イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

山菜採り

2017年04月24日 | Weblog
去年より4日遅れての生石山への山菜採りだ。
いつもお世話になっている森に暮らすひまじんさんの情報では今年は遅れ気味でワラビも小さいとのことであったが、今年の新たな目的であるコゴミのスポットはすでに終わりに近づいているとのことなのでこれは早く行かねばと高原を目指した。

毎年、最初の山菜採りのころは駐車場で車のドアを開けたとたんに、寒ム・・・。となるところだが、今日は相当暖かい。まだまだ寒いと思っていたのでヒートテックをはいて来たのは失敗だった。

しかし、ワラビの芽は小さい。穂先をやっと地面から持ち上げたばかりだ。日差しはいくら暖かくても、地面が暖かくならないと芽は大きくなれないのだということだろうか。



最初に入った北の斜面は毎年軸の太い赤みを帯びたものが採れる。ほんとうはもう少し、2日ほど置いておけばもっと立派になるのだがそんなことをしていたら後続の人たちの餌食になってしまう。
かわいそうだがポッキリといってしまうのだ。ただ、このサイズのワラビが一番柔らかくて美味しい。

この斜面はところどころに潅木があったのだが、今年は豪快に刈り取られている。平らになった斜面に僕の影が長く落ちてゆく。



そういえば、最後こんなに長くなった自分の影を見たのはいつのことだっただろうか・・・。

ひまじんさんと合流する前にコシアブラを見に行こうとポイントに入ってみたが今年は情報どおりかなり遅れているようだ。採れるどころか、枝の先がわずかに緑色をしているだけだ。これは残念。



その後、ひまじんさんと合流。何ヶ所かでワラビを採り、ヤマウドのスポットへ。ヤマウドも小さいがこれも小さいほど美味しい。



しかし、見つけるのが大変だ。去年の枯れた茎をたどったり地面からわずかに飛び出た芽を探すがなかなか見つからない。
ひまじんさんの奥さんは相変わらず鋭い探索眼で次々と芽を見つけてゆく。「ここにあるから採ってね。」と恐縮しながら譲っていただく。至近距離で見ていたはずの場所で後から入った奥さんが芽を見つけられたのには驚いたと同時にまだまだ修行が足りんとたじたじとなってしまった。

ひととおり採り終え、今度は今年の大きな目的であるコゴミのポイントへ案内していただいた。秘密にされているとのことであったのだが無理を言って場所を教えていただいた。
そこはなんともものすごい数のコゴミが生えていた。



まさにコゴミの絨毯だ。初めて見る海底の生物を思わせるようなフォルムはオームの触角の海原のようで、もう少し黄色身を帯びていたのなら向こうからナウシカが歩いてきそうな感じだ。
大きくなりすぎているとは言え、茎の間からはまだまだ小さな芽も顔を出している。かなりの量が収穫できた。コゴミは癖がなく、天ぷらにしても酢味噌和えにしても何にしても美味しい。

最後に、僕のために取っておきましたと、少し大きな芽が出ているというコシアブラの木に案内していただいた。
朝はもう少し待たねばならないとあきらめていたがうれしいコシアブラだ。
今日採った山菜の大半を持たせていただいて帰路についた。


家に帰って山菜の処理。ワラビとイタドリは母親に任せて僕はひたすらゼンマイの綿取りに熱中。この綿はかつてはテンカラ釣りの毛バリの胴体にも使われていたということを最近知ったのだが、なんだか身近に感じてしまう。
今までは下処理が相当面倒と聞いていて、母親が高原に行っていた頃にも持って帰ることがなかったのだが、根気よくやればそんなに面倒なこともない。去年少しだけ持って帰ったゼンマイはワラビより鮮烈な味わいであった。今年は本格的に採ってこようと考えて地面を眺めていると意外とたくさんの芽が出ている。画像の分量の半分以上はひまじんさんが持たせてくれたものではあるわけだが今年はゼンマイも堪能できそうだ。



堪能などと今は呑気に書いているが、遠い昔、そこまでして食べ物を確保しないと生きてゆけない時代があったのではないかということを想像しなければならない。厳しい冬を生き延びてやっと口にできるのがこれらの苦みを含んだ春の山菜であったのなら、僕たちはもっと心して味わねばならないのではないかと思うのだ。

と言ってもやっぱり山菜の天ぷらは、“堪能”という言葉の方が似合っている。




コメント (2)
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