毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
きのうは
山間部にあるY中の
1学期最後の勤務日だった。
朝から
管理職を交えた
ケース会議に参加、
メンタルクリニックへの
紹介状を書き・・・と、
カウンセリング以外の用で、
一日ピアノにもギターにも
触れる暇がなかった。
ここ数日の胃腸炎で、
コーヒー絶ちをしているので、
久しぶりに給食の牛乳を
そのまま飲んだ。
いつもは、
家からペットボトルに持参した
コーヒーと合わせて
カフェオレにして飲んでいる。
職員室の連絡ボックスにも
お菓子が入っていたが、
その他にも
用務員のMさんから
メロンパンを頂いたり、
養護のM先生から
珍しい「柚子甘酒」なるものも頂いた。
これらを
齧りながら飲みながら、
紹介状や執務記録の
筆記仕事に追われていた。
全国紙に
またまた公認心理師の
セクハラ事件が報道されており、
去年の福大教授SCと同じく
60代の人間が
"エロ狂い"している醜態に
なんだかゲンナリしてしまう。
カウンセラーという立場を利用して
クライエントに性的行為に及ぶのは
卑怯千万な振る舞いである。
もっとも、
海外ドラマやミステリーでも、
精神分析医が患者と関係をもって
その相手を殺してしまう・・・
なんていうストーリーには
事欠かないが・・・。
コロナ禍の「第七波」が
すでに「六波」のピークの
10万人に到達しようとしている。
だが、どうしたことか、
政府側は今回に限って、
行動制限やら規制を、
取らない方針のようである。
ワクチンの製造会社が、
自社の分析データとして、
Ba5にはα株用の初期の物は
1/4しか中和抗体が出来ない、
と発表していた。
今後、Ba6、7、8・・・と、
さらにヴァリアントに
ウイルスは変異・進化していく、
とも見られている。
感染力を増せば、毒性は減ずる、
という積の定数のような
性質があるとはいうものの、
毎朝、朝刊で
世界の感染死者数を
チェックしていると
アメリカなぞは102万人を超して
今尚、漸増傾向にある。
他国と比較もしているが、
この現象の社会的要因、
公衆衛生学的な要因が
よく解らない。
パッと思い浮かぶのは
無保険制度、貧困層の拡大、
感染防止習慣の不徹底、
マスク忌避の文化、
対面会話好きの文化、
・・・などがあるが、
それらが相乗効果的に
作用しているのやもしれぬ。
山上容疑者の
プロフィールが日ごとに
明らかになってきた。
父と兄の自殺。
自身も自殺未遂。
母親が宗教依存・・・と、
「家族病理」
「自我の脆弱性」
などが思い浮かんだ。
唯一、妹については、
何の報道もされていないが、
真っ当な人物だったら、
さぞかし、肩身が狭く、
生きた心地がしない
今を過ごしている事だろう。
正義警察的な思いに
かられた族(やから)が、
あるいは、ネット内で
この人物を特定したり
追い詰める危惧もある。
母親は、公式に
「自分が悪かった」
という表明をしたようである。
以前から霊感商法で
問題視されており、
すべての民事訴訟で敗訴している
旧統一教会について
YouTubeで俄か勉強してみた。
オウム真理教と同様に、
かなりの狂気を含んだ
詐欺的教団である事が
一目瞭然だった。
それに洗脳されて、
桜田 淳子や山崎 浩子らも
合同結婚式をやった・・・
という事が
昭和の頃にあった。
安部元首相の祖父・岸信介の頃、
反共産主義で一致していた
右翼的な統一教会を
自民党は票田として利用しており、
それは今日にまで至っているという。
そうでなければ、
なんらかの関係性がなければ、
わざわざ国会議員が
特定宗教にビデオメッセージを
送るということは
有り得ないだろう。
【禍根を残す】
とは、こういう事で、
その反対が
【禍根を断つ】
である。
日本南岸に
また梅雨前線が発生し、
どうやら本格的な
「梅雨の戻り」のようである。
今朝方は
寒さで目が覚めて
枕元の温度計を見たら
20℃であった。
なので、
半袖短パンを
長袖長ズボンの
部屋着に着替えた。
あの一週間続きの
6月の35℃越えの猛暑は
