毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
皐月の柔らかな陽が
ツツジを目映いばかりに
光り輝かせている。
半田沼では
珍しいオレンジ色の花を見た。
草藪に目を凝らすと
可憐なフデリンドウが
ひっそりと咲いていた。
K中のカウンセリング室が
一階から四階に移動してから、
まだ3回しか勤務していないが、
行くたびに
何かしら室内装飾品を
搬入している。
きのうは
ナッちゃんが置いていった
ドライ・プラントと
自作の『いろはうた』を
搬入した。
点景が変わるだけで、
雰囲気も変わるものである。
休日に、
100均で買い集めた
箱庭用の動物類を使って
試作してみた。
考えもせずに
テキトーに造ったが、
分析的に見れば、
河によって二分された世界を
山上の教会を目指して
河を渡っている車に
自分がいるような気がした。
右側の草原には
花が咲き、
動物たちが
気持ちよさげに
くつろいでいる。
河畔のホテル群? は、
どこかリゾート風である。
コロナ禍の気疲れで
このような解放された世界と
救われたい気分を
現わしているのかもしれない。
退勤路で空地を通ったので、
アスパラが生えてないか
観てみたら、
3本伸びてたので、
根本から摘んできた。
夕餉の菜にしようと思ったが、
切り口から水が滴るほどの
新鮮さだったので、
玄関室礼の竹籠に
庭の桜桃と活けてみた。
それに合わせるべく色紙を
あれこれ探してみたら
去年、模倣して書いた
副島 種臣の形臨が
なんだかよく合った。
その幾何学的な
独特の書は
絵画的でもあり
オモシロイ。
「野は烟霞(えんか)の色に富み、
天は花柳の春を縦(ほしいまま)にす」
と読む。
「帰雲飛雨」
という作品は
奇抜なグルグル文字が
躍動感あふれて
これまたオモシロイ(笑)。
副島は
明治の外務卿で、
その名を有名にしたのが、
マリア・ルス号事件(1872)である。
横浜に停泊中のペルー船
マリア・ルス号内で
奴隷扱いを受けていた
清国人231人をめぐり国際裁判となって、
周囲が弱腰になる中、
副島ただ一人が厳然として闘い
人道主義と日本の主権独立を貫いて
勝訴した。
明治天皇に学問を講じるほどに
学識もあったが、
「出る杭は打たれる」で
周囲の嫉妬を買い
辞職しようとした時、
天皇から直に遺留を求められ
思い留まったという。
副島の清貧な暮らしぶりを
気の毒に思った天皇が
恩賜金を授けようとしたら
「名君は万人に平等であらねば」
とこれを辞退したというから、
男気あふれる
高潔な人柄が
天皇をも魅了したという。
近代書家の嚆矢で、
その芸術性の高さから
副島にも影響を与えたのが
中林 梧竹である。
その奇抜な書は
梧竹自身が
「100年後に理解される」
と語ったという。
副島・梧竹ともに
佐賀の「がばい」人間である。
日曜のきのう、
カミさんと何処かに
お昼をしに行こうかと
候補地を探して、
久しぶりに民家園隣にある
茶店風の『室石』に
赴いてみた。
子どもたちが
幼い頃に
さんざん遊んだ
アスレチック公園を突き抜け、
新緑の並木通りを歩いて
店に向かったが、
なんと、廃屋然として
閉店していた。
思えば、
子どもたちが幼い頃に
来て以来なので、
その間に、とっくに
潰れたのかもれしない。
『食べログ』には
そんな閉店情報は
載っていなかった。
仕方なく、
これも子どもたちが
幼い頃に訪ねて来、
民家園をのぞいて見た。
一昨年だったか、
クマが出たという
ニュースもあったので、
入口の管理人さんに
「クマは大丈夫ですか?」
と訊いてみたら、
「今んとこ、大丈夫です」
とのことだった(笑)。
そしたら、入ってすぐに、
カミさんが
「熊がいそう!」
と言うので、
驚いてその方向を見たら、
なんと
「クマガイソウ」
の群生があった(笑)。
見事に、
ピッタリと語呂が
合って、
シンクロニシティックで
笑えてしまった。
竹やぶには
採り頃の筍が
