すごく久しぶりに、友人のSちゃんと、近所の日本食レストラン『WABI SABI』でランチを食べた。
わたしたちがランチに行くと必ずちらし寿司を頼んでいたのだけど、渡されたメニューの隅々まで探しても見つからない。
ここのちらし寿司はランチ限定で、しかもたったの12ドルとあって、わたしたちの間では定番のメニューだった。
「見つからないね」
「うん」
「無くなったのかな」
「いろいろ大変だったもんね」
「確かにあれは出血大サービスバージョンだったもんなあ」
などとブツブツ言いながら二人でメニューと睨めっこしていたら、そこに給仕長のアリスちゃんがやってきて、
「ちらし寿司食べたいでしょ?」と、にっこり笑って言うではないか。
「え?でもメニューに載ってないよ」
「うん、いろいろあってもうメニューから削除したんだけど…でも作れると思うよ」
「いやあ、そんなこと頼めないよ、迷惑だし、他のお客さんの手前もあるし」
「だいじょうぶだいじょうぶ、いいからいいから」
と手をひらひら振りながらアリスちゃんは去って行く。
テーブルに残った我々は焦ってメニューにまた戻り、それじゃあせめていつもなら頼まない前菜を頼もうかということになった。
すると彼女がまた戻ってきて、「ちらし寿司には味噌汁かサラダが付いてるけど、どっちがいい?」と聞く。
わたしはサラダ、Sちゃんは味噌汁を頼んだ。
そうなると前菜が頼み辛くなったので、わたしだけが揚げ出し豆腐を、Sちゃんはデザートを注文して、感謝の印にすることにした。
そして運ばれてきた揚げ出し豆腐を見てびっくり!
丸々一丁分を切り分けて揚げられた豆腐が、アリスちゃんのお手製の器で、フルフルと揺れているではないか。
いやもう絶対に一人では食べきれないので、二人でいただくことにした。
中身はトロトロ、衣はカリカリ、熱々の揚げ出し豆腐を、おろし大根と天つゆでハフハフ言いながらいただいていると、幻のちらし寿司がやってきた。
いやもう、ご飯どこ?
格子模様のサーモンはさっと炙ってあるし、前は入ってなかったウニやほんのり温かい厚焼き卵がもう嬉しくて、食べる前から泣けてきそう。
揚げ出し豆腐でお腹がかなり膨れていたにもかかわらず、ネタをペロリとたいらげて大満足。
「こりゃデザートは無理だね」
「じゃあチップで払おうか」
と話していると、「これ、わたしからの気持ち」と言って、めちゃんこ美味しそうなプリンがテーブルの上に。
「なんかもう申し訳なさ過ぎる」とわたしたち。
「全然気にしないで、この器もプリンもわたしのお手製だよ」とアリス。
ミントの金箔を舌の上に乗せながら、「お腹いっぱいだけど美味しいね〜、やめられないね〜」と言いながらまたまた完食。
このお店は、今回のコロナ禍のパンデミックにも負けず、生き残ってくれたレストランの中の一つなのだけど、娘ちゃんがアルバイトをしていたこともあってお店の内部事情に超詳しいSちゃんが、どんなふうに大変だったかを教えてくれた。
それまで全然知らなかったのだけど、先日のハリケーンの洪水で、ここの地下室も全滅したらしい。
地下室には、そんじゃそこらの店には置いていない、ものすごく高価で特別仕様の鮮魚用の冷凍冷蔵庫があって、もちろんその中には食材がぎっしり詰まっていた。
それらが全て入れ物ごとダメになったのだそうだ。
水害地域指定では無いから保険がおりない、経営者カップルは市民権を持っていないので州からの支援も受けられない。
この経営者がなんと、アリスと板前長さんだというのを知ってうわぁ〜となったのだけど、この二人、パンデミックの最中に、元の経営者がいきなり辞めると言い出したので、慌てて店を買って跡を継いだのだそうだ。
だからその借金もある。
「まあ又一から必死で働くよ」と笑っている二人を見て、Sちゃんはたまらず「寄付を募ればいいんじゃない?」と提案したらしい。
わたしだってその場に居たら同じことを言ってただろう。
するとまた、「お客さんにはここに来てお金を払ってもらってる。それなのにまたお金をくださいと言うのは気が引ける。だから一所懸命に料理を作って、食べてもらって、喜んでもらって、また来ようと思ってもらえたらそれでいい」と言って断ったのだそうな。
これを読んでるみなさんの中にもし、ニュージャージー州在住の方がおられましたら、このお店をどうぞ贔屓にしてやってください。