なんだったんろう…
というような
涼しい曇天・霧雨の日々である。
ソーちゃんが
きのうの王位戦「第二局」に
完勝して、これで
七番勝負の戦績を「1-1」に戻した。
昨年も、
初戦を落とし、
その後、四連勝して
防衛したので、
ここからの巻き返しを
期待している。
トヨピーは
ソーちゃんの「研究手」に
悩まされ4時間もの長考をした結果、
AIが推奨しない「悪手」を指し、
そこから形勢が「フジイ曲線」へと
傾斜し、仕舞まで右肩上がりで
勝ち切った。
それほどに、
ソーちゃんの「新手」が
彼に衝撃を与えたという
ことである。
来週の次戦は「後手」になるので、
なんとか、勝機をものにして
連勝して欲しいものである。
かつての「名人」でもあった
レジェンド・クラスの
森内九段が、アベマトーナメンの
ドラフトで
「藤井五冠に選んで頂いた」
と、自身のYouTubeで
喜びを語っていた。
もう五十越えの大先生が
十九歳の大天才に
チームに選ばれて喜ぶ
というのも、なんだか
可笑しなことである。
29連勝して
大フィーバーしていた頃、
NHK杯では異例の生放送で
対「森内」戦を放映した。
その折も、ソーちゃんの
「手裏剣」と言われる
「2ニ歩」を二度も放ち、
その「と金」となった「歩」が
三十数手後に「王」を仕留める
という神業を見せつけて、
全国のファンを驚かせた、
というエピソードがある。
きのうの朝は、
冷蔵庫内が
見事に空っぽでベントが作れず、
しかたなくスーパーに寄って、
お惣菜コーナーのもので
間に合わせた。
*
この寒暖差で
胃腸の調子が良くなくって、
食べた後に、
膨満感と軽いムカツキがあったので、
常備薬を服用して、
半時ばかり早く早引けして
主治医の処で『大建中湯』を
もらってきた。
以前、この漢方薬がよく効いたので、
今回もそれを期待している。
夏休み一週間前とあって、
『学校新聞』が発行され、
1学期末なので、
職員紹介の欄に
「中学時代の想い出」
というテーマと共に
載せられていた。
子どもの頃、
よく兄から「八時二十分」と
からかわれた垂れ眉を見ると、
ほんとに「八」時だなぁ…と、
思えて自嘲するようだった。
これが、キリリと
「逆八」の字だったら、
いくらか精悍にも
見えるのに…と、
思わないでもなかった。
でも、この…
垂れ眉のオッサンだからこそ、
生徒たちも安心して
相談に来れるのかもしれない(笑)。
きのうも
ご新規のJCが二人来たが、
担任に連れられて嫌々きた子と、
自分で希望して来た子と、
「治療動機」の対照的な二人だったが、
そこはそれ「垂れ眉オッサン」は
どちらもすぐに笑わせて、
心の中核に飛び込み…
「カウンセリング続けます…」
と言わせる事ができた。
してみりゃぁ…
この「八時二十分」も
けっこう役に立ってんだわねぇ…(笑)。
『刑事コロンボ』みたいに
風采のあがらない見てくれだけど、
心眼は鋭い…
というのはカウンセラーとして
理想なのかもねぇ…(笑)。
還暦を迎えた年に、
真っ先に行ったのが
「終活」の一環で
医大の解剖教室への
「献体」手続きである。
カミさんは嫌がって
同意印を押すのを躊躇ったが、
渋々押した晩は、
一晩中、吐いたという…(笑)。
もっとも、
配偶者の意志が尊重され、
"その日"に教室に電話しなければ、
済むだけのハナシである。
ただ、"葬式なんてやんないでね"
とは遺言してある。
それとて、
カミさんが、
"そうはいかない"
と世間体を憚ったら
やればいいだけのハナシで
"死人に口なし"である(笑)。
生前、あんまし、
世と人のお役に立つことを
してこなかったので、
死んだ後くらい、
医学生の役に立てたら
これほど"死人冥利"に尽きることはない。
まして、自分は、
長年、医大の小児病棟で
入退院を繰り返して、
さんざんお世話になったのだから、
その恩を返す…という意味もある。
それと、
生物学科の学生時代に
ラットをはじめ
さまざまな生物の解剖もしてきたし、
生物教員になってからも
マウスの解剖を生徒たちにもやらせた。
生きた物の命を
「勉強」や「学問」の為に
