イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「図だけでわかる!天気と気象 ( 超効率30分間の教養講座 3 )」読了

2024年11月11日 | 2024読書
荒木健太郎/監修 「図だけでわかる!天気と気象 ( 超効率30分間の教養講座 3 )」読了

「30分」と書いてはいるけれどもとても30分では読み切れなかった。あしかけ3日もかかってしまった。ルビがたくさん振られているので小学生や中学生が読むような本なのかもしれないが内容はかなり濃かった。
様々な天気のメカニズムを図解で説明してくれているのだが、天気のメカニズムというのは複雑である。極地的な天気も大陸レベルの気候もすべては風の流れがキモであるというのだけは理解ができた。やはりここでも記憶力のなさが災いしてその場で理解ができてもいざ空を眺めると何にもわからない。
しかし、ここ数年の天気予報というのは100%以上じゃないかというほど的中率がすごい。そして情報量も多くなって、天気のメカニズムなんか知らなくても予報サイトをいくつか眺めるだけで今日は風が吹きそうとか波が高そうだとかいうのはすぐにわかってしまう。日常生活はもちろん、釣りに行くにしても十分信頼できるので何の支障もない。
インターネットがなかった30年以上前は和歌山と田辺の気象台に電話をして風はどうですか?波はどうですか?と釣りに行く前の日に問い合わせをするくらいしかなかった。それでも通り一遍の回答しかしてもらえず、新聞の天気図を見ても何が何だかわからなくてすさみに行ってみたら渡船屋が休業していたなんていうこともあった。その頃、見老津の渡船屋の船頭から、日本海に等圧線が3本出てたら磯には渡れないということを聞き、それを基準にするようになった。これが唯一の僕の自己予報の判断となった。
それが今では地名を打ち込むだけでピンポイントの1時間ごとの風と波の予報を見ることができて、これがよく当たる。午前9時から風が強くなるとなっていたら本当に風が吹いてくる。雨雲レーダーを見ていると出勤時刻に駅まで雨に遭うか遭わないかということが確実にわかってしまう。

こんなに精度が上がったというのはスーパーコンピューターを駆使した気象モデルの演算の賜物らしい。
どんなことをやっているのかということもこの本には書かれていた。それは、コンピューター上に仮想の地球と大気を設定し、その大気を格子に区切り、その格子に現実の温度や湿度といった大気の状態をあらわす値を割り当ててから予報のプログラムを用いて少し先までの大気の状態を繰り返し求めていくということをしているそうだ。
一番基本になるのは「全球モデル」というもので、格子の水平間隔は約13km、鉛直層数は128層でその格子数は約1億7000万個もあるそうだ。これをもとに地域を絞り格子の大きさも小さくしながら「メソモデル」、「局地モデル」と詳細な予報をやっていくらしい。

う~ん、すごいことをやっている。ここまでやってくれたら自分で天気図を見る必要もなければそれをハッタリと勘で分析する必要もない。車の運転と同じで自動運転任せだといざという時に適切な動きと予想ができないということもあるのだろうが、僕が生きているあいだにはそんないざということが起こるはずもないので予報サイトだけに頼る生活を続けるのが一番楽ちんで確かなのである。

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水軒一文字釣行

2024年11月09日 | 2024釣り

場所:水軒一文字
条件:小潮:19:40干潮
釣果:小アジ29匹

ギャルの掟のその1は、『仲間が呼んだらすぐ駆けつける』だそうだ。Nさんから今日は夜釣りに行くぞという招集が掛かっていた。今日の遠出をあきらめたのはこういう理由もあった。誘ってくれるうちがハナだ。ダブルヘッダーはしんどいが行くのである。