本当に気持ちの良い、腕も良い、素晴らしい人たちですし、もちろん料理もとても美味しいものばかりです。
さて、話は変わるが、この1ヶ月、夫は両親の世話をしにペンシルバニアの実家に通っている。
といっても週末だけなのだけど、片道3時間の運転を一人でするのは楽ではない。
先月の下旬に足の付け根の手術を受けた義母は、大きな手術だったにもかかわらず、術後1日半で退院した。
義父は目に問題があって、新聞や本はもちろん、細かな物を読むことができない。
なので日常の些細なことの多くを義母に手伝ってもらっているのだが、術後の痛みと戦っている間は第三者の手を借りなければならない。
ということで、その手伝いのほとんどは、実家から1時間ほどの所に住む夫の姉(といってもわたしより6歳下なんだけど)がやってくれていた。
わたしの父は、わたしたちがこちらに移住する直前に亡くなっている。
来月87歳になる母は、去年の初めに脊椎の大きな手術を受けた後、体調を崩し、歩くことが困難になって気持ちが塞いでいたのだけど、それまでの不沙汰を反省し、数日おきに電話で話すようになってから、文句は今も多いけどずいぶんと明るくなってきた。
コロナ禍にも負けず、徹底した自己管理で乗り越えてくれた。
遠く離れているだけに、母のこの健康維持がどんなにありがたいことか、本当に感謝している。
この卵は義母からのお土産。
彼女の家のご近所さんが養鶏をしていて、とてもきれいな色の卵を産む。
黄身はもうほぼオレンジ色なのだそうだ。
殻を水でよく洗い、乾かしてから冷蔵庫に入れるようにと言われた。
この虫は、今年になって大暴れしている害虫なのだそうだ。
見つけたらすぐにその場で殺してください、って言われてるけど、この虫のお腹の模様の美しいことったら。
前に見つけた時は、窓ガラスに止まっているのを部屋の中からだったので、その模様に見とれてしまった。
わたしはまた指揮のレッスンに通い始めた。
12月の中旬に、大きな舞台を借りられる『Synphony Space』で、オーケストラのコンサートをするのだが、その日、ヴェルディの「運命の力・序曲」の指揮をする。
この曲は、遠い昔、高校3年生だったわたしが吹奏楽部の一メンバーとしてコンクールに出た時に、クラリネットで演奏した曲で、いつか指揮をしてみたいと思っていた。
その夢が64歳になって叶うとは…人生ってほんとにエキサイティングだ。
指揮の練習をしていると、当時のめちゃくちゃ厳しかった練習のこと、吹き過ぎて唇が切れお味噌汁をストローで飲んでたこと、パート練習をする各教室からの音や渡り廊下の匂いまでもが思い出されてくるから不思議だ。
合わせ練習の第一日目は今月最後の日曜日。
今回から第一指揮者としてACMAに迎えられたのはChristpher North氏で、彼はプロの指揮者であり、クラシックはもちろん、たくさんの映画音楽やダンスや歌の作曲を手がけ、ブロードウェイではベースを演奏したりするマルチタレント。
指揮や作曲で多様な音楽に才能を発揮し、いろんな賞をもらっている。
そんな彼との最初の打ち合わせの時に、「合わせ練習の期間が短い上に難しい曲が多い。練習時に焦って厳し過ぎる態度を取ったらどうしよう…」とポロリとこぼしたら、
「僕はまず、1日目は曲の全体を演奏してもらって、その時にあちこちでボロボロと綻びたり不協和音が聞こえてきたりしても聞き流すことにしている。
2回目に、少しだけ部分的に注文を入れて、そのことで自分から気をつけて演奏を整えていくだろうと期待する。
それでもうまくいかない、直らないということになったら、個人的に、誰もいない場所で、僕の意見を聞いてもらう」
「僕はとにかく、また練習に行きたいなって思って欲しいんだ」と話してくれた。
いい言葉だなって思った。
「また練習に行きたいな」は、「またレッスンに行きたいな」とも言い換えることができる。
わたしはこれまで、生徒に対して、こんなふうな気持ちになってもらいたいなって思ったことがあっただろうか。
なんだかすごく勉強になった気がしている。
初めての炊飯器バナナケーキ。
少し焦げたけど、卵の白身をしっかり泡立てて生地に混ぜたので、プルンプルンで美味しかった。
最後は寝ぼけ顔の海ちゃん。
おまけに、歩美ちゃんが採ってきてくれた畑の野菜。多分これでおしまい。