『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

フッチェンロイター

2021-11-20 04:24:00 | 藤井 聡太
きのうは
ソーちゃんの
「王将リーグ戦」があり、
有料サイトのライヴ中継は
視れなかったが、新聞社の
ライヴ棋譜を見ながら観戦した。




双方の持ち時間あわせて
8時間の戦いだったが、
夜7時過ぎには決着がつき、
ソーちゃんが勝って、
(また)³
「王将位」挑戦者に決定した。

来年、1月から
渡辺名人との七番勝負である。

これまで、
棋聖戦で二回、
同じ相手に
奪取・防衛を果たしてるので、
完全に勝ち越しており、
名人も勝算は薄いだろう。

よって、
新年早々には「五冠」制覇が
実現しそうである。

こうなると、
もう、何が起きても
驚かない。

おそらくは、
来年中には、
残る「棋王」「王座」「名人」も
獲得して、早々と
『八冠』達成の金字塔を
打ち立てるのだろう。

そして、
彼自身が言っている
26歳のピークまで
それを防衛し続け、
『永世号』も獲得し、
不出生の大天才
羽生「永世七冠」を凌駕する
『永世八冠』に輝くに違いない。

元竜王の広瀬八段も
「今後、10年は彼の天下でしょう」
と予言している。







棋戦の昼休中に
久しぶりに
行き付けの鮨屋に
出かけてきた。

装飾的な「ウィングチップ」の靴と
同系色の鞄に、モスグリーンの
ブレザーをコーデしてみた。

オフ日のお洒落としては
ちょいと気取った出で立ちになった。

空腹を満たしに
"鮨喰い"に行くのではなく、
さながら音楽会や美術館に行くのと
同じような気分で
"江戸の食文化"を鑑賞・堪能しに
鮨屋のカウンターという舞台に
参じるのである。








十年来の常連なので、
定席で親方が握ってくだすった。

ひとりで出向く時は、
決まって口開け時の
11時半としている。

そうすると、
まだ、他客が入りはじめる前で、
親方や女将と
気の置けない世間話なぞをしながら
気楽に鮨を堪能できる。

そして、
こちらが何を注文するでもなく
知ってくれている好物を
握ってもらえるのである。

二十代の独身の頃から、
給料が入ると決まって
鮨屋に出向いては
カウンター前に独り座り、
職人さんと対峙して
気後れすることなく鮨を堪能すべく
自己鍛錬してきた。

鮨関連の本も数多読んだ。

その経験の積み上げが
還暦を過ぎた今、
「鮨文化」を心ゆくまで
堪能できる財産となった。

ぼちぼちと
予約客が訪れだす正午頃には
サッと引き上げるのを
常連のマナーとし、
それを「粋」とも思っている。

そういう客は
店が大事にしてくれ、
結果、最も良いネタを
厳選して提供してくれるので
いちばん美味しい思いが
できるのである(笑)。

「周る」やつじゃない(笑)
真っ当な鮨を堪能したければ、
店に通いつめ、職人さんに愛される、
という食べ手にも努力が要るのだ。





鮨屋通いの帰りには、
決まって、その近所にある
古物店に寄って、
"お宝探し"に興じてくる。

きのうも、
フレンチ用の出物を探してたら、
ドイツの銘陶『フッチェンロイター』の
ケーキ皿と『ノリタケ』の大皿が
安価であったので買ってきた。

日独をコーデしてみたら
「気品」が漂い、
ここに何かドレッセしてみたい、
と感じられて満足だった。

これは
アフォーダンス理論の応用で、
物が語り掛けてきて
モチベーションを高めてくれるのである。






これも
鮨屋の帰り道に
かならず立ち寄る
『ミニスト』の"ソフト喰い"である(笑)。

新発売の
『安納芋モンブラン』は
想像どおりの味だった。






カウンセリングで
時折、口にするセリフに
「火のない所に煙を立てる」
という
自家箴言がある。

徒然なるままでいると
空虚さに圧し潰されそうになるので、
そういう時は、
無理からでも
「教養(今日用)と教育(今日行く)」
を作り出すのである。

そして、
「金で解決できるものは金で解決しろ」
という箴言もあり、
たまにはドーンと
散在するのも
精神衛生に良い。

きのうは
そんな典型的な一日を
創造した。

常連店に予約を入れ、
お洒落のコーデを考え、
鮨と会話を楽しみ、
店を舞台に見立てて通人を演じ、
古物店で"蚤の市"気分を満喫し、
ソフトクリームで
"独りローマの休日"気分(笑)。

帰ったら、
仮装行列気分のコスチュームを脱いで
気楽な部屋着にもどり、
ベッドに横んなって
『冬ソナ』を眺め、
そして、その関連サイトで
他の心理屋の分析に目を通し
感心なぞもした。

