ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田 裕之/訳 「21 Lessons」読了
「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の続編になる。「サピエンス全史」では人間の過去を、「ホモ・デウス」では生命の遠い未来を考察し、本書では長期的な視点を見据えながらも“今、ここ”に焦点を絞って考察を展開している。
目次を見てみると以下のとおりである。
1 幻滅――先送りにされた「歴史の終わり」
2 雇用――あなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない
3 自由――ビッグデータがあなたを見守っている
4 平等――データを制する者が未来を制する
5 コミュニティ――人間には身体がある
6 文明――世界にはたった一つの文明しかない
7 ナショナリズム――グローバルな問題はグローバルな答えを必要とする
8 宗教――今や神は国家に仕える
9 移民――文化にも良し悪しがあるかもしれない
10 テロ――パニックを起こすな
11 戦争――人間の愚かさをけっして過小評価してはならない
12 謙虚さ――あなたは世界の中心ではない
13 神――神の名をみだりに唱えてはならない
14 世俗主義――自らの陰の面を認めよ
15 無知――あなたは自分で思っているほど多くを知らない
16 正義――私たちの正義感は時代後れかもしれない
17 ポスト・トゥルース――いつまでも消えないフェイクニュースもある
18 SF――未来は映画で目にするものとは違う
19 教育――変化だけが唯一不変
20 意味――人生は物語ではない
21 瞑想――ひたすら観察せよ
それぞれのテーマも最後に次のテーマとなるキーワードが現れ、それをリレーのように引き継いで文章は続いてゆく。
全体を通しては「ホモ・デウス」に書かれていた考えとほぼ同じである。情報テクノロジーとバイオテクノロジーの融合による未来だ。
ひとつは雇用の減少。僕もそのひとりに含まれてしまっている感があるけれども、単純作業の仕事はAIにとって代わられ、また、芸術の分野にもそれは波及し、ひとりひとりに心地よい音楽や絵画などは個人の様々なデータを取り込んだAIがお勧めし、創り出してくれる。そんな環境の中で人間に残された仕事はコンピューターに唯一できない子供を育てることだけになってしまうという。
また、格差という面では、裕福な人々は自らの体を改変し「超人」となり、それができない人たちは普通の人間として生涯を終える。
これは遠い未来ではなく現在もそのとば口に入っているような気がする。遺伝子操作などというとかなり先と思うが高度な治療などというと、もう少しするとお金のある人は受けることができるがお金がないと“竹コース”までしか無理というのはもうほんのそこまで迫っているのではないだろうか。義理の父は年間1400万円かかる治療で肺癌を克服できたがいつまでもそんな治療を国民全部が受けられる時代は続かないのではないだろうか。
そしてそんな世界では宗教さえも無駄なものとなってゆく。著者は宗教に対してはかなり手厳しい意見を述べている。宗教は現在の富の源泉である科学技術の発展に対して何の貢献もしてこなかったと断言する。
また、人権というものについても超人の出現のもとでは何の役にも立たないとも言う。人権運動というのは宗教偏見や暴君に対しては効果的だが超人やサイボーグ、超知能を持つコンピューターに対処する用意はないに等しいというのだ。
このような不平等の世界ではほとんどの人が搾取ではなく、それよりもはるかに悪いもの、すなわち存在意義の喪失に苦しむことになるかもしれないと結論付けるのである。
存在意義の喪失・・・、それはべつに遠い未来のことではない。現に今の自分の身にふりかかってしまっている現実である。これは遠い未来の話ではない。
しかし、それを考えるとき、原因となるもの、例えば国家、宗教、企業それらすべては虚構でしかないという。これは前の著作でも同じことが語られていたが、そうであるとなると、僕に強制労働のような命令を下した大元も虚構でありその命令も幻ということになる。そしてその虚構をすべて取り去ってしまったあとに残るのは、「どうやったら苦しみから逃れられるのか」というものだと著者は分析する。堂々巡りのようだが虚構がその原因なら何も気にしなくていいようなものだけれども、やはりそう簡単に割りきれるものではない。
前の上司は必ず彼の上司の悪口を先途言ってから会議を始めていたが、それでもきちんとその上司に仕えている。僕の母も僕の奥さんの悪口を車の中で先途ほざきながら食卓では何のわだかまりもなく会話を続けている。
意外と世の中の人たちは自分の周りの事どもはすべて虚構で気にする方が馬鹿々々しいと理解しているようだ。
しかしながら僕はどうもそんなに割り切れない。綺麗なものは綺麗と思い、汚いものは汚いとしか思えない。そのうえ、僕は今の会社に対して特にそれほど愛着があるわけではないのにそれに裏切られてしまうとその苦しみから逃れられなくなる。まったく矛盾している。
自分でも一体どうしたらいいのかがわからなくなる。
この本は少し未来、アルゴリズムが人間の感情を支配してしまった後の人間の生き方について考察するように喚起する内容であるのだが、僕にとっては今の感情をどうやってうっちゃるのか、それをひたすら考えさせられる内容であった。
