『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

喰えばぁ・・・太るぅ・・・

2019-12-16 06:51:00 | 食物・飲物
『スター・ウォーズ』の
最新作が今日から封切られ、
いよいよ「完結編」になるという。

思えば、
全作、飽きずに
観てきたものである。

噺の時系列が
ハチャメチャなので
見る側も脳内パズルの
整理を強いられるようだが、
要は「勧善懲悪」で
『水戸黄門』とたいして変わりはない(笑)。

メカのスケール感やら
ドッグファイト(空戦)やらが
男の子の“戦闘物”好きを刺激し、
ドロイド類がキュートなのが
オタク心をくすぐるので
ついつい見てしまう。





地上波でも
二週連続『フォースの覚醒』と
『最後のジェダイ』を放映するので
録画予約した。

初期の「C-3PO」の声優は、
たしか、野沢 那智だったと思う。

「R2-D2」の弟分の「BB-8」が、
まるで子どもみたいな演技でカワイイ。

あのコロコロ転がって走る仕掛けも
どうなっているのか興味がある(笑)。





従妹のミキティから
クリスマス・カードが届いた。

スマホが壊れて・・・と聞いてから
フェイスブックへのコメントがなくなり、
寂しく思っていた。

幼い頃から、
ヒロミ、カズエ、ミキの
三人の従妹とは気が合って、
未だに、仲良くしている。

頼んない兄貴分に
見えてるのかもしれないが・・・(笑)。




今日で
二学期の勤務が終わるので、
明日から冬休みになる。

うちでヒッキーしてるのもなんだから、
お昼くらいは
老舗「昭和食堂」巡りでもすべぇかしらん・・・と、
思っていたが、ここんところ、
結婚式やら誕生日やらで
ご馳走つづきだったせいか、
若干超えてしまって、
減量に励まねば
生活習慣病が再発しかねない。

脂質異常症(高脂血症)だし、
脂肪肝だし、慢性腎臓病でもある。

去年は眼底出血して、
後遺症として
ひどい飛蚊症が残った。

そして、今は
坐骨神経痛で治療通いである。

主治医は10㎏痩せりゃ、
数値は改善するんだけど・・・と、
診察のたびに言われる。

ガンバッテ4kg減量したが、
3ケ月でリバウンドした(笑)。

ヘヘ・・ (。・´з`・) ゞ

喰い意地が張ってるので、
仕方なかんべぇ・・・と、
意志薄弱な自分が恨めしい(笑)。

・・・と、言いつつも、
昨日も保原にある
「駅前食堂」という
昭和食堂でお昼にした。

木札への手書きの
達筆でない字は
味があって、
その品書きを眺めてるだけでも
十分に楽しめた。

「ホルモン丼」なんて
どんな姿なのか想像するだけで
楽しくなってくる(笑)。

炒飯皿は、
正統な六角皿だった。

それには、
「唐子(からこ)」「雷紋」に
朱文字の「屋号」と
「電話番号」が記されている。

見慣れない篆書があり、
それを今懸命に調べているが、
まだ判読できずにいる。

「喜」が二つ並んだ
「喜喜」というのは「双喜紋」といって
よく見かける図案だが、
今回のは難解である。

・・・書体つづき、
・・・品書きついでに言うと、
来春で閉店するという
川俣の「月美食堂」は、
80越えのお婆ちゃんが
ひとりで細々と五十数年もやっておられて、
その紙札に書かれた書体が
達筆で素晴らしい(笑)。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大風