8時間の将棋の進行を見ながら、
ピアノを弾いたり、
書をしたり、
料理をしたり…と、
"おひとり様"時間を
充実さすべく過ごした。

カミさんは通常勤務の後、
テニス・スクールの日なので、
朝から晩まで丸一日
その顔を見なかった(笑)。

今日も完オフ日で、
「何をしてもいい」し
「何もしなくてもいい」。

きのうの詰め過ぎた反動で、
きょうはボーッと
「ただ在る」のもいいだろう(笑)。

『日々是好日』を
有り難く思っている。







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ヌーヴォー

2021-11-19 05:48:00 | 家族
きのうは
ヌーヴォーの解禁日だったので、
スーパーの買い物ついでに
例年通りハーフボトルを
買ってきた。

いつも、
『ジョルジュ・デュブッフ』
というネゴシアン(生産者)の
『ヴィラージュ』(単一村)を
買っている。





京都在住中の
1987年頃から30余年来、
ヌーヴォーを試飲してきたが、
今年の出来は
あまりよくなかった。

同じネゴシアンだから
毎年、比較して判るが、
ブーケ/アロマがともに弱く、
紫色の色合いも例年ほどでなく、
何より、果実味が乏しく
ボディが薄かった。

気になって、
今年の現地の状況を調べてみたら、
案の定、冷涼・長雨が
例年より多かったようで、
収穫量は少なく
アルコールやタンニンが
「控えめ」だったという。

それでも、
ネゴシアンのセールストークは
「控えめで穏やかな味」
と苦し紛れであった。

ヴィアン・ヴァンタージュ
(グレート・ヴィンテージ)
の年には、
この速醸ワインでも
その年の凡そのワインの
出来の良さが占える指標となる。








「新酒」に合わせるべく、
夕食には
『キャレダニョー・アンクルート』
(仔羊のパイ包み焼き)
をこしらえた。

トマト・ジョーヌ
(黄トマト)
があったので、
それを裏漉しして
さらにペルノーと合わせ
ソース・ジョーヌに仕立てた。









コンベクション・オーヴンなので
中でファンが回っているのだが、
直火下に置いた方は
パイ生地が仕上がりで
割れてしまっていた。

何度も作ってはいるが、
やはり火の廻り加減は
陶芸と同じで
時としてムラが生じる事を
今回はじめて知った。

今月末には
お客様をご招待して
フルコースを差し上げる予定なので
オフ日には試作をしている処である。







毎年恒例の
『大陶器市展』に
行ってきた。

もう20年来、
行ってるので、
たんびたんび買ってたら
置き場がなくなるほどに
溜まってしまったので、
最近では冷やかし程度にしている。

大好きな備前コーナーでは
もはや買うべきものはなく、
(売るほどあるので…)
唯一、十数万もする作家物だけは
さすがにいい物で
欲しいなぁ…と思わされた。









次郎窯などがある
読谷村の壺屋焼も
偏愛する一つだが、
年々、価格が上昇し、
かつては千円台で買えたものが、
今や五千円の値が付いていて
驚いた。

これも、ひとえに、
人間国宝になった
故・金城 次郎氏の
功績かもしれない。

沖縄の『まじる商店』の
ご主人には、
院生時代に自宅に
ご子息と遊びに来られ、
ずいぶんと色んな事を
教わったものである。

なので、
夏休み中に書いた
『名人を超える』の中の一話に
ご子息のリュウちゃんと
『まじる商店』を引用させて頂いた。









将来、ガラス職人になりたい、
というクライエントのY君が
琉球ガラス細工を模して
ぐい呑みをプレゼントしてくれた。

彼はガラスの歴史も
いろいろと勉強しており、
琉球ガラスは、終戦直後、
米軍基地から払い下げになった
ビールやコーラの瓶などを
溶かして創ったということを
教えてくれた。

色とりどりの
鮮やかさの奥に
そのような物語性を見ると
いっそう美しさが
際立つように思われた。









平成元年(1989年)に
長男が第一子として
京都の産院で生まれた。

その時の様子を
かなり刻銘に覚えている。

中でも、印象的だったのは、
出産直後のカミさんが、
ふだんは健康優良児然とした
血色のいい顔色が
ベッドの上で顔面蒼白で
驚いたものである。

それだけ、
出産というのが
女性にとっては命懸けの大事業なのだと
感じ入ったのを覚えている。

今回、三度目の
『冬ソナ』全20話を見直して、
中にヒロインのユジンが
入院するシーンがあった。

そのメイクやライティングで
顔面蒼白さを強調していたが、
そのシーンの一部が
まるで当時の出産直後の
カミさんの姿を彷彿させられた。

髪型も同じだったこともあるが、
力ない表情など、
まるで、あのシーンを撮ったようで
驚いてしまった。

それ以外にも、
若い頃のカミさんを
彷彿させられる表情が随所にあり、
それで『冬ソナ』にハマッたのかなぁ…と、
なんだか照れ臭くなってしまった(笑)。

( ˶˙ᴗ˙˶ )ゞ ヘヘ…














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冬ソナ・サイト

2021-11-18 07:11:00 | TV・ドラマ
2005年の"マイブーム"になった
『冬ソナ』サイトは
熱が醒めてから
すぐに閉鎖し
HDDからも除去し
フラッシュメモリー内に
保管しておいた。

今回、久しぶりに、
三回目の全編(20話)再鑑賞したので、
メモリーから呼び出して
100日間連載し公表した
『私篇・続冬ソナ』を
再読してみた。

3ケ月半も毎日よく書けたものだと
我ながら感心するやら
呆れるやらだが…(笑)、
毎日300人くらいの読者がいてくて、
コメント欄に声援も多く寄せられたので、
それも原動力となっていたのかもしれない。






今回、自分用に冊子化し、
デジタルデータは
フェイスブックの
『ライフイベント』に残せないか
試行錯誤している処である。






創作ファンタジー内の
『京都編』では、
主人公たちと京都風景を合成し、
京都の読者の方々からは
「おおきに!」
「チュンサンとユジンが
京都に来たー!!」
という感激のコメントも
寄せられた(笑)。

*******

京都編最高! **** ノンタンさん  

ナッちゃんパパさん、
毎日楽しいお話、おおきに!

合成映像すごく良かったですよ。
ユジンは絶対あのポーズするはずです。

ふたりの幸せな様子が伝わってきて、ほんと良かったです。

金閣寺の近くに住んでいるので、
できる事なら私が2人のツーショット写真を
撮ってあげたかったなぁ。

手術も成功して、京都を離れるのは寂しいですが、
益々二人が幸せになることを心から願っています。

まだまだお話続けて下さいネ! 