奪ってきた罪深さがあるから、
"死体"を切り刻まれても
当然だと思っている(笑)。
献体の会の『会報』を
毎年見てると、
解剖実習に携わった学生さんたちの
心からの感謝の言葉が
巻末に載せられており、
誰もが単なる実習ではなく
真摯で敬虔な思いで
"献体"と対峙している事が
よく解る。
ただ、献体はその後、
集団火葬されて
合同葬儀後に
「お骨」として1年後に
遺族に戻されるというので、
家族が「儀式喪失」で
「喪の過程」を経ないので、
心の整理がつかない…という
唯一「心理的弊害」がある。
遺族にしてみれば、
よほど死生観がしっかりしてないと、
後期高齢者以上はいいとしても、
それ以前の夫や父親の
「遺体・遺骨」がないと、
哀しんだり手向ける「対象」がなくて
心理的に「納まりがつかない」現象が
起こるようである。
なので、いくらかは、
長生きした方がよさそうだし(笑)、
前もって、ちらちらと
「自分の意志・希望」を
家族に言っておくのも、
「丁寧な終活」なのかもしれない(笑)。
きのうも、
「死にたい」という
希死念慮を持つJCと対峙して
それを受け止めたので、
「死」は、
我われ心理臨床家にとっては、
普段から接している
普遍的現象でもあるのである。
ソーちゃんの
王位戦「第二局」の
初日が終わり、
その時点では
「73対27」とAI評価値が
ソーちゃんの優位に傾いている。
ここから、
彼が悪手を指すという
可能性も低いので、
このまま勝ち切りそうな感じだ。
それで、
ようやく
七番勝負の「1-1」になるから、
振り出しに戻る。
きのうは、
ソーちゃんの研究手に対し、
中盤で4時間ちかくも
トヨピーが大長考をした。
そして、
その結果指した手が、
AIの候補手から外れて、
評価値が大幅に傾いた。
AI的には
「悪手」と見做したようである。
大長考の間は
ジッと画面を見ているわけにもいかず、
狐狸庵先生の
『秋のカテドラル』を
読了した。
そして、
アマゾンに、
未読の新発見原稿を
書籍化した
『薔薇色の門/誘惑』を
注文した。
巻末の一篇は
74年に少女漫画誌『りぼん』に
掲載された狐狸庵物で、
少女向けに書かれた
馬鹿ばかしい噺だが、
クスリとくすぐられた。
狐狸庵先生も
NHK集金人とは
密かに暗闘されていたのだなぁ…
と想像したら可笑しかった。
マイナー党「N党」の政治活動で、
個別集金は撤廃され、
近々にスクランブル化される、
というが…。
立花党首は、
エビジョンイルこと
海老沢会長の「懐刀」と言われた
ポストにいた人物で、
NHKの裏の顔を知りつくし、
その腐敗構造を社会に暴露して、
国政レベルで解決しよう
という「NHK愛」から政治家を
目指したという。
職員の平均給与が
1800万円というのも
驚くべきことだった。
そして、ディレクターたちの
何人もが億単位の
横領をしたことや
いくつかの不正を
闇金で処理したことなどを
YouTubeで暴露している。
NHKは、今日、下請けと称する
多企業に分社化し、
その利益剰余金(内部留保)は、
今や一千億円を超えている。
カミさんが
ゆんべ9時頃に
修学旅行から疲れ切って
帰宅した。
旅先から、
しぱしば写メを送ってきた。
かつて、我が家の近所にあった
東福寺にも同僚を誘って
赴いてきたようで、
よく出かけた本堂の
「市松の庭」の画像に
懐かしさを覚えた。
ことに、
教員時代の夏休みの最終日に、
ひとりで出かけて、
平日の誰もいない廊下に
ゴロリと横ンなって
居眠りしながら
この庭を独り占めして
眺めていた"贅沢な時間"を
思い出した。
今日・明日と
ソーちゃんの王位戦
「第二局」がある。
初戦の「後手」を落としたので、
今日の「先手」では
是か非でも「勝ち」に行ってほしい。
幸い、オフ日なので、
日がな一日、
ごろ寝「観戦」してることに
しようと思っている。
不用意に外出して
「感染」でもしたら、
エライこっちゃ(笑)。
市内の昨日の感染者数は、
90人台にまで
またジワジワと増えてきている。
二泊三日の京都・大坂への
修学旅行を引率している
カミさんが今日
