信じる者は救われる。
「Oh God! 私はあなたを信じております、どうかご慈悲を…」
僕は無神論者というわけでもないのですが、
ともすると神様はいないんじゃないかな、
なんて考えることが多いタイプの人なんですね。
創造主はいるとは思うので、創造主を神とするならば
いるだろうとは思うのですが。
だから信じる者は救われるという言葉はどこか、
宗教に対して盲目的にさせる方便みたいに聞こえる。
これが詐欺(最近好きねこの話)だと、
信じる者は(足元を)すくわれるわけです。
詐欺に限らず、対人関係においてもそうかもしない、
けっこう世の中、悲しいことにそういうことが
多かったりするような気がする。
いっそ、宗教家は、「信じる者はすくわれない!」
と第一印象の誤解を覚悟で、説いて回ったほうが、
時代に即しているんじゃないのかな。
まぁ、そんなのは日本語の言葉遊びの範囲のところですねぇ。
と、googleで調べてみたら過去に同じことを考えている人がいました。
ほんとに、信じる者は救われない宗教もありますよねぇ。
って、へんなこと言うと狙われる、このへんでおいとまいたします。
「Oh God! 私はあなたを信じております、どうかご慈悲を…」
僕は無神論者というわけでもないのですが、
ともすると神様はいないんじゃないかな、
なんて考えることが多いタイプの人なんですね。
創造主はいるとは思うので、創造主を神とするならば
いるだろうとは思うのですが。
だから信じる者は救われるという言葉はどこか、
宗教に対して盲目的にさせる方便みたいに聞こえる。
これが詐欺(最近好きねこの話)だと、
信じる者は(足元を)すくわれるわけです。
詐欺に限らず、対人関係においてもそうかもしない、
けっこう世の中、悲しいことにそういうことが
多かったりするような気がする。
いっそ、宗教家は、「信じる者はすくわれない!」
と第一印象の誤解を覚悟で、説いて回ったほうが、
時代に即しているんじゃないのかな。
まぁ、そんなのは日本語の言葉遊びの範囲のところですねぇ。
と、googleで調べてみたら過去に同じことを考えている人がいました。
ほんとに、信じる者は救われない宗教もありますよねぇ。
って、へんなこと言うと狙われる、このへんでおいとまいたします。