イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2021年01月13日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 7:02満潮
潮流:7:21 上り3.5ノット最強 11:17転流
釣果:サバ6匹 マアジ1匹

やっと初釣りに出ることができた。
例年なら1月の1週目には初釣りに出ていたが年末からの寒波が年を越し、1月3日には船を出してみたものの5分で港に戻ってきてしまった。



そのあとすぐにそれをしのぐ大寒波がやってきたことで今日になってしまった。

風は吹いていないけれども気温はかなり低い。今朝は0.4℃だったそうだ。
夕べ、雨(雪?)が振ったらしく、路面は白く凍りついていた。



転倒しないようにゆっくり、時速30キロ以下の速度で港へ向かった。港への道中は幹線道路をさけて小さな路地を通って向かうので路面はどこも凍りついたままになっていた。

アマゾンの正月セールで買ったバイクのハンドルカバーもまったく役には立たず指先の感覚はマヒしてしまっている。それもそうだ、ブレーキレバーが氷点下に近い温度まで下がってしまっているのだからそれをつかんでいる指も氷点下に近くなってしまっているようだ。



港へ到着しても船のデッキの上は全部凍りついている。

 

寒い日に釣りに出たことは何度もあるがこれほどの日は記憶にない。雨の水を含んだロープも硬く凍りついていてほどくのに手間取る。体の動きも寒さでぎこちないのでものすごく時間がかかる。まあ、エンジンの暖気運転に時間をかけなければならないのでちょうどいいけれども。

おまけに満潮だったので船に荷物を乗せるのにも手間取り、強風対策のために隣の船と繋いでいたロープをほどいたりしていたら30分も経ってしまってしまい港の出口に出た時には太陽が顔を見せはじめていた。

今日は年末から釣れているアジとサバを狙ってみてその後潮が止まるまでに真鯛を狙ってみようと考えていた。

まずは大和堆ポイントに向かい、そこから他の船の動きを見て行き先を考える作戦だ。

午前8時前に大和堆ポイントに到着すると船が少ない。僕を含めて3艘いるだけだ。



確かに魚探の反応もない。遠く銅板ポイントの方を見るとそこには船団ができているが、とりあえずここからスタートしてみる。
潮流がかなり早い時間帯だからなのだろうか、かなり仕掛けが流される。数回ポイントの上を流してみるが魚探の反応もなくアタリもないのですぐに見切りをつけて銅板ポイントへ。



船団の端っこに船をつけると魚探には真っ赤な反応が出ている。かなり大きな魚の群れがいるようだ。さっそく仕掛けを下すとアタリが出た。大きなサバとマアジが掛かっていた。

今日の仕掛けはいつものビニール仕掛けではなく、オレンジ色のビニールひもを使ったチョクリの仕掛けだ。



加太ではモジャモジャと言われているらしいが、3センチくらいのビニールひもで作るのが普通というのを8センチの長さにして高仕掛けで使うビニールに近いサイズにしてみた。枝素も中途半端で15センチにしてみた。はたしてこんなもので釣れるのかと自信がなかったのだけれどもなんとか釣れてくれた。まあ、これだけすごい反応が出ていればどんな仕掛けでも釣れるのかもしれない。これで自信を持ってしまってはダメだ。もっと釣る人はいくらでもいる。

沖ノ島の陰から離れたところを行ったり来たりしながらサバを5匹。午前10時を回り潮が止まる前に真鯛を狙ってみようとテッパンポイントを目指した。

僕の中での加太で釣れる魚の美味しいランキングではサバとカワハギが双璧で真鯛はその次くらいになってくるのだけれども、やはり真鯛を釣りたい。初釣りならばなおさらだ。それにサバが5匹あれば2軒分の食材として余りある。
移動のために仕掛けを回収しようとしている最中にまた反応があり、すぐに仕掛けを下してみるとまた1匹釣れた。このままここで留まるとまだまだ釣れる可能性があるけれどもここは思い切って移動を決したのだがやはりこれが間違いだったようだ・・・。
「釣れるものを釣れるだけ釣る。」やはりこれに徹するということが必要だとあらためて感じることになる。

