Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

画像収集

2010-03-11 10:52:20 | days
ちょっとチョン・ジヒョンさんの画像を壁紙中心に探して回ったら、
けっこう見つかった。一気に70MB近くのデータ量。
これが去年までのようにナローバンドだったらこうはいかない。
途中であきらめているかもしれないし、
70MBですごく満足しているかもしれない。
そこはブロバン、かるーくダウンロードしてしまった。
「すごく便利になったもんだよなぁ」しみじみと茶をすする。

いまお熱の女優M・Nさんの画像はナローバンド時代に必死になって集めて、
それでも100MB弱なんですよねぇ。これが今また集め始めたらもっと集めることが
できそう。でも、いつでもできると思うから、いつまでたってもやらないっていう
心理に陥っています。

昔お熱だった、アイドルM・Mさん(現R・Mさん)の画像は、
これはいろいろ頂いたりして、450MB以上あるのです。
ナローバンド全盛の時代、97年とか98年とかその時代に
集めたわけですから、けっこうなものです。
すごい情熱。すごいエネルギー。すごい若さ。若気のいたり。
この活力をなにか別の方向へ向けていたら…。
いや、でも、これだって、何かとのバランスの関係でそうなっていたとも
考えられるわけですからね、一概にどうだとは言えません。

もうちょっとアート関係の画像でも集めたらどうなんだろう。
こりゃかっこいいっていう壁紙だとか、美しい風景、
異国の街並、そういったものもちょっとだけハードディスクに
保存されていますが、そういったものを充実させて、
デスクトップ壁紙をころころ変えて楽しむようなことも
やってみたら面白そうです。

ほんと、10代のころには考えられなかったパソコンライフ。
ITの革命っぷりをまざまざと実感するのは、
こういうときばかりではないけれど、
それ以前と以後の情報格差加減みたいなものって
相当なものだよなぁと、これまたしみじみ思ったりして、茶をすする。

ま、でも、画像もねぇ、人物を被写体としているものには権利うんぬん
いろいろあるみたいなのでね、大きな声ではいろいろ言えないですね。
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『坂本龍馬』

2010-03-10 09:39:28 | 読書。
読書。
『坂本龍馬』 黒鉄ヒロシ
を読んだ。

漫画なのですが、漫画といっちゃいけないようです。
じゃぁ、劇画かといえば、それもいっちゃいけないようです。
ではなんなのか。歴画というジャンルのものだそうです。

普通の漫画とどのように違うかといえば、
著者は膨大な資料を読みこんで、フィクションのところもありながら、
要所は史実でガツンとまとめているようです。
さらに、龍馬の手紙などをそのまま現代語訳せずに
使っている場面が多数ありました。

よって、普通の漫画よりも、軽いタッチではありながら重厚感があります。
600p弱ですが、けっこう読むのに時間がかかりました。

だけど、面白かったです。
坂本龍馬の本は中学の時に、史実を追うものを読んだ気がするのですが、
まるっきり覚えていないんですよね。
それに幕末の動乱、佐幕だの攘夷だのが最近までよくわかっていなかった。
2,3年くらい前に読んだ、司馬遼太郎さんの『最後の将軍 徳川慶喜』で
当時の状況がやっとわかってきたような気がする。
それくらいの予備知識があれば、面白く読める本だと思いました。

幕末の混乱期に、伸び伸びと力強くしなやかに、
自分の生を燃やした坂本龍馬。
勝海舟という人がこの人の師匠分(上司ですが)だったのだなぁとはじめて知った。
そのほかにも、いろいろと、この時代を動かした大きなできごとの中心に
坂本龍馬がいたりしますね。
もしも彼が近江屋で殺害されなかったら、『龍馬伝』でおなじみの岩崎弥太郎が
創った三菱よりもスケールがでかくて、今なお続く大企業を作り上げた
かもしれないです。