2019-12-15 07:19:00 | 風景
昨晩から
大風が吹いて
サッシ窓を揺らしている。

外に出たら、
さぞかし体感温度が
寒かろうと思われる。

冬の日は、
カウチ代わりのベッドで
電気毛布で足元を温くめながら
読書するのが
至福の時間でもある。

そんな時は、
必ずや枕元に
茶・コーヒー・カクテルと
菓子類が並んでいる。

フミの婚礼の無事挙行と
参列のお礼参りに
Tちゃん先生の教会に詣でたら、
お姉様のシーさんとも
久しぶりにお会いでき、
楽しく茶のみ話をさせて頂いた。

マロングラッセと
八女のダックワースを
頂いてきて、
読書の友にした。

いずれも
神饌からの「お下がり」なので
ご神体を頂くつもりで
ありがたく
「祈り薬にせよ」
というみ教えを思い返しながら
頂いた。

そしたら、
深夜に目が覚めて、
何ヶ月も取れなかった耳鳴りが
消えていることに驚いて、
床中でお礼を申し上げた。

「信心して御蔭のあるを
不思議と思うな」
という、金光教祖の
み教えを思い出した。





『小澤征爾×村上春樹』の
音楽対談を面白く読了した。

マーラーの狂気性について
一章が割かれていて、
それに啓発されて
『交響曲第10番』と『嘆きの歌』の
スコアをダウンロードして
プリント・アウトした。




いずれも、
200頁もある大曲なので、
自家製本用の
業務用ステープラーで綴じ、
針の出っ張りをアンビル(金床)と
トンカチで均した。

A3の見開きになるので、
かつて所有していた
ドーバーの大型スコアのように
見やすいのがいい。

この冬休みには、
名立たる交響曲のスコアを
全部作ってやろうと
大量に用紙とインクを買い揃えた。

マーラーの『10番』も『嘆きの歌』も
何度も聴いてきたのに、
複雑な音楽のためか
曲の構造が理解できず、
主旋律もアタマに残らないのを
常々残念に思っていた。

スコアで視覚化して、
キャッチーな旋律や助奏を
ピアノで鳴らしてみて
アナリーゼの勉強を
してみたいと思っている。

さながら、
指揮者がどう曲を解釈するか
という作業にも似ている。

一昨年、
学校一の問題女児が
吹奏部だというので
校内合唱コンクールの指揮者に推薦され、
カウンセリングの時間を毎回、
曲のアナリーゼにあて
ふたりで真剣にスコアを読んで
指揮法を検討したことがあった。

そしたら、
ものの見事に優勝して
「指揮者賞」を受賞し、
卒業式の全校生指揮をする栄誉を得たが、
その間に、また家出をして
けっきょくオジャンになった。

高校も不行状で中退したが、
その後、立ち直って、
支援施設でガンバッているらしい。

その子のなかにあった、
音楽と真剣に向き合う
という姿勢は素晴らしかったし、
それをクラスメイトに指揮でリードし、
全校15クラスの頂点になったというのも、
見事な成功体験であった。

その瞬間は
「真善美聖」の使徒でもあり、
音楽で人を感動させるという
才能には先生方も驚いていた。

でも、持って生れた
「フォース」の暗黒部分に
やられていた感があった。

彼女に対しては、
カウンセラーの手を離れたが、
神谷美恵子先生の言葉を
常々、心に念じている。

たましいのセラピストは・・・

「ひとりの人間の持つ可能性を、
本人自身よりもよく見てとり、
それを固く信じて疑わず、
たとえ外見上どんなにそれに
反するような歩み方をしても、
いつかは本来の道に戻るであろうと、
望み、信じ、待ち続け、
また遠くから『汝の本質に帰れ』と
呼び続ける・・・」

・・・のである。




またまた、
ピアノのスプリング・ジャックの
1ケがヘタッて、
中央の「ミ」が出なくなり、
予備に買ってあった
キックスプリングを嵌めて修理した。

ちっこいバネが
1ケ330円もするので、
いっそのこと、
アマゾンで、90ケ(920円)の
中国製の交換パーツを注文した。

ショパンの
『幻想即興曲』で
激しい打鍵を連日しているためか、
もらい物の50年物のアップライトも
経年劣化で悲鳴をあげているのかもしれない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郷野目産リモンチェッロ