「チュンサンが京都に来たー!」

毎回、すごく楽しみに
読ませて頂いています。

写真付きで、実際のチュンサンとユジンを
見ているようで、うれしいです。

今回、京都と京大病院が登場し、
京都人の私としては、実際、
街で2人に会えるような気持ちに なっちゃいました。

チュンサンを心から
幸せにしてあげてください。

続編がとても待ち遠しいです。

これからもすばらしいお話、
期待しています。


「第2部も明日で終わりですか」
淋しいです...。
ナッちゃんパパの繊細な描写、大好きです。

「ありがとうございました☆」
いままで楽しいお話を、
毎日ありがとうございました。
本当に終わっちゃったんですね・・・。

今日、また連載始まってないかなぁ・・と
期待しつつ覗いてみると、
ほんとにもう終わっていて、寂しいです。

とっても楽しかったです。
ありがとうございました。
お疲れ様でした(^^)

お久しぶりです******** あじさい さん 

ナッちゃんパパさん、お久しぶりです。
『新年特別号 帰ってきた二人』
読ませていただきました。
年末の完全版で「冬ソナ」に浸っていましたら、
『帰ってきたふたり』・・・。
ラストの短すぎた出会いのシーンに
何か物足りなさを感じていましたが、
その間のことが、とてもよく描かれていて、
ふっと涙ぐんでしまいました。

「おつかれ様、そしてありがとう」

こんにちわ。
『青春日記篇』完了ですね。
わたしは女姉妹だけでしたし
子どもたちも娘ばかりで、少年って
不思議な存在でした。
『青春日記篇』の チュンンサンのつぶやきが
新鮮でしたよ。

きれいなスナップと情感あふれた文章、
素晴らしかったです。

なっちゃんパパさんが
どんなにユジンがお好きだったか、
『冬ソナ』をどんなに愛していらっしゃったか
すごーくわかります。

「初めまして・・・です」

はじめまして!

前の「始めまして組の皆様」に
便乗してお邪魔します。(ペコリ)

そうですよね・・・。
読ませもらいながら
感想を書かないのは本当に失礼ですよね。

ごめんさい。

ユジン大好きナッちゃんパパさんの
やさしいがいっぱいで、大好きでした。

すごいスピードに圧倒されて
コメントを書きそびれて~~
今頃になりました。

ミヒさんは亡くなるわ、二人のベビーも誕生するわ、
チュンサンも目が見えるようになるし、
でもでも納得でハッピーな第1部でした。

チュンサンとミニョンジュニアが、
手をつないだシーンのカット素敵でした。

適材適所? の写真がいいですねェ・・・。
冬ソナほんとに愛してらっしゃる!!

お元気ですか~♪ *******えっちゃん  

ナッちゃんパパさん、おひさしぶりです。
お元気でしたか?

あの後、アップされた作品は
ちゃんとリアルタイムで読んでいましたよ(笑)。

掲示板にカキコがなくても、訪問客は多いですよね。
何も更新されてなくても、
カウンタは着実に上がっている.....
これぞ、『Yujinian Room』の怪と言えましょう(笑)。

ひそかに新作を期待している方は
多いのではないでしょうか?

「第4部完了、おめでとうございます♪」

私はミニョン派なので、
ユジンが、なぜあんなにも
「チュンサン、チュンサン・・・」
と言うのか、
理解できませんでしたが
第4部を拝見して、彼女の気持ちが
少し分かったような気がします。

喪失感って恐ろしいのね.......

チョンアさんの登場も
良かったですねー♪
なるほどの展開です。
本編と実にしっくり繋がります。

術語タイトルも良かったです。
意味の分からないカタカナだけど、
ちゃんと説明してくれたし、
私はウンチクの入ったお話
(読むと、ちょっと賢く
なったような気がする?!)
が大スキです♪

「第二部完結」
お疲れ様でした & おめでとうございます。

この『青春日記編』では
何度も「ユジン!」と呼びかけていますが、
名前を呼ぶ or 呼ばれっていうのは、いいものだな・・・と
改めて思いました。

今後は単発とのこと。
訪問するたびに、新作にお目にかかれないのは
残念ですが、何が出てくるか、楽しみにしています♪

「んもお~ホントにメロメロなんだから~」
第12話『映画』拝見しました。

チュンサンの告白、メロメロですねぇ~。
読んでいて、思わずニヤニヤしちゃいました(笑)。

画像処理の技、すごいですねぇ。
まさに好きこそ物の上手なれ、
いや、上達(発明)は必要の母?

ミニョン君のジャケット、素敵でしたよ。

楽しくって、元気を貰ったので、
機嫌良く家事の続きをやってきま~す♪

「来てます来てます.....」

『続ソナ Ⅱ』楽しく拝見しています。

乗り移っちゃってますねぇ~♪

夜中に魂だけが『冬ソナ』世界に
飛んでいって、電脳世界を
彷徨っているんじゃありませんか?(爆)

「中学時代を思い出して...」
なあんて書いちゃって、いいのでしょうか?

このHP、奥様ご覧になってません?(笑)

「ダブルでおめでとうございますう~♪」

おひさしぶりでございます。

第一部完結 & 第二部始動
おめでとうございます♪

今月は38度の熱を二度も出した挙句に
胃腸不良となりまして......
何かアップされてないかな~と
チェックはしつつも(←熱があっても毎日 爆)、
カキコは出来ませんでした。

せっせとカウンターを
アップさせていたうちの一人は私です(笑)。
お許しくださいませ。

第一部、華やかに完結しましたネ。
手術が成功して本当に良かったです。

そして続く第二部、
チュンサンのユジンに対する想いが
たっぷり楽しめそうですね。

ナッちゃんパパさん、
ひょっとして、乗り移っちゃってます?(笑)

「わくわく♪」
ナッちゃんパパさん、こんばんはー♪

新作が続々アップされていて、びっくり♪ 

全開ばりばりモードですね(笑)。
全部書くまで止まらない?(笑)

神童ミニョン君、美形の両親に似て、
小顔でスタイルも良いのでしょ?

