写真はニアス島の北部グヌンシトリにある小学校。この小学校でも津波の教訓をこめた謡教育が進んでいる。とにかく子ども達は、どこにいっても弾けんばかり。
【つながる日本】
2004年の津波災害復興支援をきっかけに高藤さんはじめ、多くの日本の人達がその後も継続してニアス島に有形、無形の支援と信頼関係を丁寧に築いているためでしょうか。島の人はとても友好的。小学校や中学校、あるいは街中でも「アリ・ガトー」という日本語が聞かれたり、モジモジした後に弾けるような笑顔でうれしそうに抱きついてきたり、写真のツーショットをとりたがる人が多いこと。私には、こんなことは、はじめての経験です。
「将来は日本に留学したい」と目をキラキラさせて語る少年や、「JAPAN」Tシャツを着ている人も見ました。メダンでも、料理屋で見かけた青年のTシャツが「I ハートマーク JAPAN」だったことも。
行動に打算がなく、素直に日本が好きなことが伝わってくるのです。(そうはいってもお年寄りのなかには、戦時中の日本軍のイメージが残り、日本にマイナスイメージを持つ人も当然います。)
中国大陸では、日本人とわかると、壁がすーっとできて、なかなか友好ムードを作れないことが多かったので、これはとても新鮮な体験でした。もしかしたら私自身もいつの間にか壁をつくっていたのかもしれませんが。
以前も書いたように雲南にも日本軍の進撃があり、雲南のテレビで夏になると「オカアサン(音がおかあさんになる漢字5文字で当てた字幕つき。古老はおかあさんの意味は知らないらしい)」といいながら突撃して死んでいった、などと話す雲南の古老のインタビューを流したり、博物館には日本軍のよくない行いの写真や、日本軍から解放してくれたアメリカの軍隊の英雄伝とその部隊に所属していたアメリカ兵士が雲南訪問、などといったニュースを今で流れています。
あれだけの放送を見てしまえば、日本人大好き、などと言う人は、よほど日本の誰かや何かだ好きだという、専門家かマニア以外なくなってしまいそう。なかには日本人といっても「それはどこの民族?」と日本という国すら知らない人もいましたが。
話がそれました。
ニアスの人々は素敵ですが、残念なことも。世界の支援で立派な道路や橋ができたために、津波や地震でせっかく生き延びた人達がいま、交通事故でなくなっていくこと。高藤さんによるとガソリンスタンドができて、車やバイク保持者が増加するなど、生活も地震後、大きく変化したとのことです。
食事を食べたあとバナナの葉を捨てれば自然に還っていた生活が抜けないニアスの人にとって、プラスチックでできたいろいろなものがゴミとなって、川や海、下水路を埋め尽くしつつあるのも、じつに心配で、残念な光景です。
また、日本にくるインドネシアからの研修生は、まじめな人が多いにもかかわらず、日本の人との交流がうまくできず、いわれない悲しみの中にいるケースもあるようです。
インドネシアに尊敬される日本。メダンでは今年初め漫画の「宇宙兄弟」の大規模な展示館が開かれ、多くの声優さんが日本からやってきて、大盛況だったとか。
地道に築かれている日本への信頼は大切にしたいですね。
(つづく)
*次週の更新はお休みさせていただきます。なかなか、雲南につながらんぞ、と思わずに次回の更新もごらんいただけたら幸いです。
*雲南では四川に近い北東部の昭通市の魯甸県で8月3日に地震が発生し、617人が死亡。さらに同市永善県では約3400人が被災したとのことです。中国でも大きく報道されていて、日本の日立が100万元(1650万円)義援金を送ったことが新聞に出ています。この災害については、うわさ、というかデマも含めて、後日、触れたいと思います。
【つながる日本】
2004年の津波災害復興支援をきっかけに高藤さんはじめ、多くの日本の人達がその後も継続してニアス島に有形、無形の支援と信頼関係を丁寧に築いているためでしょうか。島の人はとても友好的。小学校や中学校、あるいは街中でも「アリ・ガトー」という日本語が聞かれたり、モジモジした後に弾けるような笑顔でうれしそうに抱きついてきたり、写真のツーショットをとりたがる人が多いこと。私には、こんなことは、はじめての経験です。
「将来は日本に留学したい」と目をキラキラさせて語る少年や、「JAPAN」Tシャツを着ている人も見ました。メダンでも、料理屋で見かけた青年のTシャツが「I ハートマーク JAPAN」だったことも。
行動に打算がなく、素直に日本が好きなことが伝わってくるのです。(そうはいってもお年寄りのなかには、戦時中の日本軍のイメージが残り、日本にマイナスイメージを持つ人も当然います。)
中国大陸では、日本人とわかると、壁がすーっとできて、なかなか友好ムードを作れないことが多かったので、これはとても新鮮な体験でした。もしかしたら私自身もいつの間にか壁をつくっていたのかもしれませんが。
以前も書いたように雲南にも日本軍の進撃があり、雲南のテレビで夏になると「オカアサン(音がおかあさんになる漢字5文字で当てた字幕つき。古老はおかあさんの意味は知らないらしい)」といいながら突撃して死んでいった、などと話す雲南の古老のインタビューを流したり、博物館には日本軍のよくない行いの写真や、日本軍から解放してくれたアメリカの軍隊の英雄伝とその部隊に所属していたアメリカ兵士が雲南訪問、などといったニュースを今で流れています。
あれだけの放送を見てしまえば、日本人大好き、などと言う人は、よほど日本の誰かや何かだ好きだという、専門家かマニア以外なくなってしまいそう。なかには日本人といっても「それはどこの民族?」と日本という国すら知らない人もいましたが。
話がそれました。
ニアスの人々は素敵ですが、残念なことも。世界の支援で立派な道路や橋ができたために、津波や地震でせっかく生き延びた人達がいま、交通事故でなくなっていくこと。高藤さんによるとガソリンスタンドができて、車やバイク保持者が増加するなど、生活も地震後、大きく変化したとのことです。
食事を食べたあとバナナの葉を捨てれば自然に還っていた生活が抜けないニアスの人にとって、プラスチックでできたいろいろなものがゴミとなって、川や海、下水路を埋め尽くしつつあるのも、じつに心配で、残念な光景です。
また、日本にくるインドネシアからの研修生は、まじめな人が多いにもかかわらず、日本の人との交流がうまくできず、いわれない悲しみの中にいるケースもあるようです。
インドネシアに尊敬される日本。メダンでは今年初め漫画の「宇宙兄弟」の大規模な展示館が開かれ、多くの声優さんが日本からやってきて、大盛況だったとか。
地道に築かれている日本への信頼は大切にしたいですね。
(つづく)
*次週の更新はお休みさせていただきます。なかなか、雲南につながらんぞ、と思わずに次回の更新もごらんいただけたら幸いです。
*雲南では四川に近い北東部の昭通市の魯甸県で8月3日に地震が発生し、617人が死亡。さらに同市永善県では約3400人が被災したとのことです。中国でも大きく報道されていて、日本の日立が100万元(1650万円)義援金を送ったことが新聞に出ています。この災害については、うわさ、というかデマも含めて、後日、触れたいと思います。
http://www4.nhk.or.jp/P2614/x/2014-09-14/11/27670/
来春に、雲南ハムの取材をしようかと思った矢先に、まさにその場所が地震でたいへんなことになってしまい、当分、取材どころではなくなってしまいました。番組では雲南ハムのこともふれるらしいです。どこでつくっているのかと興味津々です。