テッパンポイントに到着すると、釣れていないのかそれとも爆釣しているサバとアジに釣り人の目が行ってしまっているのかここには1隻も船がいない。魚探の反応もないのだが・・。
仕掛けを高仕掛けに変更し少しずつ北上してみるがアタリはない。思い切ってナカトのど真ん中まで入ってみたが仕掛けを根掛かりでロストしただけであった。
仕掛けをセットしなおし、地の島の南に移動してみるとここには反応がある。しかしビニールにはかすりもしない。潮がほとんど流れていないのが原因だろうか。大潮の日は潮が止まってしまうのが早い気がする。
午前11時、転流の時刻になったので終了。

このくらいの時刻になると朝の気温の低さが嘘だったように暖かい。風もなく海面も穏やかなので帰り道は春の季節になったようだ。港に戻り帰り支度をしていると汗が出てくる。



三寒四温というのは本来、真冬の頃、温かい日と寒い日が規則的に繰り返されて天気が変わることを言うそうだが、まさにそんな天気の変わりようだ。

今日、僕より遅れて出撃した人たちは、銅板ポイントからコイヅキへ移動してずっと爆釣が続いたそうだ。確かに、帰り道、コイヅキ方面を眺めると船団ができていた。
「釣れるものを釣れるだけ釣る。」「船団には従うべし」というのが素人の振る舞いとしては正しいと実感させられる初釣りであった。


夕べ、家に帰ると母方の叔母さんが亡くなったという知らせが来ていた。疎遠というか、子供のいない人だったのでまだバイクに乗っていたころ暇なときはよく家に来ていた。小姑でもなんでもないのに何気なく僕の奥さんの悪口みたいなことを言う人であまり好かない人であったが、旦那も数年前に他界しひとりで暮らしていてヘルパーさんが訪問すると亡くなっていたそうだ。
誰にも看取られずにひとりであの世へ行ったことになる。死因は心不全ということだったらしいが、ここ数日の寒さに耐えきれなかったのだろうかと思うと少しかわいそうな気がする。

ヒロシは本の中で死についても書いていた。
たとえ家族でも自分の弱ったところを見られたくないし、意識が朦朧としているなか、「もう死んだか、まだか?」なんていうひそひそ話をされたり、孫がうるさく、「アンパンマンやってるからテレビつけて。」なんて騒がれたら死んでも死にきれないので自分はお金で雇った若い女性のおっぱいを吸いながら死にたいのだというような内容だった。
これは極端にしても、家族に弱ったところを死ぬ前でも見せたくないというのはなんとなくわかるような気がする。
僕は父親の死に目には会社に行っていて会えなかった。その日はどうしても自分がやらねばならないくだらない業務があったためだったのだけれども、思えば父親はそれを知っていていて自分が弱り切った姿を見せまいと自分の逝く日を調整していたんじゃないかと考えたこともあった。そんなことを知っていたなんてことは絶対にないのだが・・。

僕にはいつも偉そうで、釣りに行っても、魚をバラすとものすごく怒られたし、何をしても「おまえはアカン」と言われ続けた。唯一褒めてくれたのは大学に合格した時とピザが上手に焼けた時くらいだった。だから最後まで、お前にだけは俺の弱みを見せないと思い続けていたのかもしれないとずっと思っているのだ。
おかげで僕は今まで父親には魚釣りではかなわないと思い、父親はなんでもできる人だと思って父親がやってきたことをなぞるように釣りを含めて続けてくることができた。それはそれでよかったのではないかと思っている。

僕も密かに、孤独死というのはけっこういいのではないかと思ったりしている。ヒロシのいうとおり、どうせ死ぬときはひとりだ。だったらヨレヨレになった姿を人にさらすより誰にも知られずひっそりとこの世から消えてゆくというのもありなのではないかと思うのだ。

今の時代、孤独死というのも珍しいものではないそうだ。警察がやってくるというのは面倒だけれどもそれも自分が死んだあとなのだからそれほど気にすることもなかろう。腐る前に見つけてもらえる算段を考えておけば多くの人に迷惑をかけなくても済むかもしれない。
白洲次郎はベッドの下に棺桶を置いていたそうだ。僕もそれに倣ってその中に焼き場の費用だけ入れておこうかとそう思ったりしている。

初釣りの書き込みにしてはあまり縁起がよくないか・・・。しかし、一休さんも正月だからこそ死を考えろみたいなことを言っているからこれはこれで思いを巡らすこともありなのかもしれない。


