写真は昆明市郊外に元のクビライの時代にクビライの命を受けて雲南統治を行ったサイード・シャムスッディーン指揮で完成した龍川橋と松華坝ダム。橋の横に建てられた石版にも「至元年間に創建された」と書かれている。
元代の構造物としては街の構造や灌漑設備の重要部分に今に受け継がれるほど、重要な施設を作っていたため、残っているが、遺跡な文化施設は驚くほど残されていない。
明代に徹底的に元の遺物が排除され、破壊されつくしたかが想像される。
【雲南唯一のモンゴル村】
興蒙蒙古族郷は海抜1800メートル、年平均気温15.6度。
興蒙蒙古族郷という名称は1988年に付けられました。それ以前は興蒙郷、1949年以前は漁夫村と呼ばれていました。1830戸、5631人が暮らす中で、モンゴル族は5391人。約96%を占めています。おそらく、モンゴル族ではない人は嫁いできた女性ぐらいなのではないでしょうか?
モンゴル族特有の婚礼や歌舞、三杯杯酒やバーベキューなどモンゴル文化が残る村には雲南にありがちな少数民族風情を売り物にしたテーマパーク的観光村はなく、ごく普通に日々の営みが行われています。
また昨年12月14日には、雲南省民族学会蒙古族研究会と内モンゴル自治区にある錫林郭勒職業学院と興蒙郷政府の共催で、
「蒙古人歴滇760周年」
を記念したお祭りが盛大に開かれました。
760年前とは、モンゴル軍のフビライが雲南を征服にきた日です。モンゴル人以外にとっては微妙なお祭りといえましょう。
雲南と内モンゴル自治区、中国の最南と最北で地図を頭に描くと、とても遠い場所ですが、今も残る茶馬古道など騎馬ルートで昔から交易路で繋がっていたところで、心理的な距離は上海などの沿海地区よりずっと近いのでしょう。今もなお、深いつながりがあることが祭りの挙行からも伺えます。
ちなみに行われた行事は、
・「チンギスハーンの祭典儀式」
・「蘇魯錠落成儀式」
など。
蘇魯錠とはチンギスハンの権威をあらわすモンゴル族の長矛のこと。これを大通りにモニュメントとして設置。高さは10メートルほど。蘇魯錠は日本語で『スルデ』と読めますが、スルデをインターネットの検索をすると、モンゴル族の霊旗、モンゴルの楽器に使うバチ、守護精霊など、さまざまな日本語訳がでてきます。モンゴル族の精神に深くかかわるもののようです。
(参考ウェブ:通海県興蒙郷http://xxgk.yn.gov.cn/zmb/newsview.aspx?id=2615713)
百度百科:興蒙蒙古族郷http://baike.baidu.com/view/3043366.htm?fromtitle=%E5%85%B4%E8%92%99%E4%B9%A1&fromid=2523578&type=syn)
(つづく)