そうそう、『龍馬伝』のように、
惚れたとか恋したとかそういうのはないですねぇ。
龍馬は子供のころこそ、泣き虫でしょんべんたれで洟たれだったようですが、
けっこうモテたみたいですね。そういうところもページを割いてくれていたら、
もっと面白かったんだろうけど、それだと上下巻組になったんだろうなぁ。
近年こそクローズアップされた人物だけれど、けっこう裏方の人間のような
ところがあるので、龍馬という人間を後世に伝える証言をしてくれる人が
少なかったんじゃないかなと思えます。歴史の闇に葬られたことですが、
龍馬の実像っていうものを知りたいもんですねぇ。

そして、龍馬の妻のおりょうさんなんですが、
この歴画でも、坂本龍馬が登場する『修羅の刻』っていう漫画でも、
裸で風呂からあがってきて、龍馬に危険を知らせたるのですが、
これって史実なんですかね。だとすると、『龍馬伝』で真木よう子さんの
真っ裸をおがめるということなんでしょうか。
って、NHKがそんなことをするわけがないですね、てへへ。

おりょうさんの言った言葉をまとめた新書もいま発売されているようです、
こないだ、本屋で見ました。そういう、傍らにいた妻から見た龍馬像
っていうのも、興味がなくはないです。
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マッタリシヨウ

2010-03-09 17:35:37 | days
あっという間に、今日ももう夜になろうとしています。
なんだかんだで一日が過ぎていく。
一週間も早ければ、
一カ月も矢のごとし。
一年なんてものも気がつけば去っていく。

だから!
っていうこともないのですが、
今日はこれからのんびりと、
漫画を読んでDVDを観てCDを聴いて、寝ようかと。
DVDはチョン・ジヒョンさんの『僕の彼女を紹介します』を観る予定。
久しぶりにアジアン・ビューティを鑑賞します。
CDは坂本龍一さんの『PLAYING THE PIANO 2009 JAPAN SELF SELECTED』を。
これ、観客の咳の音がこれでもかと入っています。
そんな中でも教授のピアノは冴えているわけで、砂の中の玉を見るようなCDです。
2枚組なんですけど、2,800円なんですね、咳の分だけ安いのかもしれない。
漫画は…、明日のブログの読書ネタにしまっす(手抜きか)。

その前に食器を洗わなくては!
ちゃちゃっと済まそう。
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葬ラレル心構エ

2010-03-08 19:29:11 | days
うちの親はここ数年、
自分たちの葬儀の話をたまにするようになってきている。

お墓がないから作らなきゃだめなのか。
実家のお寺の宗派と同じところを探して檀家にならなきゃならないか。

そういったことを中心に、
いろいろと自分たちの「死」に関する話をする。

親父は僕に頼んで、新聞の書評に載っていた
島田裕巳さんの『葬式は、要らない』をアマゾンで購入し、
布団に入りながらちまちまと読んでいる様子。
そして、そこで読みかじった知識を披露したりする。
この本、けっこう売れているみたいで、
葬儀に関する疑問を、多くの人が持っている証拠なのかもしれない、
この間、22万部突破とかって広告が出ていたから。
これが100万部を突破したら、とても大きな動きだろうし、
お坊さんは青くなるのかもしれない。

そんな中、親が今日は僕の死後のことについて語り出した。
僕が死んだら誰も墓守はいないし、一人きりだから
葬儀の手配をする人もいないから、遺書を残しておくか、
信頼できる人に、生前に頼んでおかなければならない、と。

まだ僕は32歳なのでね、この先、わからないと思うんですよ。
お嫁さんと出会うかもしれないじゃないですか、
それがもう、ずっと独り者だと決まったように言われてしまって…。
そりゃ、女っ気は無いのですけど。

それに、この歳から自分の死後を憂慮するものなんだろうか。
ちょっと早い気がするよねぇ。
そりゃ、いつかは死ぬ身であるのは、誰しも同じことで、
自分の死をイメージしておくことは悪いことではないかもしれないけれど、
まだまだ、頭のほんの片隅で、意識するかしないかっていうくらいの
構え方でいいような気がするんですけどね。