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「ひとりで生きていく」読了

2021年01月11日 | 2021読書
ヒロシ 「ひとりで生きていく」読了

著者はひと昔前、自虐漫談で大ブレイクをしていたが、最近ではユーチューバーとして再び人気が出ているそうだ。
世間では一発屋のように言われているが僕はこの人とギター侍は面白いとずっと思っていた。ヒロシのほうはたまに笑点に出ているのを見たりすると思わず見入ってしまう。

僕も何かでそういうことを知り、ユーチューブを見てみると、これが面白い。ひとりでキャンプをしているだけの動画だがそれが面白い。僕もソロキャンプにあこがれているところがあるのでよけいに興味を持って見ている。
BSでも同じような内容の番組を放送していて、年末年始も録画したものを見ていた。
そこではこの人のライフスタイルみたいなものが垣間見える。特に自分のキャンプスタイルを自慢するわけではないが、小さなこだわりを見せてみたり、この本のタイトルのとおり、サイト選びにはとにかく人がいなくて景色のいいところを探したりする。

多分、この本は著者のそういったライフスタイルの原点を書いたもののようである。

著者は華やかな芸能界に身を置きながら人付き合いが苦手で大部屋の楽屋にいても周りの人たちとどうやって時間を共有していいかわからないような性格だったそうだ。まあ、芸人さんのことなのでどこまで本当かはわからないけれども楽屋の隅っこでひとりでいるほうが心地よかったと書いている。それは子供時代から続いていたようで、女性にもてたいとは思っても結婚したいとか家族を持ちたいというような気持にはなれなかったという。だから今でも独身だそうだ。

自虐ネタの漫談が受けなくなったということもあるが、そういった煩わしい人間関係と、一発屋のキャラクターを求められることに嫌気をさして一線から遠ざかりいくつかの試みの中でソロキャンプの動画をユーチューブにアップすることがヒットしたということだ。
バンドをやってみたり、アイドルをプロデュースしようとしたこともあったらしい。

その中から得た教訓がいくつか書かれている。
人間関係については絶対的なものはないという。周りにひとがいるときとそうでないときでも変わるし、絶頂期にいるときとどん底にいるときでも当然変わる。だから他人とは深くは関わらないというのがいいという。そこにしがらみを作らないというのが著者の生き方の基本だそうだ。
その中には結婚も含まれる。結婚とは人間関係を固定してしまうということである。だから著者は結婚しない。
そして、「二度と会うことのない人にでも丁寧に接するべきだ。」という。これも人間関係のしがらみを断って生きるためのひとつの方策であるそうだ。「人間関係のしがらみを断って生きるのは、日頃からひとり旅をするように生きるということだ。しかし、ひとりで旅をするように生きるからこそ、出会う人には丁寧に接していくべきだ。」と著者は考える。ちょっとよくわからないが、多分、敵も味方も作らない。また自分を誇大することもなく、また卑下する必要もないということが肝要だと言っているのかもしれない。

でも、等身大で生きると嫌われることを避けることはできない。そんなときはそういう環境から逃げることだという。置かれた場所で咲きなさいということはストレスしか生まない。それくらいならそこから逃げ出して居心地のいい場所を求めなさいという。自分をみじめにさせる環境からは逃げるべきだという。逃げ場所をつくるために、たくさんの種をまいておく。それは逃げ道の選択肢を増やすことになるということになる。
著者にはソロキャンプという花が咲いたのだから説得力がある。しかし、これが一般サラリーマンではなかなかそうはいかないだろう。結婚もしていて子供もいたらなおさらだ。じゃあ、そういう環境を作らなければいいじゃないかと言われるが、そこは人並みみたいに生きたいと思うとそう考えてしまう。

そして、根拠のない自信を持ちなさいとも言う。何か根拠のある自信、例えば2000人のホールを埋めることができるコメディアンの前に12000人のホールを埋めることができるコメディアンが現れると自信を打ち砕かれるしかない。しかし、何の根拠もないけれども、自分のコントは世界一だと思えていれば誰もその自信を打ち砕くことができない。
確かにそうだ。何の根拠もないけれども、自分に自信を持っているひとは絶対にストレスを抱え込まないと思う。とんでもない悪臭を放つ同僚をみているとその通りだと思う。
そういうところが著者との大きな違いだ。もちろん、どん底を味わい、いくつも修羅場を潜り抜けてきたからこそそういうことが言えるのだろう。