うーん♪、素敵な設定ですね♪

私自身は、掃除洗濯子供の世話と、
日々是日常の生活なので、せめてドラマや
お話の世界では、非日常のゴージャスな
世界にあこがれます(笑)

今後の成長と活躍ぶりが楽しみです。

それにしても、カン・ミヒさん、
ミニョン君のピアノを聞けたら、
どんなに喜んだことでしょうねぇ(笑)。



「また来ちゃいましたよ~♪」

熱烈歓迎ありがとうございます♪

第3話『蜜月の夜』読みました。

そんなにエッチじゃないですよ。

ユジン・ファンはわかりませんが、
ヨンジュンssiのファンなら
『スキャンダル』を見てますから、
きっと大丈夫♪ と、個人的には思います(笑)。

今後の展開も楽しそう。

天才ピアニスト、ミニョン、
いいですねぇ~。

ウルトラ・ハンサムにしてくださいね。

ミヒさん、もう「死んじゃった」んですか...(爆)。


「初めまして♪」

なっちゃんパパさん、お仕事早いですねー。

さっそく、ユジンは結婚し、
ミヒは飛行機事故で命が危険なんですね(笑)。

パパさんの『冬ソナ』とユジンへの想いが
ビシバシ伝わって、最高です♪

ユジン、綺麗ですよねー。
長い手足と品のある綺麗なお顔。
あんな美女に13年も想われたら、
どんな男性もイチコロですよね。

大好きなものがあるって、幸せなことですよね。

続編を期待しています♪

「いよいよオペ!」
いよいよ始まっちゃいましたねー!

海馬付近の摘出不可能な血腫.....
ものすごく不穏なお言葉じゃありませんか????!

京都編もオペ編も、
ご自分の体験が生かされているせいか、
文章が生き生きしているような気がしますね。

第26話で筆が止まっちゃたんですか?!
でも、そこまでは読めるし、
完結もするんですね、良かった♪

私、『冬ソナの深層心理』も
楽しく読ませていただいたんです。

サンヒョクがユジンの王子様に
なれない訳が分かりました。

息子が年頃になったら
教えてやろうと思います(笑)。


続投万歳 ****** 冬のサーファーさん

はじめまして。

初めてお便りします。

とりあえず、「パートⅡ」に感激です。

冬のサイト数限りなくありますが、
不思議な魅力があってエブリディ、
アクセスしてます。期待はしません。

どうか「打ち切り」なんて
野暮なことおっしゃらず、続けてくだい。

勝手なこと言って恐縮ですが
ホントニ・・・。

この時間、癒されます。

はじめまして******** うららさん

初めて訪問して、
「ナッちゃんパパワールド」に、
はまってしまいました。

私の中の「チュンサン・ユジン」は宝物です。
二人をこんなにも幸せにしていただいて、
すごくうれしく思います。
これからも目が離せないページと出会えて
幸せな日曜日です。









チェ・ジウの26歳頃は
神がかり的に美しかった。

あれから20年すぎて
今や46歳のオバサンになった(笑)。








サラダ油とナッツ類を買ってきて
自家製のナッツ・オイルを創ってみた。

ナッツはフードプロセッサーで
細かく磨り潰し、
香りとエッセンスを抽出すべく
オイルに浸漬させている。

市販されていない
カシューナッツ・オイルなども作れて、
料理に活かせるのが楽しみである。

*

35°の焼酎と
コーヒー豆・赤砂糖とで
「コーヒー・リキュール」も
創っている。

冷蔵庫には
古い物で1年物と2年物もあるが、
かなり渋みが出ていて、
単体で飲むよりも
アイスコーヒーのフレーバーアップに
用いている。





キッシュやパイ包み焼きを
"ぼっちフレンチ"で
よく創っているので、
セルフィーユとポワヴル・ロゼは
欠かせない。

その緑と赤の組み合わせは
この時季になると、
何となくクリスマスっぽく
感じてしまうので、
アシェットもツリーの
電飾イメージにしてみた(笑)。





チェンパロ修復の外装まで
手が回らなかったが、
そろそろ剥げ落ちた
プレート周りもなんとかしようかと
考えている。

『東海スピネット』という名称の
楽器なのだが、そのネームプレートの
「TOKAI」が剥落して
「AI」だけになっている(笑)。

なので、
これは「エーアイ」とは読まずに
あえて「愛」と取る事にしよう(笑)。

剥落部分には
軽くサンドペーパーをかけて
接着剤の付着を除去してから
古楽器用のドラゴン・ブラッド色の
ニス塗りをしようかと思う。

ついでに、
金属プレートもヤスリがけしてから、
ゴールド・カラーに
再塗装しようかとも考えた。

金に光る「愛」も
いいもんである(笑)。

今も修復は続いてはいるが、
単なる室内アクセサリーではなく、
楽器として機能してくれており、
『冬のソナタ』での
チェンバロを用いた楽曲なぞも
オリジナルの雰囲気を味わえている。



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新竜王

2021-11-17 07:11:00 | 藤井 聡太
きのうは
ソーちゃんが
新竜王となって初めての
『順位戦』だった。

棋界の最高位に付き、
四冠となるも、
一年に1クラスずつしか昇級できない
順位戦のシステムでは、
彼はまだ最高クラスのA級には
達しておらず、その一つ下の
B級1組というのに在籍している。

これは、A級のトップが
『名人』位に挑戦できるという、
最低でも5年はかかる
登山にも似た行程なのである。

天才の彼をしても、
C級1組の年度には
9勝1敗という成績でも
上に上がることができずに
一年「現級留置」となった。



きのうの対戦は、
松尾八段で、
序盤が夕休(ゆうきゅう)前まで続く
という異常な長さだったが、
終盤は相手が自ら
「お粗末だった…」
と感想戦で述べたように
あっけない幕切れで
89手目での投了となった。

棋界では年長者の先輩ではあっても、
十代にして九段で四冠の天才の前には
歯が立たなかったという印象だった。

そりゃそーだ。

先日まで、棋界№1と言われていた
トヨピーをして
ソーちゃんとの十九番勝負を通じて
「自分は並の棋士だと思わされた…」
と述懐させたくらいなのであるから…。





これから
鍋物の時季になるが、
ここのところ、
前夜に余った
旨味たっぷりの汁を
翌日、フードプロセッサーで
ポタージュにする工夫を覚えた。

特に、出汁昆布は
棄てずに柔らかいまま
撹拌すると、フコダイン成分で
適当な粘土が生じて
そのトロミがなかなかに佳い。

魚介と野菜の旨味が十分に出ているので、
丁寧に仕上げるなら
ミキシングしたあとに
いちど濾して、
新たに温めてから
そこへバターと生クリームを入れると
リッチなフレンチ・スープに仕上がる。