聞くと、30センチクラスのアジがバンバン釣れるらしい。午後4時半集合で水軒一文字新々波止へ。ここからの夕焼けはいつもきれいだ。



今朝の大物をもう一度とタチウオのワインド仕掛けとサビキを準備。アジは緑のサビキがいいというので今回は新作のサビキを作ってみた。



ワインドは数投しただけですぐに飽きてしまいサビキに集中。午後5時半過ぎくらいからだろうか、少しずつアタリが出はじめた。それからエサがなくなる午後7時半までずっとアタリは続いた。あまりたくさん持って帰ると処理が大変なので途中からは大きいものだけを取り込んでほかは放流していたが、それでも30匹近くもあったのである。
肝心の型はというと20センチクラスばかりで30センチクラスというのはまったくなかった。しかし、Nさんの仕掛けには30センチとまではいかないが時々25センチほどの大物が掛かってきていた。3メートルほどしか離れていない釣り座なのにこの違いというのはやはり市販のサビキと自作のサビキの違いだろうか・・。それとも釣り上げる数の違いが大物に当たる確率を上げているのだろうか・・。Nさんは多分僕の倍ほどを釣り上げていた。釣り上げた魚はとりあえず防波堤に放り上げておいてすぐにサビキを落としておいてアジを締めているあいだにアジが掛かっているというローテーションだ。僕のクーラーボックスにはそれがないので釣るたびに魚を締めてそれからサビキを落とすというローテーションだ。
まあ、これ以上釣っても結局あとがしんどいだけなのでこれで十分というところはある。
Nさんはどれだけ釣っても向かいの旅館に持っていっていくときちんと盛りつけられて返ってくるという。こんな釣りの仕方が理想である・・。



僕は干物を作るのが関の山だ・・。





指の傷の血が止まらない。



今朝のタチウオにやられて血だらけになりながら釣りを続けていた・・。



傷が深かったかそれとも夜釣りに行って雑菌が入ったかずっとズキズキしている。これはひょっとして連休が終わるまでは治らないかもしれない・・。


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紀ノ川河口釣行

2024年11月09日 | 2024釣り
場所:紀ノ川河口
条件:小潮5:17干潮
釣果:タチウオ7匹

今日から9連休だ。最初の日は電車に乗ってどこかへ行くか鈴鹿市経由で伊勢に行こうかと思っていたのだが、会社の人たちが「わかやま〇シェ」にやってくるという。
せっかく和歌山までやってくるというのだから僕も何かお土産をと思い、前日は久々に見つけた生の筋子を仕込んでみたのだがこれではちょっとショボいかと思ってタチウオを狙いに行ってみることにした。




例年ならシーズンが終わってしまっているはず(去年は11月4日に敗北宣言をしている・・)だからかなり厳しいとは思うがダメ元での出港だ。タチウオがダメなら集合時間の午前9時までコウイカの調査をしようと思いスッテも一緒に持って家を出た。
しかし、一気に寒くなった。先週はトレーナーを羽織っただけでは寒かったので今日はヒートテックとヤッケの上下を加えての出撃にした。こんなに着込んでタチウオを釣ったという記憶はなく、去年の敗北もありまったく自信のない中での出港である。

今年はタチウオが釣れる場所というのが偏在していた。だから数が釣れなかったのだが、青岸灯台の少し手前のゾーンでしか釣れない印象であった。今日もそこを重点的に狙ってみる。

不安とは裏腹に、仕掛けを降ろしてみるとすぐにアタリがあった。今年は異常に水温が高いのか、まだタチウオはいるようだ。しかし、その後はアタリがない。今までの経験で、こういう時は仕掛けの点検をしておかねばならない。回収をしてみると、枝素が全部幹糸に絡みついてしまっている。なんだなんだと思って最後まで回収してみると、一番下の鉤にタチウオが喰いついていてそれがクルクル回って仕掛けがねじれてしまっていたようだ。これでは魚が掛かるはずがない。そんなに小さなサイズではないが、アタリがあったもののすぐに外れたと思っていた。その時にきちんと点検していたらもっと数を稼げたかもしれない。
しかし、まだ辺りは暗い。アタリが出るチャンスはある。同じ場所をグルグル回っているとやっぱりアタリがあった。この調子でいけば3人分の魚をゲットできそうだ。次のアタリは大きい。上がってきたのはドラゴンと言ってもいいかもしれないサイズのタチウオだ。
僕と同じように仕掛けを流している船はあまり釣れていないのか、多分僕が釣り上げた姿を見たのだろうこの場所に集まってきて僕が入る場所がなくなってしまった。やはりこの仕掛けは他者よりも効果があるのかもしれない。それとも僕のポイントを見極める洞察力がよかったか・・。
しかし、ぎりぎり3人分を確保できたところでアタリが途絶えてしまった。午前5時半過ぎから午前6時過ぎまでの30分で今日も終わってしまった。