僕自身も人付き合いが悪く、どちらかというと群れるよりひとりでいることのほうが好きだ。そういう性格が災いしていることもあるのだろう、このブログで愚痴ばかりこぼす結果となってしまっている。何に対しても自信を持てないし他人の評価が気になる。
しかし、著者の文章を読んでいると、そういう生き方もありだと言ってくれているような気になってくる。
人間関係でも、濃密な友人関係がなくても、大切なのは気が合うことよりも共通の話題があることであると書いてくれている。幸いにして僕は釣りを通じてたくさんの友人がいる。ほとんど文字列だけでの交流という感じもするが、それも時代だろう。
またこれも、幸いにしてか不幸にしてか、奥さんとも適度な距離を置けている。本人はいたって体が弱いと思っているらしく好んで外出をしたがらない。だから僕がひとりで出歩くことに対しても何も文句を言わない。むしろ、黙って勝手に出て行ってくれることをよしとしているようだ。

あとは逃げ場所を探せば著者が言うひとりの生き方に近づくことができるのだが、実はこれができない。著者はお金に対しては、『お金を大事にすることで見えてくるのはお金じゃない世界だ。』と書いてはいるが、家族がいるかぎりお金は必要だ。太宰治の時代はなんとかなったのかもしれないがそれがないとこの時代は生きていけない。
逃げた先できちっとお金を儲けることなんて今は考えられない。

この本を読んでいると、なんだかアドラー心理学が勧める生き方そのままだと思えてきた。
しかし、アドラーはその人生観の大きな部分は子供の頃にどんな教育を受けたかということで決まると書いている。著者は両親から「ひょうきん族」や「全員集合」を見ることに対して何も言われなかったそうだ。そこから人を笑わせる仕事がしたいという夢を持ったという。おそらくそういう両親に育てられたからこそ自分で道を切り開くことができたのではないかと思う。
今さら子供の頃の生い立ちを矯正するわけにはいかない。だからやっぱり我慢し続けなければならないのだ・・。
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「ステイホームの密室殺人 1  コロナ時代のミステリー小説アンソロジー 」読了

2021年01月08日 | 2021読書
織守 きょうや 、北山 猛邦 、斜線堂 有紀、 津田 彷徨、 渡辺 浩弐 「ステイホームの密室殺人 1  コロナ時代のミステリー小説アンソロジー 」読了

この本もコロナ禍から生まれた本だ。なんとこの本は早くも去年の8月17日に発行されていた。図書館の新刊欄に入っていたのでもっと新しいと思っていたがなんと動きの早いことか。

外出規制で密室となった室内での密室殺人や身動きが取れない中での代理殺人などのミステリー小説のアンソロジーだ。
相当若い作家が書いているのと、おそらく1、2か月で書き上げてしかも短編であるということからどうも僕が考えているようなミステリー小説とはかなりかけ離れている出来栄えだ。まあ、今風のミステリーといえばきっとこんな感じのものなのだろうから僕の方がついて行けていないということには違いないのだが・・。薄っぺらいと感じる。ついでに使っている紙も薄っぺらい。電車の中で居眠りをしながら往復で読み終えてしまった。

ドラマといい、小説といい、時が経つごとにコロナ禍の状況を織り込むのが当たり前になってきているようだし、バラエティー番組でも旅番組でも出演者がマスクやフェイスシールドをしているのが当たり前になってしまった。これもきっと新しい生活様式ということになるのだろう。
そういうことにはどうもいまだに馴染めない。悲しいかな、やはり僕は時代についていけない人間なのだろう。
だからこの短編集にもどうも心は動かされなかった。

そしてここ数日、日本国中陽性患者の続出でえらいことになっている。関東では再び緊急事態宣言が出され、関西も時間の問題らしい。
1日何人陽性になれば危ないのかということはよくわからないが、テレビでの煽りかたを見ていると珍しく僕も真剣に怖くなってきた。大阪の街はいまだに人がいっぱいで、先日の電車の乗客の若い女たちはどうも赤の他人と一杯やっていたらしく車両の中で大声で、「さっき△△△で一緒に飲んでいた○○○です~。聞こえてますか~。」とやっている。吉村さんが聞いたら激怒しそうなことが普通に行われているのだろうから一所懸命やっておられる政治家の方々がかわいそうで、そんな中、通勤している自分にもそのリスクが降りかかってきているのだと思うと恐ろしい。

