今日は朝から神戸市の地震後のまちづくり視察で新幹線に乗り込みました。直後に地震災害情報が携帯に入りました。新幹線待合室のテレビでも気象庁の緊急記者会見が行われていました。
何気無しに観ていましたが、清水港や大谷海岸に5万7000人もの避難勧告が出るとは予測つかずでした。神戸に着くと、現地コーディネータから「災害時に市議が遠方で視察というのも問題になりませんか」。
昨日から視察に来ていると宮澤議員と協議。議会事務局にも連絡いれ現状把握に務めながら、地震専門家の塩阪邦雄さんにも相談。結果としては、避難勧告出ている駿河区選出の宮澤議員は直ちに帰路に。
私は、予定されていた神戸市議会議員の井坂さんと面談。明日から予算委員会なのに時間とってくれました。こんな形で地震後のまちづくり視察の当日に静岡での地震後の津波警報、因果応報です。
1995年の1月17日の地震発生の日、会派・市民自治福祉クラブによる京都市など視察。何か、すごい地震らしい、と思いながらも、まさか、あのような災害を予測できず、そのまま視察決行した記憶が蘇りました。
この重なり、何か、の啓示!ですね。防災センターでの地震発生直後の神戸市の街並みがどどど!と崩れていく映像に参加者一同、浜岡原発が頭によぎりました。原発震災、大きなテーマです。
※写真は、1995・1・17・5・46が刻まれた防災センター
何気無しに観ていましたが、清水港や大谷海岸に5万7000人もの避難勧告が出るとは予測つかずでした。神戸に着くと、現地コーディネータから「災害時に市議が遠方で視察というのも問題になりませんか」。
昨日から視察に来ていると宮澤議員と協議。議会事務局にも連絡いれ現状把握に務めながら、地震専門家の塩阪邦雄さんにも相談。結果としては、避難勧告出ている駿河区選出の宮澤議員は直ちに帰路に。
私は、予定されていた神戸市議会議員の井坂さんと面談。明日から予算委員会なのに時間とってくれました。こんな形で地震後のまちづくり視察の当日に静岡での地震後の津波警報、因果応報です。
1995年の1月17日の地震発生の日、会派・市民自治福祉クラブによる京都市など視察。何か、すごい地震らしい、と思いながらも、まさか、あのような災害を予測できず、そのまま視察決行した記憶が蘇りました。
この重なり、何か、の啓示!ですね。防災センターでの地震発生直後の神戸市の街並みがどどど!と崩れていく映像に参加者一同、浜岡原発が頭によぎりました。原発震災、大きなテーマです。
※写真は、1995・1・17・5・46が刻まれた防災センター