写真を撮って今日やってくる人にLINEで送ると「これ、なんという魚ですか?」と返ってきた。まあ、スーパーには切り身でしか売っていないけれども世間の認識というのはそんなものかと少し悲しくなった。でも、この人たちは為替相場と経済の動きを語らせるととんでもない知識を持っていることがわかる。世間の荒波を乗り越えるためにはよく釣れる仕掛けよりもこっちのほうがよほど役に立つ。

午前9時、無事にイクラとタチウオを届けて午前中の任務は終了。

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「現代思想入門」読了

2024年11月08日 | 2024読書
千葉雅也 「現代思想入門」読了

以前に読んだ、「センスの哲学」の著者である。
「現代思想入門」のほうが先に出版された本であり、著者の専門分野らしい。
この本に書かれている、「現代思想」とは「脱構築」という考えである。哲学の思想の歴史では「構造主義」の次に出てくる思想である
著者は、ジャック・デリタ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーの3名の哲学者をその代表として登場させている。この3人の哲学者の著作や考え方を統合すると現代を生きる人たちの思想の原点と言えるものが見えてくるというのである。

しかし、哲学を知るにはその部分だけを読んでもダメで、その流れというか、歴史を知らなければならない。だから、結局、この本を読んでみてもリンクに書いている感想文のところまでしか理解ができない。
要は、何冊読んでも頭の中には何も残らないので知識の蓄積ができていないのである・・。

この本の位置付けとしては入門書のためのさらに入門書ということだそうだ。初歩の初歩ということになるがそれでも1回読んだだけではよくわからない。
著者は最後に現代思想の読み方として哲学書の攻略法というものを書いてくれている。
それによると、哲学の本というのは1回読んだだけではわからないものだという。たしかにその通りだと思うが、だから、1冊の本を何度も読み返したり、同じような本を何冊も読み継ぐということが必要となる。理解の薄皮を1枚ずつ重ねていくと、その途中で、突然それがわかるときがくるらしい。
だから、僕のような本の読み方をしているかぎり哲学を理解することはできないということだ・・。
そもそも、哲学書というのはわざとわかりにくく書いているという。難解だということが著者のステイタスでもあるというのである。そのわかりにくさの元になっているのが「レトリック」と「カマし」だそうだ。本題とは関係のないところで複雑な言い回しを使うことでわかりにくくなった文章をかいくぐっていくと著者が言いたいことが浮かび上がってくるというのだ。

本題の、「脱構築」というのを簡単にいうと古くからある二項対立的な思考を壊して多様性を生み出そうという思考だ。1960年代から90年代に生まれた思想であるが、それは今の時代を予測していたかのようである。いや、予測していたというのではなく、様々な分野で人の生き方の多様性を引っぱってきた人たちはこういう思想をよすがにして新たな世界を切り開いてきたのだというほうが当たっているのかもしれない。

二項対立の成立は、キリストとアウグスティヌスが人民に罪の意識を植え付けたことから始まったという。それ以来、2000年の時を経て人の心が変わっていく時代をわれわれは今生きているということになる。
しかし、日本の政治はある意味、野党の躍進によって多様性に舵を切ったかに見えるが、自由や多様性の象徴であるはずのアメリカはどうもそうでもなさそうである。
二項対立の果てというのは勝者と敗者、もしくは支配者と被支配者が明確に分かれるマッドマックスのような終末世界を想像してしまうが、かといって、多様性の世界というのは泥のような混沌としたなかで何も生まれてこない世界にも見えてしまう。
人は自由を求めることを忘れない。しかし、人は自由よりも支配された方が生きやすいともいう。しかし、そうなってくると、今回のアメリカ大統領選挙の結果というのは、早くも脱構築から、別の新たなフェーズに入ってきたことを表しているのかもしれない。


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紀ノ川の河口~加太沖釣行

2024年11月04日 | 2024釣り

場所:紀ノ川の河口~加太沖
条件:中潮7:55満潮
潮流:4:57転流 8:59上り3.2ノット最強
釣果:タチウオ2匹 ハマチ5匹(1匹放流)真鯛2匹 イサキ1匹 マアジ1匹