最近、「16h空腹療法」とともに
「医食同源」生活にも取り組んでるので、
食事の後に「すりごま」と「黒糖」を
リキュール・グラス半分くらい分
捕っている。

どちらも百均で買える
健康食品である。






20代の頃、京都在住だったが、
結婚披露として福島で開催した 
デュオ・リサイタルで弾いた
ラモーのクラヴサン組曲からの
『ソローニュの馬鹿』を
チェンバロで練習している。

ギターやリュート、ピアノでは
表現し得ないオリジナルの響きが
自分の手によって奏でられる喜びを
しみじみと味わっている。






日曜から見始めた
三度目の『冬ソナ』を
四日かけて、やっと、
今朝見終わった。

案の定、
最終回のラストシーンでは
またボロ泣きしてしまった(笑)。

ヒ~ン 。・゚゚'(/o\)'゚゚・。 

今日、なかなかに
泣けるドラマや映画がないだけに、
自分にとっては
貴重な作品である。

なので、
まだ、感動が持続している間に、
十年前に書いた
『私的・続編』を掘り起こして
自分用に製本化しようと思っている。

なにせ、
楽天サイトに100日間も連載したので、
膨大な量があり、
それも、古い縦書きソフトを使った為、
ワードに変換できず、
また、一から打ち直す必要がある。

それを考えただけでも
相当な手間だが、
自分の50代の貴重な時間を使って
創り上げたファンタジーなので、
フラッシュメモリー内のデジタルデータを
"紙化"して視覚化したいと思った。

