高谷オカリナの里発2

栃木県佐野市白岩町高谷(たかがい)にある、「高谷オカリナの里」の管理人(自称)のブログです。

「ザ・ナターシャー・セブン」について 宵待ちコンサート

2008-09-30 23:44:08 | 音楽

中学高校時代「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」が大好きで、
コンサートに行くのがとても楽しみだったし、好きだった。
但し彼らは京都がホームで、なかなか栃木県方面には来ないし、
今みたいにインターネットなんか無いので情報が何にも無い。
そんな中で、足利で年1回定期的に「ナターシャー」のコンサートをはじめたのだ。
仕掛け人は、館林に住む野村幸男さん(現在は(有)みにむ・渡良瀬通信編集室 代表)、
「おらが村」と言う集団?を作って「三文芸人の唄」と言う機関紙を発行するなど、
いろいろ活動をしていた人だ。
当時の自分は「なんだかフィールドフォークみたいな活動をしている人だなー」
ってくらいにしか思っていなかった。
この頃の記録と記憶があいまいなので、間違っていたらごめんなさい!
確か高校3年の夏の「宵待ちコンサート」だったと思う。
京都の「宵々山コンサート」の1週間前に開催された。
この年のコンサートは熱く濃かった。
「柳橋のカンケリ仲間」の、飯田君と野尻君の3人で聴きに行くのだが・・・
足利市民会館前は開場前から行列が出来「ナターシャー」のファンがこんなにいるのかと思うくらい・・・
開演した会場は満員とは行かなかったが、アットホームな雰囲気でコンサートは進行していく。
「八丈太鼓ばやし」を唄い2ndパートに入った頃だったと思う、
突然照明が消え、PAの音響も無くなった。
夕立による停電だった。
そんな中でも、ナターシャーの皆さんは、動じる事も無く、
何事も無かったかのように太鼓を叩きギターを弾き唄い続けている。
エレキを使っていないので、本当の生音が堪能できたのは、
不幸中の幸い、と言うかラッキーだった。
でも、何事も無かったように、歌や演奏を続けていた「ナターシャー」の皆さん「さすがプロ!!」
ラッキーと思うよりもプロはすごいって事に感動している自分がいた。
コンサート終了後、自分の音楽のバイブルともいえる「107SONGBOOK」を購入出来たし、
握手をしてもらって、またまた感激。
思わず、翌日行われる「ナターシャー」VS「おらが村」の野球の試合を見に行こうと決める。
翌日飯田君とグローブを持って足利の会場に行く。
足利工業大学のグランドで行われる野球の試合は、前日の夕立のせいでグランドは水溜りだらけ。
しばらくみんなで水さらいするのだが、焼け石に水状態。
結局、近くの小学校に場所を変えて試合をする事になるのだが、みんなは車に乗っていってしまうし、
その小学校がどこにあるのかもわからない。
2人だけ取り残されてしまった。
しばらく途方にくれていると、1台の車がやって来る。
「野球を観に来た人ですよね?」って、女性に方に車で小学校まで連れていって頂いた。
試合は、つなぎのユニフォームを着て、背番号が「麻雀パイ」の「おらが村」チームの勝利になる。
試合展開は、「おらが村」の先発のピッチャーが「ナターシャー・チーム」を完璧に近い状態で抑えていた。
途中5回か6回だったと思う、キャッチャーとピッチャーが入れ替わる。
余裕の試合をリリーフピッチャーが試合を手に汗握る好ゲームに変えてくれた。
自分もただ見学に来ただけだけれど、ともやさんとキャッチボールで来て、
忘れられない夏になったのだった。
実は、これに関しては「後日談」がある。
もちろん、投稿は後日だ!

とりあえず「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」についてに関する投稿は、これでひと段落です。

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