今日は菊新丸さんからもらった銀色のシートに助けられた。ハマチ以外の魚のすべては銀色に喰ってきた。鈴鹿市のゴミ袋と交互に取り付けての結果だから間違いなく有効性があったに違いない。




まずはタチウオ狙いから。とりあえず釣れなくなるまで行き続けるつもりだ。しかし、一昨日の雨と風はひどかった。まるで台風並みであった。翌日、紀ノ川の様子を見に行くと濁流に変わっていたので青岸の手前までで勝負しなければならない。



そして、やっぱりそこでアタリが出た。しかし型は小さい。タチウオ名人もやってきているので釣れ続けているのかもしれないが、アタリは続かない。2回アタリがあって合計4匹で2匹リリースしてここを後にした。
その頃には至るころから加太に向かって船が出てゆく。秋の3連休唯一の好天だから行きたいやつはほぼ全員出撃してきたという感じだ。




今日は上り潮。テッパンポイントがいいはずだがそこには誰もいない。船団はもっと南とナカトシタに分かれている。う~ん、どっちに行こうかと思っていたがとりあえず中間地点のテッパンポイントで様子を見てから北上するか南下するかを決めようと仕掛けの準備をした。



今日も菊新丸さんからもらった銀色のシートと鈴鹿市ゴミ袋のセットでスタート。場所と色の選択がよかった。
間もなくアタリが出てハマチが2匹上がってきた。その後も同じラインを行ったり来たりしているとアタリが出る。小さなチャリコや持って帰れないほどの小サバも掛かった。そのほとんどが銀色のシートだったのである。かなりの勝率だ。

ポイントに到着したのが午前6時過ぎで、この頃は潮もそれほど速くなく釣りやすかったが午前9時近くになると次第に潮が速くなり仕掛けがきちんと立たなくなってきた。ハマチやマアジが釣れているならサビキでもよかろうと仕掛けを変更して少し南に下って残り時間を過ごした。ここはそれほど流れがないので仕掛けも立つ。中層に反応が出てきたと思ったらすぐにアタリ。かなり引く。ひょっとしてメジロクラスかと思っていたら最初よりも少し大きなハマチが2匹であった。仕掛けの半分が切れてしまっていたのでその下にもハマチが掛かっていたのかもしれない。
新しい仕掛けをセットし直したものの、もうこれだけ釣れれば十分じゃないかと思い午前9時半に終了。

帰投する途中、ヘリコプターが同じ場所を低空飛行でウロウロしていた。



ひょっとして事故でもあったのかと思いながら港内に入ると自衛隊と海保の船がなにやらやっている。



どうも訓練のようだが、あとで聞くと、津波への対応訓練だったらしい。翌日の11月5日は「津波の日」なのだそうだ。今日は振替休日なのに渡船屋が休業しているのはなぜだろうかと思っていたら、訓練中はエリアが立ち入り禁止になって商売にならないので休業したということであった。休業せよというお達しが出るとその補償をせねばならないので、暗に、「わかってるやろな~」という感じで事前に日程を知らせに来たらしい。
はやり公権力には逆らえないらしい・・。

くだんの銀色のシートであるが、菊新丸さんに聞いてみると、すでに廃番になっていて購入することはできないそうである。
せっかく釣れるネタを見つけたのに残念である・・。


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「一寸の虫にも魅惑のトリビア: 進化・分類・行動生態学60話」読了

2024年10月29日 | 2024読書
鶴崎展巨 「一寸の虫にも魅惑のトリビア: 進化・分類・行動生態学60話」読了

ウンコに続いて人生に何の役にも立たない本を読んでいた。まあ、そんなことをいうと僕が読む本の大半は何の役にも立っていないのであるが・・。

この本は、朝日新聞の鳥取版に連載されたものを単行本にしたものだそうだ。ローカル記事が単行本になるというのはかなり珍しいものなのだろうか・・?