公開当時は、
連ドラ風に「一日一話」を
画像とBGMをつけて連載し、
作家と映画監督になったような気分で
創作に没頭した。

当時、スピンオフ企画で、
『冬ソナ深層分析』をも
ブログに載せていたので、
検索して拾ってみた。

*********

*********


『冬のソナタ』〜 母-娘結合
 2004年に日本を席捲したこの人気ドラマの深層心理を分析してみたいと思う。
 まず、ドラマの筋について簡単にふれておこう。
 ユジンは高3の女の子で、ある日、転校生のチュンサンと偶然にバスで乗り合わせる。
 ユジンの周囲には、幼馴染で彼女に恋心を抱いているサンヒョク、将来同居することになる親友の女友達チンスク、そしていずれその夫となるヨングク、美貌を鼻にかけ早々にチュンサンに振られるチェリンがいる。
 ユジンはやがてチュンサンと恋に落ち、二人はほんのひと時、薔薇色の甘さを味わう。
 しかし、チュンサンはユジンの亡き父が自分の亡き父と同一人物であると誤解し、ショックを受ける。
 そして、ユジンのもとを離れようとする日に事故に遭う。
 物語は、そこから10年後に飛び、
ユジンは建築家として活躍しながら幼馴染のサンヒョクと婚約する。
 結納の日に、ユジンは死んだはずのチュンサンと瓜二つのミニョンという人物を偶然、街で見かけ茫然自失する。
 その後、建築家のミニョンは、チュンサンとは別人ということで一緒に仕事をするが、やがてそのミニョンがかつて事故で記憶を失ったチュンサンその人であることがわかる。
 やがてチュンサンは2度目の事故に遭って記憶を取り戻すが、母親のミヒから、「あなたの父親はユジンのお父さんだ」と偽りの言葉を告げられて、再度、ユジンと別れることになる。
 最後には、チュンサンがサンヒョクの父とミヒの間にできた子どもだったことがわかるが、ユジンはアメリカに発ったチュンサンを追わずに、フランス留学へと旅立つ。
 3年後、帰国したユジンは、かつて自分のプランニングした家が専門誌に掲載されているのを見て、それがチュンサンの仕事であることを直感し、現地に赴く。
 そして、事故の後遺症で盲目の身となったチュンサンと運命的な再会を果たし、ふたりは結ばれて物語は終わる。
************
 ヒロインのユジンは、父親のいない母子家庭の少女ということで、
母-娘結合(母性原理、女性原理)の優位性が物語の初めに示唆される。
 また、妹を含めて「男っ気」のない「女家族」であることも、これからユジンの男性性、父性性獲得が、彼女の発達課題になるであろうことが想像される。
 ユジンの父のように、病気で死別した場合、しかも生前、少女時代に父との「よきふれあい」を経験できた子は、まだ救われる。
 というのも、我われのもとには、
父と生別した母子家庭の少女で、非社会的、反社会的問題で訪れる子が多いからである。
 その父親というのが、アルコール依存症や、DV(家庭内暴力)、ギャンブル依存症、浮気性、ワーカホリックなどのなんらかの病理性を持っている場合、そこに育ってきた女の子は、どうしてもネガティブ・ファーザー・コンプレックスに陥るものである。
 極端なケースでは、援助交際に走るタイプの子は皆そうである、と言っても過言ではない。
 仮に、父親が物理的に実在していても心理的には不在にひとしい場合にも、似た現象は生じる。
 端的に言うと、この子たちは「肌さみしさ」から「永遠の父親探し」に走るのである。
 それは超理想化された父性像であり、神に等しく人格化された父親像なので、現実の人の世界には存在するべくもなく、したがって、彼女たちは大勢の〞普通の男性〞に抱かれても尚寂しさを癒されず、不全感を抱き続けるのである。
*********
 ユジンは、少ない期間といえども父親とある程度接した経験があるだけに、極端な「白馬の王子様探し」にはならない、とは想像がつくものの、基本的には、そのような心理状態に彩られていると理解した方がいい。
 そして、彼女の成育過程で、多分に欠如していたであろう父性性、男性性をどう獲得して、自我に統合していくか、というのが物語の主眼になるのである。
『冬のソナタ』〜 男性性の侵入
 母-娘結合(母性原理、女性原理)の世界で育ってきたユジンの前に、転校生のチュンサンが現れる。
 ユジンより先に、鼻っ柱の強い美人のチェリンが自分にとっての「白馬の王子様」と直感してチュンサンにアタックするが、てんで相手にされない。
 体育のバレーボールで見せるチュンサンのラフプレーに魅せられて
チェリンの言うセリフに「やっぱり、男は力よ」というのがある。
 これなぞは、女性が内なる劣等機能としての異性性である「力のアニムス」に魅せられている姿を現している。
 アニムスとは女性の中にある男性性のことである。
 なぜ、劣等機能なのかというと、
女性は表面で「女性らしく」生きることに優位性を置いており、自然と本来的に内在している男性性を磨くチャンスがなくなるからである、とユングは言う。
 さらにユングは、アニムスを4つに分類して、「力」のアニムス、「行為」のアニムス、「言葉」のアニムス、「意味」のアニムスとしている。
 男性の心に潜在する劣等機能としの異性性をアニマと呼ぶが、アニムスはその男性形である。
 アニマは本来、「たましい」や「息」「風」を現わすラテン語である。
 チェリンは〞数学オリンピック・チャンピオン〞としてのチュンサンに対しても、そのロジカル性やロゴス的な側面に「言葉のアニムス」を見出して魅かれているようである。
************
『冬のソナタ』~出会いの「時」
 物語の幕開きは、ユジンが遅刻しそうな場面から始まる。
 ユジンは遅刻の常習犯である。
 たんに「寝坊助」である、といえば可愛気があるが、時間にルーズである、キチッとしていない、と捉えると、父性性の欠如した母子家庭の
甘さが露見しているとも見える。
 遅刻以外では優等生らしく、放送部活動なども責任感を持って務めているが・・・。
 ここで「時」というテーマがさりげなく提示されている。
「時間」には、物理的な「時間」を現わすクロノスと、心理的な「時」を現わすカイロスがある。
 カイロスとは、その「時」がきた、とか「時」が熟した、という性質の時間である。
 同じ1時間という物理的時間(クロノス)でも、好きな人とい「時」は短く感じるが、嫌いな人といる「時」は長く感じる。
 時間にはこのような心理的な「時」の一面がある。
**************
 さて、ユジンにとって重要な「時」とはなんであろうか。
 十代という年齢からいって、少女から大人の女性になる、ということがまず思い浮かぶ。
 どうアイデンティティを確立していくか、というのが一般的課題である。
 将来の進路に悩んだり、恋に「時めく」ということもあろう。
 また、発達課題として、母性的家族で育ってきたので、男性性、父性性の「補償的取り込み」が必要になる「時」だろう、と前述した。
 そして、人格の発達のためには何らかの「死と再生」の通過儀式が起きてくるだろう、という予測がされる。
**************
 そこへ、転校生のチュンサンが現れる。
 最初の出会いはバス停である。
これを「二人の男女がバスに乗り合わせる」という夢として解釈したら、どうだろう。
 夢における、男女という異質なものの組み合わせは、無意識下での「新たな可能性の統合」を象徴する。
バスというのは社会的な乗物である。
 つまり、この二人は、これから
お互いを「自分にないもの」を取り込む対象として、社会生活のなかで運命共同体となるだろうことが、示されているのである。
 バスのシーンで、二人が破れたシートを自分たちが身に付けていたばん創膏で繕う、というのがある。
 これなぞは、「心の中の欠損したものを繕う」という二人にとって共同作業の第一歩のメタファーとして見ると面白い。
☆☆☆
(・(エ)・)
『冬のソナタ』~「母殺し」の過程
 現代においても、韓国には儒教的精神が日本より根強く残っている。
 チェ・ジウが小泉総理と握手するときにさりげなく左手で目上の人に対する敬意のポーズをとったことでもわかろう。
 この時代にあっても、韓国では、
日本の親子関係よりも、それが濃く、上下関係が明確であることがドラマからも伝わってくる。
 特に、独りっ子のサンヒョクとチュンサンは母親に楯突けない「イイ子」であったことが伺える。
 これは深層心理学的には、母親の否定的な側面である「呑み込む母」の姿を如実に現わしている。
 カウンセリングの場面では、こういう「イイ子」たちがしばしば不適応を起こして、不登校や非行などになりやすい。