親たちはどんな気持ちで自分たちの「死」を語っているのだろう。
寂しいだろうか、悲しいだろうか、はたまたけっこうドライなんだろうか。
誰だって、死ぬその瞬間の苦しみは考えたくないに違いない。
葬儀や死後のことを考えることには、
そんな死ぬ瞬間のことは含まれていないのかもしれない。
ただ、そんなことを口にするようになった変化だけは意識しておこうかと思う。

あー、でもまだ100歳まで68年もあるじゃないか。長いな、人生は。
まだまだ、自分の葬儀のことは考えないでいいですね、僕の場合は。
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潮ノ満チ引キ

2010-03-07 14:22:57 | days
この間、興奮気味に、ブログを書くのも命がけだくらいの意気込みを
述べたところだけれど、そんなに構えていちゃブログも続かないわけで…。
別に、なんでもないことをなんでもなく綴ることの何が悪いの、とも
思えてしまったり。アンチテーゼっていうんですか、いや、
肩に入っていた力が抜けたのでしょう。
そんな感じで、軽めに書いていきます。
このブログを書くことの決め事ってあんまり無いのでね、
そりゃ、誹謗中傷とかは論外ですが、まるっきり自分に
攻撃性がないわけでもなく。
潮の満ち引きみたいに、力が入ったり、抜けたりを繰り返して
バランスをとっていきましょうかね。

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教授ノ番組

2010-03-06 11:54:07 | days
Twitterで知ったのですが、
4月から、NHK教育で坂本龍一さんの新番組が始まるようです。

「“スコラ” 坂本龍一 音楽の学校」

コモンズに情報が載っているので、リンクを貼っておきます。
ココです!

4月3日より毎週土曜日 23:45~24:14

見逃せませんわな~。
毎週一曲、何か披露してくださるようですし、
サラリーマンNEOともども、夜の遅い時間帯の楽しみができました。

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信ジルモノハ救ワレル

2010-03-05 15:00:56 | 考えの切れ端
信じる者は救われる。

「Oh God! 私はあなたを信じております、どうかご慈悲を…」

僕は無神論者というわけでもないのですが、
ともすると神様はいないんじゃないかな、
なんて考えることが多いタイプの人なんですね。
創造主はいるとは思うので、創造主を神とするならば
いるだろうとは思うのですが。

だから信じる者は救われるという言葉はどこか、
宗教に対して盲目的にさせる方便みたいに聞こえる。

これが詐欺(最近好きねこの話)だと、
信じる者は(足元を)すくわれるわけです。
詐欺に限らず、対人関係においてもそうかもしない、
けっこう世の中、悲しいことにそういうことが
多かったりするような気がする。

いっそ、宗教家は、「信じる者はすくわれない!」
と第一印象の誤解を覚悟で、説いて回ったほうが、
時代に即しているんじゃないのかな。

まぁ、そんなのは日本語の言葉遊びの範囲のところですねぇ。

と、googleで調べてみたら過去に同じことを考えている人がいました。
ほんとに、信じる者は救われない宗教もありますよねぇ。
って、へんなこと言うと狙われる、このへんでおいとまいたします。
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アーソボ!

2010-03-04 18:38:54 | 考えの切れ端
奥田恵梨華さんのブログを読んでいて、
ふと自分の子供のころはどうやって遊んでいたかを考えてみた。

小学生の6年生は野球部と吹奏楽部にいそがしかったけれど、
それまでは毎日、友達みんなで外を走り回っていた。
もちろん、家でファミコンをしたり、
音楽をかけてけったいなダンスをしていたりもした。
あと、面白そうでありながら、それほど興奮しなかったのが、「家釣り」。
白い紙に魚の絵を描いてハサミで切りとり、
口にクリップをつけて、部屋の中にばらまく。
竿のほうは、棒に糸をつけて、その先端に磁石をくくりつける。
はい、準備完了。
タコがつれた~とかってやってたけど、
準備のほうが断然面白かったよなぁ。
魚の絵を描いてっていう一連の作業のほうが遊びだった。