2019-12-14 07:59:00 | 健康

きのうから
坐骨神経痛の治療に
Mセンセん処に通い始めた。

玄関にキレイな
真っ黄っ黄のレモンが
2ケ成っていた。

去年は、
殺虫剤をかけてしまったが、
今年は無農薬で育てたというので、
リモンチェッロ造り用に
1ケ頂いてきた。

考えたら、去年は、
パイナップルの実がなって
頂いてきたので、
雪国のフクシマで
南国の果物を採集できるのは
不思議な気もしないではない。

玄関のミニサンタと一緒に
並べてみたら、
なんだかサンタたちが
巨大なレモンを収穫して
喜んでるような
メルヘンチックにも見えた。




果実の表面を
洗剤でよく洗ってから、
ていねいにゼスト(果皮)を
摩り下ろして、果汁を絞った。

そこにハチミツを加えるので、
何のことはない、
野球部の女子マネージャーが作る(笑)
「ハチミツ・レモン」その物である。

それを40度のウォッカで割って
瓶詰めする。

ゼストが入っているので、
レモンの香りと苦味の効いた
大人向けのストロング・カクテルである。

レモン1ケで、
Mセンセんちの分と
自分ちの分の2本こしらえた。

ゼストの色と香りが完全に
アルコールに滲出されるのには
1週間ほどかかるので、
寝かせているうちに
佳酒になってくる。

少量をストレートでやると、
喉から食道にかけて
チリチリという焼けるような
刺激が楽しめるが、
ほどよくチェイサー(水)で流さないと
逆流性食道炎を招きかねない(笑)。

シュウェップスの
苦味の効いたトニック・ウォーターで
割ってカクテライズすると、
それは高貴な味になる。

リモンチェッロは、
南イタリアの地中海沿岸にある
世界遺産にもなった
景勝地アマルフィの
特産品である。





昭和の時代から
“平成ジャンプ”して(笑)、
令和の時代となったが、
「ショーワ人」としては、
レトロチック趣味を満喫するために
老舗の大衆食堂巡りを
趣味ともしている。

115号線の霊山ICの
ちょい先にある349号線の
保原へ向かう中間あたりに
鄙びた掛田(かけだ)がある。

そこにある
鄙には稀な店の
「桑島食堂」は
未だにラーメンが350円で、
見事な昭和味なので
感激したことがある。

そして、特筆すべきは、
家族経営されているので、
お運びの中年の娘さんによる
サービスのエレガンスは
天下一品なのである。

それもあって、
地元ばかりか
市内在住のファンも多く、
いつ行っても繁盛している。

斜(はす)向かいにある
バス乗り場が
いかにも「停車場(ば)」という風情で、
サツキとメイちゃんが
傘さして立っていそうでもある(笑)。




山合にある掛田では、
採られもしない柿の古木が
あちこちにあり、
それらは常緑樹を背景として、
まるで新美南吉の
『おぢいさんのランプ』の
一場面のようでもある。

帰宅時にツタヤに寄ったら、
新刊の『ゴルゴ』が
平積みになっていて、
初巻から全巻そろえているので
買って帰った。

さいとう・たかを氏も
83歳のご高齢だが、
いまだにゴルゴの顔だけは
自ら担当されており
健筆を振るっているようだ。

1968年からの連載なので、
当時40代とするゴルゴも
リアルタイムなら既に
90代になってるはずで、
『ゴルゴじじい』か
『ゴルゴおとっつぁん』であろう(笑)。

『サザエさん』と同じく、
マンガ独自の時間軸に生きてる
万年中年のスーパー・ヒーローである。

このロング・ランも
あと5巻で、『こち亀』に並ぶ
200巻到達の金字塔を打ち立てる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やまきやダイアリー

