる時間が
持てるのかもしれない。
一頁目の
「母校」全景図からして
いろいろと想い出が蘇り、
ああもあった、
こうもあった・・・と、
記憶がひとりでにそのシーンを
回想させてくれた。
2歳から10歳まで
重症の小児喘息児で、
数十度も入退院をした経歴があるので、
幼い頃から
苦しい息の中で
いつ死んでもいいように
出来るだけ日常のディテールを
よく観て、記憶に留めておこう、
という性癖が身に付いたのだろうと思う。
なので、
記憶力はいい方で、
脳内の長期記憶バンクには、
3歳以降の細々とした断片が
そうとうな情報量としてある。
それらにアクセスするには、
古い写真が必要で、
一枚からでも樹状的拡がりで
〈場面、声、音、臭い〉などが
蘇ってくる。
心理学に携わっての
30年間には、
言語連想法や夢分析を
永らくやってきたので、
〈キーワード〉からも
アクセスが可能で、
その手法を駆使しては
数冊の自分用の『自分史』を
既に書き上げた。
「多忙」は
「多く心を亡ぼす」
ということなので、
人生を振り返る暇がないほど、
今日、現在を生きるのに必死なのは
〈豊かさ〉の対極にある。
“貧乏ヒマなし”
とも言うように、
過去を顧みて味わう余裕がないのは、
ほんとうの意味での
〈貧しさ〉なのかもしれない。
「昔のことを言い出したら、年寄りだ」
とも聞くが、
それは、今現在を良く生きていない者が
過去の栄光を他人に誇示するような
虚しい様を揶揄してのことだろう。
多重人格障害では、
過去を失ってしまうケースが多い。
うちの子らも、
「あん時、どーだった?」
と訊いたりすると
「覚えてない・・・」
と返答することが多く、
つい、(多重人格者かーッ!!)と
ガッカリすることがある。
親のノスタルジックな
感傷気分に一々面倒で
付き合ってらんない、
というのもあるかもしれないが、
もし、ほんとに覚えてないのなら、
彼らにとって「生の蓄積」って
何なんだろう・・・と、思ってしまう。
部活や恋愛での
華々しいエピソードのみが
人生の頁として残るのであれば、
それはツマランのではないか・・・と、
老婆心/老爺心ながら懸念する。
きのうは、
中学の卒アルの
母校図だけで
半時もあれこれ想い出して
楽しめた。
夏休みの、お盆の、
猛暑日の、冷房寝室での
「まったりパスタイム」としては、
これより金のかからない
ボンビー向きインナーレジャーもなかろう(笑)。
ϵ(◎θ◎)ノ☆ フォッ・フォッ・フォッ
もう数十年も前に、
「鉄コン筋クリート」
(鉄筋コンクリート…昭和の洒落)
の校舎になって久しいので、
この木造モルタルの
ボロ校舎で過ごした三年間は
涙ぐましくも懐かしい。
「鉄コン筋クリート」の
清明小だったので、
歩くたんびに床がキチキチ鳴る
“ウグイス張り”(笑)の廊下や、
田舎でしか見たことのない
“ぽっとん便所”は
衝撃的だった。
「1-7」での想い出も
数々あり、半日はそれに
浸ってられそうであった。
試しに、
『自分史』の初稿を繰ってみたら、
その部分には三段組で
10頁も当てられていた。
今の価値観、審美眼で
それをさらに膨らませて
評論を加えていったら
何倍にも増すかもしれない。
半隠居のロンバケには
《過去の自分との対話》は
面白い試みかもしれない。
『自分史』には
卒アルの写真を取り入れてなかったので、
これからスナップを貼り付けて、
新たな記憶をほじくりかえすのも
オモロイかもれしない。
【恋のトポス】と
命名したいような場所も
いくつもあって、
(ここで、Tさんと目が合って恋に落ちたんだぁ・・・)
とか、
(ここに、Kちゃんがいて、恋焦がれて眺めてたんだぁ・・・)
とか、
(ここから、Aさんのブルマ姿に悩殺されたんだぁ・・・)
と、その頃の〈胸キュン感〉が、
ほんのりと蘇ってくる(笑)。
ε= (•̀ .̫ •̀; )
54歳で『愛と死』を書いた
武者小路実篤を
キモチワリーなんて
馬鹿にできひんねぇ・・・(笑)。
(´(ェ)`)
カミさんと
たまたま居間のテレビで視てた
『大失敗選手権』という
クダラナイお笑い番組で、
ローカル・プロレス選手が
あみだしたという
“一直線”なるオリジナル技に
ふたりして腹ぁかかえて大笑いした。
ただ棒状になって
後ろ向きで相手に体当たりするだけの
しょーもない技で、
その弱点が「よけられること」(笑)。
結果、空しくマットや
場外に背面から自滅落下して、
2年間も下半身麻痺になり
引退を考えたという(笑)。
幸い、麻痺も癒え、
現役復帰したが、
“一直線”は
涙を呑んで封印したという(笑)。
奥さんは
父をリスペクトして
プロレス好きの息子たちに
“一直線”だけは教えんといて!
と哀願してるという(笑)。
ほんまに
笑える「大失敗」だった。
BSで初めて
吹き替え版の
『遠すぎた橋』を視た。
レンタル物は
字幕だったので、
なんだか新鮮な感じがした。
ただ、
ショーン・コネリーが
『007』でおなじみの
若山弦蔵じゃなかったのは
ちょいと残念だった。
1977年物なので、
ショーン・コネリーも
レッドフォードも
若々しく精悍であった。
悲惨な結果に終わった
マーケット・ガーデン作戦を描いた秀作で、
WWⅡ物では、マイ・ベスト5に入る。
1 眼下の敵
2 空軍大戦略
3 地上最大の作戦
4 ナバロンの要塞
5 遠すぎた橋