別に感染すること自体はあまり怖いとは思っていなくて、十中八九死ぬことはないと思っているし、よしんば死んでしまったとしても今さら悔いが残るというような人生でもない。悔いが残るのは買い溜めたお酒を残していかなければならないくらいだろう。(紙パックばかりだが・・)
それよりも、他の人にうつしてしまうのが怖い。母親は80歳をとうに越してしまっているし、息子はもうすぐ国家試験だ。「お前のせいで・・・」と言われるのが面倒くさいのだ。
事務所の入り口には消毒液を置いているがいままではたいして気にすることもなかったけれども今日からはせっせとプッシュするようになった。
どこまで効果があるのかはわからないが身に降りかかる火の粉は払わねばならない。(この場合はウイルスか・・)
テレビでは1か月は無理だろうとか、3月までは治まらないとかいろいろ言っているが、今日の天王寺界隈を見ていてもあんまり人が減っていると思えない。少し寂しく見えるのは寒いからだということだけだろう。これが、キタやミナミとなるとまた違ってくるのかもしれないのでこれがピンポイントで見た感想であってほしいがこの先どうなっていくのだろうか・・。

あまりひどくはなってもらいたくはないけれども、ほどよく休日が増えている今くらいの感じが続いてくれるのならまんざらでもない。そして自分に感染しなければなおのこといい。
それでもやっぱり大阪に来るのが怖くなってきている。できることなら和歌山でひっこんでいたいけれどもお金をもらわなければならないのでそうもいかない。あまり長くなるとまたコンビニに行けと言われてしまうかもしれないし、もうそろそろ手打ちにしてくれてもいいのではないかと思ったりする。

しかし、たった0.1ミクロンの粒々にこれほど振り回されるとは人間の世界というものも危ういものだとあらためて思う。どれだけ科学技術と自然科学が発達しても永遠に0.1ミクロンから逃れられないのかもしれない。
まさに五蘊盛苦だ・・。

「2」が所蔵されていても次は読むかな・・?

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「亜種の起源  苦しみは波のように 」読了

2021年01月05日 | 2021読書
桜田一洋 「亜種の起源 苦しみは波のように 」読了

2020年の後半くらい以降に出版された本にはやはりコロナウイルスに直接的、間接的に関連した話題が入っているものが多い。この本もコロナウイルスがもたらした生活の変化から人が生きてゆくということはどういうことなのかということを問いかけるような内容の本だ。

著者の思いは、はじめにのところに凝縮されている。
著者は著名な分子生物学者であるが、生物を機械のパーツの集合体のように取り扱うことに違和感を感じている。
分子生物学が細胞を機械のパーツのように考えるようになったのはダーウィンの進化論だ。
『現代文明の礎となったダーウィンの進化論(ダーウィニズム)は生物を機械のように設計されたものとして扱う。ダーウィニズムは世界を切り分け、生命を機械の部品のようにみなす生命科学をつくり出した。
しかし、人間ひいては生物は機械のように設計されたものではなく、それそれの環境の中で個性を宿していく。生命の本質を理解して人間らしく生きるには、一人ひとりの人生を感じ(想い)、考え(思い)ていかなければならない。
生存競争に有利な種が進化の中で生き残ったのではない。多様な個性を持った亜種が互いに歩調をそろえて同期したり、ときにそれを解消したりすることで彩りに満ちた自然が創出されてきた。
自然科学はあらゆる問題を解説してくれる万能の神と信じられてきたが、環境汚染で絶滅した動物や植物を復活させることができなかったし、新型コロナウイルス感染症で亡くなった多くの命を救うこともできなかった。感染症が収束した先に人類の生き方はどのように変わるのだろうか、どのように変わればいいのだろうか。』
そういう疑問と問題提起がはじめにのところに書かれている。

もともと進化論にはふたつの考えがあった。進化論はダーウィンが独自に考え出したものではない。むしろ、ダーウィンはアルフレッド・ラッセル・ウォレスが考えた自然淘汰説を参考にして自らの進化論を考え出したという推測もある。
ウォレスは、『環境が変化しない条件では個体の多様性と自然の間には均衡が維持されるが、そのままでは維持できない厳しい条件が生じると種の分化と自然淘汰が生じる。』と考えた。対してダーウィンは、『環境変化が起きていあい条件下でも同種の個体が生存競争をするので種の分化が起きるのだ。』と論じた。
この考えは、英国哲学の、「秩序の単位は一人ひとりの個人である。」という考えが影響されている。たとえば、マルサスの「人口論」では、「人は限られた資源を奪い合う。」と言っている。すなわち、生存競争が自然界に秩序と進化を生み出すと考えた。これらの考えが優生政策へと発展してゆくのであるが、それは、強いものだけが正しく、すべての生物(人間)はその強いものに従わねばならないのだという現代の競争社会を肯定する考えにも発展してゆく。すでに優生思想というものは否定されるべきものであるとわかっているのに・・。

