イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

高津子山

2010年01月30日 | Weblog
船のロープを沈める作業をしたあと、高津子山に登ってみた。
船の係留場所からはよく見える山で、昔は和歌浦からロープウエイで登れて頂上にはUFOのような回転式の立派な展望台があったのだ。地元民はこういうものには無頓着で僕も一、二度くらいしか行ったことがなかったのではないだろうか。和歌の浦が観光地として栄華を誇っていた象徴のひとつだったのかもしれない。営業が終わって取り壊されたあとにいまの展望台ができたようだ。現地には平成14年完成となっていた。
先日、グーグルアースを見ていたら頂上の展望台が写っていた。なぜかそれを見て一度登ってみたくなったのだ。

頂上の展望台からは和歌山市が一望に見渡せる。
雑賀崎からこの山を通って秋葉山に至るあたりは織田信長の紀州攻めの際に応戦した雑賀一族の最後の防衛ラインがあったところということだ。地図を見ていると城壁のように山が一列に連なっていることがよくわかる。
この山にもきっと誰かが陣を構えて、北東の方からやって来る織田信長の軍隊を眺めていたのだろう。命を賭けながら戦うということはどんなものなのだろうかと思いいってしまった。
少し目を左の方に移すと水軒川と水軒の集落が見える。この川は川と言っても上流下流と言うものはなく、運河のようなものだ。紀州藩の初代藩主徳川頼宣が造ったもので水軒堤防、東照宮、和歌山城と共に巨大な公共事業として造られたものらしい。
こう見てみると和歌山にも長い長い歴史があるのだということがよく感じられる。
普通は和歌の浦のほうを見るものなのだろうが、どうも生まれ育った方角を見てしまう。
こっち向きにベンチがないのが悔しいものだ。
ちなみに今日の午後はわずかな北風しか吹いていなかったので和歌の浦から田ノ浦にかけてはひねもすのたりのたりかなの状態でこれまたいい景色を見ることができた。

帰りは和歌浦の街中をゆっくり流しながら帰ってきたのだが、いろいろな人がいろいろな形で地元に密着しながら生活をしている風景が続いていた。あたりまえといえば当たり前のことなのだろうが、生活の場と仕事の場所があまりにも遠く離れてしまっている自分を省みると、やっぱりこんな生き方には無理があるのではないかと思える。職住接近と言う言葉があるが、「生きる」という意味では行動範囲は狭いほうがいいと改めて思うのであった。

こんなところにやってくると性だろうか、タラノメはないかと探してしまう。
案の定、見つけてしまった。場所は山頂から少し下ったところにあるコンクリートの建物の入り口の向かい側。ここはきっと競争が激しそうだから公表しましょう。
我と思わん方はぜひとも行ってみて下さい。北に面した所だから3月の中頃が採り時なのではないでしょうか。
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加太沖釣行

2010年01月30日 | Weblog
場所:加太沖
条件:大潮6:48満潮 潮流7:36最強3.3ノット上り 11:20転流
釣果:ハマチ 1匹

週明けからずっと風邪気味で週末はゆっくりしておこうと思ったが、駅からの帰り道、満月がくっきり出ている。そうか、明日は大潮なんだな、それもきっと天気がいいんだろうなと思うとやっぱり釣りに行きたくなった。
潮流が変わる時間が早いのと先週の船の処分代を支払いに行かなければならないので先週よりも早く出発した。といっても30分ほどだが。

先々週鯛を釣ったあたりから釣りをスタート。今日もビニール仕掛けだ。
釣り始めて少ししたころわずかにアタリがあったがすぐに離れていってしまった。
少しアワセを入れてしまったのがダメだったようだ。
次のアタリは9時過ぎ。下ろしてゆく仕掛けに乗ってきた。
けっこう首を振るので鯛かと思ったがハマチであった。
それからはアタリがなくなったので転々と場所を移動。田倉崎の南の方に船が集まり始めたのでそこへ合流。すぐに大きなアタリがあったがこれも乗るまでには至らなかった。
多分、カブラの方に食いついたのだろう。ひょっとしたら鯛だったのかも知れないと思うと残念無念。まあ、ボウズではなかっただけもよかったということにしておこう。
12時までには支払いをしなければ思い11時過ぎに終了。
どうも、魚の〆かたが下手なのか、ハマチが口をあけて死んでしまっていた。
魚が大きいとどうも・・・。これも練習が必要だ。


船を係留しようとしたときまたまた碇のロープをスクリューに巻きつかせてしまった。なんとドンくさいことか!!。
よく見ると碇のメインのロープが浮いている。普通は比重の高いロープを使って沈めておくのだが、どうもこのロープは比重の軽いものだったらしい。手元のロープはこの前取り替えたので全部沈んでいると思っていたがメインのロープのほうはずっと浮いていたようだ。それにフジツボも落ちてしまう頃なのでよけいに浮きやすくなってしまったのだろう。大潮の干潮時だったので海面が下がっていたものだからスクリューがそれを引っ掛けてしまったようだ。
結局港をあとにしたのが午後1時を回ってしまっていた。
前のオーナーさんはこんな状態でなんのトラブルもなく船の出し入れができていたのだろうか??それともやっぱり僕がドンくさいのだろうか。
まだまだ悩みは尽きないのだ。

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