「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の続編になる。「サピエンス全史」では人間の過去を、「ホモ・デウス」では生命の遠い未来を考察し、本書では長期的な視点を見据えながらも“今、ここ”に焦点を絞って考察を展開している。
目次を見てみると以下のとおりである。
1 幻滅――先送りにされた「歴史の終わり」
2 雇用――あなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない
3 自由――ビッグデータがあなたを見守っている
4 平等――データを制する者が未来を制する
5 コミュニティ――人間には身体がある
6 文明――世界にはたった一つの文明しかない
7 ナショナリズム――グローバルな問題はグローバルな答えを必要とする
8 宗教――今や神は国家に仕える
9 移民――文化にも良し悪しがあるかもしれない
10 テロ――パニックを起こすな
11 戦争――人間の愚かさをけっして過小評価してはならない
12 謙虚さ――あなたは世界の中心ではない
13 神――神の名をみだりに唱えてはならない
14 世俗主義――自らの陰の面を認めよ
15 無知――あなたは自分で思っているほど多くを知らない
16 正義――私たちの正義感は時代後れかもしれない
17 ポスト・トゥルース――いつまでも消えないフェイクニュースもある
18 SF――未来は映画で目にするものとは違う
19 教育――変化だけが唯一不変
20 意味――人生は物語ではない
21 瞑想――ひたすら観察せよ
それぞれのテーマも最後に次のテーマとなるキーワードが現れ、それをリレーのように引き継いで文章は続いてゆく。
全体を通しては「ホモ・デウス」に書かれていた考えとほぼ同じである。情報テクノロジーとバイオテクノロジーの融合による未来だ。
ひとつは雇用の減少。僕もそのひとりに含まれてしまっている感があるけれども、単純作業の仕事はAIにとって代わられ、また、芸術の分野にもそれは波及し、ひとりひとりに心地よい音楽や絵画などは個人の様々なデータを取り込んだAIがお勧めし、創り出してくれる。そんな環境の中で人間に残された仕事はコンピューターに唯一できない子供を育てることだけになってしまうという。
また、格差という面では、裕福な人々は自らの体を改変し「超人」となり、それができない人たちは普通の人間として生涯を終える。
これは遠い未来ではなく現在もそのとば口に入っているような気がする。遺伝子操作などというとかなり先と思うが高度な治療などというと、もう少しするとお金のある人は受けることができるがお金がないと“竹コース”までしか無理というのはもうほんのそこまで迫っているのではないだろうか。義理の父は年間1400万円かかる治療で肺癌を克服できたがいつまでもそんな治療を国民全部が受けられる時代は続かないのではないだろうか。
そしてそんな世界では宗教さえも無駄なものとなってゆく。著者は宗教に対してはかなり手厳しい意見を述べている。宗教は現在の富の源泉である科学技術の発展に対して何の貢献もしてこなかったと断言する。
また、人権というものについても超人の出現のもとでは何の役にも立たないとも言う。人権運動というのは宗教偏見や暴君に対しては効果的だが超人やサイボーグ、超知能を持つコンピューターに対処する用意はないに等しいというのだ。
このような不平等の世界ではほとんどの人が搾取ではなく、それよりもはるかに悪いもの、すなわち存在意義の喪失に苦しむことになるかもしれないと結論付けるのである。
存在意義の喪失・・・、それはべつに遠い未来のことではない。現に今の自分の身にふりかかってしまっている現実である。これは遠い未来の話ではない。
しかし、それを考えるとき、原因となるもの、例えば国家、宗教、企業それらすべては虚構でしかないという。これは前の著作でも同じことが語られていたが、そうであるとなると、僕に強制労働のような命令を下した大元も虚構でありその命令も幻ということになる。そしてその虚構をすべて取り去ってしまったあとに残るのは、「どうやったら苦しみから逃れられるのか」というものだと著者は分析する。堂々巡りのようだが虚構がその原因なら何も気にしなくていいようなものだけれども、やはりそう簡単に割りきれるものではない。
前の上司は必ず彼の上司の悪口を先途言ってから会議を始めていたが、それでもきちんとその上司に仕えている。僕の母も僕の奥さんの悪口を車の中で先途ほざきながら食卓では何のわだかまりもなく会話を続けている。
意外と世の中の人たちは自分の周りの事どもはすべて虚構で気にする方が馬鹿々々しいと理解しているようだ。
しかしながら僕はどうもそんなに割り切れない。綺麗なものは綺麗と思い、汚いものは汚いとしか思えない。そのうえ、僕は今の会社に対して特にそれほど愛着があるわけではないのにそれに裏切られてしまうとその苦しみから逃れられなくなる。まったく矛盾している。
自分でも一体どうしたらいいのかがわからなくなる。
この本は少し未来、アルゴリズムが人間の感情を支配してしまった後の人間の生き方について考察するように喚起する内容であるのだが、僕にとっては今の感情をどうやってうっちゃるのか、それをひたすら考えさせられる内容であった。