著者はそうではないと言う。人は遺伝情報のみで人格や能力が決まるものではない。味覚やアレルギーに対する耐性、持久力は遺伝情報で決定されるけれども、この世に生まれ出てきた後の環境や努力でその後の人生は大きく変わる。これを著者は、「成る」という言葉で表現している。
一方で、自身がどうしても回避できないこともあると認めている。サブタイトルの、「苦しみは波のように」は、ハンチントン病という遺伝病で亡くなった少女の詩の中の一節『苦しみぬいたとうぬぼれてはならない 苦しみきれぬと絶望してはならない たえず苦しめ 苦しみの上にあれ そしてほほえめ 苦しみは波のようなものではないのか・・』から取られている。著者は自分ではどうにもならない病で死ぬ人がいるのだということを小学時代に知り、それを恐れはしたけれどもそれを治す道はないのかと分子生物学を志した。
その過程で生物を機械のパーツの集合体のように取り扱うことに違和感を感じはじめた。
人は一人ひとり個性がある、それはメカニズムではないと言う。

ウォレスは、『自然の本質は戦いではなく、相互扶助の舞台である。』と捉えた。そうでなければ、『人間が時に見せる、真実を愛する心、美に感じる喜び、正義を求める情熱、勇気ある自己犠牲を聞くときに覚える歓喜などが説明できない。』と言ったそうだが、著者も、ダーウィニズムで考える世界観から、ウォレスが考えた世界観に今こそ変わるべきだとこの本の中で訴えている。
これは「いのち愛づる生命誌〔38億年から学ぶ新しい知の探究〕」に書かれていたこととまったく同じ考え方のように思える。
理想はきっとそうなのだろう、しかし、現実はそうではない。どこにいても序列は必ずついて回る。そこのところはダーウィンやマルサスのほうがきっと正しいのだと思う。それに勝てないものは打ちひしがれるか絶望するかしかない。
このコロナ禍が変革のチャンスだと著者は考えているようだが、這い上がれない人たちはきっとそのままかもっと序列を下げるしかないと思う。今を生きるにはとにかく、とりあえずお金が要る。それがないと自滅するしかないのだ。これが80年前、太宰治が生きた時代だとそれこそ相互扶助で生き永らえることもできたのであろうけれども今はきっと無理だ。
そんな時代を取り戻そうとしようとするのなら、まずはネット社会とグローバル経済を破壊し、ポツンと一軒家の世界を作り上げなければならない。

おそらく、世の中の大多数の人たちもそれには共感するのだろうが、やはりそれは無理なことだろうと大多数のひとが思っているに違いない。
そう思う1冊であった。

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「和竿大全」読了

2021年01月02日 | 2021読書
葛島一美 「和竿大全」読了

年またぎは和竿の本を読んでいた。写真がふんだんに掲載されている写真集という趣の本だ。

グラス竿が主流になる前は釣竿というのはオーダーメードが主流だったそうだ。「お店物」という既製品もあったが、特に東京では有名な竿師がいて客の注文に応じて凝りに凝った竿を作っていた。

手作りの釣り具でその究極は釣竿だろう。(リールはどう見ても工業製品でしか実現できそうにないように思う。)その中で竹竿は究極中の究極だ。
僕も手作りの釣り具にはものすごく興味があるものだから、東京によく出張していたころ釣具屋に寄ってはそんなコーナーをよく覗いていた。
多分、「東作」というお店だったのだと思うが、有楽町から銀座に向かう途中にあった釣具屋は入り口には初心者が使うようなサビキやセルウキが並んでいながら奥に入っていくと和竿の数々がケースに入れられて並んでいた。そこはもうまったく近寄りがたい雰囲気で、「買えないんなら早く出て行けオーラ」がプンプン漂っていた。さすが、「粋」を重んじる江戸の町、僕みたいなゲスな人間には用はないのだと思い知らされた。
江戸の旦那衆はこういうところで自分だけの竿をオーダーしていたのだろう。
また、渋谷にあった上州屋やSANSUIという普通の釣具屋にも必ず竹の竿を置いていた。きっとこういうところは「お店物」というようなものを扱っていたのだろう。