帰って来る。
京都に着いた初日に、
京都駅八条口の
様子を写メで送ってきた。
よく日曜ごとに
ブックセンターがある
「アバンティ」には
出かけたものである。
中の様子が
以前と変わってた
と知らせてくれた。
「暑さは?」
と訊いたら、
「駅に下りたとたん、
あのムワッとする
蒸し暑さだよ~」
とのことだった。
京都も盆地なので、
特有の蒸し暑さなのである。
金曜5時に
大阪局から放送される
『キンゴジ』に
アサちゃんが出ているので、
毎週チェックしている。
御年30歳になった彼女だが、
時折、その面差しに
美少女の影を見ることがあり、
去年の夏は、そこから
インスパイアされて
『名人を超える』という
将棋小説を書き上げた。
【二匹目の泥鰌(ドジョウ)】
じゃないが、
また、何か、悲恋物路線とかで(笑)、
インスパイアされないか
その美顔を凝視してるが、
哀しいかな、何も浮かんでこない。
ニューサイエンスの旗手
デヴィッド・ボームは、
見えない世界を
「implicate order=暗在系」
見える世界を
「explicate order=明在系」
と呼んだ。
それは、近代科学の
デカルト的な「二分法」という
分離を強調する考え方への
アンチ・テーゼでもあり、
「全体性」という視点を
科学界・思想界に持ち込んだ。
そして、見える世界の背後には、
分断も境界もない
見えない世界があり、
意識も物質も
そこから展開してくるという。
これはインド哲学にも
似た考えである。
ボームは、
一つの素粒子には
他の全ての粒子の営みが投影され、
同時にその粒子の在り方は
他の全ての粒子に浸透している、
と考えた。
そして、その考えは、
フィルムの一部分だけから
全体が再現できる
ホログラフィー(完全写象法)と結びつき
【部分が全体であり、全体が部分である】
という暗在系のパラダイムを示した。
ボームの理論を援用すると、
あるいは、
暗在系という「見えない世界」に
二次元コードが書き込まれ、
それが投影されて
明在系という「見える世界」が
顕在化しているとも考えられ。
2月7日から
『リュート・マラソン』と銘打って
毎日、Facebookに
ギター曲を投稿している。
ブログ同様に
偏執者らしく
しつこく続いている(笑)。
自分でも、
もうそろそろ
飽きるかと思っていたが、
事が自分の中核に近い
「ギター音楽の追求」なので、
かえってのめり込んでいる風である。
スマホとOBS(動画ソフト)と
スクール・リバーブ(残響アプリ)の
三点セットでの素人作りだが、
それでも、自己満足できる
ていどには撮れている。
ただし、演奏ミスだけは
どうにもならないが…。
あんまり、
しつこく、撮り直しなぞすると、
嫌気がさしてくるので、
ミスも許容範囲と割り切っている。
「ミス」については、
公開演奏するに当たって、
ずいぶん悩んできたが、
最近、ようやく
開き直れるようになった。
それには、
フジコ・ヘミングの言葉が
勇気を与えてくれた。
「間違えたっていいじゃない。
機械じゃないんだから」
「私はミスタッチが多い。
直そうとは思わない。
批判する方が愚かしい」
「ぶっ壊れそうな鐘があったって
いいじゃない…」
(『ラ・カンパネラ』について)
「超絶技巧に中身
(人間的、愛、頭)がなければ、
うつろな響きしか出ません。
そんなものは機械でやった方が
良いでしょう。
演奏家の人格と頭脳は、
必ず演奏に表れます」
「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」
「初心者はピアノを弾くための
指の練習なんかしないほうがいい。
曲の中には、とんでもなく
難しい部分があるでしょ。
私はその曲の中で、
指の練習をすることにしているの。
人生は、指の練習をしているには
短すぎるし、第一、意味がないもの」
「ピアニストは
綺麗な手をしている人が多い。
手をとても大事にしているから。
私の手はちっとも綺麗じゃないけれど、
表情に満ちている」
通読している『ゴルゴ13』の
新刊を買って、
レンタルでも新刊を3冊ほど
借りてきた。