本の最初には、各章に取り上げられている虫のカラー写真が掲載されているのだが、やたらと“ザトウムシ”というクモガタ類に属する少しグロテスクな虫が多く登場する。なぜだろうと思っていたら、著者はこの虫の研究者なのだそうだ。
ザトウムシというのは、『鋏角亜門クモガタ綱に分類される節足動物の分類群の一つ。分類学上はザトウムシ目とされる。体は豆粒のようにまとまり、多くの種類は細長い脚をもつ。6,600以上の種が知られ、最古の化石記録は約4億年前のデボン紀まで遡る。』という虫だそうだ。
僕も一応は小さい頃から昆虫好きな人間だったので夜中の林の中もさまよったこともあるのでこの虫を見たこともあったのかもしれないが、何の知識もないと変な形のクモがいるくらいしか思わなかったのだろう。ただ、その虫の名前を知っていたとしても何の不便もなくおそらくその生態を知らなくてももっと不便はなかったと思う。カブトムシとクワガタの名前さえ知っていれば事足りていたのである。

「トリビア」とは書かれているが、どちらかというと著者の研究成果や交流のある研究者の紹介などに終始している感があった。過去に読んだ、研究者の自虐的ドタバタ話や面白話とは少し趣が異なり、さらに身近ではあまりお目にかかれない生物の話が多いので心に刺さってくるところも少なかった。やはりザトウムシというのは僕にとってはかなり遠い存在である・・。

唯一のトリビアは、ザトウムシの“ザトウ”は“座頭市”のザトウから取られたものなのであるが、これは江戸時代の盲目のひとたちの身分の名前だったそうだ。盲目の人たちのなかで身分が分かれていたというのは初めて知った。江戸時代というのはとことん身分社会であったらしい。ちなみに座頭という身分はそれほど高い身分ではなかったようである。
この虫は目が見えないからこういう名前を付けられたとうわけではなく、8本あるうちの前足で周囲を探りながら歩く姿が、盲目の人が杖で周囲を確認しながら歩くように見えるからだということで名付けられたという。

たしかに、「一寸の虫にも魅惑のトリビア」はあるものである・・。
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紀ノ川の河口~住金沖~水軒沖釣行

2024年10月27日 | 2024釣り

場所:紀ノ川の河口~住金沖~水軒沖
条件:長潮2:46満潮 9:03干潮
釣果:タチウオ7匹 サゴシ1匹

小船の塗装は終ったけれども、先月の末以来まともに動かしていないので性能維持も兼ねて、また、ひょっとして例の魚は今日こそ釣れるのではないかというスケベ心を秘めて出港することにした。

まずはタチウオ狙いだ。昨日のストックもあるが、この魚はどれだけあってもよい。
昨日に引き続きアタリはものすごい。いや、昨日よりもアタリは多い感じだ。仕掛けを降ろしきる前からアタリが続く。何回もそんなことが続き、すでに5、6匹釣り上げることができた。
その後もアタリは続くが昨日よりも型は小さい。半分以上放流して7匹だけ確保。
今日はじっくり攻めてみたいと思う日に限ってアタリが途絶えてしまう。ここを見切って住金沖へ移動。ちょうどその頃、Nさんたちもやってきた。



彼らも例の魚を狙うべく少し早めに出港してきたようだ。しばらく並行して仕掛けを流すが向こうもアタリがないようだ。Nさんたちはさらに沖を目指して行くようだが僕の船では危険なので防波堤の先端で折り返す。しかい、やはりアタリはなく、Nさんたちもあきらめてフカセ釣りに向かったようだ。
僕も仕掛けを流したまま帰ることにした。サゴシは釣れるかもしれないと思い新々波止経由で帰ったのだが、これがよかった。小さいけれどもサゴシを1匹追加することができた。
今日は衆議院の総選挙の投票日なのでそのまま引き返すこともなく一文字の切れ目を通って帰投。



衆議院の選挙結果は連立与党でも過半数割れという結果だった。株の世界では総選挙の前は必ず株が上がるというアノマリー(現代ポートフォリオ理論や相場に関する理論の枠組みでは説明することができないものの、経験的に観測できるマーケットの規則性のこと。)があるそうだ。過去は17回もその法則は当たっていたらしい。僕もそのアノマリーに賭けてみたのだが、まったく裏目に出た。告示から後、日経平均はどんどん下がってしまい大損をしてしまった。どれだけ石破さんは信用されていないのだろう・・。
それでも与党では過半数は取れるだろうと考えてなんとか挽回すべく、週末にも追加で買ったのだがこれでは損の上積みになってしまう・・。それまで少し利益を出すことができていたので調子に乗りすぎてしまった報いとなってしまった。

