写真は、中国の盆栽。西安のイスラム教寺院に飾られていた。樹種は、おそらくサボテンか。古都だけあって、西部大開発のさなかでも寺院の中は静寂が保たれていた。鉢に縦書きの筆書きを彫った形の漢詩などが書かれた黄や赤茶けた砂岩質の植木鉢は中国ならではで、日本に持ち込むと園芸家がたいへん喜ぶ。
【陳豪と阮成発】
武漢市書記だった阮成発が雲南省副書記に任命された当時の書記は陳豪でした。彼は2014年により雲南省副書記に就き、その後、代理省長、雲南省長などを兼任し、すべるように2016年8月より雲南省書記についた人物です。彼も雲南生粋の人ではありませんでした。江蘇省の出身です。
彼が呼んだのでしょうか?
陳豪は、上海の華東師範大学を卒業し、1997年に上海市委員会副書記ほか、上海市で長く公職についていました。そして2007年3月に習近平が上海市の党委員会書記になったときに、部下として認められたのか、習近平の昇進につれ、中央で昇格していきました。
習が2012年11月に中国共産党中央委員会書記となり、2013年3月に国家主席になるころ、2013年2月に陳豪は、中華全総副主席、党組書記、書記署第一書記を兼任するようになったのです。
そして2014年10月に中共中央の命令で雲南省委員会副書記に任命されたのでした。
つまり、習近平の指令を受けた落下傘部隊なのでは、と推測されています。
陳豪と阮成発は、まさに西部大開発、そして東南アジアへの窓口にあたる雲南省の強化のために呼び込まれた雲南のためではなく、中国中央のための人材といえるでしょう。
さて、阮が副書記に就任して一週間もたたない12月28日に上海、杭州、南昌、長沙、昆明の2266㎞を結ぶ高速鉄道が開通しました。その講話で彼は1910年に完成した雲南とベトナムを結ぶ鉄道「滇越鉄路」を引き合いに出そうとして「鎮越鉄路」と「滇」を「鎮」と何度も言い間違えをしました。
雲南を古代よりあらわす「滇」の言葉を間違えたことに雲南の新聞記者は「滇人は目に涙を浮かべ、衣の袖をぬらした」とその言いしれぬ悔しさを表現したのでした。
(つづく)
※次週は更新を休みます。以前より、日本も光がさらにまぶしくなっています。目の日焼けもお気を付けください。目は修復が難しいので。
【陳豪と阮成発】
武漢市書記だった阮成発が雲南省副書記に任命された当時の書記は陳豪でした。彼は2014年により雲南省副書記に就き、その後、代理省長、雲南省長などを兼任し、すべるように2016年8月より雲南省書記についた人物です。彼も雲南生粋の人ではありませんでした。江蘇省の出身です。
彼が呼んだのでしょうか?
陳豪は、上海の華東師範大学を卒業し、1997年に上海市委員会副書記ほか、上海市で長く公職についていました。そして2007年3月に習近平が上海市の党委員会書記になったときに、部下として認められたのか、習近平の昇進につれ、中央で昇格していきました。
習が2012年11月に中国共産党中央委員会書記となり、2013年3月に国家主席になるころ、2013年2月に陳豪は、中華全総副主席、党組書記、書記署第一書記を兼任するようになったのです。
そして2014年10月に中共中央の命令で雲南省委員会副書記に任命されたのでした。
つまり、習近平の指令を受けた落下傘部隊なのでは、と推測されています。
陳豪と阮成発は、まさに西部大開発、そして東南アジアへの窓口にあたる雲南省の強化のために呼び込まれた雲南のためではなく、中国中央のための人材といえるでしょう。
さて、阮が副書記に就任して一週間もたたない12月28日に上海、杭州、南昌、長沙、昆明の2266㎞を結ぶ高速鉄道が開通しました。その講話で彼は1910年に完成した雲南とベトナムを結ぶ鉄道「滇越鉄路」を引き合いに出そうとして「鎮越鉄路」と「滇」を「鎮」と何度も言い間違えをしました。
雲南を古代よりあらわす「滇」の言葉を間違えたことに雲南の新聞記者は「滇人は目に涙を浮かべ、衣の袖をぬらした」とその言いしれぬ悔しさを表現したのでした。
(つづく)
※次週は更新を休みます。以前より、日本も光がさらにまぶしくなっています。目の日焼けもお気を付けください。目は修復が難しいので。