高温多湿環境と
エアコンによる
低音少湿環境を
頻繁に出入りしているせいか、
自律神経が、いささか失調気味である。
それが、カラダの怠さや
背中の痛み、胃腸の不快感などに
現れ来つつある。
つくづくHSPの
過敏な面が
恨めしくもある。
でも、生きてる限り、
仕方ないと思って、
それなりに対処している。
スピリチュアルな解釈では、
これらを含めて
「すべて」を体験するために、
受肉して、この世にやってきた
「魂」だもんね(笑)。
純粋な精神性や意識性、
魂だけの存在では、
無感覚・安楽に過ぎて、
やっぱり、この感覚に満ちた
肉体世界・物質世界が
懐かしくなるのかもしれない。
いろんな「耳学問」を求めて
YouTubeをサーフィンしているが、
今朝、引っかかったのは、
東大の数理研で発表された、
「ホログラフィック説」である。
これは、
あの天才ホーキングが、
ブラックホールの表面には
情報が書き込まれている
という事を証明したことにより、
それをさらに数式で発展させて、
我われの世界は二次元情報が
「量子もつれ」によって
投影されたホログラムである、
という説である。
超天才のアインシュタインが
気付いていながら
認め難かった「量子もつれ」が
今日では実験で証明されており、
それが、じつは宇宙と存在の謎を解く
核心的なパスルのピースである事が
解ってきたのである。
宇宙は「量子真空」という
エネルギーに満ちた「特異」な状態から
ビッグバン→インフレ―レーションを経て
今日の時空や物質界が誕生した。
「E=mc²」
(エネルギー=物質×光速の二乗」
という公式から、
エネルギーは物質に転換するものであり、
逆も然りである。
生物を含む物質は全て
原子やそれを構成する素粒子から
出来ており、それらは、
量子的な特異的な振る舞いをする。
特徴的なのは
「粒子」と「波」の両性質がある、
ということである。
そして、波動関数や
波動方程式から導かれたのは、
あらゆる「物」は、
波のようなエネルギー状態で
存在しているが、
観測された瞬間に
粒子に姿を変える、
ということである。
我われが目をつむっている間は、
世界は存在せず、
ただ波動エネルギー状態にあるが、
目を開けた瞬間に
世界として現前化するのである。
これを、
ゲーム画面で説明した動画があった。
つまり、ある動的なゲームの
瞬間の画面は、都度都度に
「0」「1」のデータが
画素(粒子)に変換されるのであって、
最初っから、すべての画面が
あるのではない、というのである。
別な喩えで言えば、
列車の最後尾に立って、
後方の景色を見ていると、
次から次へと風景が変わるが、
これは、前もって
景色が出来ているのではなく、
「観る」というアクティヴな行為により
初めて、景色がそこに立ち上がってくる、
ということでもある。
この思考実験は、
「決定論」でも、よく使われるが、
その場合は、未来までの全ては
すでに決定しており、
「列車が進む」という
「時間」の流れによって、
決まっている景色が観れるに過ぎない、
という説明である。
また、これは、
初期条件が未来を全て決定する、
ということで、
ビリヤードの最初のブレーク
(セットした玉をはじくこと)が、
何秒後かの状態(未来の結果)を決定する、
という説明もよく使われる。
ここにパラレル宇宙説を持ち込むと
「初期値」(ビッグバンの仕方)が違えば、
ありとあらゆる無限の結果(宇宙)が
創生される、ということになる。
さらに、そこに、量子力学の
「重ね合わせ」の理論を
誤用かこじつけると、
それらの宇宙はすべて
重ね合わさられて存在している、
と考えることもできる。
スピリチュアル本には
そのような宇宙観を説くものも
少なくない。
深層心理学的や臨床心理学的に
それらにコメントするならば、
そのような「ファンタジー」や「物語」が
自我(意識)に「安寧」や「安心立命」感を
供与するのであれば、
それはそれで結構…
というスタンスである。
それを宗教では…
【信ずる者は救われる】
【イワシの頭も信心から】
・・・と、言ったのかもしれない(笑)。