さらに悪い知らせは重なってくる。夕方、NさんからLINEで海保の係官からこの場所は関係者以外立ち入り禁止だと警告を受けたというのである。確かに防波堤の上にはそんな表示があるが、それは形式的なものにすぎないと思っていた。もう、あそこには行けそうにないとのことであった。
僕のフカセ釣りの楽しみも1年足らずで終わってしまった。
軽油の免税もなくなり、釣ってはならない魚、釣ってはいけない場所、使ってはいけない仕掛け、まったく何の意味も意義もない理由で庶民の小さな楽しみを奪うというのはどうしてだろう。行政にとってのささやかな楽しみというのは庶民の小さな自由を奪うことなのかもしれない。
こういうことを是正してくれる政党へなら尻尾を振って投票するのだが・・。

選挙結果はその時点ではまったく右も左もわからなかったのだが、空の景色だけは選挙結果にかかわらず美しかった。まるで新海誠のアニメの1シーンのようである。
何もかもが僕の心を暗くするのだが、自然界だけは僕の心を明るくしてくれる・・。


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紀ノ川の河口~住金沖~加太沖釣行

2024年10月26日 | 2024釣り
場所:紀ノ川の河口~住金沖~加太沖
条件:小潮7:59干潮
潮流:7:13下り2.0ノット最強 10:35転流
釣果:タチウオ14匹 スマガツオ3匹 マルソウダ1匹 例の魚3匹

今週も週末は雨模様だ。午前10時には降ってくるらしい。まあ、これだけ時間があれば十分だ。

その前に、今週の木曜日の帰宅の顛末・・。
人身事故のせいで帰宅するまで4時間もかかってしまった。東岸和田駅まであと少しというところで駅のホームで反対車線の特急電車と人間が接触したということで電車が緊急停止してしまった。



乗換前なら南海経由でわずかなロスだけで帰宅できただろうが、電車の中で閉じ込められてしまってはどうにもならない。
ひたすら待つしかない。1時間半の立ち往生のあとやっと到着した東岸和田駅から南海の駅までバスで輸送するというアナウンスがあったがここは待ったほうがよいと判断した。
目まいか何かでホームから落ちてそこの特急がやってきたというのはあまりにも偶然過ぎるのできっと意図して飛びこんなのだろう。こういう人の心理はこういうことかもしれない。最後に自分の存在を世間に知らしめたい、知っておいてもらいたい。そのために世間の人が知るような方法を取ったということなのだろう。しかし、その人の名前がニュースで報じられることもなく、たとえ報じられたとしても人々は一瞬で忘れてしまうのが落ちだ。
ただ、数千人のひとの迷惑になっただけで終わってしまっただけである。まあ、悲しい出来事ではあるのだろが、まったく、誰にとっても虚しいだけである。


戻って今日は、夜明け前にタチウオを狙ってその後例の魚を試してみてから加太に向かおうと考えている。タチウオについては、去年の記録では10月22日には2匹、28日にはまったく釣れなくなっていた。その中間の今日はどうだろか・・。
もうそろそろみんな諦めているのかと思ったら全盛期並みに船がやってきている。名人も僕より一足先に出港していた。きっと釣れているのだろう。
そしてそのとおり、アタリはきちんと出てきた。去年は小さいものが多かったようだがそれに比べるとまだましである。小さいものを放流しながらでも14匹残った。まだまだアタリは続きそうだったがまだ次がある。住金沖に移動して禁断の仕掛けを流してみる。Nさんたちは一昨日、爆釣だったそうだ。ここで大量に釣れたら加太に行かずに帰ろうと思ったけれどもそんなに甘くはない。まったくアタリはない。



