石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(111)

2024-02-02 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

第4章:中東の戦争と平和(25)

 

111 イラン・イラク戦争:産油国と米国が味方のイラクと孤立無援のイラン(3/3)

国内に多数のシーア派住民を抱えるクウェイト、サウジアラビアはひ弱で、大国イランを相手に自ら戦争の表舞台に立つことはできない。フセインはイラクが両国に代わってイランと戦うので戦費を負担せよと迫った。豊かな産油国であるクウェイト、サウジアラビアにすればカネで済むのであればむしろありがたい。彼らは進んで戦費を負担した。さらにフセインはシャー体制の転覆、テヘランの米大使館占拠事件などにより米国に反イラン感情が高まっていることも見逃さなかった。米国がイラクの独裁政権を表立って支援するとは思えないが、もしイラクがイランと開戦すれば米国がイラクの肩を持つことはほぼ間違いなかった。そして実際に戦争がはじまると米国どころかソ連もイラクを支援したのであった。

 

1980年9月にイラクの奇襲作戦によりイラン・イラク戦争は始まった。緒戦は近代装備に優れたイラク軍がイラン領土内に攻め込んだ。しかしイラン側の抵抗も激しかった。イスラム革命を経験したばかりのイラン人義勇兵の戦意は高く、死をもいとわず勇猛果敢に戦った。恐れをなしたのはイラク側である。イラン兵は倒れても倒れても雲霞の如く戦場に現れる。なにしろイランの人口は8千万人であり義勇兵の補充に事欠かない。イラク兵は戦意を喪失した。こうして戦況は翌年5月には膠着状態に陥ったのである。ペルシャ人対アラブ人、シーア派対スンニ派のイラン・イラク戦争は消耗戦争の様相を呈した。

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 

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