イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「驚異の未来生物: 人類が消えた1000万年後の世界」読了

2019年03月08日 | 2019読書
 マルク・ブレー、セバスティアン・ステイエ/著  森 健人/監修  遠藤 ゆかり/翻訳 「驚異の未来生物: 人類が消えた1000万年後の世界」読了

今から1000万年後の世界では現代の生物がどんな形に進化しているかということを考察した本だ。好き勝手に想像しているのかと思いきや、思弁生物学という学問があって、将来の気候変動や現代の生物の分布状況からこんな世界が繰り広げらているかもしれないと科学的な仮説を打ち出しているらしい。
立ち読みで2億年くらい先の生物の本というのを見たことがあるが、それはあまりにも先のことすぎて、出てくる生物もオウムのような魚が空を飛んでいるというようなこれはSF以下ではないのかと思うようなものだったが、1000万年先だというとなんだか身近な感じがする。といっても1000万年ってどんな時間なのかは想像できない。

この世界では40メートルのオタマジャクシが海を泳ぎ、鳥に代わってコウモリが空を支配している。科学的な考察の結果とはいえ、それでもホンマかいな?と思えるような生物ばかりが登場する。まあ、こんな未来に誰も生きていないのだから何を言ってもだれも迷惑を被らない。まったく罪のない本だ。

雨が降ってどこにも行けない午後にちょっとだけ酔っ払いながら読むにはちょうどよい本である。
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タラノメ調査

2019年03月07日 | Weblog
せっかくの休日、ワカメが生えてきているのはわかっているのだが、天気が悪い。夜明けまで雨が降っていて午後からはまた雨が降るらしい。おまけに強い北風が吹いてる。
家で何もしないでボ~っとしているのももったいない。今年は暖冬だったのでタラノメも早いのだろうかと思いいつものポイントに調査に出かけてみた。

この感じではあと1週間か10日というところだろうか。去年は3月19日に最初の採集に向かったのでやはり少し早くなりそうだ。

 

しかしながら、このポイントも廻りから開発の波が押し寄せ、林がどんどん小さくなってきているような気がする。ひょっとして来年あたりはすべて伐採されてしまっているかもしれない。



新しいポイントを探すべくウロウロしてみると、まとまった株があるところを見つけたけれども、ここはあまりにも目立ちすぎる。おそらくは僕が到着する前にすべて盗られてしまっているのだろう。
道の際に生えているので取りやすくていい感じなのだが残念だ。



港に回ってみると、松林の横に生えている河津桜がほぼ満開になっていた。



僕の中ではもうすでに春を迎えているのだが、この季節、天気が目まぐるしく変わり、一度休日と天気の回りが悪く当たってしまうとずっと尾を引いてしまう。次の休みも予報では天気が悪いようでワカメにも釣りにも行けそうにない。
プライベートでも仕事でもなんだかしっくりいかない春のスタートだ。
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「フロー体験入門 楽しみと創造の心理学」読了

2019年03月06日 | 2019読書
M.チクセントミハイ/著 大森 弘/訳 「フロー体験入門 楽しみと創造の心理学」読了

この本では、「フロー」という心の状態について説明をしている。「フロー」という状態は、スキルがちょうど処理できる程度のチャレンジを克服することに没頭しているときに起る心理現象であり、人はそのに状態いる間は非情に心地よい感覚を覚える。

スポーツ選手や工芸家が、自分の持っている技術を極限まで発揮して勝負や作品作りに臨んでいる姿がその「フロー」なのである。到達点はあまりにも低いけれども僕が船の上でたとえ短時間(そんなにも集中力が持たない・・)でも竿の穂先を凝視している時の感覚が「フロー」なのである。
そう、フローとは世間で考えられる絶対値的な幸福のレベルとは別物で、個人ごとにフローの感覚は体験することができる。給料の高い医師は高度な知識と技術を要する手術の最中にフローを味わうし、貧乏な僕は田辺の磯の上で、8㎏100円のヌカ団子を放り込むサイクルの中でも同じフローを味わえることができる。ゴーンは10億で僕は100円。それはそれで仕方がない・・。
だから、人は幸福を求めるのではなく、「フロー体験」をできるだけ長い時間味わうということを考えなければならないというのだ。

そしてそのフローの経験が特に味わえるのは趣味に没頭してるときなのだそうだ。これは直感的でなくてもよくわかる。自分の好きなことには没頭できるし仕事というのは何かと苦痛が大きい。「仕事と日本人」にも同じ事が書かれていたけれども、フロー体験という言葉を知らなくてもよく理解はできる。

このことから、著者は人生の4割の時間を占めるという、仕事に対してフロー体験を得るように努力すべきだと言っている。そして、その努力の方法というのが、仕事内容が要求するものを超えて、考えたり気遣ったりすることで仕事から上乗せされた意味を引き出すことができるという。すなわち、フローを体験できるのである。
この、少し超えるということが、趣味、仕事にかかわらずまた、その成果が大きい小さいの問題にかかわらずそのプロセスの中で大切であるという。

