まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

「もう、家には戻らんねんだかのー」と母の言葉

2007年06月17日 | その他
 きのう、病院に着いて最初にやったことは父を柏崎平野の米山山(よねやまさん)のみえる病院の外に、姪と一緒に散歩に連れて行くことでした。少し寒かったので私の上着を着せました。周辺の水田は梅雨を待つばかり。父に「昔はみんな手で除草したんだよねー」「ばちゃんと二人でやったんだ」。

 冷たい空気に触れた後は母の病室にでかけ母の夕食をみながらの団欒。父が「みんな一緒に食べられるといいんだ」。自室に戻るも出された夕食はほとんど手をつけず、私がもったいないと全部食べました。いよいよ寝る段になり、とにかく今晩は抑制なしで起きていられる限り起きていてみようとちょっとだけ冒険。

 結局、徹夜はできず看護師さんのおむつ交換時にかろうじての父親の動態観察。普段はめられる手袋がないことを確認するかのように父は無意識のうちに両手を握り締めながら頭に手をやり、自由を確認してからか再び寝入ります。その繰り返しでした。何とか、朝を無事に迎えることができました。

 6時前に目を覚まし「起きたい」と言うので、さっそく車椅子に。顔を拭き外の散歩に連れ出し朝の運動。「こんげん気分がいいのは久しぶりだ」。部屋に戻り、朝食はレストルームでレッドソックス戦を観戦しながら三分の一を食べてくれました。歯磨きも洗面所で他の方々と鏡を見ながら。

 母と一緒に外の散歩をと考えていたら姉も同じ考え、早くに来てくれました。外で初物を持って来てくれたスイカの切り身を4人で食べました。結構日差しが強かったので父・母ともとってもおいしそうでした。その場で母がリハビリいいので7月2日に「サンクス米山」という老健センターに移動することを父に話しました。

 父が突然「家に帰るぞ」。それぞれ病室に。父がいきなり車椅子に自分で乗れるように立つ練習ををすると言い出したました。迷うも「じゃーやってみよう」。寝た状態から起きて床に足をつけ立つ訓練を3回やりました。母の話が刺激になったと思うのですが、看護師さんに自力歩行、オムツはずしについて尋ねました。

 認知症状態での歩行や自力トイレには否定的でした。「どこを着地点に目標を定めるかですね」。母が倒れる前は畑仕事をやっていた父。骨を折りやむ得ずオムツと抑制状態。もう元に戻れないのだろうか。そして姉かた聞いた母の言葉。「サンクス米山てばどんげんとこで。もう、家には戻らんねんだかのー」。涙がでます。