いつからか、一連の作業は「仕事」となり、
本にしろ、音楽にしろ、映画にしろ、ゲームにしろ、
人が創りあげた、できあがったものを楽しむことが遊びになってきた。

仕事が大好きという人は、幼少時の、遊ぶための準備などの面白さを
まだ追いかけ続けている人なのかもしれない。
夢見る少年少女の片鱗が、そこには見えたりしないかなぁ。

一方、後者の、人が創りあげたもので手軽に楽しむ人は、
少し疲れた人なのかもしれない。
「手間をかけていられないんだよねぇ」
という体力や精神力や時間を節約する行為は、
子供心からちょっと遠ざかった種類のものかもしれない。

どっちがいいなんて言いません、人それぞれ、千差万別。
大人だって、みんな子供時代を通り抜けて、今の自分になっている。
その結果がどうだなんて余計なお世話レベルのことだし、
子供賛歌に終わらせるのも意味があるとは思えない。

大体、子供のころの柔らかい自由な発想というのは、
脳がまだ神経回路の取捨選択を済ませていなくて、
神経同士の無駄な結びつきが多いことの副産物に過ぎないようです。
副産物と言ってしまっていいかどうかはわかりませんが…。

そんなわけで、ちょっと「かくれんぼ」がしたくなってきました。
いろいろな「鬼ごっこ」も好きでしたが、
やっぱり体力的に疲れない「かくれんぼ」ですねー。
疲れを気にしながら、そういう遊びをしたいなんて、
とっつあん坊やが大人になった感じ満々です。
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『読まない力』

2010-03-03 12:40:31 | 読書。
読書。
『読まない力』 養老孟司
を読んだ。

第二章以降、雑誌で連載していた、
800字~1000字くらいなのかな、
短い時事のエッセイをまとめた本でした。
そのくらいの分量ではたいしたことは
言えていないんだろうとお思いのあなた!
無駄のない主張にガツンとやられること請け合いです。

養老さんって文章が下手なのかなぁ、なんて思い、
さらに養老さんの理屈は屁理屈めいているなぁと、
これまで思っていたんだけれど、今回読んでみて、
それはアナロジーのせいだったんだなぁと、ほんのり理解した。
文と文のリンクの仕方が、どこか飛んでる感じなのも、
読みなおしたり、なれてきたりするとわかるようになります。
そういったところは独特なんでしょう。

内容もまえがきからしてやられてしまいます。
「巧言令色鮮仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という孔子の
言葉が引きあいにだされて、「口でうまいことを言うヤツなんて、信用できないよ」
という意味だと語られる。
痛いところですね。
文章がうまくなりたいとか、もっといろいろしゃべれるようになりたいとか
常日頃考えていますが、そういうのは人として枝葉末節な部分で、
大事にすべきところではないのだなぁ。とはいえ、プロの人とかは、
そういった枝の部分も、考えや独創性などの幹の部分も
しっかりしていたりするんだろう。
言葉を使った表現力って、なんぞや?って思ってしまいますね。
日本におけるユング派心理療法のパイオニアで文化庁長官も務められた
故・河合隼雄さんが、まじめになると「私はウソしかいいません」と
きっぱりと言われたという話も載っています。
「ウソしかいわない」というのは、じゃ、その発言はウソなのか本当なのかという
矛盾を含んだものですが、だから河合さんは、言葉なんてその程度のものですよ、
みたいなことを言っておられたということらしいんです。
ここでも、小手先の言葉じゃなくて、人としての幹を育てることの
大事さを感じさせられます。

まえがきでも十分勉強になるのに、他にもいろいろなエッセイが盛りだくさん。
簡潔で平易な物言いなのに、深みがあって、
知識人で識者の養老さんと対話しているような読書感覚を覚えました。
とはいっても、読み手はあたりまえですがうなづくばかりですけどね。
でも、こうやって文章にすることで、アウトプットに頭を使っているのだから
少しはましなのかもしれないです。

