スティーヴン・ウェッブ/著、松浦俊輔/訳 「広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由」読了
これも「三体」の流れで借りた本だ。500ページもある。
「フェルミのパラドックス」という論に対する解を求めようとする話だ。
ウイキペディアで調べてみると、『物理学者エンリコ・フェルミが最初に指摘した、地球外文明の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のことである。』と書かれている。
「ドレイクの方程式」という、太陽系が属する銀河系のなかには地球のほかにどれくらいの文明が存在しているのかを求める方程式があって、それぞれの変数に数値を確定させて代入するとその文明の数が導き出せるというものだ。
方程式はこうだ。
N=R*×f{p}×n{e}×f{l}×f{i}×f{c}×L
R* は、天の川銀河で1年間に生まれる恒星の平均数、
f{p} は惑星系を有する恒星の割合、
n{e} は1つの恒星の周りの惑星系で生命の存在が可能となる惑星の平均数、
f{l} は上記の惑星で生命が実際に発生する割合、
f{i} はその発生した生命が知的生命体にまで進化する割合、
f{c} はその知的生命体が星間通信を行うほど高度な技術を獲得する割合、
L はそのような高度文明が星間通信を行い続ける期間、
である。
こんな変数をどうやって特定するかはわからないが、ドレイクが1961年に示した値はN=10であったそうだ。
フェルミはこう考えた。少なくとも、銀河系にある惑星文明は地球だけではないはずだ。それなのに、いまだかつて他の星から人工的な電波が送られてきたり、探査機が来たりしたということが確認されていない。ましてやエイリアンがやってきたという痕跡もない。
それはどうしてだろうか・・。というのがフェルミのパラドックスである。
ちなみに、エンリコ・フェルミというひとはものすごく偉大な物理学者であったらしく、1938年にはノーベル物理学賞を受賞し、マンハッタン計画に参画、世界初の原子炉の運転にも成功したというひとだ。そんなひとが、宇宙には地球以外にも文明があるというのだからそれはきっと間違いがないということだろう。
それなのに誰も地球に興味を示していないのはなぜか・・。それがフェルミのパラドックスだ。そしてこの本は、そのパラドックスはなぜ起こっているのかということを考察している。
要は、「宇宙人の存在を、どうして地球人には認識できないのか。」ということを考察している。
その理由を著者は大きく3つの項目に分けて考えている。ひとつは、『実は来ている。』ひとつは、『実在するか、また会ったとしても連絡を受けたこともない。』最後は、『そもそも存在しない。』である。
しかし、これらが長い文章で、しかも翻訳もので専門用語と数式が並んでいるからさっぱりわからない。
なんとなく理解できそうなところを拾ってゆくと、
『実は来ている。』では、都市伝説のような、宇宙人は政治家になって潜入しているなんてことが書いてある。NHKの「LIFE」では「小暮総理」といキャラクターが出てくるが、プロヂューサーはこの本を読んだことがあったのだろうか・。
また、ミステリーサークルや火星の顔面岩なども紹介され、このパートは科学的というよりかなりオカルト的である。唯一、月の高精細の画像探査では宇宙人の観測基地は見つかっていないというのは実証的である。しかし、火星の向こうにある小惑星帯に探査機が紛れ込んでいるという可能性は捨てきれないとなっている。
『実在するか、また会ったとしても連絡を受けたこともない。』では、カルダシェフスケールという文明のステージが紹介されている。
タイプI文明は、惑星文明とも呼ばれ、その惑星で利用可能なすべてのエネルギーを使用および制御できる。地球はここにまでも到達していない。
タイプII文明は、恒星文明とも呼ばれ、恒星系の規模でエネルギーを使用および制御できる
タイプIII文明は、銀河文明とも呼ばれ、銀河全体の規模でエネルギーを制御できる。
恒星間で通信をしようとすれば最低でもタイプII文明レベルが必要である。それだけのエネルギーを制御できないと隣の恒星へも相手が認識できるような電波を飛ばすことができない。ただ、「三体」でも使われていたが、太陽の重力レンズ効果を使って伝播を増幅して発射するという方法は理論的に可能だそうだ。これだと今の地球の文明でも可能だそうだ。でも、「三体」がリアルなら、どこかに隠れている他の星の文明にこっちが滅ぼされてしまうことになるのでちょっと不安だ。