 このネガティブ・グレートマザー(否定的な太母)から、どう自立するか、というのが二人の発達課題であることが一目でわかる。
 この母親たちは我が子を愛するがゆえに、無意識下では、その子を自分から奪ってしまう女性の出現に怯え、その相手を亡きものにしたいと願うのである。
 ズバリ言えば、「子離れ」が出来ない母なのである。
 息子たちは、母に愛されているがゆえに、その葛藤で苦しむことになる。
 このような状況で、一般的には、無意識下での「母親殺し」の心理が働き、「英雄」元型のコンステレーション(付置)が生じてくる。
 それはどういうことか、というと、世界に偏在する「英雄の物語」を見るとわかる。
 日本昔話の『桃太郎』や『一寸法師』などでは鬼退治がなされた後に、宝物の獲得やお姫様との結婚がなされる。
これと似たモチーフは古今東西にある。
 アニメの『シュレック』もそうであるが、ドラゴン退治をして姫と結ばれる。
 分析心理学者のユングは、この世界中にあるモチーフから「英雄」的行為とその結果、という一連のプロセスを鑑みて、人の心には「英雄」元型がある、と考えた。
 元型というのは、誰もが持っている「心の遺伝子」のようなものである。
 ちなみに「グレートマザー」というのもひとつの元型である。
*************
 古今東西の昔話や神話に「ドラゴン退治」のテーマが多いのはなぜか、といえば、そこに古今東西に関係なく共通の「人間の心のドラマ」が投影されているからだ、とユングは考えた。
 その最も卑近な例が、母親が子どもの個性を認めずに、我が物のように振舞う様を、「ドラゴン」に捕われた姫(子どもの心)として物語や神話では表現しているのである。
 このドラゴンや鬼を退治することが自分が「個性的に生きる」唯一の活路である、と子どもたちは先験的に知っている。「英雄」元型という心の遺伝子を持っているからである。
 そこで、子どもたちは「母親殺し」に立ち上がるのである。
 これは本来、心のなかで象徴的に行なわれるべきイニシエーション(通過儀礼)なのであるが、今日では、実際の場面でアクティング・アウト(行動化)してしまい、殺人事件として「母親殺し」が起こる悲劇が増えている。
***********
 この物語では、サンヒョクがまず、ユジンを侮辱した母に対して、
反抗の狼煙をあげる。
 母親は、自分にとって都合のよかった「イイ子」のサンヒョクが変わってしまったので(実は成長しているのである)ユジンを憎らしく思う。
 これは、後に、ミヒがユジンをチュンサンから遠ざけようとした心理でもある。
 グレートマザーの力が強大な時、
英雄は逆にドラゴンに食い殺されて、子どもは永遠に「自立」できなくなる。
 事実、サンヒョクは後に、ユジンに捨てられて瀕死状態になって入院し、またグレートマザーの膝元に引き寄せられてしまう。
 このあたりに、彼の自我強度の
脆弱性を見ることができる。
(嫉妬に狂って、ユジンに無理チューをしてレイプ紛いの狂態を演じた時も、彼の自我の弱さを感じたが・・・)
☆☆☆
(・(エ)・)
『冬のソナタ』~2度の事故
 グレートマザーの元型に同一化した母は、子どもを無意識下で呑み込み、その個性を殺す働きをする。
 チュンサンが母ミヒと同乗するタクシーから飛び降りて、ユジンのもとへ駆けていった時に、事故は起きる。
 それは、グレートマザー・コンステレーションによって起きたとも、心理屋には見える。
 コンステレーションとは心理学で
「付置」と訳されているが、本来は、「星座」の意味である。
 この場合、ユジンが自分と兄妹である、と思い込んだことも、ある意味、宿命的状況に「呑み込まれた」と考えることができる。
 つまり、チュンサンの周囲には「呑み込む」母的な「場の力」が働いていたのだ。
 それが、グレートマザー・コンステレーションである。
 事故によって、チュンサンは記憶を失い、結果としてユジンのもとから完全に引き離されることになった。
 しかも、ミヒの考えで、ミニョンという新たな人格をマインド・コントロールで注入さる。
 母親は、我が膝元から「自立」して離れようと意志した息子を、無意識下の支配で、再度、我がままになる「イイ子」に仕立てたのである。
 母ミヒが希有な才能を持つピアニストであることを考えると、ある意味で、シャーマニックともいえる、  
尋常じゃないグレートマザー・コンステレーション状況にチュンサンは置かれていたと言えよう。
 この強力さゆえに、「死と再生」の通過儀礼である事故に2度も逢わねばならなかったのだ、とも解釈できる。
 このようなことは、我々の臨床でも時折、体験することがある。
☆☆☆
(・(エ)・)
『冬のソナタ』~ソナタと恋歌
『冬のソナタ』は邦題で、韓国での原題は『冬恋歌』である。
 恋歌は、Love Songのことだが、ソナタとは、音楽用語で、「奏鳴曲」ともいう。
 宮崎 駿監督によれば、『~の~』というタイトルは必ずヒットするという。
『風の谷のナウシカ』
『天空の城ラピュタ』
『となりのトトロ』
『紅の豚』
『千と千尋の神隠し』
『ハウルの動く城』
 例外は、『もののけ姫』だが、「これも「の」の字が、2字入る・・・」と宮崎監督は言う。
 カタカナを含んだ『~の~』というタイトルは「舶来モノ好き」日本人の耳をくすぐるのかもしれない。
 それと『ふゆソナ』と詰めて4文字になると、これもまた日本人好みの語感になるのだろう。
 最近の若者は何でも4文字につめて
「メリクリ」
「あけおめ」
などと、新造語を遊び感覚で使いまわしている。
**************
『冬のソナタ』とは、上手い邦題を
つけたものだが、ソナタについて
若干、薀蓄を垂れてみたい。
 ネットの音楽辞典を検索してみると、イタリア語で、ソナータとは、
元々カンタータ(声楽曲)に対する
「器楽曲」の意味である。
「器楽による歌」といってもいい。
 その語源は、イタリア語の「ソナーレ(鳴る、響き)」からきており、日本語では「奏鳴曲」と訳された。
 ソナタは、今日では器楽のための独奏や重奏の曲をさし、3~4楽章からなる。
 3楽章の場合は、急・緩・急という速さの変化があるのが一般的である。
 さらに、詳しく見ると、第1楽章は、ソナタ形式、第2楽章は、リート形式(2部形式や3部形式など)、第3楽章は、メヌエットやスケルツォなど、第4楽章は、ソナタ形式という独特の形をなす。
 ここでいう、ソナタ形式とは古典派音楽独特の曲形式で、中学や高校の音楽の時間にもテストなどに出て、かすかに言葉を覚えている向きもあろうかと思う。
 ソナタ形式の構成は、ざっとこうだ。
呈示部→序奏(第一主題/第二主題)→小結尾
展開部(第一主題/第二主題)
→再現部(第一主題/第二主題)
終結部
 この構成に、『冬のソナタ』を当てはめてみるのも面白いかもしれない。
 第1・2話の高校生篇が「提示部」で、「序奏」の第一主題が、ユジンとチュンサンの葛藤、第二主題が、ユジンとサンヒョクの葛藤。
 チュンサンの事故死で「小結尾」を向かえる。
「展開部」は、物語が10年後から始まる。
 第一主題は、ユジン-ミニョン-チェリンの三角関係。
 第二主題が、ユジン-チュンサン-サンヒョクの三角関係。
 展開部から再現部に移る時に、チュンサンの2度目の事故があり、「再現部」の第一主題は、ユジン-チュンサンの新たな関係。
 第二主題が、ユジン-チュンサンの別れ。
「終結部」は、フランス帰りのユジンと盲目となったチュンサンが再会し結ばれて、終わる。
************
『冬ソナ』を見ていて思うのは、BGMもさることながら、クラシック音楽を上手く作品構成に生かしている。
 脚本家の造詣が深いのか、監督の思いなのか。
 サンヒョクはFMのクラシック番組担当で、カン・ミヒはクラシックのピアニストだ。
 心理描写に使うBGMも、ベートーヴェンのピアノソナタ『テンペスト(嵐)』であったり、バーバーの『アダージョ』であったり、選曲が堂に入っている。
 音楽担当イ・イムのセンスのよさが伺える。
 彼の手によるオリジナルもいい。
 それゆえ、物語がソナタ形式の構成にスッポリ当てはまっても、すこしも違和感を感じさせない。
 また、ややもすると、大の大人から少女漫画チックだとか、筋がご都合主義だ、という批判も仄聞するが、あえて弁護するならば、仮にそのような稚拙な物語でも音楽が支えている力によって、鑑賞に値する作品になっているということだ。
 それは、モーツァルトの『魔笛』がメチャクチャにストーリーなのに
偉大な音楽によって一級の芸術作品と賞賛されるのに似ている。
『冬のソナタ』は現代版テレビ・オペラといってもいいかもしれない。
 とすると、韓国での原題『冬恋歌』は正しいのだろう。