地面から顔を出してたが、
さすがに管理人室から
目が届く処だったので、
手だし出来なかった(笑)。
バンブーシュート・ハンターの
トーチャンは、もう、
採りたくって
ムズムズした(笑)。
池の傍には
アヤメがきれいに
咲きそろって
いかにも古民家の風情に
合っていた。
むかし訪れた時は、
なーんだ、つまんねー・・・と、
ちっとバカにして
どーせ・・・と、
高を括っていたが、
実際に再訪してみると、
見所がたくさんあって
驚いた。
元々、自然林の処に
移築したので、
自然の草花が多種あって、
植物ハカセのカミさんにも
分からない花があって、
帰宅後に図鑑で調べていた。
自然林を借景にした
日本庭園は
京都チックでもあり、
金沢チックでもあった。
また、古民家が
三棟見通せる位置に立つと
まるでタイムスリップしたか、
時代劇のセットに迷い込んだような
不思議な気分も味わえた。
茅葺屋根の商人宿は
新緑の楓を透かして見た一角が
まるで慈照寺「銀閣寺」のような
シルエットを見せていた。
連ドラ『エール』でも、
ハーモニカの発表会のロケで
使われたという
むかしの舞台は
内部を観覧できた。
カミさんは、
タイトルは忘れたらしいが
『なんたら・・・』
っていう映画でも
ここが使われたのを
見た事がある、と言っていた。
昼食は近くの
『リトルくん太郎』で済ませ、
『ささき牧場』に
苺ソフトを食べて立ち寄った。
フレッシュ苺で創る
粒々の入った
酸味のあるアイスは
なかなか佳かった。
ついでに、
市内で唯一の
ワサビ田から採れる
本山葵を150円という
廉価で買ってきた。
これを鮫皮のおろし器で
円を描がくように
ネットリと擦りおろし
真鯛の燻製、
酢平目、漬け平目、
炙り平目、煮穴子などと
合わせてみた。
お酒がよく進み、
♪ ジーチャン
さーけのんで
酔っぱらって
ひっくり返った ♫
休日のきのう、
カミさんが
どっかに行きたいというので、
ほんじゃ、ま、気になってた
「東和道の駅」にある中華店の
『大榮餃子房』にでも
行ってみっぺか・・・と、
開店の11時に到着するように
navi頼りで出かけてみた。
途中からは
自分が10年間通勤していた
小野高への通勤路と気付いて
naviも不要になった。
道の駅内の中華店は
珍しいが、
ラーメンもチャーハンも
ドライヴイン並のものだった。
『食べログ』で
画像で見た時には
小籠包のような餃子に
食指が動かされたが、
味がイマイチのもので
見た目だけのものだった。
道の駅にあった
周辺観光案内で、
「クマガイソウ祭り」が
ちょうど時季に当たっていたので、
初めて「羽山の里」という処まで
足を延ばしてみた。
目的のもの以外で、
偶然に価値あるものを見つけるのを
「セレンディピティ(serendipity)」
というが、
今回も、まさに、
そんな感じであった。
水原で見た群生とは
また違った趣きがあって
よかった。
先日の
半田沼で偶然見つけた
シラネアオイの群生のように、
今回も花好きの
カミさんが「持ってる」
ツキみたいなものも感じた。
水原の群生で
その名の由来は知ったが、
ここにも同じ説明書きがあった。
筆墨で書かれてたので
「字体」の勉強になり、
書家の癖や工夫を
分析的に鑑賞して
楽しむことも出来た。
帰宅後には、
さっそく形臨してみた。
そして、
ネットにあった
王 義之の字体で書かれた
『般若心経』をプリントアウトして
これから、作品創りの
手本にしようと思った。
先日の震度6の
大余震で壊れた姿見鏡の
木枠だけ残ったので、
そこに般若心経を書いて
額装してK中のカウンセリング室に
飾ろうと計画している。
きのうは
『オフィス8』の書道具コーナーに
「全紙」版の用紙を買いに行ったら
置いてなくって、
仕方がないので、
障子紙を貼り合わせて
作ろうと思っている。
これまで、
Y中のキャビネットに飾っていた
ドールやウサギの親子を
K中の箱庭ツール用にしようと
撤収してきた。
きょうは、