そして、実際に宇宙人が地球にやってこようとするとタイプIIIのレベルの文明が必要だが、恒星間を超えて文明が発達するためには等比級数的に人口が増えてしまい、その圧力で文明自体が崩壊してしまう可能性が高くなるという。
だから、実在したとしても向こうからもアプローチできないという結論が導き出せる。
『そもそも存在しない。』では、地球を例にとって、地球に生命が生まれそれが知識を持ち、宇宙に目を向けるところまで進化することがどれだけ奇跡的であるかということを地質学や生物学の知識を使って書かれている。
まずは、DNAが生まれることが奇跡的で、また、初期の生物と言われる、原核細胞生物が真核細胞生物に進化するということがまた奇跡的であったという。
そしてそんな進化の環境は月という特殊な衛星の存在がある。月は衛星としては地球に比べて非常に大きく、潮汐や地軸の傾きの安定を地球に与えることで生命の進化に貢献した。また、木星や土星などの外惑星も地球に降り注ぐ隕石の数を制御することで何度かの大量絶滅の末に人類を進化の中に残した。地球自身も地殻とマントルを持つことで磁力線を発生させ、宇宙からやってくる放射線から地球を守っている。そんなことがどの恒星系でも起こるのかというとそれは極まれなことではないかと思われ、そもそも存在しないという結論が導き出せる。
結局、真相はわからないわけだが、著者の見解では、やはり、「存在しない。」という考えを持っていると書いている。
確かに、『そもそも存在しない。』のパートで書かれていることを考えたら、道具を作ってさらに二次的にモノを作り出し、宇宙に向かって電波を出し、どこかからやってくる電波を待ち受けるまでになるということは奇跡のなにものでもないような気がする。
生物がいる星は多分どこかに存在するんだろう。しかし、科学技術を持った文明は存在しないような気がする。ましてや銀河規模でエネルギーを操れる文明など。
一番に特異なことは、言葉をしゃべり、道具を使うのは人類だけで、そのほかの動物とはあまりにもかけ離れている。その間がないというのは不自然だ。と、いうことは、やはり人類の存在というのは相当異例のことに違いない。
地球の生命の誕生に際しては一番最初の生命がひとつだけあったに違いないと言われている。宇宙規模でみるとこれから宇宙に広がる最初の生命体が人類であったりするのかもしれない。
地球上の生命を構成する原子は宇宙が生まれたときと同時に発生したものではなく、その後の超新星爆発や白色矮星の崩壊から生まれた原子も使われている。ということは、宇宙ができて何世代かの星々の更新の末でなければ生物は生まれない。この本ではそれは宇宙ができて70億年後くらいからであっただろうという。それから46億年経って今の人類がある。その時間の必要からも人類が宇宙での最初の文明であってもおかしくはないというのが著者の考えだ。だから人類が宇宙における一番最初の生命の位置づけになるのではないかという。
しかし、これから先、人類ははるか宇宙まで勢力を伸ばすことはできるのだろうか。科学と技術の進歩がそうさせる可能性があったとしても、社会的、心理的な面からはどうだろう。
経済面から見てみると、人類を他の恒星系に送り出すだけの余裕があるのだろうか。それをやって経済的なリターンがあれば別だが、そのリターンを得るまでにどれだけの投資をしなければならないのか、貧困にあえぎながらそれに賛同することはできるのだろうか。強力な独裁者が、おれはやるんだ!と言ったところでその技術がそこまで到達するまでその独裁制を保てると思えない。貧困と抑圧が暴発を生む。
また、光の速度を超えられないという縛りがあると、恒星間の移動は数百年、数千年、ひょっとすると万年単位の旅となる。人間がそこで宇宙船の中で社会を築きながら世代を重ねて旅をするとなると、そんなに長い間平和を保てるだろうか。それは歴史が答えを出している。
これは人類を基準に考えているからこんな答えが出るのだといわれるかもしれないが、知覚や知能を持った生物なら、必ず死というものを考えるはずだ。そこから宗教が生まれ、そういう思想を元にして社会が築かれる以上、同じような流れをたどるのは必至だとは思わないだろうか。
宇宙の生命には永遠の命を持っていて、死や宗教に縛られないものがいるに違いないという話もあるのかもしれないが、そういう種族をこっちが生物と認識できるのかどうかというところからはじめなければならない。
フェルミは、不可知論という考え方を持っていたそうだ。不可知論とは、「事物の本質は認識することができない、とし、人が経験しえないことを問題として扱うことを拒否しようとする立場である。」ということだが、多分僕が生きている間にどこかの星からメッセージが届くことはないだろうし、ましてや大船団が攻めてくることもなかろう。