幸田露伴の短編の「幻談」には、死んでも自分の釣竿を放さない釣り師とその見事な出来栄えに、死体が持っていたものでも無理やり自分のものにしたくなる釣り師が登場する。それほど釣り師にとっては魅力的なのが釣竿=愛竿というものであったということだ。

江戸の和竿ではないが、橋本市の有名な職人が作ったへら竿を振らせてもらったことがあるが、そのバランスはたしかに見事なものであった。
多分、手入れなんてきちんとできないから実戦で使っても痛めてしまうばかりだし、もちろんそんなものを購入するほどの財力はないのであるが、一本でもいいから手元に置いてときおり袋から取り出して眺めていたいものだと思った。

この本はタナゴ竿からアユ竿、石鯛竿まで江戸の職人たちが作った竿がこれでもかというほど掲載されている。口巻きの装飾、象牙や黒檀などの高級素材を使った部品。もちろん見事な漆塗り。どれをとってもきっとほれぼれするような逸品だ。

しかし、せっかくの銘竿たちだが、写真が小さく、もちろん、本物を見ないことにはそのよさというものはわからないのはわかり切っているのだが、そこが残念だった。

和竿は一時の衰退から少しずつだが復活しつつあるそうだ。穂先にグラスやカーボンを使って扱いやすくしたり、ネットを使った販売も盛んになってきたらしい。
とは言っても正統派の和竿職人は激減しているという。ただ、この、「正統」というのは職人の組合に入会している人たちのことを指すらしい。今元気がある人たちはこういう組合に所属していない人たちだそうだ。商品の値段も比較的安いという。そういうことを聞くとこの世界もなんだかよくある既得権益を必死で守っている世界であるような気がする。“伝統”は大切だが“正統”は必要じゃないのではないだろうか。そういうことをやっているから衰退の一途をたどるのだと外野の身分でえらそうだがそう思ってしまう。

それでも実用性からいくと先端素材を使った竿を使った釣り具のほうがいいのにきまっているけれども、こういう文化はぜひともいつまでも残っていってもらいたいと思うのだ。


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初詣とベーコン仕上げ

2021年01月01日 | Weblog
このブログをご覧いただいている皆さま、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

毎年のことだが元旦といっても特にやることもなく、早朝から初詣にくりだした。
いつものルートを外れ、年末の強風が気になっていたのでまずは港へ向かった。初釣りの帰りにお参りする僕のふるさとの氏神様が今年最初の初詣先になった。



船のほうは特に問題なし。これでひと安心。



初詣のロードに出発する。自分でもいくつの神社とお寺を巡ったかわからない・・。

             

感染防止のため、お神酒や甘酒の振る舞いはすべてやっていなかった。鈴の紐が外されているところもあった。これじゃあ縁起もご利益もまったく期待できそうにない。まあ、特に期待したいこともないのであるが・・。


初日の出を見たのは藤白神社から千種神社に向かう途中であった。日差しが出てくると一気に体が暖かくなる。



そして中言神社の境内からの景色をながめていてふと閃いた。1月1日という日は冬至から10日ほどと、なんだか変な区切りの日になっているけれども、ちょうどこの頃の日差しは確かに力強さを感じる。これから再び自然のあらゆる活力がみなぎってくると感じるためにこの10日余りの日数が必要だったのだろうと・・。当たらずとも遠からじなのかもしれない。
何を当たり前のことを言っているのだとバカにされるかもしれないが、それを発見するまでに僕は57年もかかってしまう人間なのだから仕方がない。



道中、年中無休の釣具屋によるとなんと休業。まあ、これも働き方改革なのかとあきらめ、次の釣具屋へ。ここはブラックなのかどうか、きちんと営業してくれていた。

 

1軒休んでいるからこっちのお店は密状態になっている。


家に帰って録画しておいた紅白歌合戦を見ながらベーコンの仕上げ。

気温が低くてチップの温度が上がらないのかなかなか煙が上がらない。豆炭を足しながらなんとか午後5時に完成。



見た目だけは美味しそうだが、一晩寝かせないと肉が落ち着かないので味見はまだなのだで心配だ。塩抜きをしたのが出勤前だったのでそこで確認をしていないのだ・・。
今年もいい加減な1年になりそうだ・・。

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