場所:田辺湾 金谷
条件:大潮 5:09満潮 11:14干潮
釣果:チヌ 53センチ以下5匹(その他7匹リリース)、カスゴ、グレ各1匹
いろいろありすぎて、今年のチヌの乗っ込みに行くのはあきらめていたけれども、コロナショックのせいで休日が倍になったことで重くなりすぎていた腰を上げることができた。これも天の配剤だろうか、きっと神様が行ってこいと言ってくれているのだろう。
腰が重いから準備にも時間がかかる。3日ほど前から散在して置いている各種道具を揃え始めたら、ダンゴを投げる杓が見当たらない。僕は肩が弱いのでこれがなければ釣りにならない。どこを探しても見つからないので、前回、秋の釣行の際に置き忘れて帰ってきたに違いないとストックしていたパーツを集めて作らねばならなくなってしまった。僕はこんな時のためにというわけではないのだが、様々なパーツをストックしている。杓の頭は数種類の大きさのものを買ってあるし、柄は中古で買ったものや拾った釣竿を置いているので必要な長さと太さを切り出せる。グリップは袋竹で作れる。さて、拾った竿のガイドを外して柄を切り出そうとしたとき、洗った道具を乾かす場所を見ていないことに気づいた。案の定そこに置いたままになっていた。約5か月、そこに放りっぱなしになっていた。
これで事なきを得てすべての道具が揃った。去年はウキケースを探し回りと、僕はなんとも自堕落な人間だ。
去年よりも釣行時期が半月ほど遅くなったので出船が午前5時だ。今回はヌカの配合作業を餌屋さんでやろうと考えていたので少し早めの午前2時20分の出発にした。
時刻が早いせいか、これもコロナウイルスの影響か、高速道路はまったくスムーズで結局午前4時10分頃に到着してしまった。
船は予定通り午前5時に出船。ここはコロナショックとは全く無縁だ。大阪府からも越境して釣り客がやってきている。まあ、僕は県内の人間だから自粛要請にはあたるまいと勝手に解釈している。不要不急と言われても、行くと決めたら、チヌの乗っ込みは待ってくれない。これも急を要する案件なのだ。

昨日は相当な風で渡船屋は休業していて、今日の予報も北風が強いとなっていた。大潮なので本当は沖磯に渡って貝も捕りたいと思っていたけれども北風が強いと塔島はかなり釣りづらい。
結局、北風に強くて、3年前にそこそこ釣果のあった金谷を選んだ。
早朝はダンゴを放り込んでいたがまったく何のアタリもない。エサが残ったままなので多分仕掛けを回収しようとしたときのリアクションで交通事故のように食ってきたカスゴだけだ。
風も穏やかで沖磯に行けたのではないかと思いながらさらに1時間以上が経過した。やっとアタリがあったのは午前8時頃だった。40センチに満たない小さなチヌだが、これでとりあえずはボウズを免れた。しかし、乗っ込みにしてはサイズが小さすぎる。
それから1時間ほどが時合いだったようだ。立て続けに4匹を釣り上げた。
潮は引き潮だが、流れは沖から左に向かっている。磯の地形の関係か、ちょうど僕の釣り座の目の前に反転流ができて少し手前にダンゴを放り込むと右に流れる。ちょうどその境目に投げ込むとアタリが出るという感じだ。

それくらいから風が強くなってきた。やっぱり沖磯に行かなくて正解だった。

アタリはその後もポツポツとやってくる。水温が低いのか、昨日の荒れ模様のせいか、まったくエサ取りはない。アタるとチヌだ。
午前10時半頃、アクシデントが発生。インターラインの竿が詰まってしまった。なんでトップガイドを通り抜けた物体が竿の中で詰まるのか、この竿はおそらく20年くらい使っているけれども、こんなトラブルは初めてだ。
上から出ないのなら下から出さねばなるまいと尻栓を外して穂先を抜き出そうとしたけれども、本格的なトラブルはこの時からであった。
尻栓を外した時、手元からこぼれ落ち、コロコロと岩の割れ目に入りこんでしまった。風化が進んだ岩の割れ目は先のほうが見えないほど深い。すべてのものは一度転落し始めるとどこまでも落ちてゆくということを身をもって知らされることになるのである。そして、その異物を押し出してやろうと取り出したワイヤーもどうしたことか見当たらなくなってしまった。細いワイヤーといってもそこそこ長さがあるのだから見つからなくなるはずはないのだが、磯の表面をくまなく探しても見つからない。結局、このトラブル、トップガイドのねじを外してやればすぐに異物を取り出すことができるという簡単なものであった。それを理解することができず、尻栓とワイヤーの二つを失くす羽目になってしまった。
失くしたものは帰ってこない。なんともわが人生を見ているようではないか・・。情けない・・。
大体、こんなときはそのあとは意気消沈して投げやりになってグダグダになってしまうのであるけれども、今日の神様は僕には優しかった。30分ほどの釣竿との格闘の後には風が治まり仕掛けのなじみもよくなっていたのか、仕掛けを作り直して棚の調整をしたあとの1投目、アタリを合わすといままでにない引きだ。がっちり固めたドラグで竿がのされ、思わずベールを返して道糸を送り出した。大きい。浮き上がってきたチヌは間違いなく年なしだ。チヌという魚は“年なし”という先入観もあるだろうけれども、50センチを超えると一気に大きさ感が増す。

体高はいうに及ばす、厚みもすごく立派な魚体だ。久々の年なしチヌに巡り会えた。
その後もアタリはコンスタントに続く。今日は島には僕を含めて3人の釣り人がいたけれども、他のふたりはあまり竿を曲げていない。次々とチヌを釣り上げる僕を不思議そうに見ている。ちょっとだけ優越感に浸れるのだ。まあ、腕の差ではなく、ポイント選びだけの問題ではあるのだが・・・。
これだけ釣るとクーラーに収まりきらずに全部は持って帰れない。それに帰宅も遅くなるので捌くのも大変で、僕はおいしい魚だと思っているのだが世間ではあまり好まれないので近所に配るのも憚られる。
不本意だが、釣った魚の何匹かをリリースしなければならない。それを前提にチヌ鉤5号を使いなるべく飲み込まれないようにして、鉤を取り出せた魚はリリースしていたのだが、それでも魚は増えてゆく。スカリの大きさも僕の腕前のほうが勝ってしまったようだ。
逡巡はしたけれども、鉤を飲み込んだ魚もリリースすることにした。長くは生きられないかもしれないが、僕にナイフで頭をグリグリやられて殺されるよりもましだろうし、産卵期真っただ中だからひょっとしたら子孫を残すことができるかもしれない。また運よく鉤が外れて長生きできるかもしれない。
これはまったくの僕のエゴである。残酷な話だ。これでは神様の福音も何もあったものではない。
魚が釣れるのはうれしいが、何事もほどほどがよいということである。
魔法の白い粉について、今回はじめてオキアミにふりかけてみたけれども、効果のほどはほぼ確認できなかった。ふりかけなくても釣れるしふりかけても釣れた。エサ取りの具合も変わらずなのでこれはやっぱり料理に使っていたほうがいいのかもしれない・・。

条件:大潮 5:09満潮 11:14干潮
釣果:チヌ 53センチ以下5匹(その他7匹リリース)、カスゴ、グレ各1匹
いろいろありすぎて、今年のチヌの乗っ込みに行くのはあきらめていたけれども、コロナショックのせいで休日が倍になったことで重くなりすぎていた腰を上げることができた。これも天の配剤だろうか、きっと神様が行ってこいと言ってくれているのだろう。
腰が重いから準備にも時間がかかる。3日ほど前から散在して置いている各種道具を揃え始めたら、ダンゴを投げる杓が見当たらない。僕は肩が弱いのでこれがなければ釣りにならない。どこを探しても見つからないので、前回、秋の釣行の際に置き忘れて帰ってきたに違いないとストックしていたパーツを集めて作らねばならなくなってしまった。僕はこんな時のためにというわけではないのだが、様々なパーツをストックしている。杓の頭は数種類の大きさのものを買ってあるし、柄は中古で買ったものや拾った釣竿を置いているので必要な長さと太さを切り出せる。グリップは袋竹で作れる。さて、拾った竿のガイドを外して柄を切り出そうとしたとき、洗った道具を乾かす場所を見ていないことに気づいた。案の定そこに置いたままになっていた。約5か月、そこに放りっぱなしになっていた。
これで事なきを得てすべての道具が揃った。去年はウキケースを探し回りと、僕はなんとも自堕落な人間だ。
去年よりも釣行時期が半月ほど遅くなったので出船が午前5時だ。今回はヌカの配合作業を餌屋さんでやろうと考えていたので少し早めの午前2時20分の出発にした。
時刻が早いせいか、これもコロナウイルスの影響か、高速道路はまったくスムーズで結局午前4時10分頃に到着してしまった。
船は予定通り午前5時に出船。ここはコロナショックとは全く無縁だ。大阪府からも越境して釣り客がやってきている。まあ、僕は県内の人間だから自粛要請にはあたるまいと勝手に解釈している。不要不急と言われても、行くと決めたら、チヌの乗っ込みは待ってくれない。これも急を要する案件なのだ。

昨日は相当な風で渡船屋は休業していて、今日の予報も北風が強いとなっていた。大潮なので本当は沖磯に渡って貝も捕りたいと思っていたけれども北風が強いと塔島はかなり釣りづらい。
結局、北風に強くて、3年前にそこそこ釣果のあった金谷を選んだ。
早朝はダンゴを放り込んでいたがまったく何のアタリもない。エサが残ったままなので多分仕掛けを回収しようとしたときのリアクションで交通事故のように食ってきたカスゴだけだ。
風も穏やかで沖磯に行けたのではないかと思いながらさらに1時間以上が経過した。やっとアタリがあったのは午前8時頃だった。40センチに満たない小さなチヌだが、これでとりあえずはボウズを免れた。しかし、乗っ込みにしてはサイズが小さすぎる。
それから1時間ほどが時合いだったようだ。立て続けに4匹を釣り上げた。
潮は引き潮だが、流れは沖から左に向かっている。磯の地形の関係か、ちょうど僕の釣り座の目の前に反転流ができて少し手前にダンゴを放り込むと右に流れる。ちょうどその境目に投げ込むとアタリが出るという感じだ。

それくらいから風が強くなってきた。やっぱり沖磯に行かなくて正解だった。

アタリはその後もポツポツとやってくる。水温が低いのか、昨日の荒れ模様のせいか、まったくエサ取りはない。アタるとチヌだ。
午前10時半頃、アクシデントが発生。インターラインの竿が詰まってしまった。なんでトップガイドを通り抜けた物体が竿の中で詰まるのか、この竿はおそらく20年くらい使っているけれども、こんなトラブルは初めてだ。
上から出ないのなら下から出さねばなるまいと尻栓を外して穂先を抜き出そうとしたけれども、本格的なトラブルはこの時からであった。
尻栓を外した時、手元からこぼれ落ち、コロコロと岩の割れ目に入りこんでしまった。風化が進んだ岩の割れ目は先のほうが見えないほど深い。すべてのものは一度転落し始めるとどこまでも落ちてゆくということを身をもって知らされることになるのである。そして、その異物を押し出してやろうと取り出したワイヤーもどうしたことか見当たらなくなってしまった。細いワイヤーといってもそこそこ長さがあるのだから見つからなくなるはずはないのだが、磯の表面をくまなく探しても見つからない。結局、このトラブル、トップガイドのねじを外してやればすぐに異物を取り出すことができるという簡単なものであった。それを理解することができず、尻栓とワイヤーの二つを失くす羽目になってしまった。
失くしたものは帰ってこない。なんともわが人生を見ているようではないか・・。情けない・・。
大体、こんなときはそのあとは意気消沈して投げやりになってグダグダになってしまうのであるけれども、今日の神様は僕には優しかった。30分ほどの釣竿との格闘の後には風が治まり仕掛けのなじみもよくなっていたのか、仕掛けを作り直して棚の調整をしたあとの1投目、アタリを合わすといままでにない引きだ。がっちり固めたドラグで竿がのされ、思わずベールを返して道糸を送り出した。大きい。浮き上がってきたチヌは間違いなく年なしだ。チヌという魚は“年なし”という先入観もあるだろうけれども、50センチを超えると一気に大きさ感が増す。

体高はいうに及ばす、厚みもすごく立派な魚体だ。久々の年なしチヌに巡り会えた。
その後もアタリはコンスタントに続く。今日は島には僕を含めて3人の釣り人がいたけれども、他のふたりはあまり竿を曲げていない。次々とチヌを釣り上げる僕を不思議そうに見ている。ちょっとだけ優越感に浸れるのだ。まあ、腕の差ではなく、ポイント選びだけの問題ではあるのだが・・・。
これだけ釣るとクーラーに収まりきらずに全部は持って帰れない。それに帰宅も遅くなるので捌くのも大変で、僕はおいしい魚だと思っているのだが世間ではあまり好まれないので近所に配るのも憚られる。
不本意だが、釣った魚の何匹かをリリースしなければならない。それを前提にチヌ鉤5号を使いなるべく飲み込まれないようにして、鉤を取り出せた魚はリリースしていたのだが、それでも魚は増えてゆく。スカリの大きさも僕の腕前のほうが勝ってしまったようだ。
逡巡はしたけれども、鉤を飲み込んだ魚もリリースすることにした。長くは生きられないかもしれないが、僕にナイフで頭をグリグリやられて殺されるよりもましだろうし、産卵期真っただ中だからひょっとしたら子孫を残すことができるかもしれない。また運よく鉤が外れて長生きできるかもしれない。
これはまったくの僕のエゴである。残酷な話だ。これでは神様の福音も何もあったものではない。
魚が釣れるのはうれしいが、何事もほどほどがよいということである。
魔法の白い粉について、今回はじめてオキアミにふりかけてみたけれども、効果のほどはほぼ確認できなかった。ふりかけなくても釣れるしふりかけても釣れた。エサ取りの具合も変わらずなのでこれはやっぱり料理に使っていたほうがいいのかもしれない・・。