箱庭に用いる樹木類を
ダイソー製品で作れないか
その素材を探しに行こう
と思っている。
******* ******* *******
YouTubeで
お気に入りの
通称『ヨビノリ』
(予備校のノリで物理・数学)
を、暇を見ては視聴している。
先日は、
『量子力学入門』の
2時間半の講義を聞いて、
いろいろと新たな気付きを得た。
勉強になったのは、
ミクロ・レベルの
量子の不思議な振る舞いが
そのままマクロ・レベルの
実体の現実とは直接つながらない
可能性もあるということだった。
それでも、
実験で証明されている
数々の量子の不思議な振る舞いは
この世界を別視点から
ファンタジックに
見せてくれるものである。
量子特有の「重ね合わせ」や
「エンタングルメント(もつれ)」
なぞの現象について
ノート上で思考実験していると、
「意識」の不思議さにも
時折、腑に落ちるような仮説が
思い浮かぶ。
その一つが、
「焦点化(focusing)」問題である。
意識も視界も
focusingしている限り、
同時に二つを処理できない。
一つの事を考えている時に
別な事は考えられないし、
一ケ所を凝視している時に、
他の所を視認することはできない。
これを自意識まで敷衍すると、
「宇宙・世界・意識を
ワンネス(一つのもの)」
と仮定すると、
「今、自分を意識している時」には、
『不確定性原理』のように
「他の誰の<自意識>」も
経験することは出来ないのでは、
という気がした。
それと、
例外はあるが、
何故、我々は「前世」の記憶を
失うのか…という命題は、
「現世」をより直接的、明確的に
体験・意識化するための
仕様なのではないか・・・と。
そして、また、
「有意味性」の成立には、
音楽では時間的、
絵画では空間的な
「差異性」と「関係性」
が必要であり、
それらは、すべて
意識の「今ここで」という
焦点化が必要なのだという、
当たり前のような事を
再認識させられた。
この「自意識」は、
自分の脳が電気生理的に
発生させている現象である、
と脳科学は説明するが、
深淵なインド哲学
「不二一元論」
(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)
では、唯一の「実在するもの」の
実相というように説いており、
それはそれで説得力がある。
その根源的な存在である
「自意識」は、
実は文化によっては
「神」や「宇宙そのもの」
とされるものであり、
始まりもなく終わりもない、
まさに「永遠性」を持つ「存在」で、
よって、現世のコロナ禍如きで
脅かされるものではない、
というのである。
これを端的に
【実在するものは脅かされない】
としている。
きのうの
フクシマは
県内で過去最高の
71人の感染者が出た。
市内は12人で、
そのうち11人は
ショーパブでの
クラスターだという。
やっぱ飲み屋は
クラスター源になる
というのを
印象付けられた。
それにしても、
ワクチン接種が遅れに遅れ、
変異株の勢力と感染スピードに
完全に遅れを取って
各地で医療崩壊直前に
陥っている。
行政の失策、
日本の危機管理システムの不備
としか言いようがない。
戦後75年の「平和ボケ」
という指摘もあるが、
たしかに、リスク・マネジメントが
こうも脆弱だとは
思ってもいなかった。
コロナ感染への
一次不安だけでなく、
いつワクチンが打てるのかという
二次不安まであり、
メンタルが弱く
HSP気質の人間には
過大な心的負荷になっている。
先週のさる調査では、
中学生の4人に一人が
「死にたい」
と一度は考えたという
驚くべき報告を聞いた。
実際の勤務校では、
それほどの切迫した実感はない。
それでも、
3.11の時もそうだったが、
発達障害系の子どもたちは、
非日常的な状況には
適応しがたく、
不安やストレスを増幅させる
というのは見ているので、
コロナ禍でも
同様の事は起きていそうである。
それと、
