TakaPの数学日記

数学を教えていて感じたことや日常の感想などを記録しました。

Excelにバグ?

2006年11月25日 12時27分45秒 | Weblog
Excellを使って、仕事を進めようと思ったら、バグ(?)を発見。SUM関数がおかしい。いろいろ試したがきちんと機能してくれない。仕方がないので+でしのいだのだが・・・。成績処理などでSUM関数を使うことがある。チェックが必要かも。
どなたかそんな不具合経験しませんでしたか?
関数自体はバグっていないのだが、SUMで扱うデータが数値として認識されない。書式で数値に設定してもだめ。一体何が原因?

回避の仕方発見!
データが文字列と認識されていたので,VALUE関数を使って数値に直したら、うまくいきました。お騒がせ。
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ICME9-1

2006年11月24日 18時56分23秒 | 数学
毎日ブログを更新するには、そろそろネタ切れ。そこでICMEネタを時々続けるとしましょう。
 2000年7月、千葉の幕張メッセでICME9(International Congress on Matematics Education 国際数学教育学会)が行われた。私も研究会の役員をしていた関係で、女房に内緒で4万円を払って参加した。4万円出した価値はあったかな?世界中から数学の先生方がやってきて、「英語」で討論するのを聴いているだけで価値があった。

初めて行った幕張の街はまるで外国の様だった。


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T先生のこと

2006年11月23日 15時24分19秒 | 日記
 昨日、我が家に着いたら、喪中を知らせるハガキがあった。何とT先生が亡くなったという奥様からの知らせだった。八月に亡くなったそうである。T先生は、私が東京都の教員に採用されてからの長いつきあいで、もう30年になる。技術科の教師である先生は、非行で荒れた時代に男子だけの技術を教え、大変苦労なされた。そのせいか胃ガンを発症されてしまった。今でこそガンは不治の病ではなくなってきてはいるが、その当時は大変なことであった。
 先生は胃を切除する手術を嫌い、当時ではあまり知られていなかった民間療法に頼った。ガンはビールスが原因であるという説にもとづく治療法があったそうだ。先生はそれに賭けた。奇跡的にあれから30年近く先生は生存し続けた。
 一度だけ先生のお宅に招かれた。当時NECが全盛だった頃のパソコンがずらっと並んでいた。デスクトップパソコンが買えなかった私にとっては、うらやましい限りであった。

 私が転勤したところで、また先生に出会った。退職後、嘱託としてお勤めをしていたのである。技術の授業もパソコンを教える授業へと変わった。パソコンが得意な先生は、PTAのパソコン教室などでも生き生きと教えていた。先生とは良く将棋の相手をしていただいた。豪快な攻め将棋であった。
 私にも経済的な余裕ができ、デスクトップパソコンを買えるようになった。先生にご意見を伺って購入したパソコンは今でも家にある。(今は完動はしていないが。)
 昨年は私が喪中になっていたので、年賀状のやりとりはしていない。まだ元気だと思っていたのだが、72歳で生涯を閉じられた。退職を機にお会いしたかった一人であった。合掌。

 
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証明の書き方

2006年11月23日 10時53分23秒 | 数学
 2年生で図形を教えることになると、「証明」の書き方を指導する必要がある。何となく分かっても、数学の論理をしっかり表現できないといけない。証明の書き方の指導を少しずつやっている。
 

   ∠a=∠cであることを説明する。

(説明) 将来「証明」となる。

直線lについて,∠a=180度-∠b
直線mについて,∠c=180度-∠b
(     ), ∠a=∠c

ここで,(  )内の「ことば」を考えさせる。

生徒「だから」
「だめです!」
生徒「なので」
「だめです!」
生徒「・・・・」

「ヒント。ひらがな5字だよ。」
生徒「分かった!『したがって』」
「その通り!『したがって』です。『したがって』を使うときは、文が続いていてそのあとすぐに次のことが言えるときに『したがって』を使います。」

こうやって『したがって』を導入します。文法を教えているみたいですが、結構生徒は乗ってきて、『したがって』を連発します。










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英会話学校の経験-5

2006年11月22日 20時07分46秒 | 英語
 英会話スクールで面白いなと思ったのは、自己紹介を若い女の子とペアでやることになることがよくあった。そのとき、相手がいとも簡単に、"My name is ..." と話す。そしてたいていは、学生だったり、保育園や幼稚園の先生だったり、アルバイターだったりする。ときには"I live in ..."などとも話してくれる。「いいのかなぁ、そこまで話してしまって。」と思ったことがある。私自身も、"I live in ..."とやる。"My wife doesn't know I go to NCB to study English conversation." などとやったりする。"It's a secret." ともいう。
 英会話学校だから身元ははっきりしているので、安心して身分を「英語で」明かしているのだが、本当にそこまで明かして「いいのかな」と思った。相手がこんな50のオジサンに向かって真剣に話しかけるので心配になってくる。もっとも私も"I am a junior highschool teacher. I teach mathematics. I have two daughters. They are twins." というので、安心しているのかも・・・。
まあ、英会話学校はひととき「青春」に戻れる場所ではあったかな。

ただ、若い女性が英会話学校に通うのをきっかけで、ストーカーに遭遇しないとも限らないが・・・。
 ここのシステムは「単位制」なので、再び同じ人と教室で会うことはほとんどない。だから「一期一会」になる。
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物語のカテゴリーを追加

2006年11月22日 20時04分40秒 | 物語
 今日から「物語」のカテゴリーを追加。これは学級通信を毎日書いていた頃、書くネタがなくなったとき、この物語を書いた。つまらないものですが・・・。
ブログも同じかも。