こうやってブログを書くことにも、
あんまりサラサラっと書いてしまうのは
なんの経験にも、思索にもならないですね。
そこのところを頭の片隅に置きつつ、
自分の幹を鍛えることができるような記事を書けたらいいなぁ。

そうそう、日本が軍隊を持つことについての論説があるのですが、
そこで、国家としては武士道の精神が必要になるみたいなのがあるんです。
そこのところ、以前に読んだ北大の社会心理学者の山岸俊男さんの
『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』の主張とぶつかるところだったのが
興味深かったですね。武士道を可にするも不可にするも、帯に短したすきに長しな
印象をうけるんですよねぇ。とはいえ、統治の論理である武士道は、
きたるべき信頼社会をもたらす商人の論理とは相いれないと言われています。
これは山岸さんの主張なんですがね。でも、そこのところ、ちょっと山岸さんの
話は精彩に欠いているようにも読めるのです。信頼社会の欧米だって、統治の論理に
属する「二枚舌」を使ったりするじゃないかって。
どうも、どちらにしても、なんでもありじゃいけないっていう風潮なんですが、
僕が育ってきた中で感じてきた自由というのが、
そもそもなんでもありなイメージだったりするんですよねぇ。
考え直せということなのか。

そんな、いろいろ考えさせられて、
内容をつぶさに覚えておきたくなるような本でした。
養老さんは今年で73歳。もっと長生きしてほしいですねー。
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地方ノ声

2010-03-02 18:44:32 | days
今日は朝から、親父が札幌の病院へ行った。
8時前に家をでて、16時半ごろ帰ってきた。

科を3つ回ってきたらしいのだけれど、
やっぱり地方から大きな総合病院に通うのは大変だよなぁと感じさせられる。
うちの市の病院は、5つか6つか科があるんだけど、
今年の春から医師が1人体制になると新聞に載っていた。
1人でなぞ切り盛りできまい、個人病院じゃあるまいし。

地方だとしても、せっかく病院があるのだから、
それを使うのがよかろうという話になる。
しかし、腕が悪い、誤診があった、などという噂はもう10数年以上前から
飛び交っている。だから、ちょっと遠くだとか札幌だとかの病院へ
患者が流出し、それによって、また市の病院が儲からないから質が悪くなっていく
という悪循環になっていく。

道(北海道)としては、僕の町なぞ札幌への通院可能地区だから、
いざ市の病院が無くなってもフォローできるでしょ、
という考えがあるんじゃないかと親父なんかは話していた。
だから、道から医療関係の支援があるなどというニュースは無い。
でも、たとえばその受け入れ先の一つである市立札幌病院なんかだと、
「あんた地方からわざわざわやってこられても、
ここは札幌市民の病院ですよ、本当は」
という本音のようなものが隠されているような気もする。

田舎は不便なもの。そう思ってあきらめざるを得ないのでしょう。
静かで、星がきれいで、気楽だってことの代償なのです。
二つよいことさてないものよ、なのですね。

そんなだから、田舎は車がなければなにもできない。
電車だって3時間待ちということがあるし、
着いた駅からすごく歩かなければならない目的地だってでてくる。

環境に考慮して、エコカーには補助金とか減税とかやっていますね。
あれを、さらに、車を使わなければしょうがない田舎びとに対して、
不便な所に住むための減税を加えたらどうか。
そういうメリットがあって、人口流出、大都市集中の傾向が少しは
緩和されるのではないだろうか。

便利で娯楽にあふれていても、
すべての人が都会型の人間ではないはず。
都会か田舎かを選択できる余地を、余裕をもう少し持たせてはどうなのだろう。

そういう僕は、都会型なのか、田舎型なのか。
そりゃ、田舎に住んでますもん、都会型ですよ(え)。
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