これではグルグル回って探っても意味がないと思い護岸の前を通過しただけで加太に向かった。

下りの潮なので友ヶ島の北の方がいいのだろうが、前回のいい感じを再現すべくナカトシタを選んだ。単に燃料を節約したいだけだというのもあるのだが・・。

Iさんの情報では釣れてくる魚のお腹にはタチウオの子供がいっぱい入っていたという。今日はピンクと銀色のビニールでやってみる。銀色のシートは菊新丸さんからもらったものだ。魚探には反応がないが、ビニールの選択が当たったのかしばらくしてアタリがあった。ものすごく引く。間違いなく青物だ。このままでは仕掛けを切られてしまうと思い、慎重にやり取りをすると、スマガツオが3匹掛かっていた。この引きが1匹の引きであったなら危なかったけれども、3匹に分散されているのならこの仕掛けでも十分耐えられる。
その後はアタリがなくなり、この海域と違いたくさんの船が集まっている軍港前が気になってきた。



おそらくカワハギ狙いなのだろうが、あの辺りは溝になっているところに見える。カワハギを釣るところではないとも思うのでとりあえず探索に行ってみることにした。そしてここでも強烈なアタリが出た。上がってきたのは例の魚が3匹とマルソウダ1匹だ。多分、この船団はこの魚を狙っていたのだろう。

タチウオとカツオと例の魚が揃えばもう十分なのであとは真鯛を釣りたいと思い、船団を離れてもう一度ナカトシタへ。ここでも目の前で逃げられたもののハマチが掛かり、鉤には乗らなかったが真鯛らしきアタリで銀色のシートが大きく齧られた跡があった。



やはり銀色のシートよかったようだ。鉤までもう一息だったというのは残念だったが・・。
潮はどんどん緩くなっていくのでさらに北上してみると、偶然シモリらしきものを発見した。その周りでは魚の反応がたくさん出ていて、仕掛けを入れてみるとすぐにアタリがあった。引きは大したことなく、上がってきたのは手のひらより少し大きいだけのチャリコだった。釣果がない時にはこれでも持って帰ろうかというところなのだが、ウキブクロも膨らんでいないので放流することにした。
この少し前から予報よりも早く雨が降り始めたし潮の流れもほとんどなくなったので午前9時半過ぎに終了とした。

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「大江戸トイレ事情 (同成社江戸時代史叢書 36)」読了

2024年10月25日 | 2024読書
根崎光男 「大江戸トイレ事情 (同成社江戸時代史叢書 36)」読了


江戸時代のトイレ事情を知って何になるというところがあるのだが、探してみるとそんな何になるんだと思えることを一所懸命調べているひとがいるらしく書籍も出版されていた。

元々、以前に読んだ本の中に、江戸時代のウンコは資産として流通していたということが書かれていてそれに興味を抱かれた。https://blog.goo.ne.jp/matufusa/e/83ef588506b0b3d74ddbc483a471d4bbそれに加えて江戸時代というのは究極のリサイクル社会であったいう話はすでに知っていたので、それさえもリサイクルするのかという驚きと興味があった。

本題に入る前に、「ひやかし」の語源について書いておく。この時代のトイレットペーパーには「浅草紙」というものが多く使われていた。これは、古紙・ぼろきれなどを材料にして漉すき返した下等の紙で、浅草の山谷辺りで多く製造されたところからこんな名前が付けられている。
この紙を製造するとき、古紙を水に浸けて“冷やかす”必要があった。これにはある程度時間を要したため、職人たちはその待ち時間を利用して近くの吉原に出向き、遊郭の遊女たちを眺めに行っていた。こうしたことから、買う気もないのに眺めているだけの客を“ひやかし”、その行為を“ひやかす”というようになったのである。この言葉も究極のリサイクルが生み出した言葉だったのである。

ウンコ(下肥)を肥料としていたのは鎌倉時代の後期からくらいだそうだ。江戸時代の初期の頃はまだ資産として取引はされておらず、江戸の町ではその周辺の農家が手間賃を貰って武家屋敷や商家、町家から回収して自家用の肥料として使っていた。下肥は都市から回収され農産物となってまた都市へ戻ってゆくという循環ができあがっていた。
この循環は変わらなかったけれども、江戸の町の人口というのは1600年代の中盤から1700年代の中盤の100年間で町人だけでも15万人から50万人(これに武家の人口が加わると100万人にまで膨れ上がる)にまで増加する中で食料供給量も増えていった。
農産物の増産をするためには肥料が欠かせないが、その中心を担ったのが下肥でありその価値も上がり始めたのである。