だから何も気にせず空想の中で楽しめばいいと思っている。
これも「三体」の流れで借りた本だ。500ページもある。
「フェルミのパラドックス」という論に対する解を求めようとする話だ。
ウイキペディアで調べてみると、『物理学者エンリコ・フェルミが最初に指摘した、地球外文明の存在の可能性の高さと、そのような文明との接触の証拠が皆無である事実の間にある矛盾のことである。』と書かれている。
「ドレイクの方程式」という、太陽系が属する銀河系のなかには地球のほかにどれくらいの文明が存在しているのかを求める方程式があって、それぞれの変数に数値を確定させて代入するとその文明の数が導き出せるというものだ。
方程式はこうだ。
N=R*×f{p}×n{e}×f{l}×f{i}×f{c}×L
R* は、天の川銀河で1年間に生まれる恒星の平均数、
f{p} は惑星系を有する恒星の割合、
n{e} は1つの恒星の周りの惑星系で生命の存在が可能となる惑星の平均数、
f{l} は上記の惑星で生命が実際に発生する割合、
f{i} はその発生した生命が知的生命体にまで進化する割合、
f{c} はその知的生命体が星間通信を行うほど高度な技術を獲得する割合、
L はそのような高度文明が星間通信を行い続ける期間、
である。
こんな変数をどうやって特定するかはわからないが、ドレイクが1961年に示した値はN=10であったそうだ。
フェルミはこう考えた。少なくとも、銀河系にある惑星文明は地球だけではないはずだ。それなのに、いまだかつて他の星から人工的な電波が送られてきたり、探査機が来たりしたということが確認されていない。ましてやエイリアンがやってきたという痕跡もない。
それはどうしてだろうか・・。というのがフェルミのパラドックスである。
ちなみに、エンリコ・フェルミというひとはものすごく偉大な物理学者であったらしく、1938年にはノーベル物理学賞を受賞し、マンハッタン計画に参画、世界初の原子炉の運転にも成功したというひとだ。そんなひとが、宇宙には地球以外にも文明があるというのだからそれはきっと間違いがないということだろう。
それなのに誰も地球に興味を示していないのはなぜか・・。それがフェルミのパラドックスだ。そしてこの本は、そのパラドックスはなぜ起こっているのかということを考察している。
要は、「宇宙人の存在を、どうして地球人には認識できないのか。」ということを考察している。
その理由を著者は大きく3つの項目に分けて考えている。ひとつは、『実は来ている。』ひとつは、『実在するか、また会ったとしても連絡を受けたこともない。』最後は、『そもそも存在しない。』である。
しかし、これらが長い文章で、しかも翻訳もので専門用語と数式が並んでいるからさっぱりわからない。
なんとなく理解できそうなところを拾ってゆくと、
『実は来ている。』では、都市伝説のような、宇宙人は政治家になって潜入しているなんてことが書いてある。NHKの「LIFE」では「小暮総理」といキャラクターが出てくるが、プロヂューサーはこの本を読んだことがあったのだろうか・。
また、ミステリーサークルや火星の顔面岩なども紹介され、このパートは科学的というよりかなりオカルト的である。唯一、月の高精細の画像探査では宇宙人の観測基地は見つかっていないというのは実証的である。しかし、火星の向こうにある小惑星帯に探査機が紛れ込んでいるという可能性は捨てきれないとなっている。
『実在するか、また会ったとしても連絡を受けたこともない。』では、カルダシェフスケールという文明のステージが紹介されている。
タイプI文明は、惑星文明とも呼ばれ、その惑星で利用可能なすべてのエネルギーを使用および制御できる。地球はここにまでも到達していない。
タイプII文明は、恒星文明とも呼ばれ、恒星系の規模でエネルギーを使用および制御できる
タイプIII文明は、銀河文明とも呼ばれ、銀河全体の規模でエネルギーを制御できる。
恒星間で通信をしようとすれば最低でもタイプII文明レベルが必要である。それだけのエネルギーを制御できないと隣の恒星へも相手が認識できるような電波を飛ばすことができない。ただ、「三体」でも使われていたが、太陽の重力レンズ効果を使って伝播を増幅して発射するという方法は理論的に可能だそうだ。これだと今の地球の文明でも可能だそうだ。でも、「三体」がリアルなら、どこかに隠れている他の星の文明にこっちが滅ぼされてしまうことになるのでちょっと不安だ。
そして、実際に宇宙人が地球にやってこようとするとタイプIIIのレベルの文明が必要だが、恒星間を超えて文明が発達するためには等比級数的に人口が増えてしまい、その圧力で文明自体が崩壊してしまう可能性が高くなるという。
