エキパ議会提出資料の「文書偽造文書」について記者会見発言メモ
2018年3月15日
静岡市議会議員 松谷 清
2年前の6月議会で静岡駅前地下駐車場のエキパについて総括質問をしました。もともとエキパには労働組合があり、ご記憶あるかと思いますが、労働組合の内部告発から、回収券の安売りチケット店への流失事件が明らかになり逮捕者もでる事件となりました。労働組合からの情報提供もあり議会質問になりました。ところが昨日、交通政策部の説明によりますと「まつや議員からの資料請求に対して存在もしない報告書を作って資料提供していた」という事実説明と謝罪がありました。
とにかく驚きました。
どうしてそんなことが起きたんだろうか。
そして、何故、今、この現段階での説明なんだろうか。
おりしも国会では森友学園問題で決済文書の改ざん問題が議論されている時期です。
そこで4点をお伝えしました。
1、この公文書偽造及び有印私文書偽造をしでかした職員は今どうしているのか。確かに質問準備過程での担当職員とのやり取りにおいては「おどおどした」「ぎこちのない」態度があり納得できない説明が何度もありました。(今は、部署が変わっているとのことです)
2、森友学院問題のような公文書偽造ということは、回数券の抜き取りなど「不正」を働いていたということの可能性についてどうなるのか、質問しました。交通政策部の説明としては、3226枚の不足があり、カードを判読する機械の判読誤差の範囲であるので不正とは考えにくい、とのことでした。
3、この事実を1ヶ月前に知っていれば、2月13日の補正予算での総括質問「静岡駅地下駐車場の経営問題について」での質疑、及び3月6日の総括質問での「公文書管理について」の質疑で「公の議論」ができた、大変残であることを伝えました。いつからこの調査を始めたのかが問題になりますし、公文書管理においては国会で問題となっている森友学園や加計学園、文科省の天下り問題など官僚組織内で行われている業務に関わる電子メールの取り扱いルールに関しての質疑にも重なります。昨年の森下小学校の設計委託問題において職員が業者とやり取りした電子メールが公文書でないとして議会に資料提供されず、一方で調査委員会ではそれらの電子メールをもとに全容を把握していました。
4、その担当職員作成の資料を受け取りながら「私自身がウソの報告書を解明できなかった」自らの力不足を感じていることを率直に伝えました。静岡市社会福祉協議会の1億6000万の横領事件がありました。私自身は当時、社会福祉協議会の膨れ上がっている予算規模に疑問を感じ横領を行った職員に3回に渡って会計書類の説明を求めていました。おかしさがあることは気づいていましたが事実関係の解明に至らなかったという自己反省がありました。
昨日のやり取りは今述べた中身でしたが、それらを踏まえ、今回の問題の本質について考えてみました。
1、年間1億8700万(2017年決算見込額)という多額な税金や利用者からの料金によって成り立つ駐車場会計の収支について一人の係長職しかしらない、そうしたずさんな管理であったと行政内管理体制に問題があったといえます。
2、その背景には、実際の駐車場サービスを提供するのは委託事業者、民間でありますが、公的な駐車場サービスである事の共通認識が交通政策部内で共有されておらず、赤字体質から転換する経営戦略を「民間活力の活用」という観点でしか対処しえず、公的責任が希薄であったことがあります。
3、議会から資料提出を求められた時に、説明することができない現実に直面し今回の事態が生まれたということであります。まだ全体像が私自身十分に把握できていませんが、説明できない現実を架空の文書作成で乗り切ろうとした経過や不明の3226枚について交通政策部の説明で了承できるものであるのか、もっと詳細な形で事実関係を求めていかなければならないと考えます。
4、議会、議員の側からすれば、現実を正しく事実として情報提供すればよかったのに何故、このような事態に至っているのか、確認していかなければなりません。議会、議員には①実際の管理されている公文書としての資料を請求する権利と②大量の情報を持つ行政組織に情報の加工を請求する権利を持っている。今回はこの2つを混同して対処したことに問題があったことになります。資料請求に対する対応は、対応になれている局や担当部、担当課、担当職員もいれば公文書が市民と共有している共通財産であり民主主義の基礎をなすことであることに無自覚な職員も大勢います。それは当局において正しく調査し是正していただかなければなりません。議会の側からすれば資料請求、質問する力の不足、議会としての機能を十分に発揮していない現状もあり、どんどん資料請求、情報の加工請求を繰り替え二元代表制の双方の当事者としてレベルアップしていく必要があります。
一人の職員の責任にだけはしてはいけないということを最後に述べたいと考えます。