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冬ソナ三昧

2021-11-16 08:09:00 | TV・ドラマ
毎年、この季節になると、
K中校門アプローチにある
植え込みの楓が
きれいに紅葉し、
クルマを一時停車して
一枚パチリとやる。








今年から
4階の空き教室に移動した
カウンセリング室からは
遠くの山々の紅葉が眺められ、
わざわざ遠出せずとも
デスクから紅葉狩りができる。





教室一室分のカウンセリング室は
さすがに広くて、
実際に執務に用いられるのは
半分のスペースに過ぎないが、
もう半分はギャラリー風にしてあり、
仕事合間の眼を休めるのに
"ゆとり"のような空間として
機能していてくれる。

思えば、これがSC26年目にして、
二十数ケ所目の
カウンセリング室設営になるので、
自分の理想とする
セラピュウティック・スペース
(治療的空間)を
展開できたものと見ている。

なので、
次年度の継続文書での要望で、
老齢化してきたので、
近所の学校に配置してほしい、
と喉元まで出かかった言葉を
引っ込めて、今しばらく、
この場で相務めさせて頂こうと
思った。






先日、気付いた
音楽室のピアノの調律の狂いを
持参した調律ハンマーで
調整した。

音楽の先生と
特に交流もないので、
気付かれるかどうかだが、
(あら!? どーしたのかしら?)
と不思議がられて
悩ませる事にならないといいが…(笑)。







きのうは
前夜に余ったご飯を
チャーハン弁当にした。

出がけに
蓮華を持参するのを忘れて、
案の定、箸で苦労しながら
食べるようだった(笑)。









また、あらたに
腰の部分に出来物ができ、
アテロームじゃないか
心配しつつ自撮りモードで
接写してみた。

さいわい、また、
毛嚢炎のようで
ひと安心したが、
どうも、「16h空腹療法」を
始めてからというもの、
なんだかカラダが
ビビットに反応して
「待ってました」とばかり
デトックスしてるような感じがしている。

体重も2㎏ほど
落ちてくれたのはいいが、
あちこちに出来物・腫物が頻出し、
ここが我慢のしどころなのかもしれない。








竜王戦が
読売新聞の主催だったので、
ここ数日、ソーちゃんの特集が
組まれている。

今朝の朝刊では、
トヨピーの言で、
ソーちゃんの盤面に対する
「全集中」「盤上没我」ぶりを
驚嘆・賞賛し、自らを
「並の棋士と思わされた」
と心情を吐露したことが
記されていた。

また、ソーちゃんが
子どもの頃、
将棋を考えながら歩いていて
何度もドブに落ちて
母親を困らせた…
という有名なエピソードも
語られていた。

そして、
一年前から、彼が、
趣味としてチェスを始めた、
という事を初めて知った。

かの羽生永世七冠が、
チェスでも全日本クラスの腕前なのに、
ソーちゃんは丸きり
遊びとして考えているようで、
さっぱし強くなろうとは
思っていないようである(笑)。

それだけ、
将棋にはまだまだ
未知の展開があり、
解けない謎を蔵している
と見ているのだろう。

事実、今季の
トヨピーとの19番勝負でも、
AIの詰み筋とは違った
勝ち方を幾度もしており、
今朝の記事にも
AIの推奨手を鵜呑みにはしていない、
と明言していた。

さればこそ、
「AI越え」なぞという妙手も
再三見つけ出しているのだろう。

密かな願いとして、
棋界では封印された
棋士とAIの公開対局を
「400年に一人の天才」
で実現してほしいものだが、
その望みも薄いので、
先日、創作ファンタジーのなかで
疑似体験として
人間側の圧倒的勝利という結果を
描いてみた。







おとついから、、
第三次「冬ソナ」マイブームに陥り、
その世界観に浸っている。

前回、再度鑑賞したのが
数年前だったので、
やっぱしディテールを
ずいぶんと見逃しており、
新たな発見がいくつもあり、
驚いている。

ゆんべは
ベッドで寝転がりながら
駄々羅に観ていたら、
あるシーンに驚いて
半身を起こすほどだった。

…それは、
究めてプライバシーの範疇になるが、
大学生の頃、
当時、付き合い始めていた
彼女時代のカミさんに
"別れ話"を切り出して
泣かれた時の顔と
ユジン(チェ・ジウ)の表情が
そっくりだったのである(笑)。

なので、
画面をポーズして
分析にじっくり観察してみたら、
その目元が当時のカミさんの
雰囲気に酷似していて驚いた。

当然の事ながら、
ダンゴ三兄弟たちも
20代の母親の顔は知らないが、
その目元だけを見せて、
「おかーさんの若い頃」
と説明したら
納得するかもしれない…
とも思ってしまった(笑)。





かくばかりに、
「千の顔を持つ」
と命名したいくらい、
チェ・ジウという女優は、
千変万化の表情を持っているが、
考えようによっては、
「観察者側の心象を投影しやすい表情」
なのかもしれない。

まだ、今日時点で、
「17/20話」であるが、
最終話まで観終わったら、
彼女の多彩に富んだ表情だけを
サンプリングして
「表情認識と情動反応」の
研究素材としてみたい。













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