ゲーム依存症も
増えている事だろう。
なんにせよ、
サイコ・セラピストとして
推奨するのは、
こんな時こそ
「自然に帰れ」
と声を大にして
言いたいものである。
ルソーの箴言に
【自然から遠ざかると病が近づいてくる】
というのがある。
至言名言である。
室内に引き籠ってばかりいて
陽光を浴びず、
緑を目にせず、
風に吹かれずいると、
精神の停留・腐敗に
つながりかねない。
ゲーム頼り、
SNS頼りでは、
脳も心身も活性化されない。
「うつ病」持ちで
ペシミスト(悲観主義者)の
自分に対しても、
「山の緑を見よ。
海の青を見よ。
雲の白を見よ。
野の黄を見よ」
と自然に触れさせるべく
セルフ・オーダーしている。
オフ日の昨日。
ドライヴがてら、
ついでに古物店にも寄り、
新しいテーブルウェアを
2点350円で購入してきた。
純白で縁に彫りの入った
メインプレートには
ビレロイ・ボッホの
深皿を合わせて
コンソメスープを注いでみた。
なかなか
シンプルにして
エレガントに見えた。
ターコイスのメインプレートには
同系色の小皿を合わせ、
『プティ・ロティ・プーレ』
をドレッセしてみた。
大玉村の大型スーパー
「PLANT 5」まで、
レモンオリーヴ油を
買いに出たついでに、
近所の直売場周辺にあった
『たまちゃん』という食事処で
またまたカツ丼をやってきた(笑)。
先月からの
マイブームで
9丼目である(笑)。
ʅ(-"-;)ʃ アーア
ドライヴインっぽい店で
厨房内は全員が前掛け姿の
おばちゃんだったので、
味は期待できなかったが、
やっぱし、ガツンがない
「そこはかとなし系」だった(笑)。
でも、
デザートの
「あずきソフト」は
なめらかで秀逸だった。
フミの奥さんであり、
リク坊のお母さんであり、
義娘でもある
ミカちゃんから、
カミさんへの誕プレが届いた。
開けてみたら、
なんと貴腐ワイン・セットで、
ワイン愛好家のとーちゃんが
いちばん喜んだ(笑)。
ドイッチャー・ヴァインの
最高級である
「トロッケン・べーレン・アウスレーゼ」は
京都時代に一度しか
飲んだことがない。
貴腐ブドウから
作られるレアもので
高価である。
カビ付けによって
限界まで水分を抜いて
糖度を高めた干しブドウから
滴(しずく)を絞り出すので、
畑によっては、
ひと瓶の貴腐ワインは
50本近いブドウの樹から
摘まれた果実が必要になる。
その手間も
ハンパなくかかるので、
それゆえの希少価値がある。
卑近な喩えで言えば、
「呑むダイヤモンド」
なのである。
そして、
「貴腐ワイン」の
代名詞ともされるのが、
フランスのソーテルヌ産の
ものである。
『シャトー・ギロー』は
かつてやったことがあるが、
そのセカンドの
『プティ・ギロー』は
初めてである。
ソーテルヌの最高峰は
「シャトー・ディケム」だが、
王室晩餐会やサミット級会合で
振る舞われるという
ステータスである。
それも、
一度だけ京都で
飲んだことがある。
酒屋の若旦那ショーちゃんと
仲良しになり、
ふたりで毎日のように
ワイン談義をしていた
30年前だったが、
その頃で並ヴァンタージュで
3.6万くらいだった。
今なら、
10万近いだろう。
「世界三大貴腐」の
もう一つは、
ハンガリーの
『トーカイ・エッセンシア』で、
これも京都時代に
飲んでみた。
これも、やっぱり、
「呑むダイヤモンド」だった。
自分の
カミさんへの
誕プレはケーキと
手作りオードブルだった。
モッツアレラに
それを溶かして
焼き固めたチュイル(せんべ)が
よく合っていた。
ソースには
ぺルノーにオレンジを加えて、
フュメ・ド・ポワソン(魚出汁)、
ブール(バター)で仕上げた。
カミさんが
「ソースが
美味しいねぇ・・・」
と感心していた(笑)。
三ノ蔵高原で撮った
カミさんの一枚が、
なんだか『ナウシカ』の
名シーンを彷彿させた(笑)。
盲目の大ババさまが
子どもたちに
言って聞かせる場面である。
おおっ・・・!!