下肥を集めたいという競合が増えてくると農家は逆にお金を支払って回収するようになり、その価格も糶り売りにかけられるようになり価格は上昇していく。同時に下肥を回収して流通させる専門業者まで生まれてくる。この本の記録では江戸時代の後期(かなり値段が高騰していた頃)で1トンあたり1両で取引をされていたようだ。ウンコが1両という金と比較できるだけの価値を持っているというのだからなんだか夢がある。この頃の1両の価値とは今でいうと大体3万円~5万円だそうだ。

この価値がどれほど農業経営を圧迫したのかはわからないが、農家から窮状を訴えられた奉行所は価格の規制や下肥の回収に従事できるのを農家に限定するというような措置が取られるところもあったそうだ。

公衆トイレもそんな中から生まれた。当時、江戸の町では家以外では立小便というのが普通であったが、公衆衛生の問題と、資源回収の目的で私設の物件として作られるようになった。ウンコが足りないので小便も回収して肥料に回そうというのである。
公衆トイレを使う人はお金を払って使用し、業者はさらにそれを農家に売るというような仕組みであったそうだ。この運営には農家ではなく町人があたっていた。そしてその運営は明治時代になって政府に引き継がれ公営の施設となってゆく。

様々な規制や制度を設けてもいつの時代も悪いやつはいるものだ。既得権を主張したり、水で薄めて流通さるなどしてなんとか得をしたいと悪知恵とゴリ押しをするやつは絶えなかったようだ。

どちらにしてもリサイクルいうのには夢がある。世の中から見捨てられたと思われているものが再び脚光を浴びるというのは、うだつの上がらないヒーローが最後の最後に仲間を勝利に導くというようなカタルシスがある。こういうリサイクル経済のことを「静脈経済」というのだということを今日知ったのだが、こういう経済はすばらしいと思った。
常に新しいものを無理やり消費させるというような動脈経済どころかぜい肉にしかならない消費をあおるような仕事をしてきたが、こういうことに共感を覚えるのだから会社の中で認められなかったのも納得できるのである。

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「人間の建設」読了

2024年10月21日 | 2024読書
小林秀雄、岡潔/著 「人間の建設」読了

今の会社では労働組合が書籍の貸し出しというのをやっている。これまでも何冊かそこに挙げられていたタイトルの本を図書館で借りていたのだが、この本もそんな1冊だ。小林秀雄だけの著作ならおそらく読むことはなかったけれども岡潔との対談になっていたので借りてみた。両者ともかなり昔に亡くなっているのでいまごろ新刊が出るというのはどうしてだろうと思っていた。(この半年間、労働組合が貸し出している本はすべて新刊書であった。)
借りてみると文庫本であったので文庫本として最近出版されたものかと思って奥付を見たら平成22年の出版となっていた。

裏表紙の解説には、『有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性……主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。』と書かれているが、まさにその通りでこれといった決まったテーマはない。だからどうやって感想を書けばよいのかと悩んでしまう。それはもちろん、この人たちの知的レベルについていけていないというところのほうが大きいのではあるが・・。

ふたりの対話の中には“情緒”と“感情”という言葉が出てくる。数学も評論も、知性の前にはそういうものがあり、情緒と感情を説得できる知性がなければ知性とは言えないという。この本の前に読んだ本もそうであったが、自然科学も究極形態になってゆくと人の心と融合してゆくということかもしれない。

平成22年に発刊された本がどうしていまさら新規の貸し出しのラインナップに入ったのかはわからない。しかし、この会社には知的好奇心が強い人たちがたくさんおられるというのは間違いがないと思う。銀行などというと、なんだかサイボーグみたいな人たちばかりの会社なのじゃないかと思っていたけれどもそれは思い込みだけのようだ。
一方、流行は当然のこと、文化や知性に敏感であるべきであるはずの前の会社でこの本を読んでいるひとはひとりでもいるのだろうか・・。
勢いのある会社と沈んでいくしかない会社との違いはこういうところにもあるのかもしれない。
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