だから、実在したとしても向こうからもアプローチできないという結論が導き出せる。
『そもそも存在しない。』では、地球を例にとって、地球に生命が生まれそれが知識を持ち、宇宙に目を向けるところまで進化することがどれだけ奇跡的であるかということを地質学や生物学の知識を使って書かれている。
まずは、DNAが生まれることが奇跡的で、また、初期の生物と言われる、原核細胞生物が真核細胞生物に進化するということがまた奇跡的であったという。
そしてそんな進化の環境は月という特殊な衛星の存在がある。月は衛星としては地球に比べて非常に大きく、潮汐や地軸の傾きの安定を地球に与えることで生命の進化に貢献した。また、木星や土星などの外惑星も地球に降り注ぐ隕石の数を制御することで何度かの大量絶滅の末に人類を進化の中に残した。地球自身も地殻とマントルを持つことで磁力線を発生させ、宇宙からやってくる放射線から地球を守っている。そんなことがどの恒星系でも起こるのかというとそれは極まれなことではないかと思われ、そもそも存在しないという結論が導き出せる。
結局、真相はわからないわけだが、著者の見解では、やはり、「存在しない。」という考えを持っていると書いている。
確かに、『そもそも存在しない。』のパートで書かれていることを考えたら、道具を作ってさらに二次的にモノを作り出し、宇宙に向かって電波を出し、どこかからやってくる電波を待ち受けるまでになるということは奇跡のなにものでもないような気がする。
生物がいる星は多分どこかに存在するんだろう。しかし、科学技術を持った文明は存在しないような気がする。ましてや銀河規模でエネルギーを操れる文明など。
一番に特異なことは、言葉をしゃべり、道具を使うのは人類だけで、そのほかの動物とはあまりにもかけ離れている。その間がないというのは不自然だ。と、いうことは、やはり人類の存在というのは相当異例のことに違いない。
地球の生命の誕生に際しては一番最初の生命がひとつだけあったに違いないと言われている。宇宙規模でみるとこれから宇宙に広がる最初の生命体が人類であったりするのかもしれない。
地球上の生命を構成する原子は宇宙が生まれたときと同時に発生したものではなく、その後の超新星爆発や白色矮星の崩壊から生まれた原子も使われている。ということは、宇宙ができて何世代かの星々の更新の末でなければ生物は生まれない。この本ではそれは宇宙ができて70億年後くらいからであっただろうという。それから46億年経って今の人類がある。その時間の必要からも人類が宇宙での最初の文明であってもおかしくはないというのが著者の考えだ。だから人類が宇宙における一番最初の生命の位置づけになるのではないかという。
しかし、これから先、人類ははるか宇宙まで勢力を伸ばすことはできるのだろうか。科学と技術の進歩がそうさせる可能性があったとしても、社会的、心理的な面からはどうだろう。
経済面から見てみると、人類を他の恒星系に送り出すだけの余裕があるのだろうか。それをやって経済的なリターンがあれば別だが、そのリターンを得るまでにどれだけの投資をしなければならないのか、貧困にあえぎながらそれに賛同することはできるのだろうか。強力な独裁者が、おれはやるんだ!と言ったところでその技術がそこまで到達するまでその独裁制を保てると思えない。貧困と抑圧が暴発を生む。
また、光の速度を超えられないという縛りがあると、恒星間の移動は数百年、数千年、ひょっとすると万年単位の旅となる。人間がそこで宇宙船の中で社会を築きながら世代を重ねて旅をするとなると、そんなに長い間平和を保てるだろうか。それは歴史が答えを出している。
これは人類を基準に考えているからこんな答えが出るのだといわれるかもしれないが、知覚や知能を持った生物なら、必ず死というものを考えるはずだ。そこから宗教が生まれ、そういう思想を元にして社会が築かれる以上、同じような流れをたどるのは必至だとは思わないだろうか。
宇宙の生命には永遠の命を持っていて、死や宗教に縛られないものがいるに違いないという話もあるのかもしれないが、そういう種族をこっちが生物と認識できるのかどうかというところからはじめなければならない。
フェルミは、不可知論という考え方を持っていたそうだ。不可知論とは、「事物の本質は認識することができない、とし、人が経験しえないことを問題として扱うことを拒否しようとする立場である。」ということだが、多分僕が生きている間にどこかの星からメッセージが届くことはないだろうし、ましてや大船団が攻めてくることもなかろう。
だから何も気にせず空想の中で楽しめばいいと思っている。