プロローグ

 クラスがうまく行っていない、仕事に疲れた先生は田園調布に向かった。田園調布の西口のロータリーから右に入ってしばらく歩くと、そこは大先生のお屋敷でした。インターフォンのボタンを押すと、使用人の声、「どちらさまですか?」
私の名をつげると「聞いております、しばらくお待ち下さい。」
 待つこと2分。ロールスロイスが門までやってきた。門が自動的に開いて、運転手が「どうぞお乗り下さい。」と私を招いた。私は車に乗り込んだ。
 門からお屋敷までは1分。屋敷の建物に着いた。(つづく)

 担任してた頃、物語を作っては生徒に読んで聞かせた。この物語も新作。昔の学級通信を引っ張り出してくれば、そのころの物語が紹介できる。まあ、お遊びでしょうかね。生徒も静かに読んでくれて、聞いてくれました。読み聞かせに飢えていると言った感じでした。


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温泉・銭湯のカテゴリー

2006年11月22日 19時01分40秒 | 温泉・銭湯
 新しく温泉・銭湯のカテゴリーを加えます。理由は、「温泉」のキーワードで検索する人が多いから。最近閲覧数が増えたのはそのためです。ブログは数学日記だけれど、どんどん手を広げるつもり。

まず手始めに「谷塚の銭湯」
東武線谷塚駅西口徒歩1分

「谷塚温泉 かっぱ天国」


 かつては東口商店街通りの出口付近にあった銭湯。マンション建設で立ち退いたので寂しかったが、西口に復活。今時珍しい小振りな銭湯。
谷塚の行きつけの居酒屋で存続を知った。
下足を脱いで、番台で料金380円をはらう。番台のある所は社交場のようになっていて、自動販売機やカラオケまである。

番台のある部屋を通って、脱衣場に分かれる。
 脱衣場にはこんな看板が


 浴室はカランが7つ。浴槽も5人が入ったらいっぱい。ちょっとしたビジネスホテルの風呂のようである。
 一風呂浴びて、また元の番台のある部屋にいくと「生ビールあり 200円」ただし、発泡酒だったのが残念。

 駅からすぐなので、「お風呂セット」を持って、また行ってみたい銭湯。一汗かいてから、居酒屋に行くのもありだ。

 




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面接練習

2006年11月22日 17時39分08秒 | 日記
 校長面接練習が始まった。校長面接の前に副担任で面接練習をして欲しいと言う要望があったので、始めているところ。まずは立ち居振る舞いと言いたいところだが、そんなことは後。まずやることは「視線」。試験官の先生の目を見たり、ネクタイの所を見たりするのだが、できない生徒がいる。人の目が怖かったりすると、目がきょろきょろする。そこで、私は生徒の目を見たり、鼻や口を見たりして、私の目の動きを観察させると、「あまり動いていない」と分からせる。
 相手がどこを見ているかは目の動きでは分かりづらいものなのだ。「相手の目を見るのが怖かったら、鼻やほっぺたを見るといいよ。試験官の先生には気づかないんだから・・・。」

 視線の指導をした後、実際に面接練習に入る。おじぎの仕方なども繰り返し練習。まだまだOKというにはほど遠いかな。
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詰め将棋について

2006年11月21日 18時02分21秒 | 将棋
 小学校のころ、親父が白内障で入院していたころ、大人の人何人かが新聞の詰め将棋に群がっていました。子供の私は詰め将棋のルールも知らず、何でこの手をやらないんだろうなどと思っていました。詰め将棋は「王手」の連続で詰めなくてはいけないというルールを知らなかったから、もっと簡単な「駒得」の手(駒をどんどんとってしまう手)しか思いつかなかったのでした。だから大人の人たちが考え込んでいる理由が分かりませんでした。
 詰め将棋に本格的に挑戦したのは子供が生まれ、子育て期間中でした。日曜日や休日、女房が仕事をしているあいだ、私は子守。子守の間に詰め将棋を解いていました。三手詰めはほとんど解けたのに、五手詰めは1時間もかかってやっと解けるといった状況。
 子育てや、学校の仕事で大学時代の数学に打ち込める状態ではなかった代わりを詰め将棋に打ち込んだ。でもせいぜい七手詰めまで。棋力は5級程度だったか・・・。
 
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カテゴリーに「将棋」

2006年11月20日 16時35分54秒 | 将棋
 今日からカテゴリーに「将棋」を加えます。少しずつ書くつもりです。よろしく。将棋を始めたのは小学校のころでした。家に下宿していたお兄さんから教えてもらったり、親戚のお兄さんから教えてもらったりしました。
 弟にも教えて、よく将棋を指していました。今は弟の方が強いです。高校でも昼休みによく指しました。棒銀にやられて飛車に成り込まれることがたびたびでした。将棋の基礎は高校時代にできたと思います。
 川崎の中学校に勤めていた頃、将棋二段の先生がいて、教えてもらいましたが、戦法は知らずもっぱら「矢倉」の囲いで守っていました。学校の近所に本屋がありそこで手に入れたのが詰め将棋の本。佐瀬勇次七段の本でした。三手、五手、七手、九手詰めまでがありました。それまでに詰め将棋の本は読んだことがありましたがどれも難しく途中でやめてしまいました。この本はやさしく、その後結婚してからも読んですべての問題を解いたと思います。

 今日はある程度書いていたのですが、例によってESCキーに触れてしまったので、20行ほど書いていたら全部消えてしまいました。トホホ。やる気なくしたので、続きは今度。
 私の将棋の棋力は最高でもアマ三級くらい。(将棋道場での対戦でだいたい分かります)。「将棋世界」の棋力判定テストにはがきを出して、アマ初段の允許状をお金で買いました。将棋連盟に寄付したようなものですね。今、実力は五級くらい。退職したら道場に通いたいけど、道場はつぶれています。
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