Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

葬ラレル心構エ

2010-03-08 19:29:11 | days
うちの親はここ数年、
自分たちの葬儀の話をたまにするようになってきている。

お墓がないから作らなきゃだめなのか。
実家のお寺の宗派と同じところを探して檀家にならなきゃならないか。

そういったことを中心に、
いろいろと自分たちの「死」に関する話をする。

親父は僕に頼んで、新聞の書評に載っていた
島田裕巳さんの『葬式は、要らない』をアマゾンで購入し、
布団に入りながらちまちまと読んでいる様子。
そして、そこで読みかじった知識を披露したりする。
この本、けっこう売れているみたいで、
葬儀に関する疑問を、多くの人が持っている証拠なのかもしれない、
この間、22万部突破とかって広告が出ていたから。
これが100万部を突破したら、とても大きな動きだろうし、
お坊さんは青くなるのかもしれない。

そんな中、親が今日は僕の死後のことについて語り出した。
僕が死んだら誰も墓守はいないし、一人きりだから
葬儀の手配をする人もいないから、遺書を残しておくか、
信頼できる人に、生前に頼んでおかなければならない、と。

まだ僕は32歳なのでね、この先、わからないと思うんですよ。
お嫁さんと出会うかもしれないじゃないですか、
それがもう、ずっと独り者だと決まったように言われてしまって…。
そりゃ、女っ気は無いのですけど。

それに、この歳から自分の死後を憂慮するものなんだろうか。
ちょっと早い気がするよねぇ。
そりゃ、いつかは死ぬ身であるのは、誰しも同じことで、
自分の死をイメージしておくことは悪いことではないかもしれないけれど、
まだまだ、頭のほんの片隅で、意識するかしないかっていうくらいの
構え方でいいような気がするんですけどね。

親たちはどんな気持ちで自分たちの「死」を語っているのだろう。
寂しいだろうか、悲しいだろうか、はたまたけっこうドライなんだろうか。
誰だって、死ぬその瞬間の苦しみは考えたくないに違いない。
葬儀や死後のことを考えることには、
そんな死ぬ瞬間のことは含まれていないのかもしれない。
ただ、そんなことを口にするようになった変化だけは意識しておこうかと思う。

あー、でもまだ100歳まで68年もあるじゃないか。長いな、人生は。
まだまだ、自分の葬儀のことは考えないでいいですね、僕の場合は。
Comments (2)
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