しかし、プロセスが大切とはいえ、魚が釣れなければがっかりするし、売り上げが上がらなければうれしくない。上司が気にも留めてくれなければ徒労感が沸き上がるし、何をやっても叱られてばかりだとやる気が失せる。
そこも、著者は、目的があるからプロセスが生まれる。頂上という目的がなければ道中はただのぶらぶら歩きになってしまうのでそういうことは気にするなという。
こういう境地を、「自己目的的パーソナリティに達した。」という。こうなると、物の所有、レジャー、癒し、権力や名声といったものをほとんど必要としなくなる。

フローを体験するためには、心理的エネルギーを投資する必要がある。そしてフローはまた、心理的エネルギーを生み出す源にもなっているという。常にエネルギーが注入されていなければ、エントロピーが増大してしまう。タダではフローを体験することはできないというわけだ。

仏教には「四諦」という考え方があるけれども、このフローを体験することはもっと難しそうだ。何もかもの欲を捨てたふりをして頑張れと言っているようなものだ。しかし、もので溢れたこの時代、目的を持って欲を出さないという能力がなければ乗り越えられないような気もする。
しかし、なかなか僕にはできそうにない。やはり魚を手にしたい気持ちは無くならないし、新しい仕事の大半は印鑑を押すことで、昔のアクションドラマに「ハングマン」というのがあったけれども、これでは「ハンコマン」じゃないかと突っ込みを入れたくなるようではプロセスも何もない。まあ、まったく不毛な作文を作っているよりもまだマシかとは思うけれども・・・。

心理的エネルギー、それは忘れずに生きたいものだ。
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「辺境メシ  ヤバそうだから食べてみた」読了

2019年03月03日 | 2019読書
高野秀行 「辺境メシ  ヤバそうだから食べてみた」読了

著者が世界の辺境で食べた数々の珍味、奇食が書かれている。週刊文春での連載をまとめたものらしいが、なかなか強烈なものの連発されている。幻覚作用のある食べ物、飲み物まで出てくるのはある意味これも文春砲だ。

将来、カエルのジュースやネズミの丸焼きというはおそらく食べることはないのだろうが、昆虫食はリアルだ。世界の飢餓を救うためには昆虫を食べることが必須だというのを何かの本で読んだことがある。昆虫は成長が早くて飼料の投入に対しても出来高の効率がいいそうだ。この本を読んでいるとなんとか食べられそうに思えてくる。どの昆虫も、エビの味がして美味しいようだ。ちなみにネズミやワニは鶏肉のような味がするらしい。積極的に食べようとは思わないが、その時が来たら躊躇なく食べて生き延びようと思う。そういえば、山形へ旅行に行ったとき、イナゴの佃煮を食べたが、これも美味しかった。僕は大丈夫なようだ。

しかし、この著者が残念なのは文章が下手なのだ。素人が偉そうなことを言えないが、やっぱり下手にしか思えない。それをなんとか素材がカバーしている。僕の魚料理のようなものだ。そこが惜しい。
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道を歩く

2019年03月02日 | Weblog
3月10日に近畿道に新しいインターチェンジが開通するのに合わせてアクセス道路が歩行者に開放されていたので歩いてきた。このインターチェンジは家から10分もかからないところにできるので紀南への釣りはかなり便利になる。ありがたい。



  

今日は休みではなかったのだが、人事異動があって引継ぎを受ける人が休みだというので僕も休みを取った。



ここは発令を受けるために集まった本社の会議室。中国人の爆買いのおかげでえらく立派な造りになっていた。

今度の移動先は今までのとはまったく異なる仕事だ。入社してからずっと営業部門での勤務であったが今度は庶務という部門だ。
なんだか一線を退かされて戦力外通告を受けたような感じがして少し寂しい気もする。人一倍気配りが必要な部門なのであるが、自分のことしか考えることができないこの性格でやっていけるのだろうか。もう、この歳になって自分の性格も能力も高めることは自分には無理なように思う。今の業務なら適当にごまかして力を抜いてやり過ごすなどという老獪な技も持っていたつもりだけれどもこれからはそれが通用しなくなる。
仕事をしているふりをし続けていたつもりだがはやり会社は欺けなかった。

唯一ありがたいのは勤務地が格段に近くなったことだ。3年前まで勤務していた地元の職場なので家を出て会社に到着するまで17分。勤務時間は片道103分の短縮だ。そしてその事務所にはかつての釣り仲間がたくさんいる。まったく異なる職域でも数人の知り合いがいるというのは心強い。
一杯飲んで帰っても帰宅時間は午後10時。今までなら普通に勤務して帰宅する時間だ。



そう思うと会社の配慮には感謝していいのかどうかがわからなくなる。それでももう少しの間、歩き続けねばならない・・・。
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