2019-12-13 07:48:00 | 風景
きのうは
二学期最後の
山木屋勤務だった。

今年の新任校なので、
まだいくらか緊張感があって、
通勤するのにも
ちょっとワクワク感もある。

教員からカウンセラーに
転職してから
出勤が嫌じゃなくなったから、
つくづく“天職”なのかもしれない。

英語では、
「Calling」と言うらしい。

いったい誰に呼ばれてるのか・・・(笑)。

**

数週間前に、
左足の親指に
トゲが刺さったような違和感があり、
それから、左足がシビレるようになった。

最近では、
PCやカウンセリングで座り仕事していると
オシリ全体が痛くなり、
横になっても両足がビリビリと
シビレるようになった。

カミさんに
「なんだべね・・・」
と、漏らしたら、
「坐骨神経痛だから、
Mセンセんとこに行ってきな」
って、言われて、
朝一で接骨院に行ってきた。

やっぱり、
老化と供に筋肉が落ちてきて、
PCやカウンセリングで10時間も
座り仕事してると
肥満した体重がかかって
オシリ周りの神経を圧迫するようだ。





2学期最後の給食は、
シューマイ2ケに
野菜炒めと
けんちん汁だった。

なんだか、
病院食のような
一食だった。

生徒のひとりが
「僕のに、ウズラの玉子が
入ってないー!!」
と哀しげだったので、
女の先生が
「じゃあ、わたしのあげるから・・・」
ともらっていた(笑)。




5時間目の
音楽の時間には、
筝曲の「さくら」をやる
というので、
うちで練習していたから
飛び入りでアンサンブルに
参加させて頂いた。

女生徒と養護の先生が
主旋律を弾き、
音楽の教頭先生が
カノン風に主旋律で追いかけ、
そこに自分がオブリガード(助奏)を
つけたら、見事なアンサンブルになって
みんなで感激した。

23日に、
音楽の時間に
クリスマス・コンサートをやるというので、
その後は、ハンドベルでの
『アメージング・グレース』にも
即興のコード助奏に
加えさせていただいた。

サマー・コンサートには、
男子生徒三人に『禁じられた遊び』を
3時間ほど教えて、
自分も模範演奏と『コーヒールンバ』で
参加したが、クリコン当日は
出勤日にならなかったので、
参加できず残念に思った。




来週の月曜のK中が
2学期最後の勤務になり、
翌日からは
3週間もの冬休みになる。

来週は、
音楽堂でのスタインウェイ使用日なので、
きのうも体育館のグランド・ピアノで
30分ほど『幻想即興曲』をさらった。

さすがに、
この時季、館内の温度計は
7.7℃だったので、
30分が限界で、
暖かいカウンセリング室に戻ったら
急に鼻水が出だした。

毎週、練習してきたので、
愛用のピアノにも
「ありがとね。
また、来年もよろしくね・・・」
と挨拶してきた。

無人の体育館は
ホールエコーが効き、
ピアノも新品で
ベスト・コンディションなので、
近所なら、毎日でも
練習しに来たいくらいである。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝焼け