その者
青き衣をまといて
金色(こんじき)の野に
降り立つべし
失われし
大地との絆を結び
ついに人々を
青き清浄の地へと
導かん
なんだか、
30年も前の
『ナウシカ』の世界観が、
「腐海」やら「瘴気」やら
「防毒マスク」やら…
コロナ禍の今と
何処かシンクロしているような
気がしないでもない。
あそこでも、
大国の武力でもって
他国や自然を支配しようとした
クシャナは、自然に破れ、
小国の貴女ナウシカに救われる。
クシャナの姿は、
心的劣等機能である
「粗野な男性性」に導かれたが、
ナウシカは
老賢者(ユパ)の知恵と
自然(虫/テト)との絆を得て、
「英雄的な男性性」を発揮し、
自国や生き物(オウム)たちを救う。
産業革命に始まった
男性社会の「いけいけドンドン」の
右肩上がり社会、
物質主義、経済至上主義、
IT社会なぞを
推し進めてきた結果の
コロナ禍・・・
と考えてみると、
これを救うのは
『ナウシカ』に倣えば
「英雄的な男性性」を
兼ね備えた高貴な女性、
ということになる。
世界に
いるかなぁ・・・
そんな少女っぽい
美女が・・・。
グレタちゃん?(16)
マララちゃん?(24)
コイケのユリコちゃん?(68)
(хдх;)
きのうは
連休明けで
久しぶりの出勤だった。
やっぱ、
学校に行くと
人は沢山いるが、
自分の居場所のような
安心感があり
カウンセリング室で
いい具合の緊張感を保ちながら
くつろげている。
きのうも
5件のカウンセリングがあったが、
対面で仕事をしていると、
世の中や世界に参画している
実感がある。
***
そしたら、
今朝の朝刊を見て、
きのうはソーちゃんの
王座戦があったのを
見逃していて、
半年ぶりに負けて
20連勝を逃したという。
二重の意味で…
あらま…
であった。
ヾ(・̆○・̆)ノ
連休ボケしてたから、
マメに棋戦のスケジュールを
チェックしてなかったのが、
失敗だった。
でも、
負け試合を見ずに済んだのは
幸いだったかも…(笑)。
きのうも
日中は25℃を超える夏日で、
早くも、気象予報では
「熱中症」への警戒を
促していた。
そう。
皐月は"初夏"なのである。
うっちゃ(うちへ)帰ったら、
なんと、二階の寝室は
28℃にもなってて、
スーツとシャツを脱いで
下着姿でちょうどよかった。
出勤時、
川沿いにあるスタンドで
給油してたら、
吾妻山の雪兎が
姿を消してたのに気が付いた。
別名「種まき兎」
とも言われるから、
畑に種がまかれ
田圃に水が張られはじめると
早春のシンボルは
お空に駆け上がっていくのだろう(笑)。
仕事から帰ったら
玄関のポストが
膨れ上がっていて、
連休中に注文してたマンガ類が
一挙に届いた。
ゆんべは、
久しぶりに
『沈婦人の料理人』を
再読しながら、
そのまんま寝落ちした。
『味いちもんめ』の
「にっぽん食紀行」というシリーズが
未読だったので、
セットで注文した。
グルメ関連コミックだけで、
一千冊近くあるが、
まだまだ増えそうである。
連休中は、
ちっともステイ・ホームせずに、
カミさんと
あっちゃこっちゃ出かけては
食べ歩いていた。
そして、
カミさんの誕生日だといっては
二種類もケーキを食べ、
子どもの日だと言っては(笑)、
二種類も粽(ちまき)を食べたので、
おかげ様で(笑)、
今朝は見事に1㎏リバウンドしてた(😢)。
(_ _。) ガクッ
糖質制限食餌療法は、
いったい
どこへ行ってしまったのだろう…(笑)。