Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

私、待テナイ。

2010-03-27 19:42:29 | 考えの切れ端
ソフトバンクのCMのお父さんのように、
自分がある日突然、犬になってしまったら、
はたして、餌を前にし「待て」といわれて、
素直に待つことができるだろうか。

大学を卒業してまもなくの頃に、
その街で就職した友人と、急きょ会うことになった。
僕の部屋ではみれらないBSの番組を録画してくれて、
そのビデオを貸してくれるという。
今は無くなってしまったデパート・ロビンソンの地下で
待ち合わせをした。たしか、その時刻は午後3時だったと思う。

早めに着いた僕は、5分、10分と定刻を過ぎていくのを
腕時計でたしかめて、「ちょっと遅れてるなぁ」と、
若干そわそわし始めた。

15分、20分と経過してかなりやきもきし、
友人のケータイを鳴らそうとするも、
相手の電話は圏外だということだった。

25分、30分。まじり気なしのイライラ気分で、
だめもとのメールを打つ。

35分、40分。
うんともすんとも連絡が来ないので、
その場を去った。

その夜にでも、友人にこうこうこうで、君とは会えなかったと
連絡をしたらよかったのかもしれないが、
先に向こうから連絡がなかったために、こっちもへそを曲げて、
それから何年も連絡をしないことに。
この場合、待っているときに、「あと何分待って!」とかっていう
連絡をもらえたら、かなり心境が違ったでしょう。

よく、ドラマなんかで、ずっと待ちぼうけしているシーンがあったりするし、
素人参加番組なんかで、「わたし3時間待てます」とかっていう人を
見かけますけど、僕にはそんな奇特なことはできないと感じさせられます。

待たせるほうになったら、どうだろう。
すごく遅れるようだったらメールを送るでしょう。
少し遅れる程度だったら、相手を信じて、
半ば祈るように急いで現場へ急行するでしょう。
なんで、自分が遅れるハメになってるんだ、と逆ギレする可能性もありますね…。
とはいっても、自分が待つ場合よりも心的負担は相当に少ないです。

話は最初に戻って、
自分がもしも犬で、「待て」と言われたらどうだろうかという題目ですが、
これまで書いてきたことを総合すると、
少しは待てるけれど、あまりに長く待たされたら、「待て」と言った人間に
噛みつくことになる、というのが答えですね。

うわ、良い犬ではないな。
こう、犬にたとえることで、
自分の性向が具体的なイメージでわかったりしますね。
この場合、良い犬のほうが自分としても相手としても好ましいだろうから、
ちょっと不利益をこうむっても、我慢するのがオトナだし、
吉なのかもしれません。そんなことを思いました。
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