2019-12-12 07:54:00 | 風景
 朝まだき
  ゴミ出しに歩む我
   赤々く焼けた空に
    拝ろがみ奉る

           飄 水


きのうが
小春日和だったせいか、
今朝方はほんのり温く
早朝のゴミ出しに
震えることもなかった。

久しぶりに
朝焼けを拝むことができて、
実家を二世帯用に改築して
越してきたばかりの
十数年前を思い出した。




その頃は、まだ、
東側は一面の桑畑で、
遮蔽物が何もなく、
二階の寝室からは
ちょいちょい見事な朝焼けを
拝むことができた。

近所の八幡神社の
杉の大木も立派だったが、
その後、大きくなり過ぎて
半分に切られたのは
哀しかった。

現在では、
桑畑は宅地となり、
まるで都会の密集地のように
隣家がギリギリの処まで
建てられて、この風景も
見られなくなった。

おどろおどろしいような
妖しい朝焼けを
拙著の『怪談奇談』の
表紙にも使ったことがある。

投稿サイトで
1.5万人に読まれた
ホラー短編をまとめたものである。




美大出身という
変わった経歴の女性作家の
『ニュクスの角灯(らんたん)』が
まあまあ面白かったので、
続編を探しに古書店巡りをした。

市内4軒のブックオフには
なくって、万サイ堂もなく、
ブックマーケットでようやく
2冊だけ見つけた。

「100円本」ではなかったので、
2冊で1.600円もした。

6巻で完結なので、
間の4、5巻は仕方なく
アマゾンに注文した。

人気書なのか、
「1円」物がないばかりか、
数千円というプレミアをつけている
古書店まであった。

コミック帯によれば、
ニュクスとは「夜の女神」で、
そのランタンで暗闇を照らし
あらゆる闘いを収めるものだという。

ならば、
こんにちほど、
その女神の登場を願いたいものである。

ついでに、
ウィキでも薀蓄を調べてみた。

神話由来なので、
例によって、神々の名前が
羅列されてアタマん中が
ごちゃごちゃになった。

でも、
これも宗教心理学の勉強なので、
丹念に読んでみた。

ヘーシオドスの『神統記』によれば、
カオスの娘で、エレボス(幽冥)の妹であり、
エレボスとの間にヘーメラー(昼)と
アイテール(上天の清明な大気)、
カローン(地獄の渡し守)をもうけた。

・・・って、無茶苦茶じゃん(笑)。

さらに単独でも
多数の神々を生んだとされるが、
それらは、いずれも
「人間の存在のありよう」についての
概念の神格化、あるいは、
パーソニファイ(人格化)と見られる。

ホメーロスによれば、
ニュクスは、主神ゼウスにさえ
恐れられ尊ばれていた女神だという。

「死」の同義語とも考えられ、
忌まわしいモロス(死の定業/じょうごう/定め)、
死の運命であるケール、
タナトス(死)を生んだ。

また、
ヒュプノス(眠り)、
オネイロス(夢)族を生み、
モーモス(非難)、
オイジュス(苦悩)を生んだとされるのだ、
ほんにオッカナイ女神だ(笑)。。

他にも、
義憤の復讐の女神ネメシス、
アパテー(欺瞞)、
ピロテース(愛欲)、
ゲーラス(老年)、
「争い」の女神エリス(争い)も
ニュクスの子である。

ლ(ʘ▽ʘ)ლ ドンダケー!!

そんでも、
タナトスとヒュプノスは、
心理学用語になっている。

娘のヘーメラー(昼)とは
表裏一体をなす存在で、
ニュクスが世界を巡っている間は
夜になると、ギリシア神話の世界観では
考えたようである。

まだ、最終巻まで
未読の『ニュクスの角灯』だが、
果たして、このニュクス女神の
タナトスティックな象徴内容が
どのような通奏低音になっているのか
よっくと読み解いてみたい。





先日の挙式場で、
専属の女性カメラマンが
やたら滅多とシャッターを切っていたが、
後日、それを専用サイトにアップし、
そこから注文するようになる
とのことだった。

待てど暮らせど、
アップしましたというメールが届かず、
いつになったら見られるのかと、
ヤキモキしている。

カミさんのスマホの画像もあるが、
新婦が「赤眼」化してたり、
ナッちゃんが「への字」口してたりで、
いまひとつの写り栄えだった。

フミが27前の
三歳児の頃に、
「お茶」を遊びでやっていた写真が
PCに取り込んであった。

フミは、
京都、吉倉、清水町と
どの住居でも
お茶室があったので、
「茶の湯」の文化に
物心つく前から触れていた。

アキも吉倉の茶室では
ニ歳頃からお茶を飲ませて、
ススキと団子を飾っての
「月見の宴」なぞも催した。

兄弟三人とも、
お茶とは疎遠にはなったが、
「茶の湯」と「詫び寂び」という
伝統文化と精神性は
幼い頃に刷り込んでおいたので、
彼らの「血の教養」には
なっているはずである。

フミとナッちゃんが、
モデルルームのように
住居をきちんとしている
というのは、あるいは、
「和敬清寂」という
茶の湯の精神が、
何処かにきちんと入ったから
なのかもしれない。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする