山本音也 「高野山」読了
タイトルだけを見て借りてみたのだが、タイムリーなことに明智光秀の本能寺の変をめぐる話であった。
そして、その裏には高野山がからんでいるというのがこの物語の大筋である。それには信長の高野攻めが大きくかかわっている。
あまり詳しく書いてしまうとこれから読もうとする人に申し訳ないのだが、ネットで調べてみると、「高野春秋編年輯録」では本能寺の変の直前から高野攻めが始まり、信長が死んだことにより高野山は助かったということになっている。史実かどうかはわからないらしいが、その結果は密教の加持祈祷の賜物であるというのが「高野春秋編年輯録」の書き方のようだ。小説でも密教の呪術と修験道を修めた刺客が登場する。
その棟梁は高野山の客僧、応其。高野山を守るため刺客に対しては信長の暗殺を指示し、古くから親交のあった明智光秀には信長に冷たくあしらわれていることを利用し謀反を勧める。秀吉にはそのことを事前に漏らし、光秀を謀反人として討ち取り天下を取ることをそそのかす。
暗殺には失敗したけれども応其からの逐一の情報のおかげで秀吉は素早く中国大返しに成功した。史実の裏にはこんなことがあったかもしれないという物語だ。
「軍師官兵衛」では黒田官兵衛が秀吉に天下取りをそそのかしたことになっていた。誰がどんなことを考えて行動していたかというのは様々なことを思いつけるから面白い。歴史小説を好んで読むほうではないけれどもたまたま手に取って読んでみると面白いものである。今年の大河ドラマでは光秀はどんな動機で謀反に思い至ったか、秀吉はどうして素早く行動できたのか、どうやって描かれるのだろう。ドラマはコロナウイルスがもとで撮影が延期になっているそうだからそもそも光秀は本能寺までたどり着けるのだろうか。
この物語では、明智光秀、織田信長、羽柴秀吉をそれぞれ「ミツヒデ」、「ノブナガ」、「ヒデヨシ」とカタカナの表記でまるで記号のような書き方をしている。作家の意図はどこにあるのだろうかと最後まで考えながら読んでいた。カタカナで書くことによってこの物語は架空の世界の物語であるということをことわりたかったのだろうか。それにしては応其上人という人は実在の人物らしいし、ほかにも信長に高野山に追放された佐久間信盛という実在の人物も登場する。ではほかに意図はあるのだろうか。
ノブナガについて、著者は冷徹、短気、恨み深い人物として表現している。そのパワハラに耐えられなかったのがミツヒデで、それを承知でうまく受け流したのがヒデヨシであったように物語を進める。
ヒデヨシの「上様の機嫌を窺うて粒々辛苦ただそれだけの生まれ性だったのよ。」というセリフにそれがよく表れている。パワハラ、理不尽と思える待遇、報われない努力、意にそぐわない左遷。こういうことを記号化することによっていつの時代でも、現代でもどこにでもありうる話だということを伝えているのだろうか。
だとしたら、昔はイチかバチか“謀反”によって逆転できる可能性があったけれども今はそんなことをしたら犯罪になってしまう。もっと生きづらい世界になってしまったということを伝えたかったのだろうか。前提には謀反を起こせるだけの実力と行動力を持っていなければなければならないけれども・・。
ただ、漢字で名前が出てくる佐久間信盛はカタカナの面々よりも長く生き延び、主人公の刺客のひとりと後年出会うことになる。
そうなると、長いものに巻かれずにさっさと逃げたほうが長く自由に生きられるということを言いたかったのだろうか。まるでアドラーの話のようだ。
タイトルだけを見て借りてみたのだが、タイムリーなことに明智光秀の本能寺の変をめぐる話であった。
そして、その裏には高野山がからんでいるというのがこの物語の大筋である。それには信長の高野攻めが大きくかかわっている。
あまり詳しく書いてしまうとこれから読もうとする人に申し訳ないのだが、ネットで調べてみると、「高野春秋編年輯録」では本能寺の変の直前から高野攻めが始まり、信長が死んだことにより高野山は助かったということになっている。史実かどうかはわからないらしいが、その結果は密教の加持祈祷の賜物であるというのが「高野春秋編年輯録」の書き方のようだ。小説でも密教の呪術と修験道を修めた刺客が登場する。
その棟梁は高野山の客僧、応其。高野山を守るため刺客に対しては信長の暗殺を指示し、古くから親交のあった明智光秀には信長に冷たくあしらわれていることを利用し謀反を勧める。秀吉にはそのことを事前に漏らし、光秀を謀反人として討ち取り天下を取ることをそそのかす。
暗殺には失敗したけれども応其からの逐一の情報のおかげで秀吉は素早く中国大返しに成功した。史実の裏にはこんなことがあったかもしれないという物語だ。
「軍師官兵衛」では黒田官兵衛が秀吉に天下取りをそそのかしたことになっていた。誰がどんなことを考えて行動していたかというのは様々なことを思いつけるから面白い。歴史小説を好んで読むほうではないけれどもたまたま手に取って読んでみると面白いものである。今年の大河ドラマでは光秀はどんな動機で謀反に思い至ったか、秀吉はどうして素早く行動できたのか、どうやって描かれるのだろう。ドラマはコロナウイルスがもとで撮影が延期になっているそうだからそもそも光秀は本能寺までたどり着けるのだろうか。
この物語では、明智光秀、織田信長、羽柴秀吉をそれぞれ「ミツヒデ」、「ノブナガ」、「ヒデヨシ」とカタカナの表記でまるで記号のような書き方をしている。作家の意図はどこにあるのだろうかと最後まで考えながら読んでいた。カタカナで書くことによってこの物語は架空の世界の物語であるということをことわりたかったのだろうか。それにしては応其上人という人は実在の人物らしいし、ほかにも信長に高野山に追放された佐久間信盛という実在の人物も登場する。ではほかに意図はあるのだろうか。
ノブナガについて、著者は冷徹、短気、恨み深い人物として表現している。そのパワハラに耐えられなかったのがミツヒデで、それを承知でうまく受け流したのがヒデヨシであったように物語を進める。
ヒデヨシの「上様の機嫌を窺うて粒々辛苦ただそれだけの生まれ性だったのよ。」というセリフにそれがよく表れている。パワハラ、理不尽と思える待遇、報われない努力、意にそぐわない左遷。こういうことを記号化することによっていつの時代でも、現代でもどこにでもありうる話だということを伝えているのだろうか。
だとしたら、昔はイチかバチか“謀反”によって逆転できる可能性があったけれども今はそんなことをしたら犯罪になってしまう。もっと生きづらい世界になってしまったということを伝えたかったのだろうか。前提には謀反を起こせるだけの実力と行動力を持っていなければなければならないけれども・・。
ただ、漢字で名前が出てくる佐久間信盛はカタカナの面々よりも長く生き延び、主人公の刺客のひとりと後年出会うことになる。
そうなると、長いものに巻かれずにさっさと逃げたほうが長く自由に生きられるということを言いたかったのだろうか。まるでアドラーの話のようだ。