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雲南の牛肉⑧ 中国では消えた生肉料理

2015-07-05 11:05:00 | Weblog
やみつきになって連日食べていたシーサンパンナ傣味檸檬干巴はその名の通りビーフジャーキー状の干巴を裂いて、小さなレモンの汁をかけて食べるもの。ビールともよく合う。

このように肉でも酸っぱい、を取り越して苦さまで許容してしまうタイ族の人たち。蒸し暑い気候では、酢やレモンなどの柑橘類、香草などは必須アイテムなのだろう。

【大切にされたアジアの牛】
 冷蔵庫のない時代、羊や豚よりもはるかに大きい牛を殺して食料にするということは大事件だったことでしょう。村で分けてもすぐには食べきれず、保存法をあみ出す必要がありました。

そのため世界中で日持ちのための技法が発達しました。インディアンのビーフジャーキー、イタリアの牛の生ハム・ブレアオーラは有名です。

 ただ東アジアの多くの地域ではかつては運搬や農耕などで情がうつるせいか、神への捧げ物など特別な場合をのぞいて食料としない雰囲気がありました。

 インドでは牛は神の使いとしてあがめられ、日本では、世界的にも珍しいのですが、奈良の天武天皇の時代から明治まで、肉食自体がタブー。

そんな中、「伝統的」といわれる牛肉料理が伝わるタイ族。雲南のビーフジャーキーの袋に書かれた「かつてタイ族の王室で・・」という由来は嘘なのでしょうか?

【中国では、消えた生肉料理】
 まず、中国大陸の牛肉料理の歴史、から考えてみましょう。

 春秋戦国時代(B.C.770 ~B.C.221)を書いた『春秋左氏伝』など、その時代の書物には牛は最高級の生け贄として、たとえば最高級の格式の戦勝祝いには牛一頭を抛って、牛を生や塩辛にして儀式の中でも食べています。

『漢書』には、恩赦を与えるようなおめでたい時には、村々に牛と酒を配給し、一緒に祝う記述がたびたび登場します。豚や鳥ではなく、「牛」とわざわざ指定されるほど、価値の高い物だったのです。

 そのときの牛肉を保存する際は「塩辛」つまり、「酸牛肉」系の料理でした。肉の塩辛は「醢(かい)」といい、豚、鹿肉や魚などを塩して、つけ込みました。植物系が醯「醤(ひしお)」です。

●塩辛が60種類!?

 前漢以前の書物とされる『周礼』天官冢宰1には、何十種類(100近い)皿を、身分を応じて並べますが、君主は、動物系と植物系のしおからをそれぞれ60瓶、合計120瓶を常備することとされていました。それぞれの料理のたれとして、そのときに応じて自在に使うためです。塩辛専門の官職が定められていたのですから、おそろしい。
〈『儀礼』公食大夫の礼には、その並べられ方の詳細がでています。〉

 ところが宋の時代(960年から1279年)に入った頃には、まず、すっかり生肉を食べなくなりました。理由は中華鍋の発明、火力の発展、疫病の流行、など様々言われていますが、推測の域を出ません。ともかく以後、現在にいたるまで漢族の料理から生肉は消えるのです。

 火を使った牛肉料理も豚、羊、トリ肉料理の著しい発展に比べればさびしいものでした。牛肉の品質が火を入れると硬くなることも原因だったのかもしれません。


※当ブログの表紙の絵をリニューアルしてみました。スマホの場合はこのほうが読みやすいと